2008年6月29日日曜日

動画とアニメ

動画。字面通りなら「動く絵」、すなわち描かれた静止するはずの絵を動かしたもの、あるいは、動き出した絵、といったところだ。いうまでもなく、すこしずつ違う絵を、連続的に映し出すというあの仕組みを応用したもので、パソコンという便利な道具が出来上がるまでには、動き出されたものを実現しようと、プロたちがただせっせと絵を描いたものだった。ただし、妙なことに現代の言葉では、動いた絵というこの仕組みのものをわれわれはアニメと呼び、代わりに、動画とは、「YouTube」、「ニコニコ動画」などのサイトを賑わせているビデオ撮影したものを指すようになった。

現代のアニメの手法と古代の絵との出会いを目撃した一つの視覚経験を持っている。あれはあるアメリカ映画の出だしのところで、タイトルを忘れたが、たしか大掛かりなロードショーを伴うものだった。古代エジプトのピラミッドに描かれた影絵のようなものが動きだし、大きなスクリーン一面を古代の兵士たちが走り出し、戦場で死闘を繰り広げた。単純で幼稚な絵はそこまで魅力的になるものかと、不意を撃たれたような衝撃を受けて、身を乗り出して見ていたと覚えている。そのあと、たしかギリシアの絵も同じような処理を掛けられた映画があったりして、映画表現の一つの小さなパターンになったと見受けられる。

思いは自然と絵巻につながる。絵巻に描かれた絵は、似たような処理を掛けようと思えば、いとも簡単なはずだ。とりわけ絵巻の画面を眺めるために、紙に印刷されたものからパソコンのモニターにすこしずつ切り替え、マルチメディアの環境を取り入れることにより、切り取った時間枠において画像と音声とを組み合わせるようになれば、いたって自然にこのような作りにたどり着くに違いない。たとえばストーリの展開に添って人間の手足に動きを加え、背景の中で位置を変え、描きこまれた内容に出現や消失の順序を与えるなど、単純な操作を付け加えれば、まったく違う視覚の効果が得られる。いうまでもなく、これはすべて画面内容を適確に理解することを前提として、そのような動き自体は、絵の内容への一番明らかに説明を加えることになる。古代の絵巻を現代的な感覚に訴えるために、とっぴだが、愉快な愉しみかたになるのかもしれない。

以上のような試みは、すでにどこかで実現されているだろうか。わたしの知識にはないが、お気づきの方、ぜひ教えてください。なお、自作の絵巻朗読サイトには、いずれも「動画絵巻」と名乗って、あれこれとサンプルを試作してきたが、あるいはいつか「アニメ絵巻」といったものに挑戦しなければならない。

2008年6月22日日曜日

ホームページの更新

先週に起こった出来事の経緯をここに記しておこう。

勤務校の大学ITセンターから意外なメールが届いた。私のホームページが何者かのハッカーに狙われ、そのすべての内容を即削除しなければならない、とのことだった。まさに一大事。何回かのやり取りを経て、ようやくただの削除ではなく、とりあえず別の場所に移して、こちらからアクセスできるように配慮してもらった。ファイルの中味を見てまたびっくりした。語学のドリル、学生活動の記録、古典の朗読など、約2000近くあるファイルの中のすべてのHTMLには、特定のサーバーにアクセスするためのコードが仕込まれた。いったい誰が、何のために、何の得があってやったのか、IT責任者でさえ見当が付かない。

サイトの情報は、これまで随時に更新していて、オリジナルファイルがかなり分散していて、どうやって手元のパソコンから一々見つけ出したらよいのか、ほとほと困った。最終的にはITの人が二ヶ月まえの時点のバックアップにアクセスさせてくれて、最悪の結果が避けられた。ITセンターの責任ある対応に内心感謝しつつ、冷や汗ものだった。パソコンというバーチャルな環境なだけに、こまめにバックアップを取り、丁寧に分類して保管すべしと、まさに身に沁みるような教訓だった。

ちなみに、あれこれとのやりとりの間に、一部の古いものを削除したうえで、ホームページのレイアウトを久しぶりに更新した。

X. Jie YANG's Homepage

京博の「高精密画像閲覧システム」

京都国立博物館は、公式ホームページにおいて「国宝重要文化財・名品高精密画像閲覧システム」を公開した。配慮の行き届いたサイトの構造、多方面からの検索エンジン、分かりやすい画面レイアウトから、博物館の積極的な姿勢が伺える。博物館が所蔵している名宝をデジタルの媒体に記録し、それを高精密と形で公開すること、収集と展示という博物館の在来の形態に加えて、デジタル媒体への対応に真剣に取り組むことなど、なんとも有難い。

一方では、収録する作品は、「国宝」など限定したということもあるからだろうか、たとえば全体の十五のカテゴリの一つである「大和絵」には、「病草紙」9点を含むすべて15件しかなく、かつて「大絵巻展」を主催して絵巻に大きくスポットライトを与えた博物館としては、はなはだ物足らない感じだ。タイトルは「名品」とも名乗っていることから、さらに多くの作品が公開されることを心待ちしている。

公開する作品の点数とは別に、デジタル画像公開のフォーマットの選択には、一ユーザーとしては大きな不便を感じている。せっかくの高精密のデジタル画像も、最終的な提示は、わずか500ピクセル四方の画面においてしかアクセスさせてもらえない。言ってみれば、画面を熱心に見ようとする閲覧者は、わずかに小さな虫眼鏡を手渡されたことになる。見たいところはどこでも覗いていいんだが、全体を見渡すことは不便を覚悟しなければならない。しかもオンラインでのアクセスなので、虫眼鏡の覗く先を移動する度に、デジタル信号の転送を辛抱強く待たなければならないし、その間には何回も変わっていく画面をやむをえず眺めなければならないというプロセスは、実際の使用を制限するほかならなかった。

そのことから考えれば、公開のタイトルに入っている「閲覧」という言葉の意味合いを余計に感じた。デジタル公開の場ではさほど使われていない語彙だが、主催者の思慮と意図が実によく集約しているように思えてならない。いわば「閲覧をさせるが、読者の手元に置かせるわけにはいかない」「入館は歓迎するが、貸し出しはいまのところ対応しない」。はたして飛躍しすぎた翻訳だろうか。

このような処置を取らせた理由は、いうまでもなく「悪用防止」ということだろう。しかしながら、大きな画面ならそれをそのままダウンロードさえすれば、悪用に繋がるようなことだったら、いまの公開でも画面を繋いで印刷なりほかの用途への流用なり簡単にできるはずだ。そのようなさほど効用のない悪用予防策のために、本来の使用への対応を犠牲にするのは、はたして望ましいことだろうか。国を代表する博物館だけに、ぜひとも見直してもらいたい。

京都国立博物館所蔵国宝重要文化財・名品高精密画像閲覧システム

2008年6月15日日曜日

鼠への逆変身

今度も引き続き鼠の話を書いてみよう。日本の絵巻の作品、これまでも数回触れてきた「弥兵衛鼠」に登場した幸運をもたらす白い鼠のことである。(「幸運の白い鼠」2008年1月1日、「鼠の祝言」 2008年1月6日)

中世の後期に作成されていた多数の「異類物」と同じく、作品の中の鼠は、体つきも振る舞いも人間の姿として描かれた。かれらは人間の衣装を身に纏い、宴会など人間世界の晴れ晴れとした場をその通りに実行した。一方では、多くの「異類物」作品と違って、ここでは、弥兵衛を始めとする鼠たちはときどき鼠の姿に意識的に戻る。目的や状況に合わせて、自由に人間と鼠という二つの世界を行き来するということを、まるで人間たちに自分の超能力を見せびらかすかのように、ほしいままにした。

鼠から人間への変身、そして再び鼠への逆変身のことを、絵巻は一つのハイライトとして捉え、とりわけそのプロセスをクローズアップして、大きく読者を楽しませようとした。文字テキストによって語られたところを読めば、例えばつぎのような描写が目を引く。弥兵衛が妻のために雁の肉を捕ろうとしたところでは、「烏帽子、上下脱ぎ捨て」た上で外へ出かけたものであり、弥兵衛が一家のものを全員連れて帰郷の恩人にお礼を届けた場面では、「装束は人目に立ちなんとて、ありしままの姿にて出で給ふ」と、服を脱ぎ捨てた理由まで添えてくれた。一方では、常盤の国で弥兵衛の望郷の念を慰めようとした地元の鼠たちが饗宴を開こうとしたおりには、「烏帽子、上下持ちて来たり、着せければ」と、今度は鼠の姿から人間への変身が興味津々に語られた。

興味深いことに、鼠への逆変身の瞬間の一つが絵の描写にまで登場した。弥兵衛の妻が行方不明になった主人の安否を心配して、占いに縋る場面である。まずは、これに関する詞書を読んでみよう。

「さすがによそ目の慎しければとて、いろいろの衣文重ね、褄を揃へし十二単を脱ぎ捨てて、眉もかもじも取りのけ、ありしままの姿にて(略)」

逆変身の理由は、前出の例と同じである。ただし、女性が主人公だったため、脱ぎ捨てたのは、烏帽子ではなく、正装の十二単、それも眉、かもじ(鬘)だった。この状況を描いた絵は、まさに傑作だ。

いうまでもなく、ここに描かれたものをもって、中世の服装習慣、衣裳の構成、着用の仕組み、ひいては鬘着用の実態といったもっともらしい内容を推測しようと思えば、あまりにも的外れな苦労になることだろう。現代の読者のみならず、中世の読者だって、このような画面からは、いかにもコミックっぽくで、申し分なく可愛らしいとだけ強く感じていたに違いない。

このような場面を目の前にして、なぜかハリウッドの映画に繰り返し援用される表現パターンの一つを思い出す。たしかあのランボー映画の一作目あたりから作り出されたものだと思うが、主人公が最後のクライマックスの戦場に赴く直前には、きまってその変身のプロセスが描かれる。それは一つひとつの武器や服装のクローズアップの連続によって構成される。ごく限られた空間に描きこまれた白鼠と、彼女が脱ぎ捨てた衣裳の数々を眺めて、映画のリズムとビジュアル・インパクトを感じてやまないのは、はたして私ひとりだけだろうか。

2008年6月8日日曜日

カナダの「鼠年」切手

いまどき、あまり郵便局に行くことがない。そのため、たまたま送られてくる小包を受け取るために立ち寄ったら、自然にカウンターの上をじっくり眺め、今年の干支の切手がいまだ売り残っているのに気づいた。使う道がないだろうと分かっていながらも、一枚買った。しかも「綺麗だな」と言い聞かせたら、郵便局の人が切手のまわりの飾りまで丁寧に切り取って添えてくれた。ここに載せよう。

カナダ郵政省は、年に一枚の干支の切手を出し続けて、今年で十二年目になり、干支の始まりの子の年をもってシリーズを締めくくった。今年の切手は、二枚組になっていて、手に入れたのは、花嫁のほうで、国内郵便用の52セントのものだ。書き添えられた文字は、「カナダ」「52」に加えて、英語、フランス語、中国語で「鼠年」と記して、いかにもカナダらしい。さらに切手の周りの飾りには「鼠年銭粘」との四つの文字が見られる。「鼠の年になって、銭が手にくっつけて懐に入ってくる」といったような意味合いだろうか。目出度い言葉の語呂合わせだと分かるが、わたしの持っている知識にはない表現で、なぜか新鮮だ。

一枚の絵として、見ごたえがあって申し分がない。一言で言えば、プロ的な幼稚さと洗練された装飾性、といったところだろうか。両方の目がともに見える顔立ち、花嫁にふさわしい髪飾り、天蓋傘の柄を握る手元など、切り紙など中国の伝統的な工芸のスタイルを思わせて興味が付かない。傘と髪飾りは、いわば花嫁ということへの象徴的な表現だが、花嫁自身が傘を手にするはずもないといったような詮索は、無用だと感じさせるだけの緊張感が画面から伝わってくる。

絵を眺めていて、やはりその構想、そしてそれを支える人々の常識に気づかされる。たとえば擬人表現の仕方だ。頭が鼠であって、尻尾を大きく突き出した以外、手足、体つき、そして足を踏み出す仕種など、すべて人間のそのものである。鼠が人間のように動き回るという幻想を伝えるためには、一番自然で有効的な表現の工夫だろう。一方では、伝統を用いるといっても、すべて昔のものを再現するわけにはいかない。その端的なものは、古風の靴を履いた両足だろう。中国の古典の絵画に描かれた女性の足をそのまま描いたら、たとえ鼠であろうと、今日の人々の目には醜いものだとしか映らないに違いない。

ちなみに、この切手のシリーズの中では、ここまで擬人化の表現を施し、服を着せたのは、この鼠の一枚のみらしい。鼠の結婚と花婿花嫁を持ち出したところに、鼠の伝説にまつわる重層な伝統を窺わせた。それがたとえば竜や蛇よりも濃いものがあったとは、思えばかなり意外なものだった。

中国絵画の伝統にある鼠の婚礼について、これまでも一度触れたことを付記しよう(「鼠の婚礼」2008年2月5日)。

2008年6月1日日曜日

弁慶なまづ道具

三週間ほど前に起きたパンダの故郷での地震は、いまなお世の中の人々の心を掴ん離さない。連日のように報じられてくる一瞬の惨劇と、それを乗り越えた奇跡の数々に、何回目を潤ませたことだろうか。

地震は、伝統的な絵の画題の一つでもある。日本の絵画の歴史の中でくりかえし語り伝えられ、実際の作品を大事に保存されてきたのは、あの「鯰絵」である。いまから約150年前の、江戸後期に起きた安政大地震を受けて膨大な数に作製されたこの一群の絵は、奇想天外な形で地震の正体を鯰に集約させ、さまざまな格好をする鯰を通じて、地震への恐怖、それを退治する勇気、ひいては理不尽な運命へのやり切れなさを託していた。

インターネットでは、鯰絵についての紹介だけではなく、実際にデジタル画像を載せているサイトも多い。例えば「小野秀雄コレクション(東京大学大学院情報学環・学際情報学府)」は、計36点の作品を掲載し、しかもそのすべてについて文字テキストの翻刻を添えている。鯰絵に登場する象徴的な内容(要石、瓢箪、など)、擬人描写の方法、鯰退治の仕方などに思いを馳せながら、テキストを読み、絵を眺めて、興味がつきない。

中でも、とりわけ読み応えを覚えたのは、表題に掲げた「弁慶なまづ道具」である。長文のテキストをもって、地震にかかわる状況の記録や報道、地震に対応する情報や心得を伝えるという定番に対して、この絵に見られるテキストは、わずかこの七文字しかない。しかも絵柄に登場した鯰は、猛威を振るっているわけではなく、神や民衆に懲らしめられているわけでもない。それはなんと豪華な鎧兜を身に纏り、凛として仁王立ちした英雄然の古武士の姿だった。

いうまでもなく、絵の眼目は、「七つ」と「鯰」という二つの言葉の巧みな文字遊びである。七つ道具と言えば弁慶、ならば鯰それ自身が弁慶に変身したのだった。夜空の月、そばに聳え立つ五条大橋の欄干など、すべて自然に画面に登場した。そこで肝心の七つ道具である。もともと弁慶伝説において、七つ道具のリストには異説が雑然と混在し、熊手、薙鎌(ないがま)、鉄の棒、木槌、鋸、鉞(まさかり)、刺股(さすまた)というのがその中の一説に過ぎない。それに対して、ここに見られる道具は、斧、鋸、木槌と、地震退治のものばかりで、しかもその数と言えば、両手に握られたものを入れると、じつに十に数えるのだ。地震退治のための必須道具の絵リストというものだと気づいたら、文字テキストよりも、絵そのものが一種の情報伝達の効用を担っているに違いない。

ところで、ここまでユーモアたっぷりでいて、遊び精神溢れたものの作製は、地震による苦痛を忘れることを前提とすることだろう。情報におぼれる現代において、一つの事件を忘れるスピードははるかに速くなったとよく言われている。それにしても、八万人に迫る死者をもたらした自然災害の苦難を忘れるには、はたしてどれぐらいの時間が必要だろうか。

鯰絵・小野秀雄コレクション
鯰絵・日本社会事業大学
鯰絵・筑波大学附属図書館