週末にかけて京都大阪で3泊してきた。今度もまた弾丸旅行となったが、久しぶりに共同研究の集まりに参加し、多彩な分野の研究者との交流を通じて、いろいろな収穫を得た。交わされたキーワードには、翻訳、ブックカバー、俳句英訳などがあり、魅力的なものばかりだった。その中から一つ選ぶとすれば、迷いなく「歌占い」をあげたい。
発表者は、中世における歌占いの様子を豊富な資料を駆使して丁寧に掘り下げる一方、それにはとどまらず、かつて遠い昔に行われていた占いの実践を、今の大学の教壇で再現し、学生たちに古典を教える方法として利用した実践を報告した。考えてみれば、今日の多くの大学生にとって、古文とはもう一つの第二外国語にほかならず、古典に語られた情報、そこに託された常識や価値観は、さしずめ一種の異文化だと言ってもいいすぎではない側面はある。そこで占いといういまでも体感できる行動を若い学生たちに古典との接点として提示し、他人に占ってあげることをもって習った知識を確認し、アウトプットして語らせる、まさに外国語学習の基本的なやり方を古文に実践しているものだ。一方では、懇親会の席上で交わされた会話の一つは、違う意味でまた興味深い。ある外国からやってきた人類学の研究者は、自分の国では大学の教壇で学習内容として学生に占いをさせるということはまったく考えられないとしみじみと述べた。そう言われてみれば、占いそのものへの日本社会の常識に改めて気付かされた思いがした。
京都に向かう電車の中で、対面の座席に座った二人の大学生らしいカップルの振る舞いは、まるで絵になっていた。派手なファッションに身を固め、それぞれ高級そうなスマホを手にしていながら、コンビニから買ってきたと思われる一個のお握りを代わりがわりに齧りつく。まさにそのような学生たちに古典への親しみを抱かせようとしているものだ。占いって、きっと有効に違いない。
歌占カード
2018年1月23日火曜日
歌占い
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