2009年9月1日火曜日

デジタル時代の絵巻研究に寄せて

中世文学会創設五十周年の記念シンポジウムにおいて、二人のパネリストがともに三十年前に刊行された「日本絵巻大成」に触れて、絵巻研究に及ぼした影響を振り返った(『中世文学研究は日本文化を解明できるか』笠間書院、二〇〇六年)。フルカラー、フルサイズの出版が絵巻を研究者の書斎にもたらしたとすれば、日進月歩のデジタル技術はまさにつぎのステージを作り出した。時代の変わり目に巡り合い、そのインパクトの大きさは誰もが身に沁みて感じている。

まず具体的な話から始めよう。いわゆる奈良絵本・絵巻という作品群を印刷された出版物だけで読むなら、今でも三十年前の絵巻の状況と大して違わない。文字テキストが翻刻されるが、作品全点をカラーで読むということはなかなか難しい。膨大な分量の異本も手伝って、それがすべて印刷されることはほとんど不可能に近い。しかしながらインターネットに目を転じれば事情が一変する。現在公開されている画像だけでもじつに一万五千枚以上に上り、しかもすさまじいスピードで増え続けている。画像の平均的なサイズや画質はたいていの出版物に比べて勝るとも劣らない。新たな印刷出版がなくても、この資料群をめぐる研究環境がすでにある程度整ったとさえ言える。

デジタル環境の担い手たちはどのような形でデジタル資料を作ってきたのだろうか。絵巻・絵本のオンライン公開という分野に限って考えれば、およそつぎの三つの流れが指摘できるのではなかろうか。一つ目はその機関の所蔵をデジタルに撮影してオンラインで公開するものである。図書館の蔵書を宣伝し、利用に便宜を提供することが最初の目的であった。中でも京都大学付属図書館はかなり早い時期からそれを実行し、国宝級のものを含む一流の資料を初めてパソコンで眺めたときの感動はいまでも記憶に新しい。二つ目は公立、私立の博物館、美術館である。館内利用のカタログをオンラインに公開し、撮影済みのフイルムを再利用するのが一つの形態である。とりわけ東京国立博物館の場合、目指すタイトルをピンポイントで調べる以外、画像データの全容を簡単に掴めきれないほど膨大な分量である。三つ目は外部の所蔵者との協力である。デジタル公開には専門的なサポートなどが必要であり、すべての所蔵者が公開する技術、あるいはそうする優先順位を備えているわけではない。世界の、そして地域の宝蔵をデジタル化し続ける「世界のデジタル奈良絵本データベース」(慶応義塾大学)、「奈良地域関連資料画像データベース」(奈良女子大学)の貢献は計り知れない。(ブログ「絵巻三昧」参照)

一方、一人の研究者として、絵巻をめぐるデジタル環境にどのようなことを期待するのだろうか。三つのことを記しておきたい。

まずは、サーチエンジンがインターネットの鍵となるように、デジタル画像の現状を把握するツールが一番の課題だ。すでに個人運営の目録サイトがいくつか現われているが、それぞれ限界があって、組織的な取り組みが必要だ。そのあり方として「JAIRO」(国立情報学研究所)が一つの参考になるだろう。論文目録といった作業の延長ではなく、オンラインリソースの集合と集積利用の実現だ。動的に現状を捉え、さらに画像のサムネイルや最小限の文字データの追加が望ましい。

すでに公開されたものは学術研究に積極的に関わりをもつべきだ。いうまでもなくデジタルによる蔵書展示やカタログ提供は、それだけでも非常にありがたい。しかしながらそのような公開と学術利用との間にいまだ隔たりがあり、しかもそれを意図的に作り出す傾向さえある。たいていのデジタル公開は引用禁止を原則とし、申し込みがあれば許可するという形で使用申請を要求する。その逆の対応、すなわち研究者の利用を歓迎し、明確なタイトルや作成日付などの関連データ、内容変更をしないとの約束を明記して引用を可能かつ簡単にすることができないのだろうか。データの悪用を心配する声がすぐ聞こえるが、まれなはずの悪用を退治するのではなく、それを恐れるがためにあるべき利用を妨げてしまっては、代償があまりにも大きい。

デジタル環境の創出において、異なる分野間の交流や協力が大事だ。新たな技術、データのあり方やその理想像に対する関心、常識と希望のぶっつけあいこそ一番建設的だ。さらに知識や情報を載せる新らしい媒体を作成するに当たり、業績ある研究者だけではなく、大学院生などの学習者たちも参加すべきであり、しかも彼らにも重要な役割があるはずだ。そのような仕組みを積極的に作り上げなければならない。

新らしいデジタル時代において、われわれはいまや選ばれたタイトルを書斎にではなく、数多くのコレクションをまるごと自分の机の上に据えられるようになった。しかしながら環境が目まぐるしく変わっていても、研究をするのは研究者だ。どんなデジタルリソースが現われてきても、答えが自然に分かるようなマジックは起こらない。われわれにできることは、先入観を持たないで環境を見つめ、新たなツールを使いこなせるように努力するぐらいだ。その上、ツールそのものの進化にも寄与できればなおさら良い。
『文学』岩波書店
2009年9月、228-229頁

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