2022年5月28日土曜日

他大学の蔵書利用

とても読みたい図書六冊、まとめて手元に届いた。勤務校の図書館が提供しているサービスを利用して叶えたものだ。いわゆる「インターライブラリローン」、「図書館同士貸し出し」ぐらいの呼び名だが、大学間図書相互利用というもので、日本の大学や研究機関もかなり広く用いられているシステムである。

今度の依頼は、かなり素早く完成された。日本関連の図書を多くもつトロント大学図書館の蔵書システムで調べて、所定フォームに、図書の具体的な情報を記入する代わりにその所蔵のリンクのみを貼り付ければ依頼の手続きが完了した。あとは到着を待つのみである。依頼をしたのは今月の8日だった。担当者はそのリンクを頼りに図書の情報を特定し、利用する図書館をしかるべき基準で選定する。図書が大学図書館に到着したとの連絡を受けたのは24日、受け取って、付随の書類を読めば、来月の21日までに返却とのことが記されている。貸し出しの手続きが行われたのはきっと今月の21日で、一か月利用できるという決まりになっているらしい。

図書の所蔵を確認すると、トロント大学だった。30数年まえ、一年ほど滞在した。あのころ、図書館はずいぶんと使っていた。その後も度々訪れ、機会あると、時間を噛みしめるように本棚の間を歩きまわった。あんなに気軽に利用することはとてもできないでいるが、それでもこのようにアクセスできて、なんとも嬉しい。

2022年5月21日土曜日

Slidesはお勧め

世の中は、ZOOMが流行ってからもはや三年近くなった。これを毎日数時間も使っている人も大勢いると思う。自分はその中には入らず、そのため最近になって気づいたことも少なくない。備忘に記しておこう。

プレゼントをするには、これまでPPTを使ってきたのだが、ZOOMにはGoogle Slidesのほうが使いやすい。その理由は、おもにつぎの二点があげられる。

シャアスクリーンをもって用意した内容を映し出す。それで、使っているモニターが横長のもの、とりわけスタンダードな16:9のサイズよりはみ出す場合、PPTのスライドショーをすれば、ZOOMはそれをすべて対象とするので、見る側では両方黒の帯に挟まれた形となり、伝えたい部分は真ん中の小さな部分を占めるに止まる。これに対して、Slidesでは、SlideshowとFullscreenという二つの方法が用意され、後者を利用する場合、開けたブラウザのサイズを調整すれば、見せたい部分を有効に伝えることができる。

スライドを見せながら、どれかのインターネットサイトを開きたい時はよくある。その場合、PPTとブラウザとは違うソフトなので、切り替えをしなければならない。これに対して、Slideでサイトを開いたら、同じブラウザの新しいタブなので、ソフトを切り替える必要はなく、実際に使うとほとんどストレスを感じない。

一方では、スライドを作成するには、やはりPPTのほうがは素早くて便利だ。いまは、そのように作成したPPTをGoogle Driveにアップロードして、そこでSlideに変換する方法を使っている。よっぽど凝ったことをしなければ、期待した結果がスムーズに得られる。

2022年5月14日土曜日

動画サイト番外編

数日まえ、朗読動画『徒然草』のサイトに番外編を付け加えた。題して「四コマ漫画と現代語で読む七つの物語」。朗読動画の中から七つの章段を取り上げ、新しい試みを提示してみた。

追加内容のメインは、四コマ漫画だ。これまでGIF動画の形を借りていたが、あらためて紙媒体に用いられるスタイルを用いた。利用した画像は、同じく朗読動画に用いた『なぐさみ草』か『つれつれ艸繪抄』。これにあわせて、努めて読みやすい日本語で物語の内容を書き直し、さらに授業や独学などの場を想定して、読解の質問を用意した。最後に『徒然草』の原文、そして朗読動画へのリンクを添えた。いわば日本語学習者の上級生を対象にささやかな読解の資料を作成したものである。

昨日、ゲスト講義を頼まれ、「古典を楽しむ四つの物語」とテーマを決めて英語で一時間ほどZOOMのカメラに向かった。聴講に集まったのは、大学の春期特別コースの受講生と日本からの熱心な学生たちだった。「劇画・絵師草紙」サイトを話題に取り入れたので、質疑の一つに四コマ漫画への関心が語られ、このようなアプローチはまさにそれへの最適な答えだったと有意義に思った。

2022年5月7日土曜日

塩秀才

此奴和日本(こいつわにっぽん)』という黄表紙の作品がある。物語の主人公は、中国で暮らす塩商という大家の息子塩秀才だ。海の向こうの中国では、海に囲まれた日本と違って、塩がとても貴重なものだと、なかなかもっともらしい設定をして楽しい話を展開した。

その中の圧巻は、右にあげたこの一枚にほかならない。塩秀才は、中国のことに関心がなくて、とにもかくにもすべて日本が最高だと決めつける。テキストには「書籍は明州の地へ頼置て日本記、今川万葉集、源氏平家の物語、新渡の絵草子、顔見世評判記まで封の切らぬを取りよせる」と記し、部屋の真ん中に鎮座するのは、そのような書物を入れた人の背丈よりも高い書籍箱、机に飾ったのは「天の浮橋の鶺鴒の羽根」、「瀬戸物の水入れ」、そして絵のことまで登場し、「壺屋」、土佐の「大津絵」と、「唐絵とちがってまた和絵は特別なものだ」と絶賛される。憧れの唐ものに正面から向こうを張る日本のさまざまな伝統や流行がここまで言葉を惜しまずに持ち上げられて、読む者は思わずウキウキする気持ちになった。

この一冊が刊行されたのは、天明四年(1784)だった。いうまでもなく黄表紙一流の思いっきりの空想を売り物にしたものだった。しかしながら、250年も経った今日になれば、予備知識を持たないでこれを読めば、あるははその笑いどころがすっかり分からなくなったかもしれない。この場面に登場した古典や品物をいまふうのマンガ、アニメ、ゲームに置き換えたら、この状況を地で行く中国の人間が大勢存在する。中国語では、「哈日」という表現まで生まれ、これをもって誇りにしたり、冷たい視線を浴びたりしている。もしこの状況を知っていれば、作者の四方山人はきっと塩秀才の物語を作れないに違いない。