2021年3月27日土曜日

YouTube字幕、続き

今週伝わってきた話題の一つには、近畿大学中央図書館が主催するバーチャル貴重書展というのがあった。タイトルは「いにしえの書物」。美術館さながらの夢のような展示空間が設けられ、貴重書について文字や音声による説明、そしてデジタル化された作品全体へのアクセスが用意され、快適な環境だった。

展示の紹介は、短いビデオの形を取り、YouTubeの特設チャンネルで公開している。そこで、ビデオを眺めているうちに、字幕のボタンに気づき、なにげなくクリックしてみると、その内容の不十分さに驚き、少なからずの混乱や戸惑いを感じさせられた。少しでも手伝ってあげようと一瞬思ったが、調べてみれば、第三者による字幕の作成あるいは訂正の機能は、少し前までは提供されていたのだが、利用者が少ないとの理由で数ヶ月前に取り除かれた。今はビデオを制作、公開した作者しかそれができない。ここまで丁寧に制作した内容が、字幕によってその完成度が大きく問われたのは、もったいなくて、残念としか言いようがない。

YouTube字幕のボタンは、「CC」、Closed Captionという言葉だ。もともと自動生成されたもので、正確さを求めるものではなく、あくまでも「近いキャプション」に過ぎない。用意された利用方法や作成のプロセスからは、YouTubeが目指した少しずつ進化するという思いを見て取れる。いわばGoogle文化のひとつだ。この方針をきちんと理解した上で対応し、利用を工夫しなければならない。

いにしえの書物

2021年3月20日土曜日

YouTube字幕

朗読動画「徒然草」の公開を週三作という形で続けている。色々なコメントが戻ってきたが、文章は耳で聞いてもよく分からないという声が複数あった。考えてみれば、兼好の書き方には表現に凝ったところがあって、たとえ読んでいてもスムーズに頭に入らないところはたしかに少なくない。

そこへYouTubeが提供している色々な機能を見比べると、字幕という項目に気づいた。これまで字幕つきの動画にはたしかによく出会う。自動で生成されたものだろうが、動画提供者として一度編集のため手入れすることができるはずだ。調べてみると、たしかにその通り、作り方がいたって簡単で、早速試してみた。もともと対象は古典の朗読、日本語の古文となるとほとんどもうひとつの言語だと言っても過言ではない。自動生成にはちょっぴり難題だと予想した。だが実際にやってみると、意外と出来が良かった。トータルで七割程度の正答が出ている。使いやすい編集画面であれこれと整理したり、妙な間違いを直したりするそのプロセスも楽しく、何よりも出来上がった結果は素晴らしい。とりあえず先週分の三作には字幕がついた。是非覗いてみてください。

字幕の作り方そのものを簡単にスクリーンを記録して短い動画を作った。あくまでも私的な備忘に取っておきたい。あるいは同じ関心を持つ方に何かと参考になるだろうから、ここにリンクを貼っておく。

デジタル小ワザ:YouTube、字幕の作り方
朗読動画「徒然草」

2021年3月13日土曜日

テキストレイヤー

ここ数日、いくつかのプロジェクトに同時に取り掛かり、相変わらずビデオの編集にそれなりの時間を費やした。あれこれと予定を仕上げて楽しく思う一方、ときには不意に挫折し、遠回りをさせられてしまう。その中の一つの小さな経緯を記しておこう。

Adobe Premiereを使っての動画作成にあたり、テンプレートを纏め、同じ様式のものを複数に作る作業をしている。その中で、画像の上にテキストのレイヤーを用意し、作品ごとに文字の一部だけを変えるようにしている。そこですでに数十回も使ったテンプレートを開いたら、テキスト編集が出来なくなった。文字のところをクリックしても新しいテキストの枠が加わるだけで、既存の文字を変えることはできない。そこから彷徨いが始まった。新しいレイヤーを作っても一度入力した文字を変えられずに同じ結果だし、マニュアルや説明ビデオなどを調べても答えが出てこない。時間だけ無駄に過ぎてしまい、なにをやって埒が上がらない。デジタル作業で壁にぶつかるときの定番だが、そもそも聞いたら教えてくれる頼りのリソースが存在しない。こうなったら、とにかく辛抱強くいろいろなところをクリックして試し、解決にならなければ一つまえの状態に戻す。その繰り返しだった。結果としては、さいわい数時間のあと解決法にたどり着いた。レイヤーに関連するメニューの中に「Add Marker」という一項があり、それを選んだら文字編集がまるであたりまえのように可能になった。泥沼から抜け出した思いだった。

いまでもこの「Marker」の理屈がよく分からない。解説の資料はかなり存在しているもようだ。今度は時間を作ってじっくり調べてみよう。それまでには、とりあえず目の前の問題が解決され、しばらく放置しておく。このような対応もデジタルならではの流儀になった。おもえばこのような苦労や対応法をなにかの形できちんと記録しておかなければならない。

2021年3月6日土曜日

古典朗読

古典の名作に朗読された音声を通して接する、とりわけデジタル環境の発展にともない、これが多くの関心をあつめている。そこで、コンテンツ制作になれば、プロの人に読ませたいということがまるで当然のように期待され、待たれる。

著作権などの周辺要素と考え合わせれば、たしかにかなりの内容が積み重ねられていてもおかしくない。このような狙いをもって探したら、わくわくさせてくれるものはたしかにあった。無料で手軽にアクセスできるものとしては、まずつぎの二つがあげられよう。一つは「10min. ボックス 古文・漢文」、もう一つはNHKの「古典講読」。前者は十九の作品の抜粋をいずれも10分という枠に閉じ込め、後者は専門家による古典解説のラジオ番組で、そのハイライトとして段落の朗読をふんだんに取り入れ、取り上げた作品も王朝日記、説話や随筆、御伽草子、はてはコロナをキーワード持ち出したものさえあった。公開もととして、前者はNHK放送局による特設ページ、後者はYouTubeのチャンネルの形を取るが、2014年公開とあって、公開者の明記が見当たらない。チャンネル画像などからは放送局の公式サイトとは思えず、熱心な視聴者がラジオ放送などから録音して公開したのだろうか。

聞き心地の良い朗読を無心に楽しみながら、つい「プロ」ということの意味を改めて思い返した。アナウンサということで、音声のプロと言えばその通りだ。ただそれがはたして古典のプロを意味するだろうか。古典の声というものを追及しようとすれば、いまや能や狂言の節回しや言い方に遡るのが精一杯だろう。それに頼って古典を朗読すべきだとも思わない。多様多彩な古典の名作は、あるいはさまざまな声によって読まれるべきかもしれない。音声のプロもさることながら、古典の愛好者、学習者、極端な場合だとたどたどしい子供の声まで、読まれたのを聞きたい。あえていえば、個人的にささやかな朗読を続けてきた理由の一端もここにある。