2018年12月29日土曜日

バチカンの階段

休暇が終わり、予定通りに帰宅した。今度はローマをゆっくり歩きまわった。限られたものだが、地元の人々との会話まで楽しめた。アイスショーを終えたばかりでコスチュームのまま家族食事に加わった小学生、自慢そうに動画を見せてくれたそのお祖父さん、十代なかばから仕事をはじめたと誇りに語ってくれた電力会社の社員、公文書英訳資格を持っていると自慢し、熱心に通訳をしてくれた若い女性、なぜかみんな一様にはにかみながらも熱心に話しかけてくれて、なんとも心地よかった。

観光客としてのローマは、じつは二回目。前回訪ねたのは、数えてすでに32年まえのことになった。千年単位の歴史を自慢にするローマは、昔のままだ。バチカンの眺めをまったく同じ角度からカメラに収めることができた。有数の国際観光都市の名にふさわしく、整備されたスポットがさらに増えたらしく、ところどころまるで考古現場さながらの街づくりになっている。ローマ時代の建造物は、聳え立つ大理石の柱やどっしりした赤レンガ作りの壁などに象徴され、しかも悠長な歴史の中でさまざまな姿で利用されてきた。それらをめぐる簡単な紹介を読むだけでも言いようのない魅力に惹きつけられる。思えば中国や日本では簡単に目に入らない風景だった。

バチカン教会のドームは観光客に開放されている。有料のエレベータでドームの底辺まで上がり、そこからさらに165階の階段を辿ってドームの頂上まで登る。数珠繋ぎの観光客の大群が少なくとも過去30年以上毎日のように続いたことを思えば、ドームの頑丈な作りに驚歎せざるをえない。一方では、あの狭くて、一方通行の、先が見えない階段をよじ登った30年まえの苦労は、いくら記憶を探っても出てこない。それぐらいのことは覚えることだに値しなかったという事実に気づかされて、はっと思い返した。

2018年12月21日金曜日

言葉の分からない土地へ

スペインはバルセロナ、訪ねる機会のとても少ない土地だ。そこへ観光客としてはじめて足を踏み入れた。超高速で回ったのは、教会二つと地元の人々も溢れる繁華街のみだった。温暖な冬の日差し、石造りの建物群、充実していて平穏な顔、なんとなくなじみを感じる道端の食べ物の露店、どれを取り上げてみても、素敵な印象ばかりだった。

しかしながら、言葉はとにかくまったく理解できない。バスツアーに参加したが、そのガイドさんはなんと英語話者とフランス語話者を半々で構成したグループを引き連れ、すべての説明を二つの言語で平等にしゃべりまくった。さすがに多文化、多言語のところで、人間の言語能力も普通では考えられないと、小さな文化交流の縮図を見た思いだった。ただ、正直なところ、話された英語は半分ぐらいしか伝わらなかった。こうなると、現代的なツールを持ち出したくなる。スマホなどに入っている機械翻訳だ。街角の看板にカメラを向けたり、音声入力で片言の言葉を翻訳して相手に聞かせたりした。結論から言えば、単語レベルなら九割、文章なら半分程度使える、といったところだろうか。あとは想像で補い、あるいは会話の進行の中ですこしずつ修正しながら、正答(と思われるもの)に接近するしかない。

日本語がまったく分からない人が新宿の街角に立たされたときの困惑はよく話題になる。そのような気持ちにはすこし接近できたような気がした。来る春もまた二十名からなる学生のグループを東京に連れて行くことにっている。思えば得難いイメージトレーニングになった。

2018年12月15日土曜日

犬ヶ島

いつも感じるが、空飛ぶ飛行機の中なら別の時間が流れる。映画を取り出してみても、映画館に入ることはたいていの人より多いほうだが、どんなにユニークなポスターでも意表を衝く解説でも心を動かされないものでも、機内だったら思わず飛びつき、しかも我を忘れて終わりまで見てしまう。年末の休暇で飛行機に乗った今日も、日本映画二本を堪能した。とりわけ「犬ヶ島」が印象に残った。

映画のストーリーは定番で分かりやすくて、とりわけ書き立てることはない。それよりも見る人の心を掴んだのは、なんといっても味わいのある絵だった。「浮世絵スタイル」とでも言うべきだろうか、とにかく誇張した構図や色使い、ときには大胆な中間色オンリーの画面、ここまでできるのかと唸らせてしまう。デフォルメで、笑ってしまうことを通り超して、感心させられた。一例として右の画面を眺めよう。予告編に収められたものである。ぱっと見て、いかにも日本風景の代表となる銭湯だと分かる。なぜ銭湯なのかは、ストーリでの必然性はまったくない。銭湯といえばスタイル壁に描かれる絵。富士山のはずだが、ここではそれを連想させても、形も色もほど遠く、わずかなヒントに留まる。しかしながらその絵を見詰めてみれば、五重塔やら、桜やら、滝やら、丸橋やら、日本的な要素はこれでもかと詰め込まれてしまう。その中に数えきれない犬たちが充満し、主人公犬の顔が空中に浮かんでいて、こちらは物語の世界だ。どこまでも饒舌でいて、加えて湯舟の小さいサイズや関係者の超越した視線は微笑ましい。絵の中の山の形や独特な紺色は、「玄奘三蔵絵」から拝借されたものだと推測したら、穿ちすぎだろうか。同じような画面はいたるところに用意される。毒わさび入りの寿司捌きの場面も、可能ならば何回も繰り返し見たい。

エジプトやギリシアの古代絵画が現代の映画などに利用されているが、日本の絵巻はさほど振り向かわれないと議論したことがある(「動画とアニメ」)。あるいはこの映画に見たようなビジュアル伝統の伝承やそれへのリスペクトは、これまた違う使い方が開発されたと宣言できるかもしれない。

2018年12月8日土曜日

英語案内

今学期の授業は金曜日をもって最終日となった。今年も日本歴史を担当したが、毎回の最初の数分間、身の回りの話題を取り出して雑談することにしていた。英語のみという前提なので、キーワードも英語で提供しなければならない。たとえば数日まえに取り上げたのは「なまはげ」、新聞記事などを引っ張り出して英訳を探ってみたが、その中の一つは、なんと「Kid-scaring Namahage 」(子供泣かせなまはげ)だった。

日本のことを英語で伝える、ときどきこの単純な作業は予想以上に難しい。これもしばらく前の出来事である。自分と同年代のとある同僚が思い立って夫婦で日本旅行を敢行してきた。ゆっくりおみやげ話を聞かせてもらい、大都会なら英語看板がいたるところにあって、さほど苦労することもなかろうと話を振ったら、意外な答えが戻ってきた。いわく、たしかに英語が目に飛び込んでくるが、日本の英語は、文法には打ちどころがなくて、分りづらい、とか。不思議に思って実例を問い質したら、このようなものがあった。観光地の案内は、部屋のことをめぐりマットの数が羅列されて奇妙だった。部屋の広さを伝えようとして畳を用いた説明がそのまま英語になったと解説したら、謎が解けたように納得してくれた。同じ同僚は、東ヨーロッパの言語を中心に何カ国語も操り、どこまでも学者肌の、読書にかけては人一倍の自負を持っている人間で、それでも伝わらないとなれば、やはり考えさせられてしまう。

ちなみに、日本初体験のこの同僚だが、日本で食べる西洋風のお菓子は美味しいが、和菓子の色や甘さには共感できないと素直に告げてくれた。ただ、意外とうどんに嵌り、戻ってきたらスーパーで購入して満喫している、とか。

2018年12月1日土曜日

動画作品更新

一年ほどまえ、「Old Japan Redux」というウェブサイトを作成し、その前の秋学期に教えたクラスからの優秀作品を集めて公開した(「二つのビデオサイト」)。同じクラスには、今年も同じ作業を課し、あわせて七つの作品を選び、それに日本からの一作を加えて、同サイトを更新した。

今年も良い作品が集まった。内容を見ても、埴輪、万葉仮名から義経、信長、そして浮世絵と、多種多彩なものがあった。同じクラスで気づいたこととして、日本の人名、地名が正しく発音できないことを数週間前に触れた(「「イド」の苦悩」)。言い換えれば、日本からかなり遠い距離に身を置き、日本をめぐる知識がきわめて限定されながらも、動画作品に結集されたそのような若者たちの学習意欲、学習成果、そして表現力には、脱帽せざるをえない。あらためて言うまでもないが、クラスを担当している教師として、動画に到達する表現
の方法を教えたわけではなく、あくまでも記録、発表の場を作成しているにすぎない。あえて言えば、そのような成果を引き出すように基礎を伝え、奮闘を仕向けた。そのような溌剌した才能に羨望の眼差しを向け、第一読者になりえたことを自慢にしているのがむしろ本音に近い。

このような作業の成果をなにをもって図るべきだろうか。去年公開の作品のうち、閲覧数の一番多いのは、994と出ている。微々たる数字だが、閲覧者の視線を想像すれば、誇りに思いたい。

Old Japan Redux

2018年11月24日土曜日

女小学

親交の同僚は、伝来の一冊「女小学」を大切にしている。先日、それを貸してもらい、じっくりと拝見することができた。出版年記を見ると、宝暦十三年。数えてみればすでに250年もの年月を持つ。すっかり読み込まれているが、保存状態は驚くぐらい良く、木版印刷の技術の高さ、そして紙媒体の強さをあらためて感嘆させられた。

調べてみると、弘前図書館は同じものを所蔵し、しかもそれが新日本古典籍総合データベースにおいてIIIF基準で公開されている。電子画像と読み比べ、まったく同じ版のものだと知る。ただカバーの書名は手書きによるもので、熟練した筆捌きで扉ページに摺られた文字を模写している。「小学」というのは、いわば女性の教養としての、身近ですぐに役立つような学問を指す。しかしながら少なくともこの一冊においては、とてもそう簡単に捉えきれるものではない。古典から抜き出された故事や和歌、伝統につながる楽器や調度、冠婚葬祭にかかわる生活の仕来りや知恵、どれも洗練されていて、さながら小型の百科事典そのものだった。

ふんだんに用いられた挿絵などを眺めていて、時間を忘れて見入ってしまった。学生だったころ、「便覧」「必携」「図説」とタイトルに付く書籍にいつも日本らしいものを感じていた。思えばビジュアル的に美しくレイアウトされた出版文化は、江戸時代の木版印刷にその土台が形作られた考えたい。

最初の一編は、貝合せの由来。見開きで記されたものの前半の文字を書き出してみよう。デジタル公開されたもの(4コマ目)にあわせて「女小学」の雰囲気を味わってください。

蛤合之記
村上天皇の御宇、源の右大臣高明と申は醍醐帝の御子にて、才学すぐれさせ給ふゆへ左大臣と成給ふ。西の宮の大臣と世にかしづきたてまつり、時めき給ひしが、冷泉院の御宇、ある人のざんげんによつて、筑紫にながされ給ふに、むらさき式部申、宮づかへして大臣になれしたしみたてまつりければ、御別れををしみなげきたてまつる。大臣ふびんにおぼしめし、……

女小学」(新日本古典籍総合データベース)

2018年11月17日土曜日

漫画家の流儀

先週は二日にわたり珍しい行事があった。日本から漫画作家を迎え、大学のキャンパスで二回のトークや作画実演、そして一回のワークショップが行われた。熱意のこもった若い学生は大勢集まった。人数限定のワークショップへの参加には、自作を提出させて競争させ、半分近い学生を断らければならなかった。

壇上にあがった漫画家は、前半にさまざまな質問に答え、後半に作画の実演を披露してくれた。淡々とした真摯な言葉からは、普段あまり考えもしない独特なプロフェッショナルな世界を垣間見る思いがした。漫画の創作には、ストーリを組み立てることに絵を描くのと同じぐらいの時間を振り当ていること、絵を描くには助手に手伝わせ、しかもその複数の助手がまるで分身のように長年務め、細かく決められた分業を守っていることなどなど、認識を新たにさせてくれることばかりだった。後半の作画実演も素晴らしかった。随行をしてきた編集者の方は、つい親切に解説を試みたのだが、満場の聴衆は、ただ息を凝らしてマジックのように形を持っていく絵を見つめていた。熱心な学生は、ずっとカメラをスクリーンに向けて録画を撮り続けていた。

ちなみに、作画実演に描いたのは、典型的な女性像だった。このような集まりには、カナダの風景や異国の人間でも取り上げてくれるのではないかと漠然と予想していたが、まったく的外れだった。考え直してみると、漫画と絵画のスケッチとはそもそも別質なものだと、はっと気付かされた。

トークショーの様子レセプションの風景

2018年11月10日土曜日

書籍利用

この一週間、まとめていくつかの書籍利用のシナリオを経験した。いまごろの図書館のあり方や図書購入、デジタルアクセスなど、いろいろと環境が変わる中、なぜか複数の側面を同時に触れたような格好になり、いろいろと考えさせられた。

勤務校の図書館には、日本語による書籍はいまだかなり限られている。その分、図書館の相互利用はずいぶんと手軽になった。オンラインで用意された申込みにどこかの図書館で調べたカタログデータのリンクさえ入れれば十分であり、あとはひたすら届くのを待つだけだ。ただ、今度は意外と時間がかかり、手元に届けられるまでじつは40日近くも経った。これに対して、英語によるものならずいぶんと様子が違う。古典名作をトータルに英訳したものを選んで学生に推薦しようと思ったら、20年ほど前の出版物でもすでに全文デジタル化され、しかも大学図書館からアクセスすればクリックひとつで全文ダウンロードも出来た。さらに新クラスの教科書選びも済ませた。英語による日本語古文文法という内容で、いま利用できるのは三点ほどあって、これまた図書館の参考書コーナー、多く貸し出されていない理由で遠隔書庫収納、そして所蔵しないため図書館相互利用で取り寄せというそれぞれ違う三つの利用法となった。結局のところ、学生への経済負担まで気を配り、30年まえに刊行されたものに決めた。

一連の作業の理由は、来年冬から開講する「日本語古文」への準備だった。高学年の学生を対象とするもので、はじめての講義にも関わらず、すでに27人の学生が登録している。教え方の工夫やクラスの展開などあれこれと思い描きながら、わくわくしている。

2018年11月3日土曜日

文字の異議・その二

数えてみれば、すでに十年もまえのことになる。立教大学所蔵の「福富草子絵巻」を電子利用させていただき、音読を加える動画を作成した。それを報告するにあたり、ついに解けなかった難問の一つを告白し、「少数でやや極端だが、文字を絵のように描いたのではないかと疑わせるような書き方(描き方)があった」との観察を書き留めておいた。(「文字の異議」)

そこで、国会図書館でデジタル公開している「福富草紙」を披いて、一つの小さな手がかりを見つけた。代表的な二例を右に掲げてみる。放屁の芸を披露する第七段からの二行である。明らかに後の手入れによる赤の記入文は興味深い。左にみる「は」「よ」は、まさに上記の疑問を完全に共有し、それに対して施したものである。正しい文字を理解できないまま形で模写し、その結果意味が通じなくなったものを、赤で訂正したものだと読み取れる。赤の訂正が存在しない立教本の読み方を提示提示されたと考えたい。しかしながら、右の例を見れば、そう簡単に結論できないと気づかされる。「行どあげり」(立教本は「あげらるゝ」)に対して、「風にふきあげらるゝ」と書き入れられた。この訂正は、代表的な底本である春浦院本などの原文を反映し、文字の書き方ではなく文章の校合を施されたことになる。すなわち文章の意味が読み取れないような立教本や国会本は、なんらかの共通した祖本を持ち、その全容や由来をいまだ解明できないと考えるべきだろう。

国会本には成立をめぐる記述が添えてある。それによれば、寛政元年(1789)に狩野洞白(当時18歳)が模写したものを、文政元年(1818)に緱山正禎(当時29歳)がさらに模写したものである。ただし、赤の文字についての記入主は不明だ。

国会図書館蔵「福富草紙

2018年10月27日土曜日

ネット授業記

ヨーク大学の先生に招かれ、インターネットを用いて高学年の日本語クラスで一席の講義をした。選んだタイトルは、「動物たちの合戦ーー絵巻から漫画へ」。「十二類合戦絵詞」を取り出し、絵巻に描かれた動物たちの物語を紹介した。絵を見せ、文章をゆっくり説明しながら、二、三の要点を語る、このスタイルは夏の客員講義で実践し、今度も手応えを感じた。

講義の使用言語は日本語だった。日本での教室と違い、言葉選びなど、やはり気を使わざるをえない。より簡単な言葉に置き換え、ときにはキーワードを英語で繰り返すことまで試みた。しかしながらどうやらかなりのところまで伝わったらしい。質疑応答の時間になると、しっかりした質問はいくつも戻ってきた。記憶に残ったものだけを取り出してみても、「絵巻そのものに変化や進化があったのか」、「絵巻はなにかを教えようとしたのか」、「在来の(名作)作品との関連性は」、などなどがあった。絵巻の進化ということは、さすがに真正面から聞かれたことはなく、表現形態には根本的な変化はなかったと答えた。はたしてそうは言い切れるものかどうか、いまも自問自答をしているぐらいだ。

利用したシステムはZOOM。講義が終わったら、ホストの先生は録画をさっそく送付してくれた。画質も音声も申し分なく、設定の方法も対応の選択も豊富で安心して使えた。デジタル環境の進歩にはあらためて感心を覚えた。

追記:先週書いた「イド」をめぐり、熱心な学生と議論し、一つの表記の方法を提案された。曰く「Edo [eh-do]」。今週の講義のテーマの一つには「応仁」があった。「オンイン」と発音されないように、講義スライドにさっそく「Onin [oh-nin]」と出した。

2018年10月20日土曜日

「イド」の苦悩

今学期の授業もちょうど折り返しにきた。去年に続き、今年も「TED@317」と名乗って、学生に3分間ビデオを中間レポートとして課した。去年の優秀作品が公開されていることもあって、創作にかける情熱や才能を大いに刺激し、数多くの傑作が提出された。

一方では、文字ではなく音声での作業ということで、ふだんあまり気づかれないことが表面化されたところも少なくなかった。その一つは、ローマ字表記の語彙、とりわけ人名や地名などの発音は、日本語の知識のない人にはけっして簡単ではないことだ。授業でまだ取り上げられていないテーマを本人が読書して集めた知識をもとにビデオを作成したので、突拍子もないエラーがこれでもかと飛び出してきた。図らずも文字の限界が示された。Edoのことを「イド」、Kamikazeを「カミカズ」、Kyogenを「キョウジェン」、これらはまだ一瞬考えたら理解できるものだが、極端な例となると、Mt. Hieのことを「ハイイ」、mono-no-awareを「モノノaware(発見)」と言われて、唖然というほかはなかった。もともと他民族の人々が一堂に集まるような教室なので、人の名前一つを取り出しても、スペイン、ドイツ、フランス、インドなど、とても正しく読めないという緊張は常に付き纏うものだ。しかしながら、日本語の場合、なんの変哲もない普通のローマ字だけに、余計に厄介だ。

もともと「イモジ」の実例に添えてローマ字の英語読みを考えたことがある(「emoji」)。解決方法が見つからず、まだまだ苦悩が続きそうだ。英語話者の人にはローマ字がけっして簡単に通じるものではないという事実にまず気づいておくべきだろう。記述の規則をすぐに変えることが無理でも、大事な語彙などについてなんらかの方法で注釈を加える工夫ぐらいは案出してほしい。

2018年10月15日月曜日

JSAC 2018

週末にかけて三泊の学会旅行をしてきた。この季節でのほぼ毎年の行事だ。今年の開催地はホームに近いこともあって、勤務校の日本関連のメンバーが総出で、ラウンドテーブルを主催する企画さえやった。一通り無事に終わり、好意なコメントも多数寄せられた。

普段あまり触れる機会のない、あるいは身近なテーマで思いも寄らないアプローチに接することは、この集まりの魅力の一つだ。今度の数日も、さほどメモを取らないで無心に話を聞いていたのだが、それでも数えてみれば思いに残ったもの多かった。漫画の言語を取り扱う「漫符」、産業としてのアニメを振り返る和製英語「メディア・ミックス」、修士の学生が見つめる川端の美、障碍者が語る身体障害と文学、歴史家が解説する和歌と政治と思想、図書館学からのデジタルへの視線と、これに対照的な個人蒐集をベースとするデジタル博物館、移民の歴史を捉える酒醸造、原住民の社会地位と言語の保存、などなど。最終日の昼に迎えたゲストは、技も生活体験も百戦錬磨のラーメン職人、かれに対する最後の発言は、なんと日本人ではないシェフが運営する日本料理屋への称賛だった。おまけに寿司ランチが用意されて満腹までできた。

研究会は人間の繋がりを確認するところでもある。長年参加してきて、若い人々の顔ぶれはいつでも眩しい。中には、昔教室に通っていた学生も含まれ、かれらの成長を実際にこの目で見て、やはり素直に嬉しい。

JSAC Past Conferences

2018年10月6日土曜日

画像処理

この週末は連休、週明けのクラスは水曜日になる。月に一度のことで、普段よりは時間が余分にできた。パソコンで遊ぶことにした。ひさしぶりに画像処理をいじり、勉強しながら数枚のまんがを作成することに挑戦した。

画像ツールは多数あるが、ゆっくりやるとなればやはり「Photoshop」を開く。これまですでに何回もお世話になり、いくつかの作品まで公開してはいる。しかしながら、いつまで経っても、ただの初心者に過ぎない。ようやくレイヤーのコンセプトが理解できて、画像の決まった部分を切り出したり、修正したり、配置を変更したりすることぐらい利用に思いつかない。それにかけて、今度覚えたのは、色をベースにした選択と除去、言われてみればがっかりするぐらい基本的なものだ。これまでの画像選択は、画像全体にかけて色で実施したり、あるいは丁寧に罫線をかけたりするような方法しか使わなかったが、特定の色を利用すればダントツに効果的で、作業も楽しい。色で選ぶのにあわせて、サンプルの色を選んで画像に描き出すことまで試した。

ソフトの使い方の学習は、あくまでも手順や対応といった約束事を覚えることに尽きる。画像処理のツールは、それにかけてなおさら煩雑で多岐にわたる。繰り返し使ってようやく体得するようになるものだが、現実的には、作業を始めたら忘れたことを思い出そうとする苦労が多い。細かくメモを取ることに心がけている。なお、かつては解説書などまで手を伸ばしたのだが、いまや文章よりは、動画解説はやはり圧倒的に使いやすい。

2018年9月29日土曜日

英語狂言

先週週末のシンポジウムの一コマである。初日の発表がすべて済んだところ、夜にもう一つのハイライトが用意された。大学キャンパスの中にある立派な劇場にはかなりの観客が集まり、ステージには日本語による「狂言」との看板が立ち、正面には紙に描いた松の木が飾られた。日本語や日本の古典芸能についての予備知識の共有がとても期待できない中、どのような展開になるのやらと、はらはらして開演を待ったが、なんと英語によるものだった。そして、丁寧に芸能の約束を守った狂言も、あっという間に観客の心を掴み、まったく違和感なく展開し、人々を魅了した。

とりわけ印象に残ったのは、なによりも若い者たちのいきいきとした熱演だった。妖怪カニがエネルギーいっぱいに暴れ廻り、凶悪そうな雷神がとことんコケにされ、人形を模したお七が妖艶に舞う。演者の一人ひとりは、役に嵌り、実に自信をもって堂々と立ち振る舞った。いうまでもなく、それらをすべて司ったのは、一座の師としてのどっしりした存在を見せたコミンズ教授である。狂言のシテ、舞踊の地謡、浄瑠璃の太夫と、四面八臂の活躍を披露し、しかもすべての上演に使われたのは、自らが手がけたオリジナル英訳だと知って、観客から感嘆の声が絶えなかった。

舞台が始まるにあたり、主催者はわざわざ写真撮影の許可を知らせた。それを良いことにして、観客席の真ん中に座り、カメラを両手で構えた。観劇と撮影との両方をともに楽しむ、なんとも贅沢な二時間だった。

2018年9月22日土曜日

ノン・ヒューマン

週末にかけて、とても有意義な集まりに参加するために出かけてきた。言ってみれば、規模ある研究組織の年次大会のようなものではなく、熱心な研究者の一人が、自身の持つ関心を中心に、精力的に方々に声をかけて実現した一回のみの集会なのだ。そのテーマとは、ずばり「ノン・ヒューマン」。プログラムを一読して分かるように、じつに錚々たる顔ぶれなのだ。

交わされた話題は、古典文学どころか、文学という枠組みさえ縛ることができない。現代芸術や舞台演劇など、じつに多種多様だ。まだ初日しか経験していないが、ふだんの読書や会話ではほとんどまったく接点を持たないところに、大きな魅力が隠されている。それでも目を見張るものばかりだ。現代ダンスと思ったら、鉄の棒に仕掛けをかけて躍らせて自爆させたり、人間の俳優を心拍数で倒れさせたりした舞台のハイライトを見て、驚かされた。若い研究者の発表には、小林エリカから、円城塔、飛浩隆など、未知の世界がつぎからつぎへと飛び出した。作者名からどこか突拍子のない作品にはつい敬遠し、思わず読者とはどのような人かと質問してしまったが、現代文学好きなら、まず読んでいるはずと、きっぱりと答えられて、感心させられた。

自分の発表は明日の午前に予定されていうる。主催者にはなんとなく会話をしたが、まじめな質問をまだ聴けずにいる。はたして大会テーマの日本語訳には、どの言葉を当てるのだろうか。さすがに「異類」だと大きな声で言い切る自信がない。室町の語彙だと、逆に敬遠されるに決まっている。基調講演の方の一人は、「人外」と用いている。既存の語彙を使わないというのも一つの対応だろう。考えを巡らしているところだ

The Nonhuman: Spirits, Animals, Technology

2018年9月15日土曜日

蒸したり凍らせたり

普通に読書したり、蔵書家の逸話を聞いたりして、書籍にはいつも敬う気持ちを抱く。しかしながら、古典籍の保存ひいては修復のこととなると、どうやらそのような素直な感覚だけで済むとは限らない。ときにはかなり乱暴で、予想も付かない古籍の取扱い方が視野に飛び込んでくる。

中国国家図書館の話だが、前世紀五十年代、地方から持ち込んできた宋の木版大蔵経(「趙城金藏」)の修復が大きな業績となっている。戦乱を潜り抜いた巻物は、黴が生えたりして、開かない状態にあった。それの修復には蒸すという方法が取られた。七千巻におよぶ分量だから、特製の蒸し器まで作成された。一方では、この夏に起こった真備町の水害に関連して、水浸しに遭った貴重な資料の応急保存に凍らせてしまうという対応が取られたと報じられている。こちらのほうは、順次ボランティアの手によってもとの姿を取り戻すことだろう。書籍に蒸したり凍らせたりする対処を加えるとは、専門の知識をもっていない人間にはかなり奇想天外なものだ。ただ、調べてみると、どちらもそれなりにスターンダードな方法であり、中国では古籍修復の常識紹介などには頻繁に触れられ、日本では水害資料の冷凍対応には、関連のガイドラインまで整備され、建てものの水道破裂など局地被害などで応用されているもようだ。

蒸すのも凍らせるのも、けっきょく書籍をもとの形に復元させるための極端な手段だ。書物にかける並々ならぬ努力には、感動というほかはない。

2018年9月8日土曜日

歴史ヒーロー

新学年が始まった。いつものように最初の一週間は集中講義に当てられ、そのあとは新入生を迎えてのあれこれの行事、それらが済んだらようやく正規の講義が開講される。最初のクラスはこの間の金曜日。今年から秋にも休講の読書週間が導入され、例年よりは数日早めの日程となった。今学期の担当は、日本歴史という一科目のみだ。定員百人のクラスはすでに満員になり、かつ十数人の順番待ちの名前がシステムに載せられている。

同じ科目は、数えてみればすでに八回目となった。毎年すこしずつ新しいやりかたを模索し、今年はとりあえず大学成績管理システムに用意されたクイズ機能を利用してみた。最初は一問のみにして、「歴史上のヒーロー/有名人を一つあげてみよ」といったようなものだった。なんとなく予想はしていたのだが、戻ってきた答えのなか、圧倒的に多かったのはやはりオダ・ノブナガだった。いわゆるポップカルチャー経由で知識に入ったものだろうと思ったが、どうやらそうは外れていないらしい。ただ、大学のほかの歴史などの授業で教わったとの答えもあり、さらに数人は、バックパックで日本を旅行し、京都で本能寺を訪ねたとまで書いてくれた。なぜかいささかほっとした。

それにしても、若い学生たちの意識の中の信長のイメージとは、どのようなものだろうか。まさかビデオゲームに登場したような、無国籍、超時代、ひいては性別不明の顔ではないのだろう。またなにかの形で、代表的な具体像を覗いてみたい。

2018年9月1日土曜日

女体地図

地図は日常生活の中で欠かせない。どのような年齢段にせよ、ほとんどの人々は、地図のあり方、それとの関わり方の変化を体験し、実感しているに違いない。歴史的に、文化的に地図を眺め、たとえば「概念図」で個人的な思いを書き留めていた。今週の読書の中で目に飛び込んできたチベットの最古の地図は、そのような認識にさらに興味深い実例を加えた。

この地図は、ふつう「鎮魔図」と呼ばれている。かなりの数の模写や複製、そしてこれにまつわる伝説が残っている。オリジナルものは七世紀かそれよりさらに遡ると信じられている。チベットの人間によるチベットの地図である。ここに「魔」とされているのは、鬼妖怪ではなく、豊満な女性である。活気漲る女性が横たわり、その上に、チベットの由緒正しい寺院が配置される。それらは、心臓の位置に置かれる大昭寺をはじめ、肩や足(「鎮肢」)、関節(「鎮節」)、掌や脚(「鎮翼」)に配置される十二の寺院が、ほぼ地理状況を正確に伝えながら描かれている。ここには、宗教信仰の言説は鮮明に打ち出されている。チベットの大地は、美しい女性であって、魔女だと見なされる。それに対して大小数々の寺院は体に打ち込んだ釘のようにその魔力を閉ざし、降伏させることに成功した。概念となる地図は、ここに一つの極致の様相を見せている。

この「鎮魔図」は、さまざまな文脈で語られている。ごく最近では、まるごと現代風に描き変えられ、美術展に出品されたと報じられる。地図としての構想や構図は、悠長な年輪のわりには、はなはだ想像を刺激し、妙な生命力を感じさせていることだけは確かなようだ。

唯色:镇魔图

2018年8月25日土曜日

絵巻修復

膨大な数の古典美術品を所蔵することで有名なアイルランド・ダブリンにあるチェスタービーティ図書館は、また日本の絵巻にスポットライトを当てている。注目を集めたのは、「俵藤太絵巻」。新聞やオンライン記事などに加えて、地元の観光紹介サイトまでこれを取り上げ、それによれば、三年にわたる修復作業が晴れて完成し、その成果が現在展示されているとのことである。

同じ行事を紹介するビデオが一ヶ月半ほどまえから公開されている。それを眺めてみると、作品のタイトルや主人公の名前などはさすがに普通に認知されず、ただ三百年というキーワードが解説に繰り替えされている。さらに、絵巻修復のことが大きくクローズアップされた。今度は、どうやら日本からの専門家ではなく、オランダの職人の手に任されたのだった。その作業の様子などは、いくつかのきれいなカットで映し出されている。この道に詳しい方なら、きっと作業の風景から日本とヨーロッパとの違いをあれこれと指摘できるだろう。絵巻の外にあるビジュアル情報をめぐる解説を、またいつか有識者に啓蒙をしてもらいたい。

「俵(田原)藤太絵巻」には個人的に思い入れがある。かつてその中の一異本に翻刻と読み下しを加え、オンラインで公表している(「翻刻・読み下し」)。なお、これを現代語訳にした電子書籍も出版されていることをあわせて付記しておこう(『田原藤太奇談』)。

2018年8月18日土曜日

焚書・焼却

先週取り上げた「帝鑑図」に説かれたキーワードの一つは、今週になって不意に現実生活の中に浮かんできて、驚いた。「焚書」。あまりにも政治的、文化的な意味が含まれたこの言葉が目に飛んできたら、やはり詳細を知りたくなった。

この言葉を使ったのは、高知県立大学図書館の最近の活動を批判した記事だ。重複など不要と判断した図書などを集中的に焼却処分に付したとの図書館のやり方がかなり乱暴に映る。代表的な書籍のタイトルまで添えられている。眺めて見れば、「国書総目録」や「国史大辞典」など、自分でも知っているものもある。個人的には、学生時代買いたくて買えなかったタイトルなのだ。一方では、いまはデジタル化され、有料無料の形で利用できて、かつ絶えず充実になっているもので、いまはおそらく古本屋で格安で手に入れるとしても躊躇するだろう。重複したものを図書館が廃棄と決めても理解はできる。一方では、処分の方法としてはいささか素っ気ない。なんらかの形で無料配布も考えられるだろう。じつは先月までの日本滞在の間、大学図書館がやっていた無料配布からはけっこうの冊数を持ち帰り、中には恩師の単著まで含まれて感激した思いだった。いうまでもなくそのような配布をやるための図書館側の対応や労力は無視できない。

高知県立大の行動への冷静な分析はすでに現われた。新聞記事に用いられた過剰な語彙への苦言も含まれている。言葉の選び方はそのまま作者の立場を表わす。ただ安易に奇を競ってセンセーションに走れば、中身を伴わないでかえって躓くだろう。警戒すべきだ。

2018年8月11日土曜日

楹はどこに

かつて「帝鑑図説」のことを高い関心をもって追跡したことがある(「王妃と帝鑑」)。しばらく前、近畿大学図書館が所蔵資料をデジタル公開し、その中にあの秀頼版の二冊も含まれていると知って、思わずアクセスしてみた。この本に収録されているストーリは、中国で教育を受けてきた人ならどこかで聞いたことのあるようなものばかりだ。ただ、絵となればそう簡単には言えない。じっくり眺めてみてやはりあれこれと気付かされることが多い。

たとえばこの一枚、「賞強項令」である。饒舌な画面は、主な人物である「漢光武」「董宣」「湖陽公主」三人の名前を丁寧に添える。物語の内容は、みずからの手で罪人を殺した臣下の董宣が罪人を匿う公主の非を詰り、帝の謝れとの命にも従わず、しかしながらかえって奨励を受けたという内容である。物語のハイライトは、潔白を訴えようと、董宣が自殺しようとするところである。その方法とは「以頭撃楹」とあった。「楹」とは柱のことであり、同書の原文も、続く「解」の部において、そのまま「以頭撃柱」と分かりやすい言葉に置き換えている。しかしながら、絵のほうを見れば、楹の姿はどこにも見当たらない。柱はあっさり消えて見当たらない。欄干には複数の柱が存在するが、それらはそもそも「楹」と呼ばれるものではない。このような物語の肝心なところに関わるビジュアル内容でも、絵は平気に無視し、読者も大して違和感を持たないことは、なによりも興味深い。

近畿大学図書館のデジタル公開は、IIIFの規格に則っている。わずか数年前に案出されたIIIFがここまで普及されていることには、目を見張るものがある。そして、古典籍のデジタル利用はここまで用意されているのだから、これを利用した有益な研究がもっと現れることを祈りたい。

『帝鑑圖説』(張居正・呂調陽撰)

2018年8月4日土曜日

同手同脚

すでに十年ほどまえのことになるが、絵巻に見る人間の身体というテーマをめぐり、「ナンバ歩き」のことを書いた。そこで議論したのは、日本の絵巻においてほとんど例外なく描かれたあの歩き方、そしてそれが中国の画像文献にも見られるということであった。

同時代の言葉ではないにせよ、「ナンバ歩き」は広辞苑などにきちんと収録されている。これに対して、中国語のそれは、たとえ現代の言葉であっても、それを表現するものには思いつかなかった。口語的な、地域的な言葉なら、二、三の候補がないわけではないが、どう考えても、もうすこしまともな言い方があるように思えてならない。ずっと気掛かりなことの一つである。そこで、敦煌の絵を面白くおかしく紹介するウェブページがたまたま目に入った。ごく簡単なフレーズでの解説が施され、そこにはなんと一つの答えを提示してくれた。曰く「同手同脚」である。言われてみれば、すぐに理解できるような表現だ。念のためにこの言葉を中国語のサーチサイトで調べてみたら、たしかにそれなりに認知され、使用されていることを確認できた。おかげで中国語の語彙が一つ増えた。

ホスト大学での授業の中で、雑談として一度この話題を持ち出した。どうやら一部の体育の授業などでは、古武術の流れを汲む身体の訓練としてナンバ歩きを体験させているもようだ。それを知っていて、目のまえの学生たちに確かめてみたかった。その結果、たしかに実践させられた人もいたが、それに対して、「ナンバ」という言葉さえ知らなかった人のほうが圧倒的に多かった。この事実も覚えておきたい。

2018年7月28日土曜日

欠航

今度の日本滞在は、数えて105日となった。予定した講義は金曜日をもってすべて終了し、残りはレポートを読みながらの採点と、成績提出という最後の作業である。その中で、意外とこれまで未体験のことに出くわした。

家族は一足さきに日本を離れることになっている。そこで、台風12号が関東地域を直撃した。予定はそれにもろに被さった。土曜の早朝に空港にたどり着いたら、フライトが24時間遅延するとあっさり告知される。移動する気力はなく、電車運行停止なども考えあわせて、その場で空港近辺に一泊するホテルを探そうと心を決めて取り掛かった。オンライン予約などすぐに飛ばし、情報サイトに上がったホテルのリストを言葉通りに順番に電話をかけていくというようなスタイルを敢行したが、それでもどこも満員というがっかりの回答だった。結局のところ、航空会社が見つけてくれたところに落ち着き、まずまずの結末となった。強風が千葉県を通過したころ、窓の外を吹き抜ける風の音を聞きながら学生の成績を入力して時を過ごした。忘れがたい今度の日本滞在の最期の週末と記憶に残ることだろう。

一方では、この週末、友人、知人が関わるものだけでも、「歴史的典籍」、「環境文学」、そして「投企する古典性」という三つの研究集会が進行され、どれも可能性があれば聴講したい、あるいは予定まで企てたものばかりだ。どうやらいずれも欠席という、なんとも残念が残る旅の締めくくりである。

2018年7月21日土曜日

Kahoot@日本

「Kahoot」を教室に持ち込む。この話題は三年ほどまえここに記した(「Kahoot」)。今学期の講義も終わりに差し掛かり、復習なども兼ねて大人数の二つのクラスでこれを遊ばせた。具体的なやり方は、これまでと何も変わっていない。あえて一つあげるなら、画像を取り入れたぐらいだ。ただ、手ごたえは上々、学生からの反応は予想を遥かに上回った。どうやらこのような手軽なアプローチは日本にはさほど伝わっていないらしい。

学生からの素直なコメントで印象に残ったのは、たとえば「日本語版がほしい」、「これ、先生が作ったのか」といったようなものがあった。前者は、プレーヤーの名前入力などの画面に現われた英語の指示に直面しての緊張感そのものであり、後者は、決まったパターンを提供してくれるようなこの手のサービスの理解不在を物語ったものだろう。それはさておくとして、「まだまだやりたい」、「学習のためになった」、ひいては「このようなクラスなら大学に来たい」といった大げさで、はたしてこれでよいのやらのようなものさえあった。学生たちの大学の講義への期待感とは、そしてそれらの修正にかけての教える側の義務など、つい考えさせられるものが多かった。

手軽なゲームをめぐる使い手側の気持ちも整理したくなった。賑やかなひと時は、講義のリズムを変えたり、教室の空気を調整するにはちょうどよい。ただそれを一度だけのものに止め、あまり繰り返したくない。その最大の理由は、正答を覚えさせるためのクラスにしたくないに尽きる。ただ、どこに講義の要点があるのか、どこに注目すべきなのか、そのようなことを併せて伝えられることも覚えておこう。

2018年7月14日土曜日

絵巻を教室へ

客員として担当した講義も残り二回となった。教養科目に選んだテーマは絵巻、登録者は120名超え、個人的には未到の記録だ。講義内容として、うちの九回は一点ずつ絵巻を選び、それをトータルに見せるということにした。絵巻を教室に持ち込む。実物、せめてその複製を講壇に広めるに超したことはないが、とても簡単には行かない。そこで次善の方法としてデジタルに頼った。

講義の内容は基本的にパワーポイントに纏めておいた。そこで、画像をスキャンや写真に収めてスライドショーにすることはまず考えられる。それから、たとえば「e国宝」を開いて画像サイズを自由に変えながら見せるのも素晴らしい。ただスライドなら巻物の一部分を切り取る結果となり、美術館サイトだとスクリーンが埋まるまでの待ち時間はもどかしい。そこでたどり着いたのは、画像をローカルに保存しておいて特製のHTMLファイルで繋ぎ、それをブラウザで開く方法である。スクリーンの解像度にあわせて画像を縦に同じサイズに調整し、それらを横に順番に並べていく方法である。このやり方だと、一巻の絵巻、たとえ十数枚の画像でもなんのストレスなく一気にブラウザに読み込め、あとはキーボードを使って左右に自由に移動することができる。目の前に特定の長さの画面が開き、そしてスムーズに左へ右へとスクロール、まさに正統な絵巻鑑賞の再現である。教室のライトを落として大きなスクリーンにそれを投影すれば、本ものの絵巻以上の迫力がある。

取り上げたタイトルは、「音読・日本の絵巻」収録のものを中心に選んだ。全巻の朗読は無理でも、どれか一段について音声を聞かせながら画面を操作した。かなり前に試みた音読を、一度に百人以上の若者に聞かせるという形で利用して、なんとなく報われた思いをした。

2018年7月7日土曜日

古書入札会

この週末、二日にわたり「七夕古書大入札会」が開催されている。すでに53回と数えるこの行事は、古本屋さんしか入札の権利がないが、普通に関心をもつ人々にも公開され、これまで数回覗いたことがある。さいわい好天に恵まれ、今度も出かけてきた。

出発の直前になって、妙なメールが飛び込んできた。「双六ねっと」を頼りに、まったく面識のない愛好者がニューヨークから連絡を寄越し、個人所蔵の双六の写真を添付してきた。感心して入札会の目録を眺めてみれば、今年はじつは11点も出品されている。さほど注目を集めているようには見えず、一人しずかにそれを眺めることができた。自由闊達でいて、情報が豊富に詰まっているこの貴重なジャンルは、やはり魅力に満ち溢れている。表現の様式という視線で観察していても、さまざまなバリエーションがそこに開示されている。「賑式亭繁栄勝双六」は文字情報がいちばん多い。それぞれの枡に薬の名前が掲げられ、効用の説明から値段まで充実な宣伝文句が添えられる。その枡から振り出される賽の数字への指示も丁寧に記入されている。これに対して、「大日本六十余州一覧双六」は、地名とその地の有名人や風景に加えて数字の指示が見られ、「東海道五拾三駅大双陸」はつぎの枡の地名とそれまでの距離だけ掲げ、数字の指示はない。「新板七津伊呂波清書双六」となれば、舞台上のポーズに順番が振られているのみで、枡のタイトルさえ提示されていない。ただし、じっくり眺めてみれば、どれも遊びの道具として明らかに機能し、おそらくその時その場のローカルルールが案出されるのではないかと思わせるものだった。

入札会の魅力は、どの出品も自由に触れられるとのことである。今年も、「大江山絵巻」(三巻)と「二十四孝」(二巻)をゆっくり披いた。素晴らしい思い出になった。

七夕古書大入札会

2018年6月30日土曜日

合体人間

先週とりあげた「石山寺縁起」の画面を見つめて、さらにもう一つ記憶に留めておきたいことに気づいた。同絵巻の巻二第六段、歴海和尚をまつわる霊験伝説である。孔雀経を読み上げたところ、諸々の竜がその声に応えて姿を見せてくれるという、なんとも有難い風景である。

絵巻の画面には言うまでもなく思い思いの竜たちの姿が描きこまれる。人間の世に訪れ、名僧に対面するものだから、かれらの中の一部は人間の姿を借りる。そこで人間に変身した竜や蛇の姿である。かつて記したように、人間の体に竜の頭というスタンダードな「人身竜頭」(「十二類絵巻」など)に加え、その逆の蛇の体に人間の頭を据え付けたもの(「人面蛇身」)、あるいは丸ごとの巨大な蛇の体に丸ごとの人間を乗せたもの(「蛇人間」)という三つのバリエーションに纏められる。そのような目で捉えるならば、目の前の絵巻は、まさに四番目を加えた。完璧な人間の姿に対して、頭上においてちょこんと小さく竜あるいは蛇がのっかかっているというものである。同じ発想として、まわりにさらに魚やら正体不明の他の生き物を被った人間がいた。さしずめ竜と人間が合体した群像だと言えよう。上記の三つとあわせて、一通り考えられる様式が揃ったという結果になる。

もともと頭が人間という構図の実例は、個人的には絵巻ではいまだ確認できていない。この話題をクラスで触れてみたら、学生たちのコメントにさっそく「(その様子は)想像して気持ち悪い」とあった。このような素朴な感想は、あるいは思う以上にたしかな理由があるかもしれない。

2018年6月23日土曜日

模写を教室に

今学期の予定している講義は、すでに三分の二程度済んだ。その中の一つは、絵巻を取り上げている。教室に入ってくれているのは、一年生を中心とした、日本文学などを専攻しない学生ばかりである。いわば教養そのもののクラスだ。120人もの若者を相手にし、マイクを握っての講義は、さすがに新しい経験であり、こちらにも得るところがいろいろとあった。

先週のクラスの内容を例にしよう。選んだ内容は、「石山寺縁起」。詞と絵とをトータルに見せた上で、一つのテーマに絞って話題を展開するという進行をしている。わずか一時間半なので、同絵巻の巻二のみを対象とした。七つのストーリは、伝説から記録、神秘な夢から神話的な竜の出現、寺院の長老から文学史上の有名人と、じつに多彩でバランスよく配置されている。ただ、予習に課するには、手ごろな教科書はどうしても見当たらない。図書館に入っている全集などに当たらせるということも考えられるが、ほとんどの学生には図書館の存在さえ特別なものだと思われる節がある。そこで次善のやりかたとして、思いっきり模写のリンクを提示した。国会図書館所蔵のそれは、色をほとんど施されている以外、原作の様子をきちんと伝えていて、なんとなく愛着を感じる。もちろん後半の課題講義において、原作のカラー写真を大きくスクリーンに写し出しておいた。しかしながら、かなり意外なことに、講義最後に質疑や感想などを所定のデジタルフォームに記入させたところ、「絵に色がないため」云々の、宿題に見た絵巻が模写だったことをまったく理解していなかったコメントが数人もの学生から寄せられた。模写という事実を思う以上に現代の感覚に訴えない、言い換えれば古典だと言われればすべてそのまま受け入れてしまうということを気づかされ、教える側の軽率を大いに反省させられる材料となった。

一方では、どの絵巻を持ち出しても、なんらかの形で高校などでの勉強に繋がりを持っているとのコメントがあったことには、やはり心強い。絵巻に描かれた画面は、どのような経緯を辿ったにせよ、それなりにいまの若者たちの教養の一部になっているものだ。

2018年6月18日月曜日

微信の風景

週末にかけて故郷への弾丸旅行をしてきた。わずか一年ぶりではあるが、相変わらずに変化が大きい。家の近くまで地下鉄が開通され、破格としか言いようのない交通乗車料金もあって、いろいろと感慨深い。人々の日常に「微信」が浸透していると、うわさには聞いたが、身の回りのささやかな瞬間は記憶に鮮明に残る。

高速鉄道の駅内にある喫茶店に入り、静かに待ち時間を過ごしたら、迦裟に身を纏い、見るからにしかるべき風貌を持つ僧侶が迎いの席に座る。しばらくして慎重に会話を持ち出され、処世やら人相やらで一通りに話題を振りまかれる。別れ際に「微信を交換しよう」と、応じてあげたら、すかさずにそこから布施をするようにせがんでくる。一瞬の緩みも見せないところには感心するぐらいだった。数時間あと、鉄道を降りて地下鉄のチケットを購入する。数人待っている中、順番が回ってきた中年の女性は、古い札が受け付けられないと分かったら、大きな声で後ろに向かって「お金を貸してくれ、微信ではらうから。」あっけに取られて見守ると、そのすぐ後ろの人はなんの迷いもなく現金を手渡し、購入が済んだら、至極自然にアカウントを交換し、お金のやり取りを始めた。

微信は、どうやらとっくに社交のツールとの枠をはみ出し、すさまじいスピードで人々の財布から現金を取り除いてしまった。一方では、不思議なことに、外国からやってきた人はこの流れに参加することはいまはまだできない。あきらかに中国での消費を意味するものだが、外国の口座やクレジットカードは使わせてもらえない。この現状も、そのうち変わってしまうことだろう。

2018年6月9日土曜日

連獅子

ホスト校の手配により、木曜日は歌舞伎鑑賞に出た。同じ経験は去年のちょうどいまごろを含め、数えたら六回目になる。それでもけっして飽きることはなく、しかも今度ははじめて花道真横の席を譲られ、一流のパフォーマンスをすっかり満喫した。

前半の歌舞伎解説の部では、今年は男女二人の学生代表を指名して舞台にあげ、所作の真似をしてもらうという内容だった。初々しくて積極的に取り組む二人の若い学生はなんとも頼もしい。後半の演目は、「連獅子」。白と紅のたてがみを振りながら舞い踊るという定番のハイライトもさることながら、覚えたばかりの「裃後見」、「差し金」などの語彙をさっそく舞台上で確かめ、獅子を表現するには、面を頭ではなくて右手にかけて演じきったことに新たな発見を覚えた。歌舞伎の舞台で繰り広げられた間狂言をはじめて鑑賞できた。きっと流派の違いからきたものだろうが、セリフの言い回しにどことなくおぼつかないような感じをしたのだが、しかしいったん踊りに入ると、普段の能狂言ではけっして見られない安定感や華やかさが全開され、さすがだと唸った。踊りに「六方」がふんだんに披露され、かつてクラスで熱心に語っただけに、幕が降りたらおもわず傍にいる学生に確認して念を押した。

「連獅子」はシネマ歌舞伎の一つに収められている。映画は十年まえに公開され、三年ほどまえ地元にまでやってきた。実際に舞台で見たそれは、巨大スクリーンでも比べられない真の迫力があった。一方では、あのシネマ歌舞伎は、いままさにこの時期に京都で上映され、しかも有料だとのことである。ほんものの鑑賞はいっそう有難みが増した。

平成30年歌舞伎鑑賞教室

2018年6月3日日曜日

嘘をいう写真

ここ数日、前後して二件の妙な出来事が起こっている。いずれも個人的になんらかの形で関わりを持ち、ともに白黒の古い写真がことの発端を作り、しかも広く使われているSNSの環境がそれに思わぬ展開をもたらした。二つの出来事はとても似通っている。絵の議論をする場合、「写真だって嘘を言う」と警戒するが、まるで地で行く展開を見せていて、ここに記しておかざるをえない。

わたしが大学に入ったころ、その大学が十年間の空白を経てようやく再稼働した。そのような大学再開という歴史は、数えてちょうど40年となる。したがって当時のことを振り返るような動き、そしてそれをめぐる実際の発言などは、普通に考える同窓会とはかなり違う意味あいがあり、ひときわ大きい響きをもつ。そのようなところに、母校の史料館に残され、しかも特定の大学を超えたさまざまな記事などで引用された一枚の写真に登場した顔ぶれが議論されている。あわせて七人写され、その中の人々がそれぞれに述べる他の人間はまったく食い違っている。その一つのバージョンにわたしの名前も入ったが、さっそくそれには当たらないと、熱心にとりあげる昔の同級生を通して史料館に伝えてもらった。ほぼ同時に、大学生活が終わり、日本留学が始まろうとしたころの、学生宿舎での一枚の写真が同じ経路を辿る。その中の一人は大きくニュース記事のスポットライトを浴び、当時の様子を伝えるための写真を紹介した。しかしながら、あわせて七人の顔の中には、遠くからわたしを訪ねにやってきて、たまたまその場に居合わせた中学時代の二人の友人の顔が入っている。あの二人の友人とも、本人が知らないまま長年まったく関係ない歴史に組み入れられたという結果になっている。

とりたてていうまでもないが、写真には罪がない。それどころか、あくまでも希少で、あまりにも貴重だ。ただ一方では、写真に収めた情報は、どこまでもビジュアルなものなのにすぎない。そこに加わった当事者の証言がその情報の中身となる。その中で、知らずに流れた40年、人間の平均寿命の半分であり、生産する時間のほぼすべての長さにわたる。この事実をなんとも重い。ただ、広く参加されているSNSがあればこそ、写真が広く議論され、齟齬が訂正されていることも、見逃してならない。ありがたい救いだ。

2018年5月25日金曜日

「才」と「芸」と

担当する授業の一つは、学生とともに絵巻を読むというテーマにした。昨日のクラスで取り上げたのは、あの「吉備大臣入唐絵詞」。所蔵先のボストン美術館はすでにこれを全巻デジタル公開し、学生への宿題はオンライン閲覧を課しておいた。若い大学生には、このような古典は意外と新鮮で、これまでには一度もまともに目を通していない人がほとんどらしい。戻ってきたコメントからも、そのような熱気が伝わった。

クラスで十分に展開できなかったが、じつは詞書の中に、文化史的にじっくり論じるべき大事なヒントがいくつも隠されている。たとえば、「才」と「芸」、両者の区別と関連。絵巻の中で、文選読みの試練を、吉備が鬼の協力で鮮やかなぐらいに撃退し、原典へのリスペクトまでおまけとして盛り込んで、じつに痛快だった。それを受けて、さらなる試練は、文才に対する違う分野のものだと、まずは枠組みが決められ、芸からの出題と、それの代表格として碁が選ばれた。「才はあれど芸はなし」(三巻一段)、明解で魅力的な文言だ。文字によって書かれたものに対しての、形を持たない、変幻自在の芸(芸能、芸当)、しかもそれが才の次の、才よりは高次元のものとして取り扱われるものだと物語が主張する。

いうまでもなくここに展開されたのは、中国の皇帝を囲む人々の口を借りて言わせたが、あくまでも日本的な発想だ。かつて「芸画」と「術画」をめぐる中国側の画論についてメモをした。まさにこのような議論に平行し、まるで違う視点を見せつけたものだ。しかしながら、吉備大臣をめぐる物語は、碁の石を盗み、飲み込んで隠すというような形でその到達の極致とした。いまの才・芸の言説において、このような行動原理はどのような形で加わるのだろうか、追跡を続けたい。

2018年5月20日日曜日

創立記念シンポ

週末にかけて京都に出かけ、国際日本文化研究センターにやってきた。創立三十周年を記念する国際シンポジウムに招かれた。客員研究員として前後二回在籍し、過去二十数年来、数えきれないほどここを訪ね、研究活動をし、さまざまな形でお世話になった。その日文研は、月曜日をもって設立三十一年目に入る。

記念行事は、三日にわたる。登壇する発表者は、数こそそう多くはないが、いずれも世界各地からこのわずかな時間のためにわざわざ集まり、歴史、文学、文化と、それぞれの専門分野においての成果や経験談などを持ち込み、熱心に語り合った。居心地のよい広々とした会議ホールには、補助の椅子が出されるほどいっぱいに埋まった。休憩の時間になると、だれもが寸分を惜しむように互いに挨拶を交わし、近況を交流した。大学院時代に同じ研究室で席を並べた四人が揃えて写真を撮れば、だれかが、この四人で六つの国籍を持っている(いた)のだと、しみじみとコメントした。まさに国際という名にふさわしい場であり、不思議で掛けがえのない縁で結ばれたことを大切にしなければならないと思った。

30年。思えば、研究所が設立されたころ、自分はまさに博士学位論文と悪戦苦闘をしていた。どのようなルートから伝え聞いたのだろうか、日文研という機関があり、そこが外国人研究者による「フォーラム」を主催したのだと、自転車を漕いで出かけては熱心に聴講した。世界の日本研究者の名人達人たちの話からどれだけの栄養を得、啓蒙と啓発を受けたものだったのだろうか。あのころの記憶は、妙に生き生きと脳裏に浮かんでくる。思い返して、ただただありがたい。

世界の中の日本研究

2018年5月12日土曜日

鎌倉の大イチョウ・続き

週末、訪ねてきた客を伴い、鎌倉を歩き回った。あいにくの雨。同行者に若者がいるので、最初は鎌倉高校前で下車した。熱気溢れる人々のまなざしや会話を目の当たりにして、これまで知らなかったもう一つの鎌倉を満喫し、それに続いてようやく鶴岡八幡宮の境内に入った。自分が狙いを定めたのは、ほかでもなくあの風に倒れた大イチョウだった。

思えばちょうど八年前の今ごろ、ここを訪ね、その前後に起こったもろもろは記憶に新しい(「鎌倉の大イチョウ」)。あの時から、ほぼ二年に一度の割合で八幡宮を訪ね、その度に木の芽が出てこないかと期待を持ち続けた。そして、いくら時間が経っても空しい思いになったものだった。その経緯をクラスでも何回となく紹介し、時には学生たちの学期レポートにまで取り上げられ、若い人々にも伝わったと実感していた。そこで今日である。階段に上るところで上に向けてカマラを構えると、目に入ったのは相変わらずの巨大な木の根っこが鎮座する姿だった。今年も変わりはないのかと、階段を上り、上から振り返り、眺めてみれば、やっとずっと予想していた風景があった。りっぱな若木がしっかりと立ち、扇の形をした葉っぱは青々としてなんとも素晴らしい。同じイチョウはやっと蘇ったものだと、内心叫びたい気持ちだった。

考えてみれば、わたしたちが目にしていたあのイチョウは、八百年前から、はたしてずっと同じ姿のものだったのか、それともいまのような蘇りを繰り返したのだろうか。木を育てるということにかけて豊穣な知識や実践を受け継いできた日本の造園師たちは、どれだけの苦労と工夫をしたものだろうか。きっとどこかに記されていると想像しながらも、いつかそのような経緯を知りたいものだ。

2018年5月5日土曜日

地図に写真投稿

違うところで時間を過ごし、または訪ねていたら、いまは頻繁にストリートビューで下調べをし、人が投稿した写真を参照する。そうなれば、行動記録の一つをかねて、自分も投稿したくなる。しかしながら、ここ数日、これで躓いた。写真投稿の方法などをどんなに苦労して試してみても、予想の結果にはたどり着かない。こんなもどかしい経験も珍しい。らちが上がらず、ここに二三の要点を備忘に記しておこう。

これまで、ストリートビューにはあわせて百枚以上の写真を投稿した。一番便利だったころは、携帯で撮ったらさっそくアプロードといったような便利なやり方も取った。しかし、いつの間にかピカサの停止やGoogleフォトの拡大などに伴い、写真閲覧の方法はかなり変わってしまった。結果として、投稿した写真はどうやら続けて見られているもようで、閲覧数の知らせもときどき寄せられてくる。ただ、それらの写真を確認しようと思っても、自分のアカウントから以外は、どうしても辿りつかない。つまり、あの黄色い人形を地図の上に引っ張っていっても、出てくるはずの写真の記号が現われない。あらたに写真を投稿しても、同じ結果になる。GPSデータの修正(フォトでは写真に撮影場所が正確に反映される)、Google+の公開方法の変更、ひいては地図への地名タグ追加(山中の散歩道などいまだ写真の投稿が存在していないところ)、などなど、あっちこっちの説明を読んで得たヒントを一つまた一つと試したが、とにかく結果が付いてこない。一例として、京都の鴨川での写真のリンクを添えておく。個人のアカウント(「自分の投稿」)から取得したリンクだが、写真から地図への対応が正確でも、地図から写真への行き方が見つからない。

Googleのような規模のものだから、度重なる更新、膨大な数のユーザー、プライバシーポリシーへの対応など、ある種の混乱が伴うのもやむをえない。ただGoogleだからこそ、利用方法をユーザーにしっかりと理解させることぐらいはやはりなによりも基本的なものだろう。

京都鴨川荒神橋北側

2018年4月28日土曜日

空海・猫

週末には、新宿の映画館に入り、先学期学生から教わった話題の映画を見た。あのクラスとの関わりは、白楽天と楊貴妃。その目で見れば、じつに妙な映画だと言わざるを得ない。名高い出浴する貴姫の姿はついに登場せず、代わりにその美貌を披露するには、度肝を抜いたブランコ乗りで、まるでサーカスさながらの見せ場になった、李白もお目見えにはなったが、俗人っぽい顔ばかり塗り固められている、などなど、ツッコミ所満載だった。ただ、そもそも妖精の猫が主人公なので、頭を空っぽにして、とにかくスクリーンに映し出された幻を眺めるこそ正しい鑑賞だと言えよう。人物も動きも色合いも、まるごと神仙境を訴えようとしている。

ストーリのかなめに「尸解」を据え付けたことには少なからずに驚いた。思えば、修士論文を書いたころーーあの時代、博士論文というものは勉学の内容に存在せず、修論が大きな到達だったーー四人いる同級生の一人が取り上げテーマはまさにこれだった。そこで初めてこの道教の用語を知ったのだが、この言葉の言おうとしたもの、目指そうとしたところなど、なかなか理解ができなかった。一方では、近年になって、言葉の神秘さも大きく貢献しているだろうが、「尸解」をテーマにした小説などかなり増えた。言葉通りに理解するなら、死んだ人を蘇えらせることも一つ分枝だろうけど、言葉の重きは、やはり体(尸)を分解することにあったはずだ。しかしながら、映画の中では、これがむしろ逆の発想で捉えられ、しかもいかにも仙人の対極にあるような発想での落ちが用意されたものだった。

映画のタイトルは、中国語でも英語訳でも「妖猫」としている。日本語版のみ「空海」となった。異国の貴姫よりも、自国の空海が身近だということだろうか。いずれにしても、この映画のおかげで空海の顔にさらに異色のものが付け加えられたことになる。無心に眺めていれば、捉えようのない猫よりは、画面いっぱいに活躍する若い僧侶の顔は、瑞々しくて親しみやすい。

空海 -KU-KAI- 美しき王妃の謎

2018年4月21日土曜日

教壇に立つ

四月も下旬になり、日本の大学は春学期の二週目の授業に入る。今年は、協定校の関係で客員教授のポストをいただき、今学期いっぱい日本に滞在することになる。大学院時代のことを計算に入れないとすれば、はじめて日本の大学の教壇に立った。

ホスト大学からはかなりの信頼を寄せられ、大きなクラスも担当させてもらっている。いうまでもなくすべては勉強の内容となる。機会を見つけては若い学生たちとの会話を楽しみ、かれらを思考や行動を観察し、自分なりに理解しようとする。そもそも大学のカリキュラムからにして、新鮮なものだ。学生たちが取り掛かるテーマはカナダより遥かに多い。単純に計算すれば、学生は20単位のコースを四年間取り続ければ卒業できるという制度だ。ならば、クラスに週計15時間通い、10人の教師の話を聞くことになる。勤務校の場合、クラス時間はちょうど同じだが、しかしテーマはその半分だ。すなわち5のクラスで、場合によって同じ教師に週3回も4回も顔を合わせることになる。考えによっては、この差はあまりにも大きい。さらに日本の場合、習得するコースは学費と関わりを持たないので、学生側の自由度が高く、学習意欲により直結できるように思われる。

最初の週を無事にこなした。素直な学生たちの対応には、やはり微笑ましい思いをかずかず体験できた。何人もの学生は、二回目にしてはじめて教室に現れたことを謝り、その理由を口々に「抽選漏れ」と言った。どうやら取りたいコースには抽選で資格が得られず、やむなくこの教室に入ったとのことだ。クラスについてのコメントを書いてもらっても、予備知識はいっさい持っていない、これから努力するという約束が多かった。教養のコースなので、ここからの出発はむしろその前提なのだ。それにしても、このような時のカナダの学生ならまったく違う態度を取るものだなあと、ついついそのようなまったく違う立ち振る舞い、いや発想に想像を走らせたものだった。

2018年4月14日土曜日

ZOOMで語る

二週間前にここで告知した行事は、先週予定通りに実施された。カナダの日本語教師を対象に想定したもので、ZOOM会議を利用して一時間のワークショップ、それの最初の集まりに声を掛けられた。技術環境が提供できる上限にはほど遠いが、それでも予想していたより約二割ほど上回る人数だった。参加者の顔ぶれを見れば、じつは半数以上がカナダの外からアクセスしてきた方々だった。時差の関係で真夜中の時間台で出られないとの連絡さえ寄せられた。普段よっぽどの機会がなければ顔を合わせることがとてもできないからこそ興味を持ったという、バーチャル集まりの魅力、その醍醐味の一端が現われた。

自分としては、あくまでも話題提供をするという気持ちで参加し、取り出したテーマは、去年の秋に進行した「カナダ日本語ビデオコンテスト」である。行事の内容を基本から触れ、とりわけその企画、運営の詳細、具体的に試みた道具や利用の工夫、注意して対処したことなどを順番に説明した。グーグルが導入している音楽著作権管理の方法など、一度体験しなければなかなか気づかないようなことなどは注意を惹いた。一方では、せっかく集まってくれても、話題になるビデオサイトを覗いているわけではなく、コンテストの存在すら知らなかった人々もいたのには、すこし驚いた。そうと知っておいたら、もうすこし話の内容を調整できたものだった。学生気質を触れたが、オンライン集まりの一側面に気づかされた思いがした。

集まりの様子は録画公開と予定されている。自分の話をビデオで睨めっこする(される)ことを想像すれば、あまり自慢するものではない。でも、どうもそうとも言い続けられなくなってきた。録画公開のコストが劇的に小さくなったことが遠因の一つだろう。思えば時間が経ってしまえば、録画資料への視線もすこしずつ変わっていくに違いない。

2018年4月7日土曜日

織り物考古

いま中国において、模倣からスタートし、瞬く間に驚いた発展を遂げた実例は枚挙に遑ない。このごろ、ときどき覗いている講演録画のサイトがある。サイトの名前は「一席」(「一席の話は十年の読書にも勝る」との故事からくる表現)。録画の作り方も、会場の配置も、そして動画導入の音楽まであのTEDの複製だと一目で分かる。だが、あくまでも中国の知識人に登場してもらうもので、その話題は古今に亘り、飾らなくて濃密な知識をもって聞く人々を魅了してしまう。数日まえに見て深い印象を受けたものには、「織り物考古」というテーマを取り上げた講演があった。

講演者は、過去四十年以上考古の現場に活躍し、とりわけ織り物についての発掘、保存、復原に努めた学者である。あの馬王堆の発掘をはじめ、それこそ錚々たる実績を積み重ねてきたのだ。けっして広く知られておらず、苦労と冒険と喜びの織り交ぜた数えきれないエピソードなどを一つまたひとつと語られたのを聞いて、目の前に未知の世界が生き生きと開いていく思いがした。途方もない辛抱強い作業の末に鮮やかな色が甦った千年前の宝物の姿を捉えての感動、内容の分からないものには、早急の名前などを付けずに番号のみで公表して各方面の専門家に参加してもらうなどの慎重な対応への感銘、倍葬する若い女性たちの身元への推理への納得など、どれも特筆すべきものである。一方では、織り物に施された竹の模様が、発見した瞬間の緑色から見る見るうちに枯れ葉の色に変色し、描かれた竹の生涯を目撃できたことを考古学者の冥利としたところには、千年単位で伝わったものをはたしてそんな軽率な対応で良いのかと、疑問も禁じ得なかった。

写真は、録画の中に紹介された北宋時代の画像の一例だ。人間の行動の捉え方も滑稽味のある円熟な線も、日本の絵巻から切り取られてきたものだと言っても信用してもらえるぐらいだった。講演者の説明によると、入れ墨を体いっぱいに彫った男がお金を洗っているところだとのこと。はたしてそれでよろしいだろうか。あまりにも関連の情報がなくて、しかし極めて魅力的な画像で、妙に惹きつけられる。

王亞蓉:紡織考古

2018年3月31日土曜日

自撮りビデオ

このタイトルは自然と出てきたが、考えてみればさほど使われている言葉ではない。あるいはビデオの自分撮りが盛んでも、具体的な作業の過程や目的などにおいて、インスタ映えを求める写真とかなり距離があるからかもしれない。それはさておくとして、先週は、必要に追われて集中的にこれを経験した。どれもビデオ作品としての完成度への追求をせず、必要最小限の録画である。それにかかわる技術的な詳細をここに記しておく。

ビデオを撮るための機材は、その目で見ればすでに溢れんばかりの状態になった。パソコンに外付けするネット会議用ネットカメラ、ノートブックパソコンに付いたもの、カメラが売りの携帯、そして高画質のミラーレスカメラ、などなど、どれも手元に置いてある。しかしながら、けっきょくは小型デジタルカメラを選んだ。液晶パネルが跳ね上がって見やすいことがその決めてとなった(PowerShot SX730HS)。撮った動画は、パソコンに移して、言い間違いや言い換えを削ったりする最小限の修正を加えるだけで、それ以上のタイトルやら音楽やらの編集をしなかった(MovieMaker)。そして、作成したものは、YouTubeにアップロードして保存し、共有した。ただ、そもそも特定の目的のために作ったものなので、あえて公開を選ばず、リンクによるアクセスにした。

すでに公開した一例はこれだ。再来週の予定になるが、日本語教師の集まりに誘われ、オンライン研修会に話題を提供する役目を引き受けた。ZOOMの使い方、ネット会議の可能性を具体的な実践を通じて模索したい。

JFT日本語教師オンラインセミナー

2018年3月24日土曜日

鯨鯢の姿

数ヶ月まえ、李白を載せて西の空へ去っていく鯨のことを記した(「昇天する李白」)。明の木版本に挿絵として描かれたもので、その当時の人々のある種の共通した認識を示したものだろうと漠然と推測したものに留まった。しかしながら、神々の姿を求めているうちに、それが遥か隋の時代の絵画にまで遡るものだと気づいて、少なからずに驚いた。

右に掲げたのは、「洛神賦図」(顧愷之、故宮博物院蔵宋模本)からの一コマである。中国絵巻のもっとも古く、極めて優れたものとして注目された作品であり、主人公の姿が繰り返し登場するなど、物語絵としての要素を過不足なく伝えている。そこで、この場面は、「洛神賦」のなかの「鯨鯢踊而夾轂」を描く。洛神の周辺を守る「文魚」、「六龍」、「水禽」とともに丁寧に絵画化され、鯨鯢(げいげい、クジラの雄と雌)は対となってしっかりと轂(こく、車のこしき)の両側に付いていく。木版に描かれた鯨と比較すれば、巨大な二本の須が見えない以外、ほとんどそっくりそのままの姿となり、丸く肥えた巨体は、なんとも微笑ましい。

故宮博物院所蔵の絵画資料は、おなじく高精細のデジタル画像で公開されていて、「洛神賦図」をはじめ、数千と数える一級品は、パソコンの前でクリックひとつでアクセスできる。なお、ブログ「琴詩書画巣」に収められた原作の賦との対応や日本語解説もあわせて付記しておきたい。

2018年3月17日土曜日

カバー・デザイン

数日まえ、SNSにて告知をしたが、学生たちのレポートから読み応えのある作品を選んでまとめた「Old Japan Redux 4」を公開した。同じタイトルを用い、同じやりかたで作ったささやかなシリーズの四冊目に当たり、勤務校の学科サイトに預け、広く読まれるようになっている。内容にはユニークなものがあるので、ぜひご一覧ください。

四冊並べて眺めて見れば、カバーはまずそれなりに目立つ。デザインの仕事をやっている人間には間違いなく笑われるものだろうが、一通り、手作り感全開のものとなった。絵巻から一場面、学生の作品から四枚の絵という、この二つの要素を組み合わせたものである。タイトル文字や絵の調整など、ワードの基本的な機能にもっぱら頼った。絵の選択も、さほど深く考えることなく、とにかくその時その時になんらかの形で作業に関連するものから抜き出した。ただ、小さなこだわりとして、模写から選ぶという方針を自分のなかで決めた。模写のほうは、むしろ色合いが鮮明でいて、インパクトがあって、分かりやすい。引用した作品名などは右下に小さく記し、個人的これに関わった時期などの記憶に連動して、時間が経てば有意義な記録になる。

かつて、とある尊敬する研究者の研究室に招かれ、本棚の一角に並んだかなりの数の学生たちの作品集を見て小さな感動を覚えたことがある。学生主体で作られたものだろうが、それでも教えた側の気持ちが伝わる。この小さなシリーズは、それの真似から出発したものだ。ただデジタルの環境が利用できるようになっている今、より多くの読み手に届けられ、環境の進歩に恵まれた。

Old Japan Redux (1) (2) (3) (4)

2018年3月10日土曜日

マイクはどこだ!

水曜日には数ヶ月かけて準備してきた一つの行事があった。ふつうなら恙無く済んだと言いたいところだが、今度はしかしながら予想もしなかったハプニングがあった。繰り返し使っていた会議ホールには、大きなスピーカーがしっかり設置されてはいたが、なんとマイクが用意されていなかった。それも開始時刻になってはじめて気付かされた。そのあとの展開、関係者の神対応、まさに記憶に残るものとなった。

勤務校での所属学科が、この三年間ほど二回の合併が行われ、ようやくすべての外国語や言語学の部署を統一した「スクール」という到達に至った。行事とは、このスクールの設立行事、日本風に言えばキックオフの儀式だった。二百五十名を超えた来客に軽食やアルコールを含む飲み物を振る舞い、歓談を交わしたうえで、大学の総長が祝辞を述べ、知名の教授に一席の講演を披露してもらうというような大掛かりな内容だった。そのような中での、マイクなしの展開だった。その対応というのは、とにかく講演者に肉声でお願いするというものだった。来客たちはこれまた素晴らしい応対を見せて、静かに話に聞き入った。お陰さまで予定した四つのスピーチは、ほとんどすべて内容の変更がなく行われた。

頼もしい後日談が一つ付いた。その翌日、貴賓としてお越しになった一人の方と会話する機会があり、あらためてハプニングのことに触れたら、面白いコメントが戻ってきた。司会を務めた二人の若い学生こそ明らかに力不足だったが、あとのスピーチの四人は、それぞれじつにりっぱな声だった。教壇に立ち続けた経験が物を言わせるという職業の成せ技は、妙な形で気付かされたものだった。

2018年3月4日日曜日

王と妃と

先週の週末、楽しい集まりがあった。中国語を話す少人数の人々の集合に招かれ、何か古典についての話をするように頼まれた。友人関係なので気楽に応じた。ただ中国関係の話題をさほど持ち合わせていなくて、去年の秋、学生たちと一緒に読んだ長恨歌絵巻の話を改めて持ち出した。

長恨歌の詩は、言うまでもなくたいていの人々にそれぞれの形で馴染みをもつものである。一方では、詩の内容を丸ごと絵巻にするということは、決して多く行われず、新鮮なものとして皆さんの関心を集めた。異国の風景を表現するための太湖石、異国あるいは異界を象徴する四角の模様をもつ床、赤い色を施された室礼など、いちいち説明したら皆さんは一様に感心した趣きを見せた。その中の一場面についての議論は興味深かった。入浴を終えた美女の楊貴妃を王が振り返るというあの構図である。王と妃との位置関係はには不可解さ、ひいては一種の滑稽さが読めるのではないかと個人的な印象を語ったら、楽しい説明が戻ってきた。曰く、王と妃との間を動きまわる無数の美女は、もともと二人の目にも入らないような存在しかならない。その前提で、王その人もまさに同じく入浴をともにし、二人が熱愛に陥ったものだったのではなかろうか、と。もともと絵の読み方には正解などない。そこまで熱心で大胆な読み方を引き出せただけで、一席の話は成功だったと言えよう。

日本では様々な文化的な講座などが多く設けられるが、ここ地元では、子供たちを対象にする習い事や、健康志向のダンスクラブなどがあっても、文化的な集まりはなぜかかなり少ない。そのような中での一時、いささか思いに残る時間だった。

2018年2月24日土曜日

機械読み上げ

今週伝わってきたニュースの一つには、Amazonからの新技術の発表があった。「Amazon Echo」シリーズに読み上げ機能が組み込まれ、購入されたキンドルの書籍を音声で指示をすればすべて読み上げてくれるというものである。技術関連のWeb記事などにとどまらず、一般の新聞やラジオ番組にまで取り上げられ、大きな関心を集めた。すでに普通に実現されている技術なのに、ここまでスポットライトが当てられ、かつ反響があったことにはちょっと驚いた。

個人的には、読み上げられるものを聞き続けるということは、英語圏で生活を始めてからずっと日常の一部分だった。英語圏のベストセラーなどは、多くの場合出版と同時にそれの朗読バージョンが発売され、そして紙媒体の小説と同時に市民図書館に入ってくる。20年以上も前には、朗読されたものは、ダイジェストの形でカセットテープに収録され、それを借りて大事にウォークマンに入れて、どこに行っても聞いていたものだった。いつのまにかそれが音楽CDの形に姿を変え、さらにmp3フォーマットのファイルを同じくCD-ROMに載せて貸し出されるようになった。この段階では、ダイジェスト版がだんだん姿を消し、一冊10時間程度の全文朗読が主流となった。今でもmp3のフォーマットが基本だが、専用のアプリを利用してアクセスし、図書館にまで足を運ぶような必要さえなくなった。小さなイヤホンを耳に入れて、すでに数えきれないほどの英語の小説を聞き続けてきた。一方では、このような慣習に対して、日本語による内容があまりにも少ないということをなんとも嘆かわしい。日本の出版文化の一端を表しているものだが、音声による読み物の享受にさほど需要がないことは、自分には不思議なことの一つである。

考えてみれば、かなり成熟した読み上げの技術でも、Amazonのようなアプローチが注目を集められたこと自体にはいろいろなヒントを隠している。とぴっきり新しい技術ではなくても、利用の方法を限定し、使いやすいプラットフォームあるいはハードウェアに載せるだけで、かなりのユーザーにアピールできるものとなる。大いに記憶にとどめておきたい。

2018年2月20日火曜日

デジタルを語る

関西大学にKU-ORCAS(アジア・オープン・リサーチセンター)が設立された。キックオフの行事に招かれ、週末にかけて大阪へ出かけ、たいへん勉強になる経験をしてきた。前面に打ち出された領域は、名前が示すごとく「オープン」に重きに置いたものである。典籍資料の所蔵に恵まれ、研究業績にもトップクラスの実績を誇る研究機関である。そのような研究者の集合が、しっかりとつぎなる一歩に力を合せ、具体的なアプローチについてもきわめてオープンな構えを見せていることはとても印象的だった。ここに、開かれた研究の基盤になるものとして、自ずとデジタルにスポットライトがあたった。

二日にわたる講演のテーマを一覧すればすぐ分かるが、じつに多彩な分野からの研究者により、異なる問題意識のもと、それぞれの実践の結果や現状への考察が語られていた。それらの一つひとつにじっくり聞き入り、得るところは多かった。一方では、与えられた45分の発表には、いま脚光を浴びているIIIFを取り上げた。リソースの公開や現行基準の向上に第一線で尽力している研究者に対して、あくまでも一利用者という立場を訴え、個人的な疑問まで投げかけてみた。強烈なビジュアル上のインパクトに押され、IIIFの可能性はなかなか捉えきれていない。IIIFとは即最高画質のデータを意味しない(満足できない画像でもIIIFに乗せられている)、同じ典籍のデジタルデータの取り直し、公開者の都合によるリソースの持続など、素朴な不安を持ち出した。これらの質問に対して、情報学の立場からの回答はじつに興味深かった。「データは大事」、言い換えれば上質なデータなら環境が追ってくるという心強い励ましと、「DOIも二十年近く続いたから」(Digital Object Identifier、2000年から実施)、つまりいまの勢いならIIIFはしばらく安泰という、いかにもデジタルの「中の人間」ならではの観察と立ち位置からの発言だった。

もっぱら画像資料におけるIIIFの意味と利用について考えてきたのだが、しかし音声、動画への対応がすでに具体的に検討され、開発されているとのことが報告された。考えてみれば、画像データと同じく、音声も動画も一つのデータセット(続き)の中に立ち入ってアクセスするような需要は厳然と存在している。ただ、実現すれば、IIIFという名前は相応しくなくなる。「I」が一つ消えて、「M(Media)」に取り替えられるという展開なのだろうか。

東アジア文化研究の新しい地平

2018年2月10日土曜日

キラキラネーム

日本語作文クラスの出来事である。日本語はいまだけっして自由な境地に至っていない、語彙も限定されている学生たちだが、漫画やアニメの話になると、俄然自信のある態度を見せ、「六道骸」やら「雲雀恭弥」やらの名前を並べて、「ろくどう・むくろ」などはっきりした口調で教えてくれた。まったく予備知識を持たない教師のこちらは、あっさりお手上げ状態だった。

かつてはいわゆるキラキラネームのことが盛んに議論された。新聞記事などで紹介された「今鹿=なうしか」、「首相=キャプテン」などの例は強烈的だった。一度は小学校に足を踏み入れて子供たちの名前のリストを見たら、「陽起=ひお」、「紫記=しき」、「海闘=ゆう」など、内心ほとんど絶句だった。どうやらこれだけではまだまだ人名についての可能性が尽きたにはほど遠い。漫画やアニメのような最初から仮想を前提とする世界になると、名前の付け方は一層活発的で、奇想天外なものになってしまう。日本のことに関心を持ち始めたずいぶん昔のころ、中国人の二文字か三文字の名前に比べて、三文字か四文字の日本人の名前のほうは、バライティーがあって誤解が少ないのだと思っていたものだ。どうやら物事は誤解などのレベルでは終わらない。人名というものは、時代の文化や価値観を映し出し、想像や創造による独特的な世界とも緊密な関係を持っていることも見逃してはならない。

学生たちの作文は今週で五週目に入る。今年も個人的な体験などに基づく精力的な作文が並んでいる。遠くカナダにいて、日本にこの上ない関心を持つ若者たちのあり方の一端を探るという意味でも非常に読み応えがある。暇な折にはぜひ覗いてください。

日本語作文ボード

2018年2月3日土曜日

神々の姿

神様は、中世の人々にとってより近い位置にあったとよく言われる。このような言説の論拠やそれが示す着地はさておくとして、神々の姿をビジュアルに表現するにあたっての苦労や工夫は、やはり興味深い。手元に開いている「融通念仏縁起」の一段は、まさにそれを考えさせてくれる好例である。

同絵巻上巻第五段は、良忍に結縁の名帳が授かるとの奇跡を描く。諸天冥衆の名前が詞書に文字で記され、そしてその中の代表的なものが絵に姿を見せる。ここに、絵のほうに目を凝らして眺めれば、仏土の明王、天女、竜王に続き、日本諸国の神々が一斉に登場してくる。ただし、前者の、仏画や仏像に由来した躍動するイメージ群と明確に一線を画して、日本の神様は、すべてそれを祀る建物の景観に統一した。それらの様子はじつに叙事的だ。梅が満開する北野、猿が戯れる日吉社、海の上に社殿を構える厳嶋、川に面する賀茂社などなど、しっかりと建物の特徴や環境が捉えられて、そして塔頭が添える祇園、山の奥に隠れる稲荷などは、今日とは異なる昔日の様子を訴える。ただ、ここまで描写しても完璧に情報が伝達されたと思えないと覚しく、それぞれの建物に分かりやすい文字の注記が書き加えられている。(写真は清涼寺本より)

一連の神社のなかに、春日、伊勢、北野はいずれも鳥居にスポットが当たる。これも二週間前、京都での研究会で交わされた話題の一つだが、近代日本文学英訳の表紙には、鳥居が多く見られ、しかもその一部は内容とまったく無関係で、あくまでも日本の記号として用いられたのだった。ビジュアル表象として鳥居は、その根が思う以上深くて長い。

2018年1月27日土曜日

二つのビデオサイト

先週、二つほどの特設サイトを公開した。一つは「カナダ日本語ビデオコンテスト」、もう一つは「Old Japan Redux」である。ともに学生たちのビデオ作品を集めたものである。前者は、カナダの七つの大学からの教師が力をあわせて企画し、実施したものであり、後者は日本歴史の授業を受講する100人近い学生たちの宿題から選んだ優秀作品集である。

二つのサイトは、学生たちにビデオ作品を発表する場を与えるということで共通している。発表と言えば、実はこのようなサイトを企画・作成するにあたり、もうすこし一歩進んだ考えを個人的に持っている。今の技術では、ビデオ作品など作ってしまえば、誰でもさほど苦労せずにそれを広く世の中に送り出すことができる。しかしながら、作者本人の手で公開することは、簡単なだけに、作品を第三者の目で選択、判断するプロセスが存在せず、そして本人がさらに手入れをしたり、ひいてはなんらかの事情で作品そのものを取り下げたりすることはつねの可能であり、視聴者の立場からすれば、一種の不安が伴い、安心して利用することはできない。在来の出版に準えて考えてみれば、対象のものを選び、さらに一つの完成形を持たせてこれ以上内容を変えないという二つの側面は、個人による公開では手に入れることができなくて、第三者の立場から行って初めて可能になったものである。

一方では、伝統的な出版にそって考えるならば、編集、すなわち作品をよりよくするためにさらに修正したりして改善させる作業は、今の二つのサイトには取り入れていない。言い換えれば、良い作品を選び、それを薦めることは、現時点の到達であり、それをさらに向上させる方途は、今のところまだ見出していない。

カナダ日本語ビデオコンテスト
Old Japan Redux

2018年1月23日火曜日

歌占い

週末にかけて京都大阪で3泊してきた。今度もまた弾丸旅行となったが、久しぶりに共同研究の集まりに参加し、多彩な分野の研究者との交流を通じて、いろいろな収穫を得た。交わされたキーワードには、翻訳、ブックカバー、俳句英訳などがあり、魅力的なものばかりだった。その中から一つ選ぶとすれば、迷いなく「歌占い」をあげたい。

発表者は、中世における歌占いの様子を豊富な資料を駆使して丁寧に掘り下げる一方、それにはとどまらず、かつて遠い昔に行われていた占いの実践を、今の大学の教壇で再現し、学生たちに古典を教える方法として利用した実践を報告した。考えてみれば、今日の多くの大学生にとって、古文とはもう一つの第二外国語にほかならず、古典に語られた情報、そこに託された常識や価値観は、さしずめ一種の異文化だと言ってもいいすぎではない側面はある。そこで占いといういまでも体感できる行動を若い学生たちに古典との接点として提示し、他人に占ってあげることをもって習った知識を確認し、アウトプットして語らせる、まさに外国語学習の基本的なやり方を古文に実践しているものだ。一方では、懇親会の席上で交わされた会話の一つは、違う意味でまた興味深い。ある外国からやってきた人類学の研究者は、自分の国では大学の教壇で学習内容として学生に占いをさせるということはまったく考えられないとしみじみと述べた。そう言われてみれば、占いそのものへの日本社会の常識に改めて気付かされた思いがした。

京都に向かう電車の中で、対面の座席に座った二人の大学生らしいカップルの振る舞いは、まるで絵になっていた。派手なファッションに身を固め、それぞれ高級そうなスマホを手にしていながら、コンビニから買ってきたと思われる一個のお握りを代わりがわりに齧りつく。まさにそのような学生たちに古典への親しみを抱かせようとしているものだ。占いって、きっと有効に違いない。

歌占カード