2009年10月31日土曜日

論文集到着

一年前のいまごろ、古典文学をテーマにしたシンポジウcapt000aムに参加してハーバード大学を訪れた。その間のことをこのブログにも数回書いた。その集まりの成果は、一年も経たないうちにりっぱな論文集になり、今週の初頭、編集出版元の国文学研究資料館より送られてきた。一冊の論集を形にするためにどれだけの人々が苦労を重ねてきたのかと思いかえしながら、はるばる海を越えて送られてきたものを手にして、感慨深い。感謝の念をここに記しておきたい。

思えば二日程度の集まりでしたが、その企画となればじつに長かった。最初にこの集まりのことを聞いたのは、たしか2007年の春、学生たちを連れて専修大学で語学研修を行う間のことだった。学生たちが使う狭い教室に入り、インターネットのアクセスもままならない状態の中であれこれとやりとりをしていたことは、いまでも鮮明に覚えている。それまでには企画がすでにかなり続いていたことはいうまでもない。

同じ集まりは、今年はヨーロッパもロンドンに場を移して似たような枠組みをもって続いたと伺う。そのテーマは、「横断する日本文学」。しかもシンポジウム開催に先立って、詳細なプログラムや発表の要旨が日本語と英語の両方の言語によって纏められて、読みやすい形で公開されている。純粋な古典文学研究においても、研究の様態も発表の場もずいぶん変わってしまったものだと、なぜか実感を新たにした。日本の公的な研究機関がリーダシップを取り、代表的な学者たちが一堂に集まって知見を披露し、その記録があまり過度な手入れをしないで世に送り出される。古典文学という、長い下積みや言語の基礎知識が必要とする学問だが、日本の学者と外国の学者が同じ土俵で交流し、研究に用いる言葉がたとえ互いに精通しなくても理解しあうように努力し、つとめて交流から最大の養分を汲みとる。すこし前の時代ではとても考えられないあり方ではなかろうか。

同じ構図で見れば、遠いカナダに身をおいて、あくまでも大きな渦に巻き込まれるように、たまにしか参加できないでいる。ただ、外側にいる分、新鮮でいて、刺激が多い。大切にしたいものだ。

2009年10月24日土曜日

ストリートビューがやってきた

学生に教わって、自分が生活して町を含めて、カナダのいくつかの都市がグーグルの「ストリートビュー」に登場したことが分かった。これまで、東京やボストンの旅行にかなり使っていたがために、なんとなくずっと楽しみにしていて、さっそくアクセスして眺めてみた。日常生活しているだけに、ついつい時間を忘れてあっちこっちを見て回った。

まず画像の画質もアクセススピードも前よりさらに快適になったとの印象を受けた。ストリートビューの魅力は、なによりもいつまでも続く町の風景なのだ。毎日通っているところ、知識として持っていてもいまだ訪ねていないところ、噂ばかり聞いてとても実際に行ってみることなど適えそうもないところ、などなど、頭の中に浮かんだ予想や期待に照らし合わせつつ、目の前に延々と展開してくるビジュアル的な風景は、実に素晴らしい。

091022実際の生活の中でも、これまで数回、カメラを屋根 に高く据えつけた車を目撃した。ゴーグルのロゴもさほど目立たないがはっきりと読めた。思えば、ストリートの様子を画像データにするというのは、途方もなく地味で、アナログ的なものだ。いくら高級なカメラ、最先端のパソコン、特殊な編集ソフトを駆使したとしても、データそのものがそもそも存在していない。すべての大通りや小道をまんぺんなくカメラに捕えることから始めなくちゃならない。気の遠くなるような作業だ。一方では、電子がメディアになっているいまの世の中において、製作者の意図するところは、なによりもまず町の様子をいかに知る、調べるということであって、おそらくそれを記録するという発想にはかなり遠いかもしれない。しかしながら、現在の生活についての、この上もないユニークな記録になることには間違いがない。簡単に消えたり、更新したりすることができる電子メディアは、大量で負担にならないで保存することが可能だ。百年、千年単位で人間の社会を考えてみれば、どれだけ貴重なビジュアル資料になるのだろうか。

ちなみに勤務している大学の正面玄関に向かって、私がカメラを構えてグーグルのカメラ車を撮ろうとしたところがいまのストリートビューに記録されて公開されている。友人や同僚たちに見せて、何回も楽しい話題にした。

2009年10月17日土曜日

東京一週間

昨日、短い東京への旅行から戻ってきた。国際交流基金の招待を受けて、箱根、赤坂と三日間の会議に出席し、世界から集まってきた学者たちととても有意義な交流が出来た。

091017会議のテーマは、「世界日本研究者フォーラム」。十四の国から十六人の研究者が集まり、いま現在の世界における日本研究ということをテーマに、実に自由自在に語りあった。いうまでもなく研究者たちはそれぞれに違う国からだけではなく、研究分野もかなり離れていて、発言の内容もほぼその国における日本研究という、かなり巨視的なものだった。とりわけ研究や教育におけるお国の自慢話、あるいはその国ならではの期待などがさかんに議論され、国が違うと事情がこんなにも違うんだと改めて認識させられ、「世界の日本研究」といわれても、まったく違う世界のことをはじめて聞かされたものだとの思いに打たれたのは、一度や二度に止まらなかった。それに加えて、休憩時間での会話なども、それぞれの教育機関での研究制度、業績形態、評価方法など、研究そのものよりも、研究にまつわり、それをサポートし、それを囲みこむ方面の話題が中心だった。おかげで、たまにしか出てこなかった古典、古文、ひいては画像資料にかかわる話題が出てきても、それが主流になれない、基礎としてもっと強めなければといった、嘆きのトーンに伴うものだった。

招待側の実に真心を込めた、思いやりが伴う行き届いた対応には、ただ感激した。学期のど真ん中に一週間も職場を空けてしまったことは、これまでほとんど経験がなく、会議の合間にも、採点、作文添削、申請書の仕上げなどの作業をこなしたが、授業や他のもろもろの仕事などは、職場の同僚たちの協力に頼らざるをえなかった。終わってみれば、それだけの価値があるものなんだと、充実した思いが持てた。ちなみに、研究や授業に使うユニークな道具も数点購入できて、さっそく実際に試してみたい。

公開シンポジウム:世界日本研究者フォーラム

2009年10月10日土曜日

JSAC・2009

先週の週末、JSAC2009学会に出て、デジタルと古典画像をテーマに短い発表をしてきた。三日にわたる会議の長いスケジュールの中の、もっとも後ろの位置を与えられて、発表が始まったのは、すでに日曜日の昼ごろだった。学会の場所は隣の町にある大学だということで、交通的には他の参加者と比べてすこし有利だという判断からだろうか。それでも運転して3時間ぐらい離れたところだった。遠路の人々はほとんど帰ってしまうのではないかと見込んで、プリント資料も10枚程度しか用意しなかったが、結局予想した人数の三倍以上の方々が居残り、話し甲斐を感じた時間だった。

発表の内容は、ほぼ雑誌『文学』に書かせてもらった随筆に沿ったものだった。現状の概観、それに散発な、ところどころ愚痴とも区別を付けがたいような議論に終始するものだが、日常的に考えをし、自分ひとりのささやかな力でもなんらかの作業を試みるための、思考の記録であることには間違いない。いわば日常の生活、研究、そして仕事の中で特別に気づかなくても深く関わらざるをえなくなったデジタル環境へ目を向け、意識的に立ち止り、軽く振り返ったものだった。だが、いつかもうすこし腰をすえてこれに取り掛かり、形のある研究プロジェクトに育てたいとの気持ちはずって捨てきれずに持っていることも確かだ。

学会の場では、会場に残ってくれた方々は、誰も日本古典研究をテーマにこそしていないが、それぞれにデジタル環境と自分の学問の経験との関わりを同じように身をもって体験し、つねに考えを与えている。おかげで真摯なコメントをたくさんいただいた。外にはすでに淡い雪が降りはじめたが、発表の後の質疑応答や解散したあとの会話に、いつになく熱気を感じた。研究分野が違っていても、デジタルとはそれぞれの形で関わっているという実感をあらためて得た。

ちなみにそれより一週間ほど前に購入したビデオカメラ付きの「ナノ」を思いつきで講壇に置いて、発表を録音した。音質は予想以上に良かった。ほとんどデジタル道具だと気づかないまま、日常の生活にデジタル媒体が入り込んできた。しかもそのおかげで、道具を持たなかった時に思いついても実行しなかっただろうとのスタイルや資料を持ちえた。

2009年10月3日土曜日

絵に耳を欹てる

絵巻のありかたを考える場合、絵を一つのメディアとして眺めるということは、さまざまな新たな視野を開けてくれる。メディアとしての絵に注目すれば、それに並ぶメディア、読むものなら文字あるいは記号やサイン、体の五感でアクセスするものなら音、味などがあると言えよう。

この中では、おそらく音/声のことが一番魅力的ではなかろうか。絵や文字とはまったく異なる次元のものでいながらも、一方では、読まれるものとはつねに互いに支えあうような関係にあって、緊密な連動が認められる。とりわけ多くの人間が文字を読めなかった、あるいは絵そのものに簡単にアクセスできなかった昔の時代であれば、音のメディアとしての役目がとりわけ際立った。

そのような音のことには、なぜかつねに一種の魅力を感じる。できれば、中世の、絵巻が盛んに読まれた、楽しまれた時代のことが知りたい。だが、どうやって探求すべきだろうか。録音という手段も、そのような可能性への想定もまったくなかった時代のこと、はたしてどこまで模索できるものだろうか。そもそもどこを出発地にし、試しの一歩を、どこから踏み出したらよかろうか。手探りの状態だが、その難しさでさえ一つの刺激に変わった。

じつは、これをテーマにしたささやかな論考を試みた。中世の日記から得られた実例、踏襲される表現様式にまで成長した絵の構図、絵巻作成にあたっての自覚と覚悟と、一つの絵巻をめぐるいくつかの側面を意識的に同じ土俵に並べてみた。その論考が先週出版されたことをここで報告したい。

『文学』第10巻第5号