2014年12月28日日曜日

ドリーム

年末にかけてささやかなバケーションを取った。言葉通りの休憩が目的なため、典型的な観光地を選び、あとはただなにかをするわけではなく、リラックスして時間を過ごした。その間の一つの愉しみは、舞台を見ることだった。今度見た中でとても印象に残ったのは、「ドリーム」というタイトルのものだった。

20141227劇場は、十数メートルの高さをもつ円形のホールで、2000人ぐらいの観客席が均等な円形をなす。席に着いて見下ろす劇場の中央は一面の水、やがてパフォーマンスの展開にしたがって中央には円形の台が水から上り出して舞台となり、水の中に消えて深さが計り知れないプールとなる。俳優たちは空中からロープに伝って登ったり降りたりして、立体的に舞台を構成し、ハイライトの一つには、ホールの頂上からプールの中に飛び込むものがあった。色鮮やかな服装、眩いライトや重厚な色彩、火炎やスモーク、それらが織りなす空間は、まさに幻想的なものだった。そこで、タイトルとなる「夢」である。色彩や音楽などは、十二分に現実離れした夢の世界を演出しているのだが、それでもストーリが必要だった。ただそれはじつに単純なものだった。普通の服装をした一人の少女がまっさきに登場し、ベンチに横になって眠りに入る。そしてさまざまな苦難や奮闘の果てに、その彼女が手に入れた夢というのは、白馬の王子よろしくと、一人の美男子が現われ、二人揃って空中へと登っていくというものだった。あっけないぐらい分かりやすい。

つきつめて言えば、舞台の内容は水上サーカスだった。ただし、難度の高い技の完成を見せ場としないのは、演出のミソだと言わなければならない。思えば、子供のころから「雑技」という名の舞台を数えきれないほど見てきた。だが、それらのすべての記憶を色あせさせたこの舞台は、まさにストーリを擁しながらの、視覚要素を総動員した演出にそのインパクトの秘密があったのだ。

2014年12月20日土曜日

プレゼント交換

大学での講義が終わって二週間経った。週末までにはようやく採点を終え、「D2L」という名の学内情報システムに学生の成績を記して提出し、今学期の授業関連の仕事はこれで完了ということになった。新学期は新年最初の週から始まり、それまでに短い冬休みに入る。

まわりはまさにクリスマス。さまざまな心暖かい行事は繰り広げられ、たとえばこのような一つがあった。クリスマスと言えば、友達も家族同士もプレゼントを交換する。そこで今年から就職した若者と雑談して、会社で用いられた一つの方法を教わった。20人そこそこの小さなグループの中で、全員平等にプレゼントを持ち寄って、交換するという定番である。普通に考えられるのは、一斉に出してランダムに選ぶ、あるいはもうすこし凝ったやり方で、もらってもらう相手を事前に抽選して決めておいて、その人のために最適のものを選んであげる、といったようなものがある。だがそこの会社はもうちょっとひとひねりを加えた。それはこのような内容である。まずはみんなで予算を決めておく。石油会社だが、今年の場合は20ドル。そこで人数分のプレゼントがラッピングされて集まったら、今度は「取り合い合戦」となる。最初の一人は一個取り出して、みんなの前でラッピングを開ける。中身が分かった状態でつぎの人は新しく一個取り出して開けるか、あるいは前の人のも20141220のを取り上げるかという選択ができる。手に入れたプレゼントを取り上げられたら、再び再スタートできる。これの繰り返しだ。すなわち最終の状態ではすべてのプレゼントの内容が分かり、かつ同僚全員はそれを少なくとも一回は選び、かつ選ばれるほど選ぶ機会が増える、という内容の「合戦」なのである。ちなみにどのような方法にせよ、プレゼント交換会のことを「シークレットサンダ」と呼び、予知しなかったサンダからのお土産をいただくという、ありがたいネーミングなのだ。

他愛もない日常であるが、その中で手の込んだルールを作り、これをみんなで夢中に愉しむ、はなはだ西洋的な光景の一つなのだ。

2014年12月13日土曜日

歴史フィクション

今年の秋学期はあっとという間に終わった。例年のようにコースの終了に合わせて学生たちにレポートを書かせている。限られた枚数で一つのテーマについて調べ、まとめるという大抵の講義に用いられている要求には学生たちもずいぶんと慣れていて、しかも現実的にはいくつかのコースのために似たことを集中的に取り掛かっている。そのような一種のマンネリ化を避ける意味もあって、歴史課題についてフィクションものを書いても良いとの要求を出した。さらに形式にも努めて新味を取り入れるようにと付け加えた。

これはやはり正解だった。さすがに今ごろの学生、発想も表現も自由自在、普通のレポートよりはるかに時間を使ったことが目に見えて分かる。集まってきたものには、形式から言えば、読み切り小説、描きおろし或いは写真にデジタル加工を加えた漫画、歴史人物を主人公にしたビデオ、おまけにオリジナルパソコンゲームまで二つ現れた。内容を見れば、アマテラス、公暁から、明智の家人、韓国出征の兵士など、じつに奇想天外。一番の傑作は、なんと自作の絵巻。その内容はクラスで読んだ今昔物語の一話。今昔のテキストをそのまま詞書とし、それに合わせてとてもセンスの良い絵を加えた。詞書は手書き字体での印刷、絵はオリジナルもの。絵巻というものをたくさん見ていないはずなのに、よくもそのリズムや絵のアプローチのコツをつかんだものだとただただ感心した。

ここまでの完成度のあるものだから、教師一人やクラス内だけではやはりなんとももったいない。なにかの方法でこれを公表すべきだ。これからの作業リストの一項目に入れておこう。

2014年12月6日土曜日

ショーウィンドウ

国文学研究資料館に行く最寄りのモノレール駅には、同館を紹介する小さなショーウィンドウが設けられている。丁寧に飾られていて、思わず足を止めて眺め、ついにカメラさえ取り出してスナップを撮った。

展示の主役は、古典の絵や文字である。それも陰影を付けたり、画像を切り出して立体的に見せたりして、楽しい工夫が施されている。その内容は、百人一首の色紙や王朝絵巻の詞書や絵、翻字がそえられて、古典の文字への知をそそっている。簡潔に用意されたパネルは、研究機関である資料館の紹介とともに、道順が示されて、駅に必要な近辺案内の役目を果たして唐突感を和らぐ。よく見つめていれば、限られた空間において、たとえば著名な研究者の紹介や研究成果の宣伝などは一切なく、あくまでも古典という世界への想起を促し、それをテーマにする研究活動が地道に行われているということを告知している。もっぱら国の予算をもって運用して機関だという性格からすれば、とても良心的で良識的なものだ。一方では、たまにしか訪ねて来ない研究者たちも大勢ここを通りすぎていく。自分もその中の一人だが、自明でいて追求をつねに必要としている世界も、一歩外に出てしまえば、普通の人々の目にはこのように映るものだと、あたらめて知らされ、思わず襟を正す思いがした。

同じ駅を起点に、さらに国語、極地などを対象にする研究所が建っている。きっと代わり代わりにこのスペースを使っているに違いないと推測している。はたしてどれも似たようなアプローチを取っているのだろうか。
20141206

2014年12月1日月曜日

初冬の東京

国際研究集会に招かれ、この週末、東京に滞在している。厳しいスケジュール覚悟で弾丸旅行をし、さまざまな会話や新たな知との出会いにわくわくしながらの三日となった。今度は運悪く飛行機の機械故障に巻き込まれ、まるまる8時間も予定より遅く到着し、しかも飛び立った空港に逆戻りをさせられ、消防車の出迎えを受けるというまったくめでたくないハプニングに見舞われた。いうまでもなく無事に済んだあと、すべて楽しい会話の種と化した。

20141201東京は半年ぶり。初冬の街並みを見たのは、もうすこし前のことだったが、それでもそんなに昔のことではない。激しく移り変わる日々ではあるが、大きな変化は何一つないとも言える。雪に包まれた町からやってきたら、きちんと緑色を見せている芝生や葉っぱにはやはり感激してしまう。紅葉や黄葉を見せる並木も残り、季節の移り変わりをあらためて知らされる。時差で朝は余計に早い。街角に出かけてみれば、忙しく動き回る配達の車や丁寧に歩道を清掃するふつうの住民の姿は相重なり、昼や夜のにぎやかを思い浮かべれば、まるで舞台裏を覗いている思いだ。人々の会話はあくまでも静かで落ち着いていて、他人への思いやりを礼儀としている。昼にでもなれば、まわりの様子は一変する。とりわけ若者に目を向ければ、週末になっていることもあるだろうが、派手やかに着飾って町を闊歩する女の子が目を惹く。なかには友達とそろって黒い文字を頬に刺青スタイルで大きく描いている。文字の意味は読み取れず、いつからの流行なのか分からないが、なにかのファンクラブだとすれば効果的な出で立ちだと言えなくもない。夜が深ければ男女のカップルの姿が目立つ。なかには明らかに未成年の若者は、学校制服のまま手を握りあって颯爽と駅を横切る。対して、人々が慎重に避けて歩いている道端には、反吐が散らかされ、しかもその中に一本のネクタイが捨てられることは、妙に真剣な苦しみを訴えている。

日本の文化を教えるクラスでは、毎回の初頭に日本からの写真を見せて、なんらかの日常を説明することが定番になっている。これらの風景は、考えてみれば最高の教材だ。写真をさっそく整理して、つぎのクラスに持ち出そう。はたしてどのような印象として学生たちの記憶に残るだろうか。

第38回国際日本文学研究集会