2019年11月30日土曜日

元祖四コマ

四コマ漫画の元祖、発見。江戸時代の「徒然草」注釈書の一つ、「つれつれ艸繪抄」の中で頭注の形で描かれた絵がそれだ。刊行は元禄四年(1691)、まさに四コマ漫画の遠祖にほかならない。

描かれたのは、「徒然草」53段、滑稽でいささか可哀そうな話だ。酒宴の上、ウケを狙おうと、とある若い僧は、傍に置いてある鼎を頭の上に持ち上げ、つい首全体をすっぽり被せてしまった。そのまま大いに踊り、まわりから歓声が上がったのが良かったが、終わってみれば、鼎はもう取れない。都に有名な医者がいると聞いて、鼎を片枚で隠し、杖をつき、仲間に手を引いてもらって訪ねてはいたが、手の施しようがなかった。状況がますます深刻になり、結局は適当に藁などを周りに敷いて、無理矢理鼎から首を引っ張り出すことを決行した。飛んだ災難だったが、辛くも一命が止められた。思えばこの無鉄砲な僧には頼もしい友に恵まれたものだ

絵巻、奈良絵本、屏風絵、版本の挿絵、その多くは特定の場面を描くことを基本としていた。そのような凝縮された画面からいま流行の四コマ漫画を作り出そうと思えば、ほぼ限りなくできる。ただここまで今日の読者が期待するほぼすべての要素を持ち合わせた作例は、やはり特筆すべきだ。ちなみに、利用した作品は、国文学研究資料館所蔵のもので、IIIF基準で公開されている。用例のページも次のリンク(16葉)をクリックすれば簡単に見られる。

2019年11月23日土曜日

謎かけ「からいと」

「謎」とは、「何ぞ」という言葉からきたのだと言われている。遠く平安時代から貴族や文人たちがそれを楽しんでいた言い伝えやエピソードがあり、中世になると、膨大な数の謎ばかりを集めた記録が出来上がり、その中のいくつかは今日まで伝わっている。中世の人々の発想や遊びの場の雰囲気を想像し、言葉の意味などを理解するうえで参考になるものが多かった。

ここでは、そのような記録の中の一点、「なそたて」に収録されたものを眺めてみよう。その謎とは、「かどのなかの神なり」(No.95)。言葉通りに並べたら、「門の中の神様」といったところだろうか。同じ記録は謎の後ろにその答えをさっそく教えてくれた。それはなんと「からいと」だった。「かど」が真ん中から割れ、その中に「かみなり」、すなわち「雷」をいれると、いまの答えにたどり着く。言葉の音読みと訓読みを入れ替えることで謎解く人にチャレンジを掛けた。この謎を味わいながら、謎の組み立て方もさることながら、あの御伽草子の「唐糸」がここにまで顔を出したことに、いささか驚いた。

ちなみに「徒然草」にも楽しい謎が一つ記された。それは和歌の格好を取っている。「ふたつもじ、牛の角もじ、すぐなもじ、ゆがみもじとぞ、君はおぼゆる」(No.62)。おなじく答えが提示された。「こひしくおもひまゐらせ給ふ」とのこと。さほど洗練されたものとは言い難いが、謎のココロ、お分かりだろうか。

2019年11月16日土曜日

復讐する男と女の物語

ここしばらくの間、あらためて黄表紙「敵討義女英」に集中した。三年ほど前、全作を朗読し、音声にあわせて原文を示す朗読動画を試作して公開した。今度は読み物の形態を取り、原文の上に活字のテキストを配置し、さらに現代語訳やコラムなどを加えた小冊子に仕上げた。違う公開のルートを試そうと、キンドル出版を選んだ。さいわい要領の良い無料サンプルが自動的に作成され、かつキンドル読み放題の対象にもなっているので、多くの読者に届けられているもようだ。

作品タイトルの訳し方に少なからずに迷った。原文通りの内容ならば、「敵討ち・素晴らしい女性・花の一番輝かしいところ」といったところだろうか。そっくりそのまま訳そうと思えば、出来ないこともない。最初に思いついたのは、「敵討ち女の物語」。「敵討ち」は、現代日本語でも使われているとは言え、原文との違いを明らかにして「復讐」に置き換え、「復讐する女の物語」、さらに「はなぶさ」も入れて、「あっぱれ女、復讐する物語」とも考えた。ただ、物語の中で、敵討ちをするのはあくまでも男の岩次郎であって、小春は敵討ちに巻き添えられたに過ぎない。最終的には男と女と両方入れた。その結果、原文のタイトルと離れてしまったが、読んでがっかりさせないために、こちらの方がかえって誤解が少ないかもしれない。

一方では、英語のタイトルは、すんなりと決まった。「Tale of Revenge: A Real Heroine」。全作を英語に訳すと言うことも必要だろうが、これには実力がまったくついていない。誰かがやってくれることを待ち望んでいる。

「復讐する男と女の物語」(キンドル・日本キンドル・カナダ

2019年11月9日土曜日

KDP

KDP、公式の訳語はカタカナの連続だが、キンドルによる電子出版というもので、ずいぶん前から盛んに話題になっている。すこし時間を取って試してみた。まだ作業の途中だが、あれこれと気づいたことがあって、メモしておく。

まずは、キンドル側の宣伝や解説はすごい。説明の方法は、動画やらテキストやらと盛りだくさん、それに利用者による経験談まで含めると、読みきれない。印象としては、プロセスはたいへんだが、なんとか対応できそう、というものだった。

しかし、実際に小冊子を一つ拵えてやってみたら、プロセスはかなり楽しい。よく練ったプラットフォームで、個人情報、原稿アップロード、定価選択など、一つひとつ順番にやっていけば、確実でいて手ごたえがある。さすがだと思った。

だが、肝心の原稿をアップロードしたら、思わぬ落とし穴があった。たしかに一通りの電子テキストに対応している。しかし、その中身を見れば、基本的には文字テキストが対象なのだ。電子書籍、しかもたとえばフォントの選択なども読者にできるだけ自由を与えるということがそもそもの前提から考えれば、当たり前だが、ビジュアル的な要素をすこしでも取り入れようとすれば、もうたいへんだ。PDFには対応しているとはっきり記されてはいるが、まったう使うものにならない。ページごとに一枚の画像のみ配置したファイルでも、ばらばらに切断されてしまう。あれこれと試行錯誤して、同じページごとに一枚の画像をワードファイルにして、ようやく期待した結果が得られた。根気よく試さないと、たどり着かない。テキストではなくて画像での提供であまり良い体験が得られそうもないが、読者のそれぞれのリーダーにはどのように映るのだろうか。

この続き、おってまた報告する。

2019年11月2日土曜日

袈裟御前から小春へ

小さなプロジェクトに向かい合い、黄表紙「敵討義女英」を読み返した。恋に落ちた小春は、父を救い、恋人の願いを叶えてあげようと、寝るふりをして自分の首を静かに差し出すという展開には、思いを絶するものがあった。

ただ残念ながら、この大事なハイライトは、なにもこの作品のオリジナルではない。それどころか、物語の詳細はほとんど二番煎じで、しかもその元といえば、あの文覚の出家談だった(『源平盛衰記』巻十九)。絶世の美女袈裟御前は、母を救い、夫を死ぬ運命から逃させるために、夫の格好をして自分の死を選んだ。間違って意中の人を殺したと気づいた盛遠、のちの文覚は、袈裟御前の夫に自分の命を差し出そうとするところまで同じで、そして物語は、一家上下の人々ともども出家してこの世を離れるとの結末だった。黄表紙の物語において設定が変わったは、小春が救ったのは夫ではなく父、間違いを犯した岩次郎は出家ではなく、出世、団欒し、あくまでもこの世の人生を謳歌したものだった。さらに小春には兄の死の真実が教わらなかったなどの慎重な調整が施され、父と恋人の両方を救おうとする小春の純情がいっそう際立った。さらにこの運命を受け入れた岩次郎を説得するためには、小春の父が喝破したように、小春が最高の恋模様に織り出したのだったという論理だった。一篇の物語として、時代にそった意味深い展開があったと言わなければならない。

かつてとある公開講座でこれを取り出したところ、朗読動画にこの作品を選んだ理由とはなにかと聞かれた。あれこれと考えられようが、いくつの作品を読み較べてこれに落ち着いたのは、やはり中世の軍記ものとの繋がりに惹かれたと、いま思えばもっとはっきりと答えるべきだった。