2007年10月30日火曜日

展覧会カタログ

神田で開催されている古本まつりに行ってきた。古書即売展、青空掘り出し市、オークション。学生時代は京都百万遍寺で経験していた年に一度のあのわくわくした記憶は、すべてそっくりそのまま目の前に展開されていて、なんとも懐かしい。そして、古本を捜し求める人々がたいてい目をくれないところに、展覧会カタログは、所在なさそうにまとめて置かれている。

そもそも展覧会カタログは、出版物の中での特殊なジャンルと言わなければならない。作品を写真に納め、解説を要領よく施し、時には思いも着かないようなテーマを提示してくれる。それに加えて、想像に思い描いていた幻の名作が一度は公の場に出されたとのことで、なんとなく親近感を持たせられる。ただし、あくまでも展示会に付随するもので、ある種の特典との色合いがあって、ふつう特定の場所でしか販売されていない。どうしても出られない展覧会など、友人に頼んだカタログだけを手に入れたとの経験は、おそらく多くの人々に共有されているだろう。

展覧会の数だけカタログがある。したがってそれを個人の力ではとてもカバーできるものではない。それどころか、図書館の蒐集でさえ限界があって、必要なものを捜し求めるには、いつも戸惑いが伴う。その分、かつて十年、数十年おきにカタログそのものの目録が作成されていた。幸いここにも電子の恩恵が及び、オンラインで検索できるデータベースはいくつも構築されて、一昔とは環境が大きく変わった。

さらに一つ付け加えるとなれば、最近の展覧会カタログは、プレゼンを工夫するという傾向が顕著になった。そのおかげで、カタログにはつき物の「おとなしい」というイメージは、段々当てはまらなくなり、カタログのページをめくる楽しみがますます増えた。

つぎに行く展覧会は、サントリー美術館の「鳥獣戯画がやってきた!」だ。絵巻好きの人にはまるで夢のようなものである。はたしてどのようなカタログに出会えるのだろうか。

展覧会カタログ検索
東京文化財研究所:今現在、2006年8月31日までの近現代および古美術関係の展覧会カタログ22,762件が対象
調べ方案内
国立国会図書館:展覧会・展示会カタログ

2007年10月28日日曜日

応天門の火災現場

「伴大納言絵詞」、いうまでもなく絵巻ものの中の代表格のものだ。最近、これを解説するビデオを見た。ふつうなら一人で黙々と見るものだが、ちょっとした機会に恵まれて、大人数の若い人々と一緒に鑑賞した。部屋を暗くしてじっとスクリーンを眺め、まるで映画を見る気分だった。そのため、よけいに集中できた。その中で、とても短い一瞬だったが、ビデオの解説の文句に首を傾げた。

解説の対象は、上巻の応天門炎上の状況である。古代の象徴的な建築の火災というのは、それこそ心を揺さぶるような大事件で、日常生活にいた人々への衝撃の大きさは、今日のわれわれが想像するのを超えるものがあった。そして、絵巻のこの名場面は、まさにそのような状況を圧倒的なスケールで描きあげたことで、絵ならではの魅力を見せ付けている。ビデオは、その魅力の一端を、人物の顔姿に注目を勧める。これまたまともな読み方だろう。しかしながら、そのような精彩を富む顔の中から、ビデオが提示したものの一つは、右の一こまであり、しかもその解説には、「女性に良からぬことを企む男」といった内容だった。応天門火災の現場に、なんとチカンを見出そうとしたものだった。いくらなんでも、これはひどい。あきれて、古代の名作への冒涜とさえ思えた。

絵の構図を見れば、男の格好はたしかに目立つ。体の重心は前の女性に寄りかかり、視線の角度も心なしか周りの人々のそれとちょっと違う。歯を噛み締めて口をへの字にした顔つきは、深刻に見える。これに対して、前に立っている女性は、口を大きく開き、両手をおおげさに叩いて驚きと興奮を体いっぱいに表現する。二人の姿は対照的だ。しかしながら、ここに良からぬ男女の、あるいは男一人の快楽だとするには、あまりの飛躍だろう。たとえ二人の人物の間に体の接触や特別な関係を読み取れるとしても、二人は夫婦、友人、あるいはただ一瞬に男女の差を忘れてしまった呆然自失した極端な状態など、いくらでも解説の余地があるのではなかろうか。

一枚の絵の構図を理解するには、自然と複数の答えがありうるだろう。その読み方は、自由でなければならないし、人々の思いつかないものなら、読者をあっと思わせて、よりよい理解の手助けやヒントになることだろう。だが、解釈の自由も無限ではない。読み手の想像を拘束するものには、まずつぎの二つがあるだろう。一つは、絵の表現とは、つねに明快で分かりやすく、テーマの屈折を伴わない。いま一つは、表現したものは、時代の常識であり、人々に共有されたものでなければならない。

そもそもチカンとは、いたって現代的な犯罪だ。知らない女性の体を触ることによって快感を覚えるというのは、ある種の病気に近い。そのような病状を、なんの断りもなしに平安の絵に求めようと思ったら、あまりにも乱暴だろう。映画館を思わせる部屋に座って、映画のせりふではないだろうけど、「それでもやっていない」との叫びを聞いたのは、わたし一人だけだったのだろうか。

2007年10月23日火曜日

絵巻と御伽草子

絵巻と御伽草子、この二つの作品群の区別はどこにあるのだろうか。両者の間に一線を画そうとすれば、それははたしてなんだろうか。一見単純なようだが、かならずしも簡単に答えられるものではない。

「御伽草子」という名前は、もともと「渋川版」と呼ばれる出版物の名前だった。したがって最初に浮かんでくるのは、巻物か冊子本かという作品のスタイルだろう。しかしこの作品形態のことは、室町や江戸の人々にはさほど意味を持たなかった。現に「文正草子」や「浦島太郎」といった御伽草子の代表格の作品の綺麗な巻物は、かなりの数が作られ、いまでも日本や海外に多く所蔵されている。

つぎに考えられることは、絵のスタイルである。いわゆる「奈良絵本」がその典型だったように、絵は作品全体の分量に対して数が少なく、その構図も簡略になって、幼稚でほほえましい。多くの場合、絵のしろうと、あるいは意識的にしろうとの真似を取り入れた描き方だった。だがこれだってはっきりした区別の標準があるわけではない。絵巻作品群にも構図の幼稚なものがあり、御伽草子の絵巻には豪華な作りをもつのはこれまた数え切れない。

もう一つ考えられるのは、作品の題材だ。御伽草子の作品には、いくつかの代表的なテーマがあり、たとえば本地もの、異類ものといったようなものは、かなり似通った思考や趣向を見せる。いうまでもなく題材という捉え方自体が曖昧で、あるいは題材とはそもそも分類の基準になるような可能性を持たない。

これ以外にもいろいろと考えられるだろう。きっとその研究史まで誰かがすでに纏めたに違いない。

一方では、このような問いを出すこと自体には、それなりの理由がある。つきつめて言えば、絵巻という作品群の下限をどこに置くか、ということだ。言い換えれば、平安の院政期に現われ、鎌倉時代を通して数々の傑作を生み出したこの魅力な形態は、はたしてどこにその歴史的な終焉と認めるのだろうか。これの発生と隆盛に目を見張ると同時に、その衰退と消失にはあまりにも注目が足らなくて、大事なことを見落とした思いがしてならない。さらに付け加えるとすれば、「御伽草子」と呼ばれる、いわゆる「室町物語」という一群の作品は、形態的でも内容的でも、あまりにも強烈で異彩を放ったがために、平安、鎌倉と続いた絵巻の伝統までその背後に隠れてしまった、という要素も見落としできない。

最後に記しておこう。このことを考えさせてくれたきっかけは、慶應義塾大学が公開した「HUMIプロジェクト」だ。これの出現は、これまでの活字翻刻や断片的な写真紹介などとは異なる形で御伽草子の全容を覗かせてくれて、鮮烈なまでに御伽草子についての認識を深めてくれるものだ。

世界のデジタル奈良絵本データベース

2007年10月21日日曜日

百鬼夜行絵巻を享受する

タイトルに「享受」と書いたが、やや特殊なケースに目を向ける。すなわち普通の読者がどこで、どうやって絵巻を見るか、ということではなくて、近世の絵師がいかにしてこの絵巻を自分のものにしたのかということを、ここで一つの実例を通して考えてみたい。

「百鬼夜行絵巻」は時代の異なるいくつかの伝本をもつ。その中では、大徳寺真珠庵の所蔵本は作成の時期が早く、複数の模写本を擁していて、この絵巻の基準作とされている。

ここに、日文研は真珠庵本の上質な模写本と、これとはべつの「化物婚礼絵巻」と題するいわゆる百鬼夜行ものを二点所蔵している。両方ともインターネットでデジタル公開をしていて、後者の短い序文には翻刻まで添えて、感じの良い形で両方の作品を読者に提供している。

この二点の絵巻のうち、後者は明らかに真珠庵本かその系統の伝本を手本に用いた。全作を三巻に仕立てて、絵の分量ははるかに多い。さらに、ほぼストーリー性を認められない真珠庵本に対して、「化物婚礼絵巻」は、結婚と子供の出産という二つの状況を描きこんでいる。そのため、女性の化粧などの画面はそれなりに意味を持つようになった。一方では、器物の化物ということを表現する気力を持たないからだろうか、それにこだわることはなく、むしろ器物の表現については、真珠庵本系統のものにすでにあったものをそのまま受け継いだのみに留まった、という感じだ。その代わり、結婚式における新婦の所作、新しい赤ちゃんの入浴など、民俗的な生活を映し出す場面などは印象深い。

「化物婚礼絵巻」は、あきらかに「百鬼夜行絵巻」の内容を用いた。たとえばつぎのストーリーの結末の場面は、典型的な一例となる。右から二番目の鬼は、もとの絵巻にみる鬼の造形をそのまま使い、わずかに両手の位置を変えただけだった。それに左から一番目のキャラクターは、もとの絵巻の始めに登場したもので、それをそっくりそのままここに移してきたとの工夫で、むしろ絵師の遊び的な妙を覗かせてくれたぐらいのものだった。いうまでもなく、このように安易とさえ見られる絵の構図の流用は、当時の絵師にとっては、たいして名作をパクったといったような不名誉なものではなった。それどころか、ここまで生き生きと描くことができて、かつ思い切っての展開を見せたことで、大いに当時の読者たちを楽しませて、非常に歓迎られていたとさえ言えよう。

一方では、このような絵師たちの享受は、今日の絵巻読解に大切なヒントを与えてくれている。絵師のこのような作業は、一つの画面についての、当時の平均した理解を示してくれて、一種の絵による絵の注釈とさえ考えられる。下の画面について言えば、真珠庵本の終わりの火の玉は、表現として単純ではない。炎が燃えて、しかも火達磨の下半分という構図は、いくつもの解釈を可能にする。それに対して、「化物婚礼絵巻」は、同じ状況でも、赤い球形の頂点の一部を描く。これなら昇りはじめた太陽だとすぐに分かる。単純にして誤解が少ない。

いずれにしても、日文研本「化物婚礼絵巻」は魅力的な作品で、じっくりと読む必要が大いにあるものだ。

国際日本文化研究センター絵巻物データベース
立教大学人文科学系図書館蔵「百鬼夜行絵巻」展示解説

2007年10月18日木曜日

現代生活の「絵巻」

今日は、「絵巻」という言葉そのものを眺めてみる。

そもそもこの言葉も、字面の意味だけでは内容を十分に伝えきれないというソシリを持つ。絵巻とは、いうまでもなくただ単に絵が描かれた巻物ではない。それには詞書という文字によって記されたテキストがあり、かつ文字と絵との組み合わせを交互に用いてストーリーを伝える。さらに言えばその文字テキストは、すでによく知られたものの一節だったりして、いわば既知の物語を言葉と絵で再現するという表現形態である。もちろん『鳥獣人物戯画』や『百鬼夜行』といった詞書のない名作もあるが、膨大な絵巻ものの作品群ではそれはあくまでも例外なものである。

ここに興味深いことに、「絵巻」という言葉は、そのような古典作品を指示すると同時に、現代の生活においてすこしずつ変容したという事実である。

今日では、日常生活のなかで「絵巻」という言葉と出会い機会はじつに多い。しかもその多くは古典作品としての絵巻と関係がありそうでない。無造作にインターネットで検索したら、つぎのような用例にはすぐたどり着いて、微笑ましい。町の図書館では、子どもたちに絵本に親しんでもらおうと、みんなで長さ30メートルの巨大な絵巻を作ってしまう。これならたとえ巻けなくてもまだ「巻きもの」の形あるいは可能性をもつが、博物館の「○○立体絵巻」、地方の年中行事の行列を繰り出す「時代絵巻」となりますと、巻物とそもそも関係がない。「絵」といわれる、それも古代のものから受け継ぐビジュアルなもの、という理解でこのような用例が生まれたのだろうと推測できる。一方では、「音楽絵巻」「和菓子絵巻」となると、もう理屈が分からない。耳で聞いたり、口や鼻で賞味したりする対象と「絵巻」との共通項は、いったいどこにあるのだろうか。

特定の概念の延長や広がりは、いうまでもなく固有のものへの認知を伴うもので、喜ばしい現象ではある。しかも狭い概念が抽象的に捉えられて、物理的な対象にこだわらないぐらい思考に加えられたことも、歓迎されるべきだと言えよう。ただし、あまりにもの広がりにより肝心の実物が忘れられはしないか、とりわけ言葉表現の立場から言えば、はたして同じ意味合いを共有しているかどうかと、いささかの戸惑いを感じることも否めない。その意味では、つねに原点に立ち戻ることをひそかに願う。

(紹介した用例は、この夏JSAC学会での小さな発表の一部である。)

2007年10月16日火曜日

異時同図・その反対

日本絵巻の特徴を語るとなると、「異時同図」という言葉はすぐに出てくる。言葉自体の人為的な作りは、妙に専門的なニュアンスを持たせて、一種の権威を感じさせる。

考えてみれば、この言葉にはどこか落ち着かない。違う時間の中に行われた出来事が同じ場面のなかに繰り広げられる、というのがこれの指す構図である。たとえば『信貴山縁起』のなかの大仏前の礼拝、『伴大納言絵巻』のなかの喧嘩、である。ここでは、異なる出来事もその図の一部であり、「同図」が意味しようとしたのは、これらの出来事が展開される同じ背景、状況である。したがって、あえていえば「異時同景の図」「異時同場の図」といったところだろうか。いうまでもなく指す内容さえはっきりしていれば、このレベルの用語の不備はさほど問題にならないといえばそれまでのことだ。

ここで、この言葉に惹かれて考えみたいのは、これと反対する構図が成り立つかどうか、ということだ。すなわち、「同時異景」である。

同じ時間に行われた行動をまったく異なる背景のもとにおいてそれを表現する。このような構図は、今日の漫画などにはいたって基本的なパターンであり、見慣れたものかと思う。たとえば友達同士の電話会話となると、いつも一つの画面を二つにして受話器を握る二人を描く。二つの場面の差が大きいほど、会話の内容がクローズアップされ、ストーリーの深みが増す。

そこで絵巻の画面には、このような構図が用いられていたのだろうか。あってもおかしくない、あるはずだ、と睨む。あまり指摘されていないというのは、ただこれまではこのような目で画面を眺めていなかっただけのことだろう。

たとえば無数に描かれた臨終と来迎の図は、その一例と考えられないのだろうか。高名の僧侶あるいは篤誠の信者は極楽浄土への往生が約束され、その死と同時に菩薩が祥雲に乗ってやってくる。典型的な構図は、横たわる主人公と、菩薩を囲み雲の上を舞う天女である。しかも多くの場合、雲の上の様子はまわりの人々の視線には入らない。主人公の死という一つの瞬間においての、体と魂の分離と、魂を迎えるための天上界の準備という、まったく対照的な二つの場の様子が広げられていると読み取っていいだろう。このような目で読むと、ストーリーの描写においての多くの構図からは、絵師たちの隠された工夫が伝わってくるに違いない。

ちなみに、「異時同図」という捉え方はあまりにも盛んに行われたからだろうか、東洋美術研究の学者、たとえば小川裕充、古原宏伸らの大家は、いずれも中国絵画からの実例を報告して、それが日本独特のものとは言い切れないことを強調する。そのような視点も必要だろう。しかしながら、同じ構図の実例が中国の絵画に認められたにせよ、古代の中国の画家たちはこれをさほど夢中しなかった、多用しなかったことも確かだ。「異時同景の図」とは、やはりいたって日本的なものだと考えたい。(絵:『融通念仏縁起』下巻第二段より)

2007年10月13日土曜日

「西遊記」に夢中した日々

書画目録図録を捲りながら中国絵巻の実例を探し求めているうちに、「唐僧取経図冊」が目に入った。数年前に『玄奘三蔵絵』を読んだころにすでに出会った絵だ。孫悟空と唐の三蔵法師、この組み合わせからはすぐ子供ころの中国古典小説を親の目を盗んで読んだ記憶が蘇る。

中国古典の伝統の全体においてどうであれ、個々の経験においては、画像の分量が圧倒的に少ない。しかも山水画などが中心で、いわゆるハイカルチャーのイメージが強く、襟を正して取り掛かるようなものがほとんどだった。それにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、わずかな経験はつねに強烈な思い出として残る。わたしにとってのそれは、『西遊記』を通じてのものだった。

あれは紙もすっかり黄色くなった年代物の読み物のセットだった。親、いやお祖父さんにとっての大事なものに違いはなく、子供ころのわたしには簡単に触らせてもらえるようなものではなかった。それでもずいぶんとこっそりと取り出して、一人で半分ぐらい分かったような気がする文字を追いながら、ストーリーを楽しみ、そして挿絵をじっくりと見入っていたものだった。絵は、一章について一枚のみに留まり、それもすべて一冊の最初に綴じられたものだった。いまから思えば、分量も少なく、絵が描き出す内容も非常に限られたものだった。でも、子供だったわたしには、それはもう最上の喜びだった。いくら眺めてみても飽きることはなく、どきどき、わくわくした気持ちと、本を閉じたころの満足感は、言ってみればいまごろの一部の映画を見終わったときの爽快感をはるかに超えてしまうものだった。そのような読書の経験は、西遊記を「自分のもの」との思いにさせてくれた。そして玄奘三蔵の話が時空を超えて今日にどのような奇天烈な展開を見せても、たとえ女性の俳優によってそれをテレビやスクリーンに再現しようとも、漫画や電子ゲームにゴクウのキャラクターが一世風靡しようと、それらをすべて相対的に眺めることが可能になった。

いまは、日本の絵巻を学問の対象として読み続けている。絵の分量もストーリーの密度も、「西遊記」の一枚の挿絵をはるかに超えてしまうものが多い。新たな作品を紐解くときには、高い好奇心もつねに持ち合わせている。一方では、作品との距離を意識的に取り、覚めた視線を自分に課しているのもたしかだ。そのため、子ども時代のあの熱い視線と高揚した好奇心がときどき無性に恋しくなるものだ。(絵:「唐僧取経図冊」、中國繪畫總合圖録 より)

遊子館図書目録

2007年10月9日火曜日

カラー印刷

カラー印刷出版技術の進歩はすさまじい。絵巻などの古美術を写真に納めて印刷出版したものは、たいてい一目で見ればおよその出版年代が分かる。それぐらい歴然としたものだ。

一方では、出版の数に比例して、なぜかその魅力が小さくなると感じるのはわたしだけだろうか。絵巻でいえば、一流作品の全点出版が終わり、それも手ごろな値段で個人の手に入るようになってから、作品の部分々々をクローズアップで見せることしかできない、出版のランク付けには用紙の質に頼ってしまうような安易な出版物には、つい敬遠してしまう。

その中で、最近印象に残った一点をここに記しておきたい。出光美術館が2006年に発行した『国宝伴大納言絵巻』である。この一冊の魅力は、一言で言えばプレゼンテーションに工夫を凝らしたことにある。同じくクローズアップの写真を組み入れることで絵巻を紹介するという枠組みの出版でありながら、その写真の撮影と選択は秀逸だ。ふつうならオリジナル作品のイメージを壊すのではないかと危惧する蛍光撮影、料紙の質感を出すような接写、陰影を強調して演出した立体的な出来栄えなど、出版物としての遊びが至るところに見られて、読む人にも絵を見直すきっかけをなにげなく与えている。ページを捲りながら、写真の魅力をあらためて認識させられた。

写真印刷を通じて古典の作品を正確で綺麗に再現し、出版物の形で読者の手に送り届けるという意味では、現代の出版産業はすでに大きな一ページを作り上げたと言える。でも、印刷出版の役割が終わったとは意味しない。カラー出版はこれからもこれまでにまして続けられることだろうし、そうしなければならない。

これまでの出版では、満足できないことはいまだたくさんある。絵巻の作品に因んで一例挙げれば、オリジナル作品に近い閲覧環境の提供がいまだ十分に成されていない。絵巻は、もともと披いては巻戻して見るものだ。ただし巻物という物理的なスタイルは、今日になればさすがに時間的にも空間的にも経済的ではない。だが、それにもかかわらず、書籍の形になった出版物で、一ページの裏表にある絵を記憶の中でしか繋げることができないことはもどかしい。一段の絵を中断しないで通覧する経験はぜひ持ちたい。おまけにページを綴じた谷間はやはり見苦しい。一段ごとに分かれた、折込式の印刷物があれば、どれだけ助かるものか。

新たな姿になって現われてくるカラー印刷の出現を一読者としてせつに願いたい。

印刷用語辞典

2007年10月6日土曜日

絵巻の文法

絵巻には絵巻の文法がある。あるはずである。

これはじつに魅力的なテーマだ。ただし、これは先に予測ありきの命題であり、絵画をもってストーリーを伝えるというれっきとした表現形態においては、それなりの規則、ルールがあるに違いないとの思いがそもそも出発点だった。研究者たちは、したがってその文法とはなにか、いかに働いていたのかと、手がかりを求めて議論を試みる。非常に周到な意見もあれば、絵巻解読するために回答すべき難問へのアプローチとする実例も見る。

だが、それでもこの絵巻の文法というものの全容はなかなか現われてこない。

ここに、まずわたしの理解するところの「文法」の一例を掲げてみよう。

絵巻の中では、貴人の邸宅を描くにあたり、多くの場合、門前あるいは地下に伺候する従者の姿を描く。それはふつう男二人であり、しかもほとんどの場合その中の一人はすっかり居眠りの中いる。二人の男のささやかな対照や心地よいぐらいの格好は、愛嬌があって憎めない。さらにストーリーがまさになんらかの進展を見せようとし、このような居眠りの姿は、奥あるいは殿上でくりひろげられてくる劇的な一瞬ともう一つの比較を成す。ここにおいて、門前の従者、とりわけその居眠りの姿は、計算された時間流れを演出する。男が居眠りをするほどゆっくりした時間と、クライマックスの一瞬という、時間の異なる姿をすべて巧みにこの一つのパターンと化した構図によって描きだされたと言えよう。

ここに、状況、内容、意味あい、すべてがセットとなって絵巻の定番の構成要素となる。まさに「文法」に操られるような感じだ。あらためて断るが、これはあくまでもわたしの読みである。文法というものははたしてこのレベルで切り出してよいものかどうか、いまだ共通した見識があるわけではない。

だが、文法というのは、言語の領分だ。したがって文法と名乗った以上は、言語におけるそれとの比較がどうしても問われる。両者の本質的な違いと言えば、ルールへの依存、ということにあるのではなかろうか。言語における文法は、まさに言語そのものが成立するための基礎であり、これがないと表現が成り立たない。でも、そのレベルのルールは、絵の表現においては簡単に探し出せない。これまで議論されてきた絵の文法、あるいはそれにかかわるルール、規則といったものはどうしても二次的なものである。さらにいえば、そのようなルールがはっきりとした形を持ち始めると、表現者としての絵師は自然にそれに反する方向へ走り、そのようなルールを破り、それからはみ出した構図をもって読者をあっと驚かせ、楽しませる。現にそのような工夫はいくらでも指摘できる。言語において、文法と対峙するような表現の努力などありえない。そもそも文法という枠組みを一歩でもはみ出したら、表現自体が成り立たなくなるものだ。

そもそも絵巻に「文法」というものがあるものか。あるいは、今日の研究者、鑑賞者としては、それをあくまでも一つの比喩的な道具として、その時その場の関心のために定義を施して用いて済むようなものだろうか。絵という表現形態を理解するための強力な可能性が含まれているからこそ、つい立ち戻ってくる課題である。(絵:『蒙古襲来絵詞』中巻より)

2007年10月3日水曜日

清少納言の感性

絵巻は、平安文化の花形の一つである。「絵」と呼ばれる作品群は膨大な数で文献資料に残り、さまざまな形で貴族たちの日常生活に入り、そのほとんどの場合において華やかなハイライトとなった。

平安時代の人々の感性を伝えてくれた代表的な人物を挙げるとすれば、まず清少納言の名があがるだろう。清少納言の絵巻観を求めて『枕草子』を紐解けば、つぎのようなまるっきり対照する意見が目に止まる。いずれもごく短い文章で、内容は分かりやすい。

まずは『枕草紙』三十一段。この段の始まりはこうである。

「こころゆくもの よくかいたる女絵の、ことばをかしうつけておほかる。」

これに続き、「こころゆくもの」、すなわち気持ちのいいもの、わくわくさせてくれるものとして、たくさんの女房が牛車に乗った様子、上等な便箋に細く書かれた手紙など、風景や品物がリストアップされる。どうやら清少納言にとって、素晴らしいものといえば、まず思い浮かんだのは絵巻、それも興味深い詞書が付いていて、しかもそれが長いほど望ましい、ということだったらしい。

今日に伝わる絵巻のなかで、平安時代のものは、総じて詞書の内容が短い。絵巻のストーリーが熟知された物語や説話に取材され、それが十分に知られているがために、詞書の役割は相対的に小さい、読者が文字よりも絵のほうを期待していたのでは、というのは今日のおよその推測である。それに対して、中世に入ってから詞書の分量はすこしずつ増え、文字と絵との比例で言っても文字がはるかに上回るいう作品も多数作成されていた。

それにしても、文字の記述が多いほどいい、ストーリーの展開を絵を追って確認すると同時に、もっともっと文字が読みたい、という素朴な印象を、平安の、それも清少納言レベルの知的な女性に述べられたとは。

一方では、『枕草紙』百十六段は、一転して絵巻の絵についての不満を記す。つぎはこの段の全文である。

「絵にかきおとりするもの なでしこ。菖蒲。桜。物語にめでたしといひたる男・女のかたち。」

三種類の草と花、そして綺麗に描かれた物語の中の男女の主人公たちの顔姿は、絵に描かれてしまうとかならず見えが思わしくなくなる、という意見だ。

ここに挙げられているものは、よく考えてみれば、二つのまったく性格の異なるものだ。花や草のようなものは紙に描かれると、現実の世界に見せた生き生きとした生命力が薄れて、目の前の実物とは比べものにならない。対して、物語の中の人物は、だれも見たことのないものであり、いわば読者の想像の世界にだけ存在するものだ。そのような想像によって育まれた豊かなイメージは、紙に描かれたものによって、想像に反したりして、破壊されてしまう、ということが問題の核心だろう。言い換えれば、ここは絵師の腕前など問題にしていない。絵の宿命的なことをめぐっての、真摯な読者の苦悩なのである。

清少納言の魅力は、まずなによりも彼女の繊細で感性豊か感受性、そして好き嫌いをはっきりと述べてしまうという歯に衣せずの書きぶりにあるのだろう。そういう意味では、彼女の意見をもって平安の人々の意見を代表させるとなれば、どこか語弊が生じる。はっきり言えば、平安の人々の平均的な感性が清少納言に言い表されているとはとても思えない。清少納言の意見は一番鋭くて、先端を走るものだ。ただ、その分、今日のわれわれにはよけいにずしんと心に来て、考えさせてしまう。(絵:『枕草紙絵巻』に描かれた清少納言)

2007年10月2日火曜日

「絵巻三昧」

絵巻のことは、その存在を知ってからずっと惹きつけられる思いを抱いている。最初の出会いは、確か留学生として京都大学の文学部に在学していたころのことだろうか。時計台の下にある、いつでも人ごみの中にいながらも不思議に静かな時間が持てる生協の本屋で、出版されたばかりの『日本の絵巻』を手にした。何も描かれていない空白の部分まで豪華な写真印刷に納めたことへの感動と、その意義について思い返したことは、いまでも鮮明に記憶している。

絵巻は、ストーリーを伝えるものであり、間違いなく文学の作品だ。だが、それは美術品としても一流であり、かつ写真印刷が十分に普及するまで、一点の作品の全容を見ること自体ままならない時代においては、文学的なアプローチがごく限られていたことも否定できない。そのような意味において、絵巻についての本格的な研究は前世紀の八十年代以後のことであり、しかも現在でも、ようやく大学の基礎教育に取り入れられはじめたのではなかろうか。その中において、私自分も新出底本の紹介や翻刻、表現内容の読解など、いわば伝統的な文学研究の手法を応用した絵巻研究を試みた。

一方では、過去二十年において、電子メディアの発達は、写真技術の普及よりはるかに早いスピードで進み、現代における絵巻の再生と伝達のために、比べ物にならないぐらいの影響をもたらした。電子メディアの可能性にあやかって、絵巻の注釈、文字認識の伝達など、一人であれこれと模索してきた。プログラムまで自前で作成したりして、まさに試行錯誤の連続だった。想像と技術の可能性による創造は、つねに研究生活においての活力の翼だと繰り返し教わったとありがたく思う。

二〇〇七年の夏から、勤務大学から一年の研究休暇が与えられ、国際交流基金の助成を受けて東京で八ヶ月にわたる研究生活を送る。この間、かねてから思い描いていた「絵巻三昧」を体験しようと思う。そして、このささやかなブログを開設して、その時その場に思いついたこと、読書や活動の内容などをメモ風に書き溜めていく。

ブログ・絵巻三昧が、刺激な知的な出会いと新たな交流の場となれるように祈りつつ。