2009年9月26日土曜日

三次元画像の誘惑

デジタル処理とは、広い意味を持ち、しかもその意味が日を追って変わり続ける。古典の画像資料を対象としたそれは、したがってただ記録の媒体を在来の紙あるいはフィルムに取り代わってメモリー・ディスクを持ち出したには限らない。画像をスクリーンやモニターに映し出すのと同時に、人々はさまざまなかつて存在しなかったものに挑戦する。

その中の一つは、いわゆる三次元画像だ。代表的なテーマは、あの洛中洛外図が挙げられる。作品群の形をなす大きな数の名品の作成と伝存、実際の都市景観との対応、いまなお人々の生活が行われつづける時間の連続など、さまざまな要素が重なり、このような試みへの期待が明らかに感じられる。関西地域で生活していれば頻繁にそのような研究の進歩を時の話題として接することができる。たとえば日文研ではすでに十年以上前からこれを課題として取り掛かり、半年ほど前には、立命館大学動体計測研究会主催の研究成果報告会も行われた。

考えて見れば、目の前にある様子をこれから撮影しようと思っても、それを三次元のものとして仕上げるためには、特別な工夫を施さなければならない。突き詰めて言えば、二次元画像以上の情報を取り込まなければ、三次元画像にはならない。そもそも絵師の構想を経た、その腕前によって大きく左右された二次元の画像を三次元のものすることは、その根底においてかなりの無理が存在していよう。ただし、そのようなことを嘆いたり、不可能だと諦めたりばかりするのは、芸がない。そもそも人間の飽きない知的な願望がこれを支えている。不可能なものに誘惑を感じているからこそ、新たな可能性が隠されているものであろう。

090926あるいは一ヶ月ほど前に発売された一つの小さな新製品がヒントを示しているかもしれない。三次元写真を撮る、見せるデジタルカメラだ。レンズ二つのカメラなら、ずいぶん昔からあれこれとあったが、それがついにデジタル装置として生まれ変わり、しかもその気さえあればだれでも手に入れられるまで身近なものとなった。デジタルという保存と処理の手軽さ、画質の精密さ、ディスプレーなどの周辺装置との連動など、まさにわくわくさせるような道具の進歩である。現実生活の中で、新しいタイプの画像としてビジュアルの情報を記録し、使用し、それを楽しむということを通じて、新たな期待や習慣が身に付けるようになる。まさにその過程で古典画像を立体的に見る、見せることが現実性を帯びてくるのではなかろうかと、想像したい。

2009年9月19日土曜日

ローマ字はモノグラム

前回に引き続き花押のことを考えてみたい。今度は英語圏に目を向けてみる。そこにも文字と絵との交差というものはもちろん存在している。漢字は花押なら、ローマ字はモノグラム(monogram)だ。

北米で生活していると、日常の中で日本のと違う作法あるいはスタイルをあげるとすれば、そのトップに個人の署名が上げられるだろう。印鑑というものはほぼ存在せず、その代わり署名というのは、仕事の場に限らず、クレジットカードでの買い物などでも頻繁に要求される。最近になって、署名用電子パットを用いるような業種まで多く見られるようになった。自分の署名の書き方を思い巡らし、あれこれと試して見るという経験はいまでも記憶に新しく、成人に向かう若者たちの模索をじかに見つめたことも一度や二度ではない。

090919しかしながら、そのような署名の文化において、モノグラム はだいぶ異なる役目を果たしている。あえて言えば、漢字圏で署名そのもののために発達してきた花押と違って、モノグラムは、おなじく文字を用いて絵的な構図を作り上げていても、実際の役目は、むしろロゴの一種だ。頭文字などを視覚的な効果を狙って丁寧に組み合わせ、洗練された構図に仕上げるる。一方では、それは集団や個人のシンボルになっていても、実際に関わったことの証明としての署名にはさほど使われていない。実際に生活の中で見かけるのは、バッグなどの商品のデザイン、野球球団のロゴなどがすぐに思い起こされるものぐらいだ。

ちなみに日本での生活風景の中ですぐに思いつくのは、JRということではなかろうか。英語圏の文化で言えば、それは「リガチュア(Ligature、合字)」と言い、さらに違うカテゴリーに分類されるものだ。

2009年9月12日土曜日

花押と画押

文字は、それ自体一つのビジュアル的な表現媒体でもある。現代の生活においてこそ、教育基準やらパソコンにおける文字コードやフォントセットやらという過程を経て、文字の同性化がすさまじいスピードで進み、文字のビジュアル的な特性は、わずかに書道などの場において認められるぐらいだ。一方では、歴史的な文化伝統において文字と絵との交差、言い換えれば文字でありながらも絵的な要素を限りなく必要としたものと言えば、おそらくまず「花押」を挙げるべきだろう。

花押という言葉は、最初は日本語の単語として覚えた。とりわけ武士のそれなどを眺めて、言葉とそれが指し示す対象と時代の中における位相など、一つの中世文化のセットとして習い、理解していた。それが唐や宋の文献や詩・詞に頻繁に登場し、りっぱな中国語だと気づいたのは、だいぶ後のことだった。もともとかなり近代まで使われていた言葉には、「画押」がある。発音が近くても、こちらのほうは動詞であり、自分の名前を意味する「押」を紙に「描(画)く」ということになる。しかもあの魯迅の小説に登場した阿Qという人物のエピソードに代表されたように、文字を上手く書けなくて、やむをえず自分の名前の代わりに、時にはなんでも良いから勝手に書いたものというニュアンスまで加わった。

090912中国の歴史上、広く語られた花押としては、宋の徽宗皇帝のものがある。筆の数がきわめて少なく、単純な構成を取っているが、間違いなく考え抜かれて、洗練されたものだ。あわせて四本の横・縦の線が示したのは、「天下一人」という四つの文字だ。二番目の横線が三つの文字に計三回使われたという計算になる。まさに天下人の花押だから、その背後に隠された政治的、文化的な威厳も無言に伝わって重い。

ならば、花押と文字との一番の違いはどこに存在するのだろうか。答えが明瞭だろう。万人共通、天下に通用するという文字と違い、花押はあくまでも一人の人間についての情報であり、その人間が関わりをもつ範囲にのみ使用され、機能されるものだ。その意味では、皇帝も武士の将軍も、権勢を持っている間は、天下と同一視され、その花押も万人に知られるとの理屈になるが、それが時代の移り変わりと共に淘汰され、忘れられてしまう。すなわち、特定の人間のことが分からなければ、その人の花押とはそもそも意味を成さないものだ。花押を読み解き、識別することの難解さも、なっとく出来る感じだ。

2009年9月5日土曜日

絵巻から飛び出したパオ

目的もなくインターネットのリンクをあれこれとクリックしているうちに、右の写真(上半分)にたどり着いた。中国の辺地を旅行する愛好家が撮ったスナップ写真だが、いつかどこかで見たことがあるような原風景で、はっと心が打たれた。

写真に写ったのは、あの万里の長城の西の端っこなる嘉峪関にある観光地の一角である。「天下第一墩」という名前で知られているもので、長城のスタート地点としてのシンボル的なものだ。「墩」とは日本語で使われていない文字だが、現代中国語ではかなり使用頻度の高いもので、ここでは土を盛り上げた台、建物の土台といったぐらいの意味を持つ。明の時代に修築した長城の土台が昔の姿をほとんど消えた形の遺跡となり、古戦場の面影を覗かせている。そこで、長城とのゆかりから、新たに復元された軍隊の駐屯地が一つのテーマ区域となり、写真に収めたものだった。

答えはすぐに思いついた。この風景の既視感は、あの絵巻の画面からくるものだった。「胡笳十八拍図」である。写真と対照して、絵巻から一つの画面から小さな一部分を取り出して、観光写真と並べた。匈奴に攫われた蔡文姫という女性が主人公を描くものだが、画面に小さく描かれたのは文姫自身ではなくて、彼女の侍女の一人だったと思われる。建物を比較すれば、絵巻に描かれた移動的なものと復元建築の半永久的なスタイル、それから規模にも使用される材料にも、多くの違いが認められよう。しかしながら、カメラアングルも関わって、なぜか両者がはっきりと繋がり、遠くにある異域や過ぎ去った古代のことに思いを馳せてしみじみとさせてくれた。

復元の建物はなにを根拠にしたのだろうか。もともと宋の絵巻など参照の対象には上らなかったのではなかろうか。そんなに昔の資料に遡らなくても、近代の記録、それになんらかの建物の実物などで十分に用を満たすことができるに違いない。いずれにしても、復元建物を捉えた観光写真のおかげで、ひさしぶりに絵巻の画面を眺め、思いに耽るひと時を得た。

2009年9月1日火曜日

デジタル時代の絵巻研究に寄せて

中世文学会創設五十周年の記念シンポジウムにおいて、二人のパネリストがともに三十年前に刊行された「日本絵巻大成」に触れて、絵巻研究に及ぼした影響を振り返った(『中世文学研究は日本文化を解明できるか』笠間書院、二〇〇六年)。フルカラー、フルサイズの出版が絵巻を研究者の書斎にもたらしたとすれば、日進月歩のデジタル技術はまさにつぎのステージを作り出した。時代の変わり目に巡り合い、そのインパクトの大きさは誰もが身に沁みて感じている。

まず具体的な話から始めよう。いわゆる奈良絵本・絵巻という作品群を印刷された出版物だけで読むなら、今でも三十年前の絵巻の状況と大して違わない。文字テキストが翻刻されるが、作品全点をカラーで読むということはなかなか難しい。膨大な分量の異本も手伝って、それがすべて印刷されることはほとんど不可能に近い。しかしながらインターネットに目を転じれば事情が一変する。現在公開されている画像だけでもじつに一万五千枚以上に上り、しかもすさまじいスピードで増え続けている。画像の平均的なサイズや画質はたいていの出版物に比べて勝るとも劣らない。新たな印刷出版がなくても、この資料群をめぐる研究環境がすでにある程度整ったとさえ言える。

デジタル環境の担い手たちはどのような形でデジタル資料を作ってきたのだろうか。絵巻・絵本のオンライン公開という分野に限って考えれば、およそつぎの三つの流れが指摘できるのではなかろうか。一つ目はその機関の所蔵をデジタルに撮影してオンラインで公開するものである。図書館の蔵書を宣伝し、利用に便宜を提供することが最初の目的であった。中でも京都大学付属図書館はかなり早い時期からそれを実行し、国宝級のものを含む一流の資料を初めてパソコンで眺めたときの感動はいまでも記憶に新しい。二つ目は公立、私立の博物館、美術館である。館内利用のカタログをオンラインに公開し、撮影済みのフイルムを再利用するのが一つの形態である。とりわけ東京国立博物館の場合、目指すタイトルをピンポイントで調べる以外、画像データの全容を簡単に掴めきれないほど膨大な分量である。三つ目は外部の所蔵者との協力である。デジタル公開には専門的なサポートなどが必要であり、すべての所蔵者が公開する技術、あるいはそうする優先順位を備えているわけではない。世界の、そして地域の宝蔵をデジタル化し続ける「世界のデジタル奈良絵本データベース」(慶応義塾大学)、「奈良地域関連資料画像データベース」(奈良女子大学)の貢献は計り知れない。(ブログ「絵巻三昧」参照)

一方、一人の研究者として、絵巻をめぐるデジタル環境にどのようなことを期待するのだろうか。三つのことを記しておきたい。

まずは、サーチエンジンがインターネットの鍵となるように、デジタル画像の現状を把握するツールが一番の課題だ。すでに個人運営の目録サイトがいくつか現われているが、それぞれ限界があって、組織的な取り組みが必要だ。そのあり方として「JAIRO」(国立情報学研究所)が一つの参考になるだろう。論文目録といった作業の延長ではなく、オンラインリソースの集合と集積利用の実現だ。動的に現状を捉え、さらに画像のサムネイルや最小限の文字データの追加が望ましい。

すでに公開されたものは学術研究に積極的に関わりをもつべきだ。いうまでもなくデジタルによる蔵書展示やカタログ提供は、それだけでも非常にありがたい。しかしながらそのような公開と学術利用との間にいまだ隔たりがあり、しかもそれを意図的に作り出す傾向さえある。たいていのデジタル公開は引用禁止を原則とし、申し込みがあれば許可するという形で使用申請を要求する。その逆の対応、すなわち研究者の利用を歓迎し、明確なタイトルや作成日付などの関連データ、内容変更をしないとの約束を明記して引用を可能かつ簡単にすることができないのだろうか。データの悪用を心配する声がすぐ聞こえるが、まれなはずの悪用を退治するのではなく、それを恐れるがためにあるべき利用を妨げてしまっては、代償があまりにも大きい。

デジタル環境の創出において、異なる分野間の交流や協力が大事だ。新たな技術、データのあり方やその理想像に対する関心、常識と希望のぶっつけあいこそ一番建設的だ。さらに知識や情報を載せる新らしい媒体を作成するに当たり、業績ある研究者だけではなく、大学院生などの学習者たちも参加すべきであり、しかも彼らにも重要な役割があるはずだ。そのような仕組みを積極的に作り上げなければならない。

新らしいデジタル時代において、われわれはいまや選ばれたタイトルを書斎にではなく、数多くのコレクションをまるごと自分の机の上に据えられるようになった。しかしながら環境が目まぐるしく変わっていても、研究をするのは研究者だ。どんなデジタルリソースが現われてきても、答えが自然に分かるようなマジックは起こらない。われわれにできることは、先入観を持たないで環境を見つめ、新たなツールを使いこなせるように努力するぐらいだ。その上、ツールそのものの進化にも寄与できればなおさら良い。
『文学』岩波書店
2009年9月、228-229頁