2012年1月29日日曜日

森の中の盲目法師

今年の大河ドラマのヒーローは清盛。自然な展開としてテレビやほかのメディアには平家のことが頻繁に登場し、それをまつわるさまざまな中世の事柄がスポットライトを当てられるようになった。平家といえば、琵琶法師。数日前の番組でも、琵琶の音色なら共感が得られないとの判断からだろうか、代わりにギターが持ち出され、語りならぬ歌が披露されて、用心深い演出が見られた。

120129琵琶法師の語りはいうまでもなくすでに聞く由もない。ただ、かれらの姿は中世の絵巻などに確認できる。そこにみる共通した特徴といえば、盲目のため長い杖を握ること、客の屋敷に出向いての興行なため街を歩き回ること、そして低い社会的な地位からきた、周りから投げかけられた冷淡な視線や纏いつく野良犬、などが挙げられる。以上の要素を備わる実例は、たとえば「慕帰草紙」、「一遍聖絵」などにおいて認められ、言ってみれば他の芸能に関わる人間よりははるかに明瞭なイメージをわれわれが持ち合わせる。一方では、古典画像をただ絵巻のみに限らないでさらに対象を広めれば、より豊富な実例に恵まれる。たとえば右にみる一例。これは「東山遊楽図屏風」(高津古文化会館)の一部分である。京都国立博物館での展示図録の解説によれば、この屏風は狩野派絵師の作で、年代は十七世紀初頭、江戸時代はじめのものだ(「黄金のとき桃山絵画」1999年)。盲目の法師が描かれたのは、左隻三扇の中央部分にあり、いわば一双の屏風の片方の真ん中に配置されたものである。かれの身なりなどは、絵巻の中に見られたものとまったく同じだ。ただし、ここに展開された光景は、民家が密集する街角ではなくて、森々とした森の中だ。しかも法師は体を後ろに捻じ曲げ、力を絞り出して犬を追い払おうとしていた。しかも連れ添う童もいない。

屏風に描かれたこの法師の姿は、絵巻構図のあり方を受け継いでいることには疑いようがないだろう。一方では、中世ならではの、語りのための琵琶が描きこまれていない。古典研究において、文章ならその継承を確認する基準や方法をおよそ獲得されているが、ことが画像となると、どうしても心もとない。絵柄の継承と判断するために、どこまで絵師たちの独自な創作を認めてよいのだろうか、丁寧に吟味したい課題の一つなのだ。

2012年1月22日日曜日

正面の龍

農暦では週明けから新しい年に入る。中国ではいまでもこれを一年の中の一番の祝日とし、生活習慣においてもこれから生まれる子供がはじめて辰歳とする。今年の春節はいつになく早くやってきて、しかも師走ならぬ「腊月」には三十日がなく、二十九日が大晦日だとのおまけがついている。

120122龍の年を迎えて、長年続いた干支シリーズの切手には新たな一枚が加わった。しかしながら皇帝の、進んで中国のイメージとまで進化した龍だから、どのようなデザインとなるのかと期待されたら、これはいささかクセモノとなり、少なからぬの議論を引き起こした。正面を切って龍が真っ向から構えてくれたことは、いかにもユニーク。全体の色合いは黄色よりも赤が目立ち、龍の胴体やいっぱいに伸ばした爪足が飾りとなり、対して白抜きにした目、無限の黒を見せた口がいかにも力(アク?)が強い。はたしてネット上でははやくも悪評が飛び交わっている。恐ろしくて、かつてない醜い龍、いまごろの国のイメージに似合わない、などの印象論から始まり、はては政治的、文化的な深読みまでなされている。いつかその昔、大晦日のテレビで「龍の伝人」という歌が人々の自尊心をくすぐり即一世風靡したことを思い出せば、まさに隔世の感を禁じ得ない。

そもそも、イメージが恐ろしいからこれを批判する理屈は分かりづらい。あえて言えば、いま流行りの漫画タッチの、なんでもカワイイと描いてしまうビジュアルの横行に関係があるのだろう。人畜無害で、癒しまでもたらしてくれるペットのようなドラゴンとは、かつて存在したことがあるのだろうか。

2012年1月15日日曜日

若一神社

一つの歴史事件あるいは人物にスポットライトを当てる大河ドラマは、いまや特定の地方を全国に紹介という役目まで背負うようになった。今年のヒーローは平清盛、そしてその縁の地は神戸であり、京都である。先週のテレビ番組に登場したのは、清盛の邸宅跡地とされる「若一神社」。このような契機でもなければなかなか全国番組で取り上げられることのない小さな場所なのだ。

120112京都に住んでいて、週末の散歩に格好の目的地だ。足に任せて、午後も遅い時間に歩き出した。神社に到着したのは、午後五時前だった。はたしてこの時間代でも、大きなカメラを抱えた熱心な観光客の姿が見られた。やや離れたところから自転車でやってきた若者が、周りを慎重に見ていた。明らかに普段通りすがりの人々は、どこか迷惑そうな表情を隠しながら足速に過ぎていく。いたって狭い境内の中には、「平清盛公西八条殿跡」「平清盛公ゆかりの御神水」などの石碑が見られ、近年造られたに違いない石像の前には「平相国平清盛公」という、苗字が二回も用いた妙な石碑も建っていた。一方では、「平清盛公御手植楠」、「平清盛公守護社」といった、小さな紙切れに無造作に書き入れた看板も立ち、きっと俄かに現れた熱心な観光客への対応の一環だったのだろう。これとは別に、神社の垣根や楠の周りには「家内安全、商売繁盛」「世界人類平和」などの文字が躍る幡が立ち、いかにも普通の神社の息吹が伝わる。

もともとここは京都。すこし歩いたところには、規模が遥かに大きい六孫王神社が鎮座し、「清和源氏発祥の宮」と大きな看板が目立ち、そこからさらに角を曲がれば、「平重衡受戒之地」と、こちらは小さな石碑が道端に置かれるのみだった。このような古都ならではの風景を目にして、なぜか「文学」の一端を覗けたような気がしてならない。

写真7枚

2012年1月8日日曜日

天橋か飛龍か

龍にまつわる話題をさらに一つ続けたい。辰年を迎える二日前、思い立って天橋立を訪ねた。手元に保存してある昔の写真を見返したら、たしか24年ほど前に一度訪れたことがある。そのような自分にとっての古写真を片手にして、旧地を再訪するのも一興だ。はたしてあの「股のぞき」の場所はすぐ見つかり、周りの風景は四半世紀を経っても変化のないことを容易に確かめられた。しかしながら、ゴンドラまで設置された観光スポットから海辺へ降りようとしたところに、「飛龍観」との看板が目にはいった。記憶にはまったくなかったものである。同じ島を眺めるいくつかの見物地点に違う名前が付けられ、足元にあるところはこのように呼ばれ、しかもそれなりに昔からこうなったもようだ。

120108三つの文字を眺めていて、興味が尽きない。不規則で優雅な形を為す島のことを、天にかかる橋とするのみならず、空飛ぶ龍だとも見なすことは、たしかに素晴らしい。それを表現して、看板の三文字は、「飛ぶ龍を観る」と分かりやすい。いうまでもなくこの文字並べは漢文の格好を取っていながらも、あくまでは日本語。すなわち文字の順番をそっくりそのまま日本語の通りに並べ、日本語の発想をそのまますなおに表現して、動詞と目的語との位置関係の和・漢の違いなどまったく気にしない。言い換えれば、漢字が並んだという優雅さを持ち合わせながらも、漢文であることを目標としない、一種の生きた言語表現なのだ。ただし、そこは天橋立。天にかかる橋として見るためには、視線を上下逆さにして、股から「覗く」ことを要求されるところだ。そのようなところで直立して「観る」ことは、なぜか鑑賞の仕方にはあまりにもギャップが大きい。和と漢の並立は期せずして俗と雅との対比をもたらし、それをよけいに際立たせる結果になり、ちょっぴり一抹の滑稽さがなぜか苦笑を誘った。

しかも、さらに言えばこの三文字をいまや古風の中国語として読めば、さらに一つとんでもない距離が出来てしまう。というのは「観」とは道教の廟の別名だ。まったく同じ文字の組み合わせの名前は、いまなお時代小説などで頻繁に顔を覗かせる。中国語しか分からない観光客なら、この看板を見てついつい近所にりっぱな建物があるに違いないと勘違いするのではないかと、別の空想が飛びはじまった。

2012年1月1日日曜日

景福宮の石龍

謹賀新年。

辰年を迎えるほんの数日まえ、久しぶりにソウルを訪ねることにした。観光バスに乗って、ソウル市内の中心地にたしかに入ったと自信を持てたころ、目に入ってきたのは、いかにも韓国の風情を感じさせる石像であった。どう見ても中国の、そして日本のそれとは違う。地図で場所を確認して、改めて訪ねた。なんのことはない、ソウルではトップの観光地である景福宮である。

111231あらためて見れば、石像の「韓国らしい」ということの印象は、どうやらその風化のされ方、風化の具合に由来するかもしれない。古い石像となれば、中国ならその一部が抜ける(時にはその一部とはまさに頭だったりして)、日本なら信者の手ですり減られる、と指摘することができれば、韓国のそれは、石像全体が満遍なく年輪が刻まれ、輪郭が残らないぐらい丸くなり、しかも石の表面には風化という表現しか当たらない小さな穴が出来上がるものだ。このような結果とは、はたしてどこから来たのだろうか。使用される石材、長い冬を伴う厳しい気候、はたまた最初から突き出した部分などを避ける丸みのある輪郭が好まれるという彫刻造形のスタイル、はたしてどの推測が当たるのだろうか。いうまでもなくあくまでも風来坊的な一見さんの素朴な観察にすぎず、じっくり読書したりして、答えを求めなくてはならない。

新しい一年の干支である龍、いうまでもなく韓国もまったく同じ伝統を共有している。はたして景福宮の裏に位置する民俗博物館には、龍をテーマにする特別展示が設けられている。こじんまりしたスペースの中には、いかにも美術館らしい周到な目配りがなされて、拓本、絵画、衣服、そして陶磁器や調度などに施されたさまざまな龍の姿が一堂に集まった。温かい雰囲気の中、一足早く新年を迎えた気分にふと包まれた。