2021年9月25日土曜日

JSAC2021

来週の週末、カナダ日本研究会(JSAC)の年次集会が開催される。今年こそ対面でやろうとの議論や調査もあったが、結局は夏の間に早々と結論が出て、去年に引き続き、今年もリモートとのこととなった。

今年の発表テーマも、『徒然草』絵注釈を選んだ。去年は四コマ漫画とのアプローチをとりあげ、そのあとは、今年に入ってからは朗読動画の制作、公開を続けた。ただ、おなじ現代的なメディアを話すより、内容に移行しようと考え、絵に見られる思考や概念を見詰めてみることに決めた。英語題は、「Thoughts and Concepts in Visual」。具体的な事象や品物の表現に便利な絵は、兼好が好んで語る抽象的なコンセプトや屈折した理屈、説教をいかにして伝えたのか、どこまで伝わったのか、絵を読みながら時々膝を打つ事例に出会ったので、それらにスポットライトを当ててみよう。いうまでもなく全面的に、漏れなく論じるまでにはなかなか用意が出来ていないが、一つの切り口への出発としたい。

例年通り、大会の日程は、金曜の朝から日曜の午後までぎっしり。これまでは、すくなくとも一日分の授業を休講にして、早々と航空券を購入しての大がかりで特別な週末になる。数えてみれば、勤務校での二回の開催以外、車一回、バス一回、2016年は日本から帰りのフライトから途中下車して、そのままUBCに乗り入れるという日程もあった。その分、古い友人や新しい知り合いとの食事会、飲み会が集まりの楽しみであり、収穫の場だった。それらはすべて遠い昔の出来事となった。あのような日常が一日でも早く戻ってくるように。

JSAC2021プログラム

2021年9月18日土曜日

乙矢

古い写真に色を付けたらどうなるのか、AIによる試みがあっちこっちで見られる。よく対象になるのは明治時代の古写真、眺めていて楽しい。そんなところへ右の一枚が目に飛び込み、少なからずに驚いた。例の『徒然草』第九十二段の記述が記憶に鮮明に残っているからだ。兼好がいう「師」の戒めにここまで明確に反しているというのはどういうことなのだろうか。

『徒然草』を読むと、「諸矢」、「後の矢」、「始の矢」など、普段使わない言葉にはすでにいくつも出会う。もうすこし調べて見ると、このリストはさらに長くなる。「甲矢(はや)、兄矢、早矢とも」、「乙矢(おとや)」、そしてこの二つが一セットとなる「一手(ひとて)」。『古今著聞集』に用例が見られるほど、コンセプトははやくから打ち立てられていた。ならば、兼好がわざとこのような専門的な語彙を避けていたのだろう。その真相がいずれにせよ、「諸矢」を手にして弓を引くという作法はしっかりと行われ、しかもそれが今日の弓道においても受け継がれ、関連の写真などを見れば、かなりの数が公開、共有されている。はたして『徒然草』を読み返すと、「初心の人」とあった。あるいは熟練した人なら、二つの矢を構えて良し、とでも兼好が言いたかったのだろうか。

兼好の文章を、注釈絵、くずし字による記述、朗読、そして字幕にあわせてどうぞ味わってください。(「朗読動画『徒然草』第九十二段 或人弓射る事を習ふに」)

2021年9月11日土曜日

リール動画

インスタグラムの使用は、初心者ながらいまでもあれこれと試している。日常の公開記録を基本とするが、有意義な発信も心がけている。今週、すこし時間を使ったのは、小動画。写真と違う性格を理解しようとすることもあって、インスタに提供されているリール、それにハッシュタグの付け方とあわせて模索した。

リール動画には時間制限があって、15あるいは30秒。その中で伝えるということで、伝え方と内容を工夫しなければならない。その中で試したものの一つには、これだ。(「奈良絵本『ほうみやう童子』(上)挿絵」)物語の筋を一通り書き出すメモをnoteに書いたので(「宝妙童子の話(1/3)」)、そこで触れた画像を再利用するという形になる。御伽草子の絵、とりわけその素朴で美しい構図や充実な中味を伝えたいものである。短い動画でとても表現しきれるものではないが、一つのきっかけとして関心をもってもらえればと狙っている。はたしてインスタのリールを見る人にこの思いが届けられるやら。これにもうすこし文字を入れて描かれた人物や事項を掴めやすいものにすべきかもしれないが、つぎの着想としておこう。

小動画を作成するには、それ専用のツールが多数利用できて、スマホで撮影したものをそのままスマホで編集してアップロードという流れも普通になっている。個人的には、これがお勧めだ。(「「YouCut」を使う」)

2021年9月4日土曜日

Kindle本

前回書いた御伽草紙『猫のさうし』の現代語訳、一通り作成して、短い紹介、四つの章に対するメモ、それに原文、朗読動画やこれまでのブログ記事へのリンクなどを添えて一冊にまとめ、『猫と鼠の世にも奇妙な大論争』と題してキンドル出版に出した。

中世の物語をいまの読者に伝えるために、さまざまな形で作品そのものを提供しなければならないとつねづね思っている。そのため、音声、動画、変体仮名読解など、思いつく方法を試みてきた。御伽草紙の作品群は、ほとんど仮名のみで書かれ、そのままで読むのはかなりの専門性が要求され、本文を現代語に変えておくことは必要だ。一方では、単なる現代語訳は、紙媒体の出版物に採用される機会はさほどない。それならば、Kindle本は一つの選択となる。在来の出版物と並んでアマゾンサイトで提供され、読む気さえあれば気軽に、快適にアクセスできる。アマゾンが一か月無料などの形で積極的に進めている「読み放題」のサービスも心強い。

あとはどこまで潜在的な読者に届けられるかにかかる。そのためには、フェースブック、ツイッター、インスタグラムなどで発信を試みている。いまのところ十分な手ごたえが得られるには至らないが、しばらくは模索を続けたい。