京都国立博物館は、公式ホームページにおいて「国宝重要文化財・名品高精密画像閲覧システム」を公開した。配慮の行き届いたサイトの構造、多方面からの検索エンジン、分かりやすい画面レイアウトから、博物館の積極的な姿勢が伺える。博物館が所蔵している名宝をデジタルの媒体に記録し、それを高精密と形で公開すること、収集と展示という博物館の在来の形態に加えて、デジタル媒体への対応に真剣に取り組むことなど、なんとも有難い。
一方では、収録する作品は、「国宝」など限定したということもあるからだろうか、たとえば全体の十五のカテゴリの一つである「大和絵」には、「病草紙」9点を含むすべて15件しかなく、かつて「大絵巻展」を主催して絵巻に大きくスポットライトを与えた博物館としては、はなはだ物足らない感じだ。タイトルは「名品」とも名乗っていることから、さらに多くの作品が公開されることを心待ちしている。
公開する作品の点数とは別に、デジタル画像公開のフォーマットの選択には、一ユーザーとしては大きな不便を感じている。せっかくの高精密のデジタル画像も、最終的な提示は、わずか500ピクセル四方の画面においてしかアクセスさせてもらえない。言ってみれば、画面を熱心に見ようとする閲覧者は、わずかに小さな虫眼鏡を手渡されたことになる。見たいところはどこでも覗いていいんだが、全体を見渡すことは不便を覚悟しなければならない。しかもオンラインでのアクセスなので、虫眼鏡の覗く先を移動する度に、デジタル信号の転送を辛抱強く待たなければならないし、その間には何回も変わっていく画面をやむをえず眺めなければならないというプロセスは、実際の使用を制限するほかならなかった。
そのことから考えれば、公開のタイトルに入っている「閲覧」という言葉の意味合いを余計に感じた。デジタル公開の場ではさほど使われていない語彙だが、主催者の思慮と意図が実によく集約しているように思えてならない。いわば「閲覧をさせるが、読者の手元に置かせるわけにはいかない」「入館は歓迎するが、貸し出しはいまのところ対応しない」。はたして飛躍しすぎた翻訳だろうか。
このような処置を取らせた理由は、いうまでもなく「悪用防止」ということだろう。しかしながら、大きな画面ならそれをそのままダウンロードさえすれば、悪用に繋がるようなことだったら、いまの公開でも画面を繋いで印刷なりほかの用途への流用なり簡単にできるはずだ。そのようなさほど効用のない悪用予防策のために、本来の使用への対応を犠牲にするのは、はたして望ましいことだろうか。国を代表する博物館だけに、ぜひとも見直してもらいたい。
京都国立博物館所蔵国宝重要文化財・名品高精密画像閲覧システム
2008年6月22日日曜日
京博の「高精密画像閲覧システム」
Labels: マルチメディア
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