2006年12月1日金曜日

NHKスタジオパーク見聞録

夏の終わりにひさしぶりに一人で日本を訪ねた。わずか七泊のスケジュールで、二つの講演、一点の貴重資料の調査と、駆け足で五つの都市を廻った。CAJLEの皆さんがトロント年次大会に楽しく集まったころ、東京の渋谷界隈をぶらぶらし、蒸し暑い日本であれこれと思い出を作った。その中の一つをここに記してみたい。
 
滞在の最終日、旅行社の人が繰り返した楽観的な予想に反して、帰りたい日のチケットはどうしても手に入らず、おかげでなんの約束も入っていない空白の一日が出来てしまった。これといった目的もないまま、とにかく新宿方向へと歩き出した。広い公園を横切ったところ、そこはNHKスタジオパークだった。ホットな日本の映像を毎日見せてくれるNHKだから、さっそく入場券を買って中に入った。でも、そこは子供づれや地方からの観光客で賑わい、私にはいささか場違いなものだった。一通り見て、出ようとしたところに、番組生放送見学の看板が目に飛び込んできた。番組の名前は「スタジオパークからこんにちは」。見物客の中を通ってゲストをスタジオの中に迎え入れ、二人のホストがゆっくりと話を聞くというユニークな番組は、学生時代の思い出にあって、それだけで懐かしかった。

番組のポスターを改めて見たら、ホストには有働由美子との名前が載っていた。あの有働キャスターだ。「ニュース10」のスポーツキャスター、メインキャスターを勤め、テレビ画面に毎日映っていたNHKの顔だった。日本の夜の10時は、カルガリー時間の朝6時か7時なので、毎日のように朝起きてはその日のニュースを見て、日本の出来事や話題を、ときには音声やビデオテープを携えて日本語の教室に持ち込んでいた。今年の春になってその番組が消えてしまったことは、残念でならなかった。テレビ画面の向こうにいるアナウンサーをこの目で見られるのだと、どきどきして見学の方法を尋ねた。放送時間より二時間前に申し込み、希望者が多すぎると抽選になるとのことだった。私のように時間を持て余した人はそんなにいなかったからだろうか、何の苦もなく見学の番号をもらい、スタジオ内にあるレストランで定食を取って、放送開始30分前にスタジオの中に入れてもらった。

スタジオの中では、放送まで3時間ほど前から十人ぐらいのメンバーのチームがずっと慌しく動き回っていた。有働キャスターはその中心に座り、台本を入念にチェックしていた。開演5分ほど前になり、二人のキャスターがまず現われ、観客、見学者たちに盛り上げるように指示した。男性の小川浩司キャスターは見学者に向かって、「一番遠くから来ている人は」と問いかけたので、迷わず手を挙げた。「カナダからの見学者までいるのよ」と、カメラがスタジオに切り替えるまでのほんのわずかな時間の中で、ゲストにまで紹介された。

その日のゲストは、前田吟さんだった。寅さんの映画に妹婿としてぜんぶに出演し、いま放送中の大河ドラマに出ているなど、まさに時の俳優なのだ。雑談のような形で番組が進み、しかもこんな長寿番組で勝手が知り尽されているはずなのに、丁寧な準備ぶりには舌を巻いた。与えられた席はちょうどメインカメラのすぐそばなので、カメラマンの手元の、ぎっしりと書き込まれた台本をときどき覗くことが出来た。すべての内容は台本通りに進み、ゲストも質問の内容を心得ていた。見たところ、一つだけの例外は、カラオケの話になって小川キャスターが「十八番(おはこ)は」と聞いて、それを歌ってほしいと迫ったあたりだった。ゲストは明らかに戸惑い、それを有働キャスターが円滑に助け舟を出した。ホストは二つぐらい用意された質問を割愛させられたらしく、プロデューサーと思われる人は、ずっと厳しい顔でボードに時間のことなどを書いて指示を出し続けていた。
 
一時間の番組はあっという間に終わった。ゲストが帰ってからは二人のキャスターが見学する人々に丁寧に話しかけた。そこでカナダから来た私のことが再び話題になり、有働キャスターは淀みなく英語で質問し、中国語で挨拶した。テレビカメラは止まり、撮影も禁止で残念だったが、今度はカナダから学生を連れて見学にくるとお応えし、いい思い出になった。

日本語の教室では、NHKの番組はつねに理想的な教材だ。一方では、著作権などのことで思うままに導入することができないのも現状だ。思えば現在の著作権のありかたとその発想はメディアの発展に伴っておらず、テレビ番組について言えば、もっとたくさんの人々に見てもらいたいという製作の狙いとは必ずしも一致していない。いつかはこのような状況に変化が起こり、日本と日本語に関心を持ち始めたばかりの外国の若者たちも、かれらの日本語の先生が選び、解説をつけた番組を楽しめることができるようになることを願ってやまない。

Newsletter No. 33・2006年12月