2021年9月18日土曜日

乙矢

古い写真に色を付けたらどうなるのか、AIによる試みがあっちこっちで見られる。よく対象になるのは明治時代の古写真、眺めていて楽しい。そんなところへ右の一枚が目に飛び込み、少なからずに驚いた。例の『徒然草』第九十二段の記述が記憶に鮮明に残っているからだ。兼好がいう「師」の戒めにここまで明確に反しているというのはどういうことなのだろうか。

『徒然草』を読むと、「諸矢」、「後の矢」、「始の矢」など、普段使わない言葉にはすでにいくつも出会う。もうすこし調べて見ると、このリストはさらに長くなる。「甲矢(はや)、兄矢、早矢とも」、「乙矢(おとや)」、そしてこの二つが一セットとなる「一手(ひとて)」。『古今著聞集』に用例が見られるほど、コンセプトははやくから打ち立てられていた。ならば、兼好がわざとこのような専門的な語彙を避けていたのだろう。その真相がいずれにせよ、「諸矢」を手にして弓を引くという作法はしっかりと行われ、しかもそれが今日の弓道においても受け継がれ、関連の写真などを見れば、かなりの数が公開、共有されている。はたして『徒然草』を読み返すと、「初心の人」とあった。あるいは熟練した人なら、二つの矢を構えて良し、とでも兼好が言いたかったのだろうか。

兼好の文章を、注釈絵、くずし字による記述、朗読、そして字幕にあわせてどうぞ味わってください。(「朗読動画『徒然草』第九十二段 或人弓射る事を習ふに」)

0 件のコメント: