2018年1月27日土曜日

二つのビデオサイト

先週、二つほどの特設サイトを公開した。一つは「カナダ日本語ビデオコンテスト」、もう一つは「Old Japan Redux」である。ともに学生たちのビデオ作品を集めたものである。前者は、カナダの七つの大学からの教師が力をあわせて企画し、実施したものであり、後者は日本歴史の授業を受講する100人近い学生たちの宿題から選んだ優秀作品集である。

二つのサイトは、学生たちにビデオ作品を発表する場を与えるということで共通している。発表と言えば、実はこのようなサイトを企画・作成するにあたり、もうすこし一歩進んだ考えを個人的に持っている。今の技術では、ビデオ作品など作ってしまえば、誰でもさほど苦労せずにそれを広く世の中に送り出すことができる。しかしながら、作者本人の手で公開することは、簡単なだけに、作品を第三者の目で選択、判断するプロセスが存在せず、そして本人がさらに手入れをしたり、ひいてはなんらかの事情で作品そのものを取り下げたりすることはつねの可能であり、視聴者の立場からすれば、一種の不安が伴い、安心して利用することはできない。在来の出版に準えて考えてみれば、対象のものを選び、さらに一つの完成形を持たせてこれ以上内容を変えないという二つの側面は、個人による公開では手に入れることができなくて、第三者の立場から行って初めて可能になったものである。

一方では、伝統的な出版にそって考えるならば、編集、すなわち作品をよりよくするためにさらに修正したりして改善させる作業は、今の二つのサイトには取り入れていない。言い換えれば、良い作品を選び、それを薦めることは、現時点の到達であり、それをさらに向上させる方途は、今のところまだ見出していない。

カナダ日本語ビデオコンテスト
Old Japan Redux

2018年1月23日火曜日

歌占い

週末にかけて京都大阪で3泊してきた。今度もまた弾丸旅行となったが、久しぶりに共同研究の集まりに参加し、多彩な分野の研究者との交流を通じて、いろいろな収穫を得た。交わされたキーワードには、翻訳、ブックカバー、俳句英訳などがあり、魅力的なものばかりだった。その中から一つ選ぶとすれば、迷いなく「歌占い」をあげたい。

発表者は、中世における歌占いの様子を豊富な資料を駆使して丁寧に掘り下げる一方、それにはとどまらず、かつて遠い昔に行われていた占いの実践を、今の大学の教壇で再現し、学生たちに古典を教える方法として利用した実践を報告した。考えてみれば、今日の多くの大学生にとって、古文とはもう一つの第二外国語にほかならず、古典に語られた情報、そこに託された常識や価値観は、さしずめ一種の異文化だと言ってもいいすぎではない側面はある。そこで占いといういまでも体感できる行動を若い学生たちに古典との接点として提示し、他人に占ってあげることをもって習った知識を確認し、アウトプットして語らせる、まさに外国語学習の基本的なやり方を古文に実践しているものだ。一方では、懇親会の席上で交わされた会話の一つは、違う意味でまた興味深い。ある外国からやってきた人類学の研究者は、自分の国では大学の教壇で学習内容として学生に占いをさせるということはまったく考えられないとしみじみと述べた。そう言われてみれば、占いそのものへの日本社会の常識に改めて気付かされた思いがした。

京都に向かう電車の中で、対面の座席に座った二人の大学生らしいカップルの振る舞いは、まるで絵になっていた。派手なファッションに身を固め、それぞれ高級そうなスマホを手にしていながら、コンビニから買ってきたと思われる一個のお握りを代わりがわりに齧りつく。まさにそのような学生たちに古典への親しみを抱かせようとしているものだ。占いって、きっと有効に違いない。

歌占カード

2018年1月13日土曜日

ワールド・カフェ

新学期が始まった。今年は小さなクラスを一つだけ担当し、少人数の学生を対象に日本語の作文を教えることになっている。一方では、さまざまな行事が重なり、違う意味で慌ただしく、日程があっという間に埋まった。その一番に、「世界日本語教育ワールドカフェ」に誘われて、昨日の夕方参加せてもらった。

行事には、なんと15の国から60人近くの人々が一堂に集まった。事前連絡などに使われた時間は、すべて日本時間に統一したところに、グローバル的な色合いが極端に現われている。組織者たちの献身的な企画と準備のおかげで、「カフェ」が非常にスムーズに運ばれ、じつにたくさんのことを学んだ。チェックイン、ランドル、ハーベスト、はたまたグラフィックレコーディングなどなど、すでに繰り返し試みられたであろうと思われるやり方が次から次へと繰り出され、ここで初めて出会った語彙をあげても長いリストとなる。そして何よりも交わされた話題や参加者たちの発言から考えさせられるものが多く得られた。日本語教育という共通したキーワードのもと、世界の状況が語られ、新しい人たちと出会い、バーチャル世界での可能性に改めて新鮮な驚きとささやかな感動を覚えた。

時を前後して、同じく日本語教育の方面からもたらされた話題があった。音声入力が著しく進化したとのコメントに接し、自分も試したくなった。さっそくパソコン、スマホなどでの対応環境を整え、このエントリはその最初の試みなのだ。結論から言うと、大いに満足のできるものである。長年のタイプしての文章作成からの隔たりは思うほど大きくなく、なによりも変換の正確さにはわくわくさせられた。どうやら現在のところ句読点の入力にデフォルトでは対応していない以外、これといった不便をとりわけ感じていない。いまこの瞬間、あるいは大きな一歩かもしれない。

音声入力しながら音読して発音チェック

2018年1月7日日曜日

ビジュアル・テキスト

日曜日の朝、短いハワイへの旅行から戻ってきた。今学期の講義はいよいよ明日から始まる。年末年始を締めくくる慌ただしいスケジュールの中、直行便七時間、時差三時間離れた島への五日間は、仕事再開へのよい助走となった。

旅の理由は、とある小さな学会への参加である。デジタル環境と日本の古典研究を語ってみたのだが、集まりのテーマは学校教育、しかもかなり国際色豊かなものだったので、自分の立ち位置との関連をさほど期待していなかった。しかしながら、その中でも意外に勉強になったことが多かった。その一つには、ネット・ライニングを取り上げた研究で訴えられたテキスト情報についてのビジュアル的なアプローチである。現在のネット環境での双方向の教育活動において、どうしても文字情報の占める割合が高い。それについて、発表者は文字のビジュアル性の大切さを強調した。そのように言われてみれば、発表スライドの作りも、文字の配置、サイズ、カラーなど丁寧に対応していることが分かる。運筆、勢い、フォントの選択など、文字そのもののビジュアル様子にばかり注意を奪われがちだが、デジタル環境での文字の使い方を忘れてはならないと気付かされた。

数えてみれば、前回ハワイを訪ねたのは1996年。あの短い旅により、自分の研究には掛け替えのない縁が無数に結ばれた。あの時に参加した学会の記録は、いまだ組織機関のサイトに残っていてアクセスできる。末席に座らせていただいたラウンドテーブルのタイトルには、なんと「ビジュアル」、「テキスト」などのキーワードがしっかりと入っている。さすがに「デジタル」がなくて、代わりに「コンピューター環境」とあった。しみじみと見入った。

IAFOR International Conference on Education

2018年1月1日月曜日

戌歳賀正

謹賀新年。

戌年を迎えた。雪が降り積もり、冬一番の寒さが続いている。「紅白歌合戦」を眺め、ゆっくりと流れる時間に身を任せている。

干支は変わり、思いはつい絵巻に馳せる。絵の中の犬、探し求めて改めて気づくが、たしかに人間の暮らしの中に早くから入ってきているが、昔はかなり様相が違っていた。餓鬼の仲間となる犬(「餓鬼草紙」)、琵琶法師に吠える犬(「慕帰絵詞」巻二第二段)、そして門のうちにはいるが、修行者を追物射する行動に飛び出そうとする犬(「男衾三郎絵詞」第二段)などなど、どれも今日の感覚からかなり離れたものばかりだった。犬同士がじゃれ合い、それが人間の慰めとなるような構図は、どうやら浮世絵の時代を待たなければならない。ただ、その中で特筆すべきなのは、やはり「十二類絵巻」に描かれたそれだろう。堂々たる風貌を誇り、着物姿で歌の席に正座する。とりわけ国文研蔵の模写がいい。元の絵をそっくり再現することに過剰に気を遣うことはなく、むしろ描く人の思いが込められた、清々しい。

それにしても、動物たちを主人公に据え、和歌だったり、合戦だったりの場に引き連れ出さなければならない理由、それを実現するための情熱は、どこから来たのだろうか。秋ごろに予定されているシンポジウムに向けて、課題の一つとしたい。

鳥獣絵卷」(国文学研究資料館蔵)