2019年12月31日火曜日

庚子歳賀正

謹賀新年。

子の年を迎えた。今年は近年あまり見ない暖冬で、クリスマスも年越しも昼は気温がプラスになったぐらいだ。毎年のように「紅白歌合戦」を眺め、ゆっくりと流れる時間に楽しんでいる。

新しい干支を古い絵に求めたくなる。前回の子の年は、たしか「絵師草子」に登場した鼠をあれこれとトレースしたのを覚えている。「十二類絵巻」にも擬人した鼠がかなり登場したものだ。一方では、擬人した鼠、それも干支に関連して年末年始を飾るものは、浮世絵では大きなテーマとなっている。あれこれとデジタル公開したものをクリックしてアクセスし、画題や説明などを読みながら遠い昔の年越しに思いを馳せた。そしていつくか選んで、右のような寄せ集めの一枚を仕上げ、庚子歳賀正の絵にした。

デジタル浮世絵のリソースはかなり公開されている。中でも立命館大学アートリサーチセンターが運営している「ARC浮世絵ポータルデータベース」は、規模が大きくて、研究利用への考慮が行き届いて使いやすい。今度利用した画像は、すべて同じデーターベースから取得した。参考にリンクを添えておく。

猫鼠合戦・菓子袋」/ 「道外十二支・子」/「家内安全十二支之図」/ 「道外十二支・甲子の鼡」/「猫鼠合戦・鮑の飯

2019年12月28日土曜日

四コマGIF

数週間まえ、「元祖四コマ」を書いた。同じ注釈書からは、さらに似たのを三例ほど見つけ出し、あわせてGIF動画にして公開した。一方では、たとえ四つのコマにわける作りになっていない注釈絵に対しても、「四コマ」とは一つの読み方として大いに応用できるものだと気づいた。いわゆる「起承転結」の記述法だ。一枚の絵でもこの読み方に十分応えられる場合もある。

このような読み方を伝えるためには、GIF動画は有効な方法だ。動画作りの手順はほぼつぎの通りである。まずは注釈絵のサイズを揃え、必要な部分を切り取り、あるいはハイライトを与える箇所を確認する。ストーリーの伝え方をすべて四つにまとめ、原文記述のとおりに並べる。絵が対応する原文を抜き出し、それにあわせて現代語を添える。ただいわゆる原文の訳ではなく、読みやすい、要点や語感を強調したい、じゃっかん言葉遊びも試みたいなどと、やや強めの言葉に置き換えたりした。完成したものはGIF動画だから、終わりなくループし、いつまでも眺められる。いうまでもなく、味わってもらいたいのは、あくまでも兼好ワールド、その独特な語り口や心地よい文章のリズムこそ最大の魅力だ。その上、江戸の絵注釈が経験した苦労や到達した境地を思い出してもらい、知ってもらいたい。

ちなみにGIF制作そのものは、手軽に仕上げることを求め、過剰な視覚効果を狙わない方針を取った。文字情報や絵へのハイライトなどを制作する道具はPPT、複数の画像をGIFに結合するソフトはGiam、最小限の作業で統一感のある動画を仕上げることを心がけた。

2019年12月21日土曜日

デジタル大掃除

世の中は、年末年始に突入している。年末と言えば大掃除。パソコンの中に溜まっているさまざまなファイルの整理も間違いなく中の一つであり、たとえ大掛かりな作業ではなくて、小さくて細かなものでも確実に時間を喰い、細心の対応をしないとあとはややこしい。その中の一つをメモしておこう。

大学のサーバーに個人のサイトを開設している。最初の公開日にちを書き止めていないことは残念としか言いようがないが、確実に20年以上は続いてきた。一番単純なHTML書式で仕上げたそれは、いまでもほぼ最初の形で稼働している。この事自体、はたして自慢すべきだろうか、それとも恥ずかしと思うべきだろうか。いずれにしてもサーバー管理側の立場からすれば、きっとやりきれない、多大な無理を押して対応しているほかはなかろう。

そのようなサイトの手入れも、したがってできるだけサーバの関係者に邪魔をしないで自力で対応するように心に決めた。今度とりわけ苦労したのは、更新したいファイルを取得し、それの編集結果をあらためてサーバーにあげるための、自宅のパソコンと大学のサーバーとの交信手段の確定だった。なにせ二年ちかく触っていないから、交信手段の更新状態はまったく分からず、あれこれと調べなければならない。結果としては、「forticlient」を取得し、それを稼働させたうえで「SSH」を使ってファイルのやり取りをするというものである。プロセスとしては、大学での利用者アカウントとパスワードを数回入力し、あとは大学サーバー専用のアドレスにアクセスするのみだった。関連の情報は、VPNの設定をふくめて、だれでも分かるように纏められてはいるが、その情報自体はいろいろなところに散らばっていて、それぞれのルートでたどり着くことは、かなりの回り道をさせられた。

振り返ったら、前回これと似たような作業をしたのはたしか一昨年の春であった(「文字化け」)。あまりにも怠慢だと言わざるをえない。だが、このような感じでので維持は、しばらくは続きそうだ。

2019年12月14日土曜日

仏像

いつも感心や感動をもって眺めるものだが、仏像の世界にはあまりにも疎い。あの漱石の夢はインパクトが強いから(「梓慶為鐻」)、てっきりほとんどの仏像が一本彫りで、大きな幹から彫られたものとばかり勘違いしていたぐらいだ。NHK再放送の番組「運慶と快慶・乱世がうんだ美の革命」を見て、じつに多くのことを習った。

一時間の番組は、たくさんの興味深い事実を教えてくれた。運慶と快慶の合作とされるあの東大寺の阿吽金剛力士像は、なんと6102個のパーツから成り立ち、しかも二週間程度の時間で組み立てられたとか。いったん完成された仏像でも、さらに繰り返し修正が加えられ、まるで消しゴムを駆使するかのように、特定のアイテムを消したり、場所をずらしたりしていた。そのような数々の仏像を現代の研究者の手にかかれば、飽くなき探索の対象となってしまう。最先端の方法での撮影や透視、色測定などはいうまでもなく、微小だが仏像の一部を切り取って顕微鏡で観察して利用した樹木の特定など、大胆な方法も取られている。さらに現代の仏師の手による金箔による模様の再現とその役割の解説は、大いに蒙を啓してくれた。

運慶と同時代の「玄奘三蔵絵」は、仏像を作成する場面を描いている(写真、巻十二第一段より)。よく見れば、たしかに複数のパーツに分かれての制作なのだ。しっかりと記憶しておきたい。

2019年12月7日土曜日

OSEPPA

週末になって、30年近く前からの学生から、ちょっと意外なメールが入った。南北朝時代の日本刀の「OSEPPA」が手に入り、それには文字が書いてあるから読み取ってほしい、とのことだった。知っている語彙の中にわずかに鍔(鐔)はあるが、切羽、大切羽となると、辞書を見て初めて漢字を確認できたぐらいだ。まったくの門外漢と言わざるをえない。でも興味が確かにあるから、見せてもらうことにした。

かなり精細な写真が早速送られてきた。文字を読み取るという作業には、まちがいなく実物以上に読みやすい。なにはともあれ、文字の形を頼りに推測半分に、無理やり読んでみた。「けんのあるかねこゑ」とでも読めるかもしれない。言うまでもなく根拠も、自信もない。気が遠くなるような蓄積のある分野、おまけにゲームやアイドルたちを伴う今時の刀剣ブーム、さまざまな立場から豊富な知識が語られている。関連の辞書や解説書などにひとまず目を通しなくちゃならないのだが、 そういう最小限のことさえとても叶えられない。とても自慢にはなれない話だ。

それにしても、写真は文字の二つを示している。じつに力強いものだ。筆を持っていてもとてもここまで簡単に書けるものではない。文字の生成流転を考える上でもとても心に残る作品だ。これに出会っただけでも記憶にしておきたい。

2019年11月30日土曜日

元祖四コマ

四コマ漫画の元祖、発見。江戸時代の「徒然草」注釈書の一つ、「つれつれ艸繪抄」の中で頭注の形で描かれた絵がそれだ。刊行は元禄四年(1691)、まさに四コマ漫画の遠祖にほかならない。

描かれたのは、「徒然草」53段、滑稽でいささか可哀そうな話だ。酒宴の上、ウケを狙おうと、とある若い僧は、傍に置いてある鼎を頭の上に持ち上げ、つい首全体をすっぽり被せてしまった。そのまま大いに踊り、まわりから歓声が上がったのが良かったが、終わってみれば、鼎はもう取れない。都に有名な医者がいると聞いて、鼎を片枚で隠し、杖をつき、仲間に手を引いてもらって訪ねてはいたが、手の施しようがなかった。状況がますます深刻になり、結局は適当に藁などを周りに敷いて、無理矢理鼎から首を引っ張り出すことを決行した。飛んだ災難だったが、辛くも一命が止められた。思えばこの無鉄砲な僧には頼もしい友に恵まれたものだ

絵巻、奈良絵本、屏風絵、版本の挿絵、その多くは特定の場面を描くことを基本としていた。そのような凝縮された画面からいま流行の四コマ漫画を作り出そうと思えば、ほぼ限りなくできる。ただここまで今日の読者が期待するほぼすべての要素を持ち合わせた作例は、やはり特筆すべきだ。ちなみに、利用した作品は、国文学研究資料館所蔵のもので、IIIF基準で公開されている。用例のページも次のリンク(16葉)をクリックすれば簡単に見られる。

2019年11月23日土曜日

謎かけ「からいと」

「謎」とは、「何ぞ」という言葉からきたのだと言われている。遠く平安時代から貴族や文人たちがそれを楽しんでいた言い伝えやエピソードがあり、中世になると、膨大な数の謎ばかりを集めた記録が出来上がり、その中のいくつかは今日まで伝わっている。中世の人々の発想や遊びの場の雰囲気を想像し、言葉の意味などを理解するうえで参考になるものが多かった。

ここでは、そのような記録の中の一点、「なそたて」に収録されたものを眺めてみよう。その謎とは、「かどのなかの神なり」(No.95)。言葉通りに並べたら、「門の中の神様」といったところだろうか。同じ記録は謎の後ろにその答えをさっそく教えてくれた。それはなんと「からいと」だった。「かど」が真ん中から割れ、その中に「かみなり」、すなわち「雷」をいれると、いまの答えにたどり着く。言葉の音読みと訓読みを入れ替えることで謎解く人にチャレンジを掛けた。この謎を味わいながら、謎の組み立て方もさることながら、あの御伽草子の「唐糸」がここにまで顔を出したことに、いささか驚いた。

ちなみに「徒然草」にも楽しい謎が一つ記された。それは和歌の格好を取っている。「ふたつもじ、牛の角もじ、すぐなもじ、ゆがみもじとぞ、君はおぼゆる」(No.62)。おなじく答えが提示された。「こひしくおもひまゐらせ給ふ」とのこと。さほど洗練されたものとは言い難いが、謎のココロ、お分かりだろうか。

2019年11月16日土曜日

復讐する男と女の物語

ここしばらくの間、あらためて黄表紙「敵討義女英」に集中した。三年ほど前、全作を朗読し、音声にあわせて原文を示す朗読動画を試作して公開した。今度は読み物の形態を取り、原文の上に活字のテキストを配置し、さらに現代語訳やコラムなどを加えた小冊子に仕上げた。違う公開のルートを試そうと、キンドル出版を選んだ。さいわい要領の良い無料サンプルが自動的に作成され、かつキンドル読み放題の対象にもなっているので、多くの読者に届けられているもようだ。

作品タイトルの訳し方に少なからずに迷った。原文通りの内容ならば、「敵討ち・素晴らしい女性・花の一番輝かしいところ」といったところだろうか。そっくりそのまま訳そうと思えば、出来ないこともない。最初に思いついたのは、「敵討ち女の物語」。「敵討ち」は、現代日本語でも使われているとは言え、原文との違いを明らかにして「復讐」に置き換え、「復讐する女の物語」、さらに「はなぶさ」も入れて、「あっぱれ女、復讐する物語」とも考えた。ただ、物語の中で、敵討ちをするのはあくまでも男の岩次郎であって、小春は敵討ちに巻き添えられたに過ぎない。最終的には男と女と両方入れた。その結果、原文のタイトルと離れてしまったが、読んでがっかりさせないために、こちらの方がかえって誤解が少ないかもしれない。

一方では、英語のタイトルは、すんなりと決まった。「Tale of Revenge: A Real Heroine」。全作を英語に訳すと言うことも必要だろうが、これには実力がまったくついていない。誰かがやってくれることを待ち望んでいる。

「復讐する男と女の物語」(キンドル・日本キンドル・カナダ

2019年11月9日土曜日

KDP

KDP、公式の訳語はカタカナの連続だが、キンドルによる電子出版というもので、ずいぶん前から盛んに話題になっている。すこし時間を取って試してみた。まだ作業の途中だが、あれこれと気づいたことがあって、メモしておく。

まずは、キンドル側の宣伝や解説はすごい。説明の方法は、動画やらテキストやらと盛りだくさん、それに利用者による経験談まで含めると、読みきれない。印象としては、プロセスはたいへんだが、なんとか対応できそう、というものだった。

しかし、実際に小冊子を一つ拵えてやってみたら、プロセスはかなり楽しい。よく練ったプラットフォームで、個人情報、原稿アップロード、定価選択など、一つひとつ順番にやっていけば、確実でいて手ごたえがある。さすがだと思った。

だが、肝心の原稿をアップロードしたら、思わぬ落とし穴があった。たしかに一通りの電子テキストに対応している。しかし、その中身を見れば、基本的には文字テキストが対象なのだ。電子書籍、しかもたとえばフォントの選択なども読者にできるだけ自由を与えるということがそもそもの前提から考えれば、当たり前だが、ビジュアル的な要素をすこしでも取り入れようとすれば、もうたいへんだ。PDFには対応しているとはっきり記されてはいるが、まったう使うものにならない。ページごとに一枚の画像のみ配置したファイルでも、ばらばらに切断されてしまう。あれこれと試行錯誤して、同じページごとに一枚の画像をワードファイルにして、ようやく期待した結果が得られた。根気よく試さないと、たどり着かない。テキストではなくて画像での提供であまり良い体験が得られそうもないが、読者のそれぞれのリーダーにはどのように映るのだろうか。

この続き、おってまた報告する。

2019年11月2日土曜日

袈裟御前から小春へ

小さなプロジェクトに向かい合い、黄表紙「敵討義女英」を読み返した。恋に落ちた小春は、父を救い、恋人の願いを叶えてあげようと、寝るふりをして自分の首を静かに差し出すという展開には、思いを絶するものがあった。

ただ残念ながら、この大事なハイライトは、なにもこの作品のオリジナルではない。それどころか、物語の詳細はほとんど二番煎じで、しかもその元といえば、あの文覚の出家談だった(『源平盛衰記』巻十九)。絶世の美女袈裟御前は、母を救い、夫を死ぬ運命から逃させるために、夫の格好をして自分の死を選んだ。間違って意中の人を殺したと気づいた盛遠、のちの文覚は、袈裟御前の夫に自分の命を差し出そうとするところまで同じで、そして物語は、一家上下の人々ともども出家してこの世を離れるとの結末だった。黄表紙の物語において設定が変わったは、小春が救ったのは夫ではなく父、間違いを犯した岩次郎は出家ではなく、出世、団欒し、あくまでもこの世の人生を謳歌したものだった。さらに小春には兄の死の真実が教わらなかったなどの慎重な調整が施され、父と恋人の両方を救おうとする小春の純情がいっそう際立った。さらにこの運命を受け入れた岩次郎を説得するためには、小春の父が喝破したように、小春が最高の恋模様に織り出したのだったという論理だった。一篇の物語として、時代にそった意味深い展開があったと言わなければならない。

かつてとある公開講座でこれを取り出したところ、朗読動画にこの作品を選んだ理由とはなにかと聞かれた。あれこれと考えられようが、いくつの作品を読み較べてこれに落ち着いたのは、やはり中世の軍記ものとの繋がりに惹かれたと、いま思えばもっとはっきりと答えるべきだった。

2019年10月26日土曜日

コントラスト

右の二つの画像を見較べてください。デジタル画像は、あれこれと色などの調整をしたら、読む目に訴える感覚はここまで変わるんだ。もともとたとえば文字の自動読み取りなどにかけるためなら、あるいはどうでも良いかもしれない。ただ普通の読み手には、まさに劇的な違いだ。このような手入れでも、デジタル編集と呼びたいが、いささか大げさだろうか。

手入れの方法を簡単にメモしておく。普通よく知られているのは、たいていの画像処理ソフトが提供している「レベル補正」という画像の色調を補正する機能だと思う。いまの実例では、それだけではちょっと限界があって、どうしても思う通りの結果が得られない。そこであれこれと調べたり、試したりした。最終的に辿りついたのは、フォトショップ(Photoshop CC, 2019)が提供している「Camera Rawフィルター」という機能だ。「基本補正(Basic)」における「コントラスト(Contrast)」を最大値にして、さらにレベル補正を加えたら、上のような修正ができた。ちなみに、あのフォトショップは、メニューに出ている機能名だけでも、英語と日本語との対応はややこしい。このリストは広く知られているが、いまの機能が利用できるバージョンはいまだこれには反映されていない。

上記の実例は、国会図書館デジタル公開の「敵討義女英」からだ。あれだけの規模の公開だから、画像の画質調整などを理由にする内容更新はまず考えられない。正直、一利用者としても、画質などに妙にこだわるよりは、使わせてもらえることで十分にありがたい。

2019年10月19日土曜日

オープンアクセス

数えてすでに九年まえのことになるが、雑誌『中国21』に小さなエッセイを書いた。ここ数日、ちょっとした必要があって調べてみたら、出版がわがすでにオンライン公開をしている。作者としては、ただただ嬉しい。同じ文章は、このブログにおいても個人的な記録として「雑誌投稿」の一篇に加えたので、さっそく同じリンクを添えた。(「留学の東と西」)

同じ雑誌のオープンアクセスにちょっと意外に思った理由とは、それがいわゆる商業ベースで発行しているからだ。出版元は東方書店、定価は2000~2200円、しかも同出版社はいまでもバックナンバーの販売をしている。一方では、この雑誌は多くの大学や研究機関の図書館において学術誌として収録されている。これまでのラインアップを眺めてみてすぐ分かるように、かなりの専門家の名前が執筆陣に認められ、一冊ごとに選んだテーマも、どれも挑戦的で、読み応えがある。そこで、オープンアクセスである。よく見てみれば、年二回刊行の『中国21』は、一年遅れに公開するというものである。雑誌の発行形態と考えあわせれば、ぎりぎりの判断だろう。特筆すべきのは、同雑誌のトップページにおいて、2015年9月付けで許諾関連の説明と不許諾用紙という二つの書類を用意されている。その趣旨は、「許可しない書類を送付しなければ許諾だとする」、「後日になっても許可しなければ直ちに掲載を取り下げる」というものである。とりわけ学術誌に関連する著作権の立場からの対応では、いまやこれが基本方針になっている。

ちなみに、CiNiiでこれを確認してみた。『中国21』公開分のほとんどの論文には「機関リポジトリ」とのリンクが付けられている。しかしながら、上記の短いエッセイは、掲載されてはいるが、おなじリンクが見られない。理由は分からないが、CiNiiの利用においてちょっと記憶しておきたい。

2019年10月12日土曜日

渦・UZU

日本からのお土産に雑誌をもらった。例の直木賞受賞の小説『渦』が掲載される号だ。ずいぶん前から話題になっていたのに、いまだに書店に並べられるいることにむしろちょっと意外だった。どうやら受賞作品の半分程度しか収録していないが、暇を見つけて読みはじめた。今頃の小説の気苦しいところはなく、素直に楽しめた。おもえば大阪の友人、知人にたくさん恵まれたこともけっして関係ないことではなかったと言い切れる。

近松半二の名、文学史の勉強でおぼろげに覚えた程度で、ここまでいきいきと描かれて、惹きつけられた。そこでなにげなくウェブをクリックしたら、「近松半二の死」(岡本綺堂)というフィクションもあり、青空文庫に収録されている。こちらのほうは舞台劇で、上演の記録なしとのこと。山科で一図の浄瑠璃作者らしく最期を遂げたところだが、対話は標準語、それも昭和ごく初期のもので、八十年の年月が流れた言葉の変遷を思い合せて読み進めると、これは上方方言とはまた一味違う味わいがある。近松門左衛門との関連は同じく語られ、ただ受け継いだのは、机になっている。操りから歌舞伎への変換期の騒動を後ろに感じ取り、やはりわくわくさせるところがある。

「外題」という言葉が岡本作で取り上げられた。江戸なら「名題」だと辞書が解説する。作者と大夫との内輪の会話では、演目のことをあくまでも内容を表わすキーワードを用い、プロモーションの一環として、はじめて演目に外題が付けられるとのことだ。それはさておくとして、浄瑠璃や歌舞伎の演目のあの特殊な読み方にはいつも不思議なものを感じ、振り仮名をみてなるほどと膝を打つことが多い。そういえば、『渦』へのローマ字での読み、これもわざとこの言葉の伝統に一石を投じようとしたのだろうか。

2019年10月5日土曜日

開かない巻物

ここ数日、古い巻物へのアプローチが話題になり、イギリス、アメリカなどのメディアが一斉に報道した。友人に教わり、関連の記事を読んでみた。スポットライトが当てられたのは、あのポンペイ遺跡から発掘されたパピルス(古代エジプト・ギリシャ・ローマの紙)の文献、そしてそこに書かれた文字を復元・再現するというものである。

これら二千年も前からの巻物は、二百五十年ほど前に発見され、その数は実に千八百点にも及ぶ。ただ、火山灰から掘り出されたもので、いうまでもなくすでに開かない。これまでは、どうやらそれを物理的に開こうとする努力がかなりなされたが、いずれも失敗に終わり、実物が破壊されてしまう破目になった。今度のポイントは二つ、CTスキャンの応用と、コンピューターの自動学習の導入である。医学のCTスキャンの手法を生かして、開かない巻物にダイヤモンド光源を当てる。それから、パピルスに施されたインクの物理的な徴候をコンピューターに覚えさせ、自動的に識別、合成して巻物の内容を再現するものである。いまはこの方法に狙いを定めた段階で、完全なイメージの生成はこれからの作業である。そしてそれが成功すれば、違うグループの学者の手に移り、文字の中身についての解読を任せるとまで発表されている。

以上のようなアプローチの要点を、研究チームはきれいな動画に纏めた。だれにでも分かるような、見ていて楽しいものである。高度な技術の応用を丁寧に解説し、広く共有して社会から関心を呼び起こす、この姿勢も大いに参考になると感じた。

関連の新聞記事:その一その二動画つきの解説

2019年9月28日土曜日

有料データーベース

いくつかの雑誌投稿をこの夏からずっと取り組み続け、論文の体裁のもの、エッセイなど、例年より多く書いてきた。中ではデジタルはテーマの一つだった。貴重書から大学紀要まで、海外に身を置いた生活環境からすればその恩恵は語りつくせない。一方では、振り返ってみれば、商業ベースのデジタルリソースにはつい視線を避けてきたのだと気づく。

たとえば日本の大学図書館などに入れば、たいていの場合かなりの数のものが利用できる。新聞、雑誌を網羅した大規模なものから古地図、古文書のような専門的なものまで、どれも未知の世界に導いてくれる。ただ日本から離れれば、そう簡単にはいかない。あのジャパンナレッジを取り上げてみても、たしかに機関同士の共同利用にまで対応していると聞くが、自分の勤務校にはまだまだ届かない。大学図書館のアジア担当の方は日本と無縁、現実的に利用する人もあと一人や二人しか思い浮かばないような状況であれば、諦めとまでは言わなくても、やはりこの現実から出発し、あれこれと工夫をしてやりくりをするほかはない。代替リソースの収集や確保、プロジェクトの立案からの考慮や対応、あるいは溜まった課題を日本に行ったら集中的に取り組むなど、いろいろな模索をしてきた。

思えば、デジタルネイティブ世代の学生、そして研究者には、以上のような苦労はすでに伝わらないのだろう。さらに言えば、日本にいて、いまの環境では、リソースを使いこなせることがそもそもの出発だと期待される。ひと昔の、同じ用例を多数リストアップするような基礎訓練の作業はもはや意味を成さない。大きく言えば、環境は行動を変えてしまった。

2019年9月21日土曜日

あさきゆめみし

漫画『あさきゆめみし』の全巻セットを友人が「はまるよ」とコメントを添えながら貸してくれた。ずいぶんと話題になったどころではなく、厳然と一つのジャンルを切り開いた観をもつもので、ずっと関心があった。やはり予定よりはやくページを開いた。

いまだ最初の数章しか読んでいない。最初の印象としては、すこし肩透かしを食ったというものだ。あれだけ熟知されている古典だから、正攻法でも、あるいはなんらかのヒントを持ってでも、大切なエピソードはきっと丁寧に表現しているだろうと想像していた。だが、けっこう略されていた。一方では他の帖から有名なものを持ってきて物語をよりテンポ良く展開させたところも多い。やはりクラスで学生たちとともに読んで語り合ったなどの経験も含めて、つい現代的な表現になると、批判的な目を向けてしまうという、こちらの姿勢も反省している。結論からいうと、リズムに乗るまでには、もうすこし時間がかかりそうだ。

それよりも、タイトルは、最初に聞いたときから気になっている。この「イロハ歌」からの文言とイメージの中の源氏とはなかなか繋がらなかった。そもそも「見じ(見ない)」なのか、「見し(見た)」なのか、あるいはわざわざ両方を掛けたのか、唐突には推測したくない。なにげなくクリックしているうちに、かつて机を並べてともに勉強していた先輩が正面からこれを取り上げたのを見て、読み入った。「見し」だって、歴とした根拠を持つものなのだ。記憶に止めておきたい。

「あさきゆめみし」の言語学

2019年9月14日土曜日

大唐玄奘

「大唐玄奘」、これは映画の名前である。なにげなくYouTubeをクリックしてみたら、三年ほどまえに公開されたこれが飛び込んできた。さほど期待を持たないで見はじめたら、意外とはまり、とても印象に残るものとなった。

いまだ時にふれ「玄奘三蔵絵」を開く。数々のハイライトは鎌倉の人々の想像にほかならないと知りつつ、なんとなく玄奘をめぐるイメージはそこに凝縮した。そういう意味では、映画が見せてくれたのは、かなり違う映像だった。一言でいえば、華やかさを数段落とし、理想、空想の世界に対しての、現実的で等身大のビジュアルだ。ストーリーの作り方としても、求法の道を遮る権力者には敵対心がなく、ときどき現れて旅を手伝い、玄奘を師と仰ぐ人々はかえってさまざまな事情を抱えて、一縄にはいかない設定には興味が尽きない。一種のロードムービーと捉えなくもないが、劇的なエピソードよりも対話に深みがあって味わいがある。

ちなみにタイトルにある「大唐」とは、あくまでも敬意をもっての称呼に過ぎず、日本語に直せば「唐の玄奘」ぐらいのニュアンスだ。タイトルの英訳は、あくまでも「Xuan Zang」である。

「大唐玄奘」のトレーラ

2019年9月7日土曜日

鬼が里の饗宴

絵巻には、凄惨で残虐な画面はあまた存在する。その多くは、決してリアルに状況の詳細を精緻に描くのではなく、物語の発想に勝負を任せ、ときには素朴で微笑ましく、その分逆に恐ろしい。

鬼退治の代表作「酒呑童子絵巻」の一こまはよく覚えられる。長い道のりの苦難を一つまたひとつと乗り越えて、ようやく鬼との対面が叶った。そこで、普通の人間ではない、鬼と対等に渡り合う度胸を持っていることを示すものとして、童子が設ける饗宴に頼光ら六人が堂々と顔を出した。しかしながら、出された料理とは、なんと女性の足。物語が伝えたところでは、「女房の股、ただ今切ったると思しきをまな板に押し載せて持ち出たり。」これには、頼光がすこしも怖じず、おいしそうに切り取りながら口に運んだ。酒宴、料理、食事に堪能、言ってみれば饗宴にふさわしい要素をすべて取りそろえた画面において、まな板に載せられた料理の中身一つでそれらのすべてが崩れ、目も当てられないような構図に化けた。(写真は日文研蔵「酒天童子繪巻」中巻第六段より)

あえて付け加えるが、昔の読者が全員このような描写に夢中になったわけではない。それを証するには、同じ絵巻の系統をもつ特異な模写の一点(オックスフォード大学蔵)がある。それにおいて、まな板の上にあったのは、赤鯛だった。この模写には絵のみで文章が付いておらず、物語はどうなっていたのやら、ちょっと想像しがたい。

オックスフォード大学ボドリアン図書館附属日本研究図書館所蔵『酒呑童子』について

2019年8月31日土曜日

デジタル公開に思う

絵巻など古典画像資料のデジタル公開は、ここ十年以上、凄まじいスピードで広がっている。とりわけ海外に身を置いている者として、かなりの作品を気軽にパソコン画面に呼び出せるということは、なんともありがたい。一方では、そのようなデジタル公開を企画、管理する主体は、図書館など資料の所蔵機関だからだろうか、古典そのものをそのまま公開する以外、それ以上の作業はほとんどなされていない。

「酒呑童子絵巻」に関連する二例を具体的に眺めてみよう。

大阪大谷大学図書館は、所蔵の「酒天童子絵巻」を2010年に公開した。多くの同時期の公開サイトに比べて、そのオープンページは、練達にデザインされていて、魅力的で豊かな連想を誘う。ただ、内容はあくまでも絵巻を見せるのみ、資料紹介の項目は設けられてはいるが、中型辞書の解説にも及ばない。

数ある同絵巻の中で、一番最近に公開されたのは、立命館大学アート・リサーチセンターによる「「酒呑童子」研究所」、ビゲロー本「酒呑童子」絵巻が同センターのコレクションに加わるにあたって開設されたものである。長年海外に流出された文化財の帰還に伴い、もう一点の貴重な模写本とあわせて、二作の高精細デジタル画像の公開は素晴らしい。ただ、デジタル画像が別のデーターベースに格納されていて、たどり着くまでには一苦労、用意されたいくつかの項目は、いまも空白なままだ。

ここに見られる共通の姿勢は、研究者による、研究者のためのデジタル公開なのだろう。言い換えれば、一般の読者へのアプローチが認められない。「酒呑童子」のような絵巻には、普通に読んでいて十分に面白い。そのような魅力を伝えるために、語彙の説明、絵の鑑賞、楽しみ方を示すコラム、ひいては音声、動画など、方法はいくらでも考えられようが、そのような努力はいまだ見られない。

ここにもIIIF規格の普及が頼もしい。すでにいくつかのタイトルはこれに対応していて、非常に安心して気持ちよくアクセスすることができる。いうまでもなくIIIFは、閲覧や再利用への配慮から出発したものだ。一般読者にも楽しまれるような新たな性格のサイトの出現をいまから願う。

2019年8月24日土曜日

リソースリストを更新

デジタル・リソース」と名乗って、デジタル公開の絵巻、絵本のリストを作成したのは2015年、それを大幅に更新したのは二年まえだった。あくまでもメモ風に仕立てたもので、個人的な関心が向くままに記し、体裁の統一もさほど拘らなかった。これ関連の変化は目覚ましい。さらに二年経ったので、今週、時間を取ってリンクを確認し、最小限の更新を加えた。

どのリソースも、提供機関においては精力的な作業の結果にほかならない。それにもかからわず、部署の統合改変などが大きな理由だろうか、中身が継承されていても、プロジェクトの名前の変更などが目立つ。さらに、それが理解出来ても、入り口のリンクまで変わってしまい、新しいサイトへの連結がほとんど行われていないことにはやはり意外だった。率直な印象として、機関内部でデジタル作業の立ち位置にさまざまな変化が起こり、その多くはより重要視されるようになるものだが、外部ユーザーの存在はあまりに考慮に入れていないのではないかと思われる。したがって今度の更新は、同じ機関にあったリソースがきっと存続しているとの見立てから根気よく検索し、それでも見つからなかった三機関も途中結果の形でリストの最後に残した。

この二年間の間に起こった一番大きな変化は、やはりIIIFの普及をあげなければならない。この新しい規格により、デジタル画像の画質やアクセスの方法において格段な飛躍が見えた。優れた再利用の波がやってくることを期待しつつ、あらためてありがたい気持ちを記しておきたい。

2019年8月17日土曜日

観光メモ

短い休暇から帰宅した。旅の後半は、ケベック市で過ごした。町の歴史は、じつに江戸が作り始められたころの十七世紀の初頭にまで遡る。重厚な文化の蓄積にはさすがなものを感じた。

観光の町としての評判は高い。素晴らしい風景などへの期待は大いに満たされたが、それよりも実際に歩いてみて、観光資源作りという、いわばソフト面の整備には感心させられた。おもな観光スポットでは大道芸人たちの姿が絶えない。観察してみれば、それぞれきっちり45分の順番で交代し、出演者のリストを明記したところまであった。一方では、大掛かりな行事もあっちこっち行われている。サーカスのショーには千人以上の観客が集まり、駆けつけてみれば、二時間まえからすでに席取りが始まっていた。夜のコンサートはりっぱなステージを構え、名前の通った芸術家が続々と登場し、周辺道路を歩行者天国に早変わりした。しかもどちらも完全に無料である。観光の町を作り上げるために、官民一体になって力を合わせていることをひしひしと感じ取れた。

モントリオールからの移動は、鉄道を利用した。席はゆったりして、無線通信なども提供されている。ただ、2時間に一本しか運転せず、250キロの距離を走るのに四時間近くもかかった。思えば大学生だったころ利用していた鉄道とまったく同じスピードだった。中国のそれは、しかしもうすでに四十年もまえのことだった。

2019年8月11日日曜日

印象モントリオール

夏休みの後半、休暇を取ってモントリオールにやってきた。飛行時間は四時間、時差は二時間、けっこうな距離だった。古い写真などを繰り出して見てみたら、学会などの出張は別として、前回家族とともに訪ねたのは、じつに1991年の冬、ずいぶんと昔のことだった。

季節だからだろうか、観光客が多い。とりわけ新しいものに関心を寄せる若者が圧倒的だ。フランス語の町という評判は、その通りだ。ただ、なんと言ってもカナダの一部であり、たとえばイタリアなどのように、会話しようとしても話が通じないというわけではなく、だれでも口を開ければ自然な英語が戻ってきます。ただ、英語しか分からない人にはやはり親切とはほど遠い。道路や店の看板などはすべてフランス語。評判を追って入ったレストランでは、人間の名前をもってメニューを作り立てて、ほとんど文化的な意地まで感じさせられた。日本料理の店もかなり目に入った。名前は「OHANA」とかでそれらしく聞こえるが、店の作りは通りに向かって全開、いわゆるオーセンティック(本物感)という工夫とはまったく無縁の、とにかく自由はつらつ、解放感いっぱいで、思わず感心するぐらいだった。

今度の旅の狙いは、ロージャス・カップ。それも決勝のチケットまで取れている。日本のビッグ・プレーヤーが続々と名前が消えたのは残念でならないが、テレビで覗いていた様子はやがて目の前に現われてくる。はたしてどのような風景だろうか。

2019年8月3日土曜日

鎌倉の大イチョウ・伝説

鶴岡八幡宮の「隠れ銀杏」について、何回となく書いてきた。(「鎌倉の大イチョウ」、「鎌倉の大イチョウ・続き」)実朝暗殺という一大事件だけに、銀杏をめぐる記述もきっと由緒正しいものだとばかり思いこんできた。ただ、事実はどうやら違うらしい。

関連する記述をいくつか眺めてみよう。『吾妻鏡』には、「窺来於石階之際、取剣奉侵丞相」とある。暗殺の場所は高い階段の途中、武器は剣という、きわめて簡潔なものだった。『愚管抄』になれば、「(公暁が)下ガサネノ尻ノ上ニノボリテ、カシラヲ一ノ刀ニハ切テタフレケレバ、頸ヲウチヲトシテ取テケリ。」転倒した実朝の体の上に乗りかかり、動きに任せてあっけなく首を切り落としたと、簡潔ながらもリアルな語り口だった。さらに『増鏡』(「新島守」)では、さらに驚いた詳細が加わった。「(公暁が)女のまねをして、白き薄衣ひきおり、大臣の車より降るゝ程をさしのぞくやうにぞ見えける。あやまたず首をうちおとしぬ。」狙い定めて冷静に行動した公暁の様子が漠然と抱いてきたイメージとはだいぶ違う。その彼はなんと女装までして緻密に計画して暗殺に取り掛かったのだった。

そこで、銀杏がこの激動に登場してきたのは、徳川光圀の『新編鎌倉志』を待たなければならない。「相伝ふ、公暁、此銀杏樹の下女服を著て隠れ居て、実朝を殺すとなり。」(「鶴岡八幡宮・石階」)さすがに四百五十年も経ったあとのことであり、古老の伝説として記されていた。平和な世の中、すでに観光地と化した鶴岡八幡宮の境内において、あのころの銀杏は、きっと圧倒的な存在感を見せていたに違いない。(写真は「鶴岡八幡宮境内図」より)

2019年7月27日土曜日

動く花押

北条家十六代の執権十六人の花押を一つのサイトに纏めてみた。名づけて「動く花押」。GIF動画をもってその書き順を再現してみようというのがささやかな狙いである。動画ファイルはいずれも二か月ほど前に公開したが、それを一か所に置いてアクセスしやすいようにした。

あらためて特設ページを設けるにあたり、つぎの二つの内容を付け加えた。一つは、筆の動きを読み取るための根拠である。一枚のみの花押から筆順を十分に識別できない実例が多く、その場合、同じ人間による他の花押が重要な参考になる。それぞれの動画につき三つの画像を選び、注目したい筆捌きなどに小さな矢印を添えた。ただ筆順が複数の実例同士で明らかに異なる場合さえあり、わずかだが、完全なる根拠にならないケースも認められる。それから、サイト解説にも記した通り、この作業が拠ったのは、史料編纂所公開の「花押カードデータベース」である。さいわい、同データベースは、単独のカードへのアクセスリンクを提供している。そこで、根拠画像と作成した動画について、それぞれオリジナルカードへのリンクを添えた。クリック一つでカードを参照することが可能になっている。

最後に、北条家の系図を添えた。上記のデータベースは、北条家計58名の花押を収録している。それらの花押を一枚の系図に集結させて、一覧とした。

動く花押 Moving KAO

2019年7月20日土曜日

ネット授業2019

インターネットで繋いだ遠隔授業は、今年もさせてもらった。専修大学が設けてくれたこの行事は、数えてみれば2011年にはじめて招かれ(「スカイプ授業」)、それからほぼ毎年のように続いてきた。せっかくの機会なので、つとめて同じ内容を繰り返さない方針を取り、今年の講義では、「十二類合戦絵巻」を取り出した。

一時間半の授業では、半分の時間は事前に用意した録画を再生し、残りの半分は質疑応答という方法を取った。聴講してくれたのは、日本の古典文学に関心を持つ一年生が中心だった。考えてみれば大学に入ってわずか数か月しか経っていないのに、しっかりと大学生の振る舞いを身に付いたように見える。マイクやカメラが設置された講壇前に出てきて質問をしてもらう段取りになっていたが、最初から最後までスムーズに進行できた。問われた質問も、印象に残ったものが多かった。「判者はどうして鹿なのか」、「鹿や狸にも言葉遊びがあったのか」、「狸はなぜ鬼になろうとしたのか」など単純なものから、「この絵巻、だれが見たのか」、「構図には名作からの受け継ぎがあったとすれば、文章にも受け継ぎがあったのか」、などなど。とりわけ後者のほうには、つい説明に力が入った。

今度の授業の内容は、去年の秋のシンポジウムでの発表を踏まえた(「ノン・ヒューマン」)。ただ、若い学生が対象なので、「まんが訳」をめぐる考えや実例にまで議論を展開した。写真は、配布資料からの一コマである。

2019年7月14日日曜日

スタンピード

地元にはスタンピードという年に一度のお祭りがある。夏が本番に入ったころ、大掛かりなパレードで祭りの開始を告げ、大学を含む機関や地域のコミュニティはパンケーキ中心の朝食の集まりを主催し、都市全体はなんとなく祝日ムードに入る。(「サイドサドル」)今年も、カメラを引っさげてあっちこっちに出かけてこれを楽しんできた。

祭りのメイン会場は、巨大な遊園地だ。毎年この頃、十日程度しか稼働しないのに、よくも続くものだとつねに感心して眺めている。その会場に入ると、一年分のエネルギーが集結されただけあって、熱気に包まれる。いたって素朴なゲームの区域では、賞品といえば違うサイズのぬいぐるみか現金、きわめて分かりやすい。素っ気ない鉄棒に両手でぶら下げて2分続いたら即賞品が手渡されるブースでは、腕に自信ある若者たちはつぎからつぎへと5ドルを払って挑戦し、そしてそのほとんどはものの見事に1分程度で敗退してしまう。食べ物の屋台も数珠繋ぎで、普段みないような珍しいおやつなどもけっこう見られた。巨大な花のように盛り付けられた揚げ物が目を惹き、よくよく見ればその正体は玉ねぎだった。

その日を締めるのは、グランドショー。二万人も入るような巨大なスタジアムの中に特設ステージが設けられ、今年のオープニングの主役は牛だった。風船とぬいぐるみを合体させたようなものが一面に溢れ、愛嬌があって微笑ましい。

2019年7月6日土曜日

騎士の夢

「騎士の夢」(または「スキピオの夢」)という名画がある。ルネサンス期のイタリア画家ラファエロ・サンティによって十六世紀初頭に制作された。絵の内容を知り、そして絵画的表現の方法などを見つめて、どうしても玄奘三蔵の夢を思い出す。もともと後者を伝えてくれた「玄奘三蔵絵」は、ルネサンスよりさらに百五十年ほど遡る作品である。

古代ローマの騎士スキピオが見た夢には、二人の美女が登場した。それぞれ美徳と快楽を代表し、学識と武術、愛情と家庭を象徴する品物を差し出し、はたして二者択一か、二者共有かということは、鑑賞者の立場によって解釈が異なる。一方の玄奘が見た夢には、凄まじい形相の大神が現れた。経典を求める道に就いた玄奘には怠りや危険を恐れる思いを持たないようにかれを奮い立たせる。夢見る人の姿と、その夢の中身という、二つの別個の世界が絵画的に切り離されることはなく、鑑賞者は、眠っている主人公の様子を確認したうえで、眠りの中に入り込んで夢の様子を目の当たりにするという、言ってみれば入り込んだ構図が表現の根底になっている。言ってみれば、絵を理解するにはかなりの教養が要求されていた。

鎌倉時代の絵巻には、さらに「男衾三郎絵巻」に描かれた夢があった。まったく同じ構図の原理に基づき、その成立はさらに百年も近く前に遡る。しかもこちらの夢の主人公は、戦場から主人の首を持ち帰る従者であり、まさに騎士である。

「騎士の夢」(ラファエロ・サンティ)

2019年6月30日日曜日

画中詞の順番

ここ数日、「十二類合戦絵巻」をあらためて読み返している。画面の中にふんだんに書き込まれた文字テキスト、いわゆる画中詞として捉えられるそのスタイルは、室町時代の絵巻の一つの基本的な特徴として指摘されている。ただ、人物発言の順番を指し示す数字は、やはり目を惹き、考えさせられる。

思えば、これらの漢数字は、文字と絵との関連性において、すくなくともつぎのような三つの大切なヒントを残してくれている。まず、物語を伝える画面は、なによりもビジュアル的な要素やバランスを基に構成されたものだ。絵が中心になっているからこそ、文字はそれに追随する形で加えられ、既成の絵に制約されながら書き入れられた。一方では、数字を駆使するまでして物語の展開を示すところに、文字と絵とによる叙事の流れの違いを端的に表している。絵とは異なるストーリの流れを、文字が自覚し、主張しているからこそ、数字という手っ取り早い方法を案出したものだった。最後に、このような処置の対極に位置する平安時代の「散らし書き」を思い出してしまう。文字をビジュアルに楽しもうとする極致な到達は、ときには謎掛けまでに仕掛け、読む人に無言に挑んだものだった。室町時代の物語においては、そのような悠長な余裕はとっくになくなり、あるいは根本的に異なる物語享受のリズムが生まれたと考えるべきだろう。

写真は、チェスタービーティライブラリ蔵の模写からの一部である。画中詞はところどころ脱落も見られるが、数字は丁寧に模写されていることを付記しておきたい。

2019年6月22日土曜日

書籍の変貌

右のページを見れば、古典に関心をもつ人なら簡単にその内容を心得ることだろう。江戸時代に膨大な出版の点数をほこる絵入り百人一首の一枚に違いない。歌人は凡河内躬恒、歌は「心あてに」、加えるに上段の小さい文字による文章は歌への注釈、あるいは読みへの指南である。ここには、「陰」と「陽」、「男の道」と「女の道」云々の倫理説教まで展開されて、百人一首の享受において一つのユニークな光景かと想像している。

しかしながら、ここではこの一枚の物理的な特徴に注目してもらいたい。明らかに一冊の版本を崩し、外した一帖をさらに二つに切り、それを硬めの白紙に貼り付け、無造作にビニール袋に入れたものである。いまやインバウンドなどの表現に捉えられる観光客を相手にした商売の一様相である。書籍の一冊は、商品として価値には限界があるのに対して、その形態を惜しみなく壊し、読み物ではなく飾りや鑑賞の画像として変貌させたのだ。おそらく商品価値は数倍も跳ね上がったのではなかろうか。

読めそうで読めない文字、妙なポーズをする人物、ひいては墨の色も紙の汚れ具合まで神秘な日本を訴えていると言えないこともない。ただ、そのために、かつて書籍だったということに目をつぶっていたほうが望ましいかもしれない。

2019年6月15日土曜日

女装少年

図書館や本屋に入らないと手に入れることがないだろうと思われる本は、たくさんある。そのような本との出会いは、いつも日本滞在の楽しみの一つだ。今度、特筆すべきタイトルは、三か月ほどまえ出版された「室町時代の女装少年X姫」である。物語絵巻「ちごいま」を取り上げ、まさに豊穣な室町物語の一端を現代の読者の読み方にそって丁寧に切り盛りした上質な一冊である。

物語の主人公は、いわゆる児(ちご)である。かれのことを、「男の娘」、「女装少年」と、おもいっきりいま風の表現で捉えた。普段からは馴染みの薄く、なによりも性というテーマが中心に据えられる存在である。しかしながら、男性にいまだなり切れていない性、男性から性の対象とされる性といった、なんとなく漠然とした認識からは大きく逸脱し、いってみればそれとはまったく異質な、真逆な展開である。主人公の児は、憧れの姫に大胆なラブコールを仕掛けるだけではなく、姫には性への目覚めを手ほどきし、ひいては妊娠、出産にまで、性の極端を極めさせた。ここにみる稚児という性は、周囲へのカモフラージュに過ぎず、しかも稚児から男性性への成長はまったく含まれず、稚児への上記の認識を大きく改めてしまう物語だった。

室町の絵物語を紹介する工夫は、この一冊の中、いたるところに詰められている。現代語で読ませ、絵に描かれた対話は漫画風の吹き出しに纏め、人物紹介に顔写真を添える。一方では、物語の展開を伝えるには、「恋」や「冒険」などのキーワードはどうも弱い。物語の訴えようとするところ、そしていまの読者に対する衝撃を、さらに一段と鮮明な言葉が考えられなかったのだろうか。

2019年6月8日土曜日

石置板葺

学生たちと歩く日本。ホスト校にほど近い「日本民家園」は毎回一度訪れる。広大な緑地の中に展開し、実物大の古家屋が軒を列なる様子は、ほかでは見かけられない風景を成していて、眺めていてとても見ごたえがある。

園内に入ってすぐの宿場エリアの最後に位置するのは、長野県にあった三澤家だ。建物の特徴的なことの一つには、その屋根の造りがある。周りの茅葺きや瓦葺きのものと違って、屋根の上にかなりの密度をもって置かれたのは、なんの変哲もない石ころである。じつは、これを見るたびに思い出すのは、あの絵巻「長谷雄草紙」に描かれた一場面だった。間違いなく同じような姿の屋根を街角の様子として描きこまれたものだった。初めてあの場面を眺めたころ、関連の知識を持たないまま、ずいぶんと戸惑ったことをいまでも覚えている。それをまるでタイムスリップのように、絵と現実の建物とが目の前でつながっていることには、やはり感慨深いものがあった。

説明の案内には、「石置板葺の屋根」とある。あまりにも明快で、いかにも第三者的な立場からの正確を期する解釈調のネーミングだ。当時の人々、自分の住んでいるうちや、これを建てた大工さんたちなら、これをどのように呼び指していたのだろうか。慎重に探すべき課題の一つだ。

2019年6月1日土曜日

龍口寺

学生たちとの予定の行事が済んだあと、一人で近所を歩き回るのは、引率としての楽しみの一つだ。今度は、片瀬江の島の浜辺で解散して、その足で近くの龍口寺に入った。

日蓮という人物は、鎌倉時代の思想や仏教を教えるにあたり、避けては通れない。とりわけ短い時間で説明して記憶に留めてもらおうと思えば、かれの思想や行動だけではなく、かれにまつわる信仰や伝説、そして伝説を作らせ、語らせることも含めて取り上げたほうが有効的だ。そのため、この寺に惹きつけられる。山門を潜りぬければ、まずはその重厚な建物、そして喧噪を離れた静寂な空気には驚いた。本堂よりもりっぱに見える大書院(調べてみれば、昭和に入ってからの移築された建物だと知る)、厚い緑に囲まれて写真どころか、目にさえ入りきれない五重塔、どれもこれも、すぐ近くの観光地鎌倉とはまるっきり別世界になる。一方では、ここは日蓮のゆかりの地だということは、複数の石碑がどれもあの独特な書体による「南無妙法蓮華経」を碑文にすることが示している。

かつて「太平記絵巻」などを手掛かりに、絵巻に描かれる処刑の場の象徴を「敷き皮」に求めてみようとした。しかしながら、龍口寺には、「敷皮石」や「敷皮堂」が残っている。この大事なキーワードは、どうも想像以上に広がっていた。再考の機会を待ちたい。

2019年5月25日土曜日

東京2019

今年も東京にやってきた。今度は、新設の日本文化を学ぶプログラムで、滞在期間は二週間、引率担当一人、アシスタント一人、参加者20人というグループである。学生たちを連れて毎日のように東京を歩きまわる。参加者は日本語学習歴不問で、ほとんどは日本との接点はなく、そして三分の一以上は家族以外の人と旅行するのがはじめてという、あくまでも新鮮な視線を持っている若者の集まりである。その分緊張感があって、素直に動いてくれて、とても気持ちの良いスタートとなっている。

はじめて日本を見る、そういう若者の目に映るものは、フレッシュで頼もしい。男組は、朝早起きして、地図も持たずに長い散歩を敢行し、開店の早いスーパーの棚に迷い込み、静かに続く行列の様子をカメラに収めても、会話を仕掛けて聞き出す能力がないままそれの不可解な理由に首を傾げる。コンビニに並ぶ飲み物やおにぎりなどの種類の多いことに驚き、二週間でどれぐらい試せるか指を折って計算する。学生食堂の値段に舌打ちし、渋谷の交差点を眺めて噂の日本に身を置いたことを噛みしめる。学習レポートとして、見たこと、思ったことを一日二回ツイッターで発信することを義務付けした。担当としては、(担当者のアカウントから)それをリツイートしたりして成績判定の方法と決めた。レポート発信のハッシュタグは「#jilc2019」、これも貴重な記録になるのだろう。

なぜか日本に来る度に、小さな地震に出会う。今度も土曜の午後、しっかりと震度5弱に見舞われた。グループSNSで学生はさっそく確認をし、返事を書いて送ったら、それの第一声に、「awesome(この場合、すごい、といったところか)」、と戻ってきた。別の学生と顔を合わせると、生涯最初の経験だと、興奮気味に語ってくれた。日本ならすべて得難い経験、その極端な一瞬だった。

2019年5月18日土曜日

狸の腕

絵巻の読み方、読む楽しみを伝えるために、まんが的な表現を用いてはと、「まんが訳」と名乗って、あれこれと試行錯誤をしている。(劇画・絵師草紙)漫画風の表現と言っても、いうまでもなく無限にあるもので、簡単に正解が突き止められるものではない。

絵画表現にある動きを伝えるのに、どのような表現がありうるのだろうか。一例として、「十二類絵巻」に描かれた詞戦いの名場面を取りあげてみよう。ここに、一つの大胆な対応として、絵巻の部分的な場面を切り出したり、組み合わせたりするに留まらず、絵そのもの中身に手入れをしてみた。強気の発言をする狸が力強く振り上げ、前方を指し示す腕に注目し、その動きを強調した。まんがなら定番な表現法である。もちろんこれにさらにまんが特有の擬態語などまで加えたら、いっそうそれらしく見えてしまうだろう。ただ、一枚の画像の空間には限りがある。余分なものを入れてしまうと、もともとの構図はすでに存在しない。十分に覚悟をしておかなければならない。

デジタル環境においては、画像を変えたりすることは、技術的にはごく簡単になった。その分、表現の自由が手に入れたところで、それをなにが使うのか、どう活かすのか、けっして自明なことではない。表現への模索は、いまから始まるものだ。(画像に用いたのは、国会図書館蔵「十二類巻物」である。)

2019年5月11日土曜日

ロマンス

ここ数日、若い研究者たちの発表を聞く機会が重なった。その中の一つは、近現代における「西遊記」の研究からみる西洋の文学批評理論をめぐるものがあった。クローズアップされたキーワードは、「ロマンス」だった。

文学批評の理論、そして古典文学の翻訳などに使われたロマンスとは、この言葉の古風な意味に基づくものであり、今日において第一義に浮かんでくる恋愛などのテーマにはかならずしも直結していないことは、一通り知っている。現にいまの日本語の使い方としても、「シルクロードのロマン」から「大正ロマン」など、男女の感情に限られない用法は、それなりに頻繁に登場している。それにしても、文学理論におけるロマンスとは、はたしてどのような意味合いだろうか。ついついこのような初歩的な質問をもって教えを乞うような展開になった。戻ってきたのは、期せずしていたって明快なものだった。曰く、旅と善悪という二つの要素をそのコアにしている、とのことである。どこまでロマンスという言葉の古風な意味に合致するかは不明だが、とりあえず一つの手がかりが得たものだ。

中国の古典の英訳では、あの「三国志」のことを「Romance of the Three Kingdoms」がスタンダードになっている。しかしながら、「平家物語」のことをロマンスと捉えられることは、聞いたことがない。はたしてなにか深い理由でもあるのだろうか。(写真は小田急線ロマンスカーを熱心に撮影する人々、2018年6月30日)

2019年5月4日土曜日

花押を動かす

ここ数日、「北条氏花押」と名乗り、動く花押を一日一点送り出している。基本的な考えについてこれまで数回記してきたのだが、それを実際に形にするためには、やはり時間が要る。幸い春コースの本格的な稼働までまだ二週間ほどあり、約束している二編の原稿は意外と早く書き上げたので、これに取り掛かった。かなり苦労したのは、やはり狙う道具にたどり着くまでの試行錯誤だった。

複雑な筆画を動きをもって表現するには、GIF動画しかない。「動画・変体仮名百語」で試した文字の上での描画という方法は、そのまま使えるが、やはりいま一つビジュアルなインパクトが物足りない。そこで、動画制作の模索が始まった。最初に見つかったのは、「Express Animate」というフリーソフト。かなりのところまで対応はしてくれているが、やはり制作プロセスは煩雑で、一つの文字を作るための時間が割に合わない。有料ソフトのうち、「Adobe After Effects」には筆画を表現する特化した機能が用意されていると知ってはいるが、一つのソフトは1GB、パッケージだと20GB、気が遠くなるようなサイズのものだ。ただ調べているうちに、勤務校が購入し、教師全員使用できると分かって、やはりこれを試すことにした。インストールするには、あれこれと困難があって、考えられないようなエラーが連発したが、最後はなんとか動いた。さすがに特化した機能であって、きちんと覚えてしまえば、あとは動画制作にさほど気を使うことなく、筆画の検証に注意を集中させることができた。道具の大切さをあらためて知らされた。

小動画はどれも4秒程度。専用のソフトが使えても、花押に対応させるには、Photoshopを使っての事前処理、そして、最後の仕上がりに「LICEcap」や「Giam」を駆使して、無料ソフトの出番を忘れていない。デジタルをいじる人なら、みんな経験しているような仕事の流儀だろうか。

2019年4月27日土曜日

ホームパーティー

冬学期が終わり、先週から講義のない時間が始まった。春は学年が終わる時期でもあり、新学年が始まる九月のはじめまで、しばらくは大学での統一する日程がない。そのため、同僚たちとのオフでの集まりもこの時期に集中してくる。この一週間、数えてみればキャンパスでのレセプション、それから同僚の家でのホームパーティー、それぞれ二回あった。

一言にホームパーティーと言っても、その様態はさまざまだ。先週の二つも、一つは一人の同僚の定年を祝うもので、四十人程度集まり、スピーチが用意され、それもマイクを使って披露され、ホストは温かい食事まで提供してくれた。もう一つは、二十人そこそこで、珍しい食べ物を持ち寄せ、ワインやビールを片手に大いに雑談するというスタイルだった。そこで交わされた話題もじつに多岐にわたり、記憶に残るものが多かった。たとえば、つぎのようなものがあった。定年してすでに十年近く立った老夫婦は、いまでも南米での潜水を楽しみ、冬の定番となっている。熊に比べてはるかに危険の小さいシャーク、餌で引き寄せて鑑賞することさえ行われている。人間の寿命と知識の継承にみるSFと現実との距離、定年してからの学問のやり方や社会との関連、著名文学者についての研究とその作家本人との交流、著作権、娯楽、そしてベストセラーへのアクセス、などなど。思い返して、なんとも楽しい。

日常生活において、同僚ととことん飲むような飲み会はたしかにまったくと言っていいほど存在しない。あるいは飲み会の対訳語として、ホームパーティーがちょうどよい。ただし、「ホーム」が空間になっているため、夫婦連れが圧倒的に多い。

2019年4月20日土曜日

ノートルダム

今週に伝わってきた大きなニュースと言えば、なんと言ってもノートルダム大聖堂の炎上だった。SNSの投稿を覗いているうちに目に飛んできて、おそらくデマではないだろうとほかのサイトなどで確認をし、衝撃と悲しみの気持ちを禁じ得なかった。数えてみれば前回訪ねたのはすでに五年前となる。クリスマスのイブを大聖堂の中で家族全員で過ごし、忘れがたい思い出になった。(「聖書絵」)

火災のことはさることながら、今度はこれに誘発された各国の反応には、思いも寄らないものがあった。中国のネットでの議論は、なぜか百年五十年もまえの円明園焼失のことを引っ張り出したのがあって、はなはだがっかりした。さいわい、そのような言論に対して、より強くて行き届いた反論や非難が上がり、少なからずにほっとした。ノートルダムをもって不朽の名著を残したあのヴィクトル・ユーゴーが円明園の破壊に対してすでに声をあげて文明の破壊を批判していた。あの時よりも後退し、文明への眼差しを歪まれることは許せない。一方では、大聖堂の修復にかなりの寄付が集まったのだが、これもまた思わぬ形で非難を招いているもようだ。寄付した人は税金の免除を訴え、批判されてその願いを取り下げたと聞く。遠く離れたここ北米のニュースメディアはその間の経緯を取り上げ、議論の先は、税金政策をもって巨大企業に社会運営に参加させるというやり方自体への反省に向かった。教育や救済などの善行にお金を使うことは、不義の、あるいは社会からより厳しく監督されるべき経営行動から目を逸させ、一種の免罪符になったとの警鐘である。

八百年の長きにわたる大聖堂そのものについての議論は、自明なことだからだろうか、あまり大きな声にはならない。あるいは、いまのような世界範囲で、ただの古建築や文化遺産以上に社会生活全体への反省に繋がっていることこそ、ノートルダム大聖堂の重きを物語っていると言えよう。

2019年4月13日土曜日

手作りゲーム

古文授業は、金曜日をもって終了した。修了した学生は18人、クラス37時間のうち、クイズや小テスト、プロジェクトの口頭発表などにあてたのは約8時間、残りは学生たちと会話をしながらの講義だった。その中で、最後の授業はとりわけ印象に残るものとなった。

学期末プロジェクトには、自由に選んでくる古典テキスト(100から150文字程度)の翻訳、注釈、あるいはオリジナル教料開発という2つのオプションを提供した。後者を選んだのは8人、短いビデオや6つのゲームが提出された。かつて流行ったビデオゲームのテンプレートにクイズの問題を載せたものにはすでに感心したが、教室で繰り返し使った「古文オンライン」の内容をまるごとiOSのアプリにした猛者まで現われて、軽く打ちのめされた気さえした。現行のアプリ公開の手続きがあまりにも煩雑なため、すぐには利用する道筋が見えてこない。一方では、教室活動にふさわしいと思われるものもあった。最後のクラスでは、かるた、すごろく、ジェパディの三つを選び、クラス全員を三つのグループに分けて、それぞれ製作者主催で同時進行で進めさせた。静かな教室の中で対戦に夢中に取り組み、学生たちの真剣な表情、飾らない歓声、慎重に組み立てた難問、眺めていてじつに素晴らしかった。

多くの講義は、学習内容のトータルな確認を目指して学期末試験などを設けたりしている。それに対して、学生たち中心の、対戦ゲームによる復習や点検は、有効で有意義な展開だった。ちなみに、クラス活動にアクセントをつけるために賞品を用意した。小さな寿司などを模った消しゴムだった。

2019年4月6日土曜日

年号のアクセント

過ぎ去った一週間、新しい年号のことは繰り返し話題に上がった。これからの日常生活の一部になるだけに、関心は高い。そして外国語学習者にとって、日本語に接近する格好の手がかりである。その中では、レイワの読み方は興味深い。はたして「昭和」と同じなのか、それとも「分野」のように読むべきだろうか。公式発表の場ではどうやら後者を取った。一方では、この言葉は複合語彙として使われることが圧倒的に多いから、前者として定着するのではないかと想像している。

アクセントのことは、その表記からにして十分に確立していないらしい。思えば日本語を覚えたてのころ、言葉一つひとつには正しい読み方があって、それを言葉への理解などとともに記憶すべきものだと教わった。その記述としては、①型、②型といったものだった。そのような知識は、たしかに専門書や専門の辞典に記され、一部の国語辞書にも採用されている。しかしながら、完全に日本語の基準になるにはほど遠い。そして少なくとも身の回りの教育現場には浸透していなくて、たいていの学生に聞いても、そのような話は知らないと、答えはあっさりだ。

そこで年号のアクセントである。古典から生まれたとはいえ、古典にその答えを求めるのは無理が多い。古典そのものは、読み方のアクセント関連の情報どころか、読み方そのものについてすでにかなりの空白を残している。令の文字はなぜ「りょう」ではないのかとの疑問に対して、常用漢字の読み方には採用されていないからとの答えが意外と要を得ている。一方では、出典として脚光を浴びた令月の「月」はどうだろうか、正月などのように「がつ」とは読めないだろうか。古典は、そこまで現代の言語生活からかけ離れている。年号の誕生はこのことをあらためて浮き彫りにしたとさえ言えよう。

2019年3月30日土曜日

年号

あと一日ちょっとで新しい年号が公表される運びになっている。日本からのニュースを読めば、分刻みの発表日程から、各国へのファクスでの伝達予定まで、さまざまな話題が尽きない。まるでお祭りの観を呈している。

年号とは、一国を支配する皇帝とセットとなり、いうまでもなく中国起源のものである。気軽にネットをクリックして漫然と読んでみれば、あれこれと興味深い事実を習った。一人の皇帝/天皇が複数の年号を使うのは日本中世の現象だと思い込んでいたが、どうやらそれは中国の明、清時代の仕組みからの早合点で、記録の持ち主は武則天の十七と、唐高宗の十四だった。長く続いた年号となれば、万歴の四十八年と乾隆の六十年は三位と二位に止まり、昭和の六十四年はトップの座を占めている。一方では、朝鮮王朝に目を向ければ、清への抵抗を貫くために、大明崇禎二百二十九年などの用例が実際に伝わっていると聞いて、さすがに驚いた。

新しい年号はどのようなものになるのだろうか。中国の典籍からの利用を止めるとの議論もどうも大いに議論されているもようだ。これまでの実践を見れば、もともと文章の一部をもとに適宜に文字を切り出しているのだから、あくまでも造語であり、原典との距離はかなり存在している。漢字二文字という限定が設けられているのだから、あまり意味のある議論とは思われない。あくまでも分かりやすくて、実用に役立つ言葉が望ましい。それの意味合いや思いも、時間の流れによって作り出すべきものだろう。願わくば無味透明な新年号が発表されることを切に祈る。

2019年3月23日土曜日

CJ5M

Classical Japanese in 5 Minutes。「5分で分かる!日本語古文」と名乗り、5分程度の動画を29編制作して公開した。これに取り掛かった直接のきっかけは、勤務校で開講する古文授業への準備だった。長年思い描いてきたことがようやく叶え、かなり早い時点から登録する学生にも恵まれ、過去数ヶ月、集中的に取り掛かってきた。自分としてははじめての英語を用いる特設サイトである。

古文勉強の副教材として組み立てているため、音声解説とそれにあわせた文字情報を中心とした。いまは手軽に動画を作成するソフト、アプリなどが多数利用できるようになっているが、あれこれと試してたどり着いたのは、やはり普段使い慣れたパワーポイントだった。文字情報と音声情報をそれぞれ個別に作成し、そのうえ動画に纏めるという方法だった。全体の流れは、「古文オンライン」のそれを踏襲し、例文の選定に慎重に時間を使った。英訳を添えることが前提になっているため、それの統一を図り、複数の訳作を避け、ほぼすべて「Anthology of Japanese Literature」 (Grove Press, 1994)に頼った。デジタル化されたこの一冊は、大学の図書館を通して学生たちが簡単に入手できて、教室で安心して使うことが一番の理由となった。

古文教育の目的、そしてそのアプローチはさまざまに考えられる。とりわけ受験という枠組みが存在しない外国語教育の一環として、より大きな自由がある。CJ5Mは、結局のところ、文法中心となった。はたして最善なのか、たとえば名作を読むなど違う切口が考えられないのか、これらの課題には、まさにその入口に立っているに過ぎない。長い模索はこれから続く。

Classical Japanese in 5 Minutes

2019年3月16日土曜日

プラモデル

日本歴史の授業では、いつも城をテーマの一つにしている。しかしながら、正直に言うと、観光や映画などから得た知識以外、この奥深い世界への認識はいたって限られている。学生たちには、教科書など以上の、なにか有意義な手がかりを提供できないものかと、いつも苦慮している。

半年ほど前のことだ。手頃な模型でもあればとあれこれクリックしてみたら、プラモデルのことが目に入った。一枚の状態になっているさまざまなパーツを切り出して組み立てるものである。なんとカナダのアマゾンサイトでも販売されていて、値段もほぼ定価通りだ。とにかく購入した。郵送にはかなりの時間がかかったが、ともかく無事に届いた。箱を開けてみれば、とても簡単に組立てるものではなかった。作ったものを教室に持ち込むとの目論見を止め、代わりに現品を講壇に置くことにした。百人もいる学生なら、なんらかの反応があるだろうと睨んだ。案の定、普段まったく発言などしない学生の一人は、さっと寄ってきて、この手のものはなれているのだから、作るよと志願してきた。願ってもないことだった。数日のあと、じつに上手に制作された製品が教室に戻ってきた。若いものたちには、いろいろな才能が隠されたものだと、つくづく感じる一時だった。

模型はいまでも研究室においてある。いまはやりの3Dスキャン、3D印刷などを駆使したら、物理的な小物を学生たちに届けられるのではないかと、想像をしている。いまだ目的にたどり着いていない。(購入したのは、「日本の名城プラモデル・姫路城」である。)

2019年3月9日土曜日

花押の書き順

花押をめぐる関心や研究は、文字出自の確定などが中心になっているもようだ。ただ、ほとんどの場合は確証があるわけではない。一方では、どのような経路を辿って成立されたにせよ、慎重に設計され、基本形が真剣に守られていたことから、到達された形そのものがなによりも大事なのだと分かる。そのため、花押の画数と書き順を明らかにすることは、一つの有意義な課題に違いない。そこで、つぎのような試みをしてみた。先週の議論同様、花押の主は足利家時、あの尊氏の祖父にあたる人物である。

まずは、書写の画数を分解して、右の動画を作成した。普通の文字にみる筆の運び方と異なる要素はいくつか認められるが、基本的には一筆で書きあげるものではなく、家時の花押の場合、四画に纏められているとみてよかろう。

いうまでもなく、書の知識などのみを根拠に頼るわけにはいかない。さいわい、同じ人物の花押が複数伝わっている。手書きで、実用的なそれは、互いに完全に一致するはずはない。場合によっては、その差異はあまりにも大きい。「花押カードデータベース」(東京大学史料編纂所)には、家時の花押を約八点収録している。とりわけ文永三年四月 (No.010062)の花押は大きな参考になっている。基本形として用いている文永六年四月 (No.010065)の花押を解読するには、まるでレントゲンを見せてくれているようで、花押の形はなんとも分かりやすい。これに加えて、たとえば円形の書き方の方向なども、はっきりと参照する実例があった。

かつて変体仮名を取り上げるにあたり、筆をなぞえるアプローチを試みた(「変体仮名百語」)。同じやりかたは相変わらず参考になると思われ、ここに添えた。さらに静止画を見つめるためには、画数の順番と筆の方向を同じ空間にまとめる方法を試してみた。

これらのアプローチは、どこまで有効だろうか。さらに同時代の花押を数個試してみたい。そこからはきっと興味深い風景が見えてくるに違いない。そう願いたい。


2019年3月3日日曜日

花押

花押、とりわけ中世の権力者たちによるそれについて、ずっとある種の魅力を感じている。このブログでも、かつて中国の皇帝の使用例を持ち出して議論してみた(「花押と画押」)。真正面から取り掛かる知識を持ち合わせていないことを自覚しながらも、ときどき思い出すテーマである。

いうまでもなく、花押とは大きな分野だ。関連書籍の目録を見ても、大型な辞書からさまざまな読者を想定した入門書、解説書などは、本棚の一段を簡単に埋めてしまう。それらを開いてみれば、花押を作り出す方法、組み合わされた文字、ひいては使用者の時期の特定など、膨大な知識が蓄積されている。手書きで元となる文字の分解してみせる試みまで見られる。しかもこのような視線は、江戸の学者にまで遡れる。一方では、あくまでも花押そのものの形に着眼すれば、その書き方をどこまで再現することが可能だろうか、かならずしも共通の関心にはなっていない模様だ。

世の中はデジタル環境の恵みを受けて移り変わっている。花押を読み解く課題にしても、「花押カードデータベース」(東京大学史料編纂所)という素晴らしいものがクリック一つでパソコンの画面に飛び出してくる。複数の実例を並べておくと、花押の書き方を可視化することが確実にできるような気がしてならない。(写真は足利家時の花押から)

花押カードデータベース

2019年2月23日土曜日

平等院参詣図

火曜の午後、短い関西への旅から戻ってきた。あわせて四泊六日の、相変わらずの詰まった日程だった。それでも、あるいはそれだから余計に積極的に動き回った。中でも、かねてから思いに掛けてきた平等院を訪ねた。学生時代以来、かなり久しぶりの再訪だった。五年ほど前に修復が終わり、本堂の色が一新されたとの噂を聞いたから、その変化ぶりもぜひこの目で見たかった。

ミュージアム鳳翔館と名乗る宝物殿は、出来てすでに二十年近く経っているらしい。国宝・雲中供養菩薩像の展示ホール、実物大の本堂の扉など、さすがに圧倒される。時に冬期企画展が開催されている。展示の中では、「平等院参詣図」(江戸時代前期)はとりわけ印象深い。参詣の対象となる平等院、そしてそれに投げかけられた普通の人々の姿などは、じっと眺めていて興味が尽きない。普段はどうやら拝観者を本堂に入れないらしく、神社の拝殿に向えるのと同じく、熱心な男は扉の格子に顔をいっぱいくっつけたまま中を覗く。建物全体を見れば、特徴となる渡り橋が見当たらないことには驚いた。ただ、その目で見れば、そもそも宇治川が本堂のすぐ後に迫ってきているのだから、絵画的な表現を考慮に入れて見るべきだとはっと思い返させられた。

しかしながら、本堂の象徴となる屋根の上の鳳凰は、それぞれ違う方向に頭を向かわせている。江戸時代以後、鳳凰の向きを調整したとはとても考えられない。ならば、そこまで現実を無視して描いた参詣図の意図とは、どのようなところに託されたのだろうか。課題の一つとしたい。

2019年2月19日火曜日

天皇即位の図

二日にわたる研究会が終了したあと、京都博物館に駆けつけ、閉館までのわずかな時間をねらって展示を楽しんだ。つぎの特別展は二か月先、いわば主役不在の時期ではあるが、それでも見ごたえのものが多かった。なかでも特筆すべきなのは、やはりいまは世の中の関心があつまる改元即位にまつわる小規模ながらの特別企画である。

展示ホールの中心を鎮座するのは、「霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風」である。絵師は、あの「本朝画史」を著述したことで有名な、狩野家三代当主の狩野永納である。屏風は今回初公開となる。譲位、即位の詳細、画面内容の記述などをめぐる詳細な解説は、きれいな写真が添えられて無料で配布されている。二隻の屏風は、右隻は即位、左隻は譲位と構成され、とりわけ当時十歳の霊元天皇は、顔が正面から明晰に描かれていて、同様題材の屏風の中でも特異だと指摘されている。同時に展示されたものには、同屏風の摸本があった。こちらは白い紙に墨線で構図を慎重に描き写したのみに止まり、ただ文字の転写はかなり正確であり、一部今日になっては判読しづらい文字の内容を伝えてくれているところもあると、解説が教えてくれている。天皇の譲位、即位という一大国家行事をめぐる人々の視線、とりわけ敬いや憧れの念を抱きながらこれを記録し、そして描き写して手元に残すという姿勢が伺え、完成度のまったく異なる二つの資料が並べられて、得難い鑑賞経験となった。同展示はあと三週間ほど残っている。一見の価値があると勧めたい。

東京博物館の常設展は写真撮影を許していることからして、国立の博物館はすべて同じ方針を取っているとばかり思いこんだ。(「ドイツ初期銅版画」、「豚を料理」)なんとそういうわけではない。京博の常設展は撮影不可となっている。自分の不明を訂正し、いつかこの状況が変わることを願う。

特集展示 初公開!天皇の即位図

2019年2月9日土曜日

レボがない

はじめて開講する古文の授業は、すでに四週終えたところだ。全体の構成を文法事項を順次解説することを骨組みに組み立て、それに沿って、オリジナル古典の名文を紹介し、週に一篇、150字程度の文章を取り出していっしょに読む、というやりかたを取っている。

日本語学習者にとっての古文勉強は、古典への見識もさることながら、現代語への見直しが重要だと考えている。はたしてそのような狙いが形になってきている。先週の会話から興味深い実例があった。授業のあと、ある熱心な学生は丁寧に記したメモを見ながら質問してきた。曰く、クラスで提示した動詞活用に関連するスライドに、活用形の「レボがないため、詳細を確認したい」。タグのつもりでレボ(lable)を選んだのだろう。振り返ってみれば、動詞活用の全体像を説明したあと、具体的な活用形について、未然、連用のような用語を避けようと、あえて「ず、て、こと、ば」といったような形で言葉の実例を掲げることにした。専門用語からの負担を減らそうと工夫したつもりだが、論理的にアプローチをしようとする大学生にはかえって不安を与える結果になってしまった。いうまでもなく反省し、付け加えることにしたい。

いまの授業計画としては、一学期の十二週間のうち、十週程度までは文法事項を中心に進める予定だ。加えて週一回の小テストを設けて内容を確認する。ただ、文法中心の発想ははたして最善なのか、いまのような学生に一番ためになるものはなにか、つねに自問自答をしている。