2022年4月30日土曜日

詞書集30作

今週、「絵巻詞書集」を更新した。新たに『源氏物語絵巻』(国宝)、『東征伝絵巻』など15のタイトルを加え、あわせて30作となった。「日本絵巻大成」の翻刻を主に参照し、カメラでの写真、プリンターでのスキャン、GoogleのOCRなどあれこれと補助の方法を駆使し、集中的に時間をかけて完成し、インターネットにアップロードした。

絵巻の一巻はたいてい五つから七つの段から構成される。段ごとに一つのHTMLファイルに仕立て、ファイル数はあわせて132。一段の文字は、多くの場合50行前後、極端に短いものもあれば、『東征伝絵巻』の250行、ひいては『源氏物語絵巻』の800行など突出した場合もある。読み下しを添えたので分量はその倍となり、今度の更新した分は、約4500行と数えられる。

この特設サイトは、勤務校が提供している個人サイトのスペースを利用した。きわめて基本的なものしか用意されていないため、いま風の、いろいろなレイアウトのテンプレートにアクセスできず、すべてゼロからデザインしなければならない。その中で、縦書きを実現できたことは、いささかの自慢なのだ。詞書はやはり縦書きで読むに限る。ほぼすべての閲覧環境に対応しているはずだ。頼りにしたのは、JAVAでの定義ファイル。おかげでHTMLファイルはとても単純な内容に纏めることができた。じつは今度の更新にかかわるすべての作業は、テキストエディタを使って作成したのだ。

詞書だけを対象にした電子テキストのリソースは、いまのところ確認できていない。詞書内容の閲覧、書き物をする場合の引用など、すくなくとも自分個人は便利だと感じている。はたして同じような形で利用する人がいるのだろうか。このような作業は、いくら丁寧にやっているつもりでも、単純なエラーなどは防ぎきれない。これまでの15作について、親切な指摘を数回受けて、その都度訂正した。こんどもそのような熱心な利用者が現われるようにひそかに願っている。

絵巻詞書集(30作)

2022年4月23日土曜日

断簡

今週披いた絵巻は、『狭衣物語絵巻』。手元で読むのは、「日本の絵巻」18に収録されるものである。一方では、東京国立博物館所蔵のこの一点は、「e国宝」でデジタル公開され、画面を眺めるには、印刷されたカラー写真より遥かに高画質で細部まで鑑賞、閲覧ができる。

この作品は、五枚の断簡しか伝わっていない。五枚とも画像が中心で、その中で、建物がテーマで、物語性がきわめて薄い一枚にのみ、数えて十行の文字が添えられている。ただ、「日本の絵巻」の解説によれば、画像の裏にその経緯が記された。江戸後期の住吉派の画家板橋貫雄が、伝二条為氏筆の「源氏物語・澪標」断簡の一葉を選び、ここに貼り付けたのだった。絵には文字、そのような絵巻の体裁に基づき、大昔から伝来した美術の宝物に、鑑賞のための手がかりを提供しようとしたものなのだ。一つの画像の断簡に対して、文字の断簡が新しい命を吹き込み、江戸の文人ならではの、絵巻享受の一端が覗かれた。

思えば、このタイトルは、これまで何回となく読み返した。特設ページ「古典画像にみる生活百景」において、貴族たちのユニークな行動を取り上げ(「目撃」)、「第38回国際日本文学研究集会」での発表(「絵巻にみる男と女の間」)は、直接に引用する余裕がなかったが、男女の構図を議論した。記録を確かめると、後者の場合はすでに十年も近くまえのことだと気づき、自分ながら驚いた。

2022年4月16日土曜日

三つのつづき

今週披いた絵巻は、『信貴山縁起絵巻』。その第二巻、「延喜加持の巻」の詞書を眺めた。はじめて気づくことがいくつもあった。

出だしは、俵を鉢に載せて飛ばせたところを記した。その二行目からの三行において、「つづき」という言葉はじつに三回も現われた。無数の米俵は、「雁などの続きたるやうに」「続き立ち」、「群雀などのやうに続きて」飛び去った。三つとも「津ゝき」と書き、書き方も字の大きさもほとんどまったく同じだ。あえて言えば、「き」の字の縦線が、右下へまっすぐ伸ばす二つに対して、三つ目の場合は、縦線が沈みぎみに波打つ状態になったと見える。ここまで同じ言葉を登場させたら、文章としてどうしても素っ気ない印象だ。もともとその目で読めば、空飛ぶ雁が「続く」にぴったりだとしても、雀となれば一斉に飛び立つもので、両者のイメージにはかなりの隔たりがある。降りてくる俵の群れは絵にも描かれたのだが、はたして「雁」と「雀」のどちらにより近いものだろうか。

このようになんとなく思い返しているうちに、この絵巻をめぐる新聞記事が目に飛び込んできた(「国宝「信貴山縁起絵巻」第1巻公開中」)。国宝として博物館に寄託されているが、それが毎年に一巻だけ所有元の信貴山朝護孫子寺で展示され、そして寅年だけ一年のうちに三巻とも展示されることになっているもようだ。近くにいたら訪ねてみたいものだ。

2022年4月9日土曜日

鑑真和上将来の書

絵巻『東征伝絵巻』を披いた。あの鑑真和上の事績を記したものである。日本語を習った学生時代から、日本と中国との友好の象徴として鑑真の名前をまっさきに覚えたのだが、絵巻の存在を知ったのはたしか長い学生生活が終わったあとだった。仏法を伝えるためにあれだけの苦難を経験し、そしてりっぱに思いを叶えた経緯は、いつ読んでも感動するばかりだ。

あらためて詞書を読むと、その中の短い一行が目に止まった。遣唐使の船に乗り込み、やっとのことで渡航が実現できたところを記す巻四第六段である。成功した結果が分かっただけに、船に持ち込んだ数々の品物の名前が載せられた。それは「如来の肉舎利三千粒」、「華厳経八十巻」といった、今日の目からしても豪華なものだった。それらのすべてが律宗を広めるための書籍や品物だと思ったら、最後の一点として、「王右軍が真跡の行書一帖」があった。あの書聖だと敬われる王羲之(303-361)の書、しかもわずかな文字にも関わらず、それが模写などではなくて真蹟、多くの書体による作品の中でも行書、大事に仕立てられた形を取っていると、豊富な情報が伝えられた。鑑真和上にとって、約四百年まえから伝わった一点の書とははたしてなにを意味していたのだろうか。一人の宗教人としての、決死の覚悟での伝教活動における書への憧憬をどう読み取るべきだろうか、いろいろと思いを巡らさざるをえない。

写真は同じく巻四第六段の前半である。この絵巻は、すでに七年まえにも全巻デジタル化されている。ただ、いま調べたら、オンラインでの閲覧も、なんらかの形での販売も行われていない。じっさいに唐招提寺を訪ねたらなんらかの形で見ることができるだろうか。デジタルの形で利用できるように、一人の読者として切に願う。

2022年4月2日土曜日

電子テキスト

東京大学史料編纂所の「大日本史料総合データベース」が公開されたのはいつごろだったのだろうか。サイトには「©2011」とあるだけで、特別に記録されていない。感覚としてはそれよりもっと早い時期だったはずだ。最初にアクセスして、検索して得たデータが印刷書物の紙面と連動していたことにすっかり驚き、贅沢な作りになっている、電子テキストのあるべき姿だと感じた印象は覚えている。

そもそも古典籍に関する電子テキストは、そのほとんどが紙媒体から内容を受け継ぎ、それを根拠としている。一方では、そのようなテキストは、文字フォント、行間、段落、ページレイアウトなど、紙媒体の情報を多く切り捨てた。電子テキストは、そもそもなんのためにあるのか。あの有名な「青空文庫」は、作品をパソコンで閲覧することから出発したとたしかに制作者たちが振り返る。でも、「大日本史料」などの典籍となると、閲覧のためとはとても思えない。まず考えられるのは、ピンポイントの検索だろう。そんなところに紙媒体の情報まで同時にアクセスできるものなら、利用者としては安心して使えて、なによりも有難い。ちなみに「ジャパンナレッジ」は、収録の全集叢書などについて紙面の情報を掲載し、同じ方向の努力であり、同じ需要への対応だと言えよう。

そのような中で、国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」が現われた。いまのところ、まだ正確度などにおいて問題が多く、アクセスの方法もけっして親切だとは言えない。ただ、電子テキストの生成やその規模において、まさに次世代的なものなのだ。電子テキストと紙媒体との関連においても、まったく新しい可能性が示されていると強調したい。