2008年10月25日土曜日

赤鼻の図像学(宮腰直人)

絵巻を読むのは、文句なく面白い。その愉しさにどう迫るか。どんな着眼点があり得るのだろうか。毎回、この絵巻三昧でも豊富なトピックが掲げられ、様々な角度から絵巻の面白さが言及されている。普段は、ブログの更新を楽しみに待つだけの私だが、音読『福富草紙』の登場にあわせて、再び、寄稿させて頂くことになった。絵巻の音読とその公開、そしてブログの更新をコツコツと続けてくださる、楊さんにこの場を借りて御礼申し上げたい。

さて、私は今回の機会を得て、『福富草紙』を手かがりに絵巻における人物形象(キャラクター)の問題を素描してみたいと思う。

『福富草紙』の主人公は「秀武」という人物である。「秀武」は、古びた烏帽子をかぶり、顔には幾重もの皺が刻まれ、あごには無精髭を生やしている。もっとも特徴的なのは、その赤い鷲鼻、赤い鼻先である。やや鋭さを感じる目つきと、赤鼻の取り合わせは、「秀武」を印象深い初老の男にしている。

一見、冴えない赤鼻の初老の男が放屁の芸で富を得るのがこの絵巻の眼目である。初老、あるいは老人が主人公となるという点においても、この物語は注目されるのだが、この「秀武」の赤鼻、じつはさほど珍しいわけではない。中世の絵巻をひもとくと、すぐに数例見いだすことができる。宮本常一が主に執筆を担当したという、『絵巻物による日本常民生活絵引』(以下、『絵引』と略記)には、ズバリ、『信貴山縁起』の「赤鼻の僧」が立項されている。この項目では、『医心方』が参照され、赤鼻は病であるとされている。『信貴山縁起』には他にも延喜加持の巻に赤鼻の男が描かれている。『絵引』には、加えて『石山寺縁起』や『春日権現験記』の例(いずれも僧)があがっている。

『絵引』の魅力は、個々の事柄の読み解き(民俗的な事象をも含む)もさることながら、同時にそれが《かたち》のインデックスにもなっている点にある。「赤鼻」の項目を検すれば、病としての赤鼻だけではなく、それが同時に鼻をめぐる《かたち》の問題も秘めていることを『絵引』の数例は示唆しているわけである。

『福富草紙』の「秀武」の赤鼻も、あるいは病であったかもしれない。しかし、それとともに考えてみたいのは、赤鼻の男がもっていたであろう、あるイメージである。「秀武」は、貧しくそれを脱するために放屁の芸を授かるわけだが、この冴えない男を描くのにあたって、絵師はなぜこのような形象を用いたのだろうか、と。

『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には、芥川龍之介の小説で有名な、禅珍内供「鼻長の僧」をめぐる説話が採録されている。直接的な対応はともかく、絵巻で描かれる赤鼻の人物たちと、説話集に記しとどめられた僧の形象とはそう遠くないように思われる。絵巻であれ、説話集であれ、一人の登場人物をいささか個性的に形象化するのにあたって、「赤鼻」や「鼻長」は、うってつけの素材の一つであったのに違いない。

唐突だが、このこととあわせて想起されるのは、『源氏物語絵巻』等で、いわゆる「引目鉤鼻」によってあらわされた、男女の貴族たちの人物形象である。ごく定型的な貴族の男女の容貌以外にも、人物形象の定型を考えてもよいのではないだろうか。『絵引』の数例からでも、「秀武」ら一連の赤鼻の人々をみると、どうもこれだって人物形象の定型の一つと見なしうるのではないかと思えてくる。

ここで話題は一気に絵巻からマンガに飛ぶ。手塚治虫は、彼のマンガの登場人物たちを、それぞれ一人の俳優に見立てて、多様なマンガに役をかえて登場させた。「スターシステム」という、この仕組みは、手塚マンガの読者にお馴染みの人物たち―「ヒゲオヤジ」や「アセチレン・ランプ」等―を各マンガへ「出演」させることによって、彼の世界に奥行きを与えることに成功した。手塚治虫程、徹底はしていないけれども、これに類する手法は、他のマンガ家も用いている。藤子不二雄のマンガには、ラーメン好きの小池さん、水木しげるのマンガには、眼鏡で出っ歯の男が読者に馴染みの人物としてしばしば登場する。主要人物を邪魔しないよう、さりげなく、しかし幾分個性的に、愛読者たちに、ある共感や親近感を添える役割を担って、これらの脇役たちは物語内に配されている。

絵師や読者たちのなかで、はたしてどれだけ絵巻の人物形象のレパートリーが共有されていたのだろうか。絵巻で時折見かける脇役であった、赤鼻の男が致富譚の主人公になったことを読者たちはどんな思いで受け止めていたのだろうか。どうやら《お馴染みの》ということが、この問題を考える鍵になりそうである。絵巻の作り手たちとその読者、各々の歴史的な《現場》ので何が起こっていたのか。具体的な図像の展開とともに考えてみたい問題である。さらに『福富草紙』には、絵の中に言葉を記す「画中詞」の問題もある。こちらはさて、音読とどう関わるのか―。『福富草紙』が投げかける問題は思いのほか大きいように思えてならない。

2008年10月18日土曜日

街角の「ナンバ歩き」

ちょうど一年ほど前、東京のとある街角で撮った一枚の写真を披露しよう。わたしにとっては、いわば古典と現代との境に迷い込んだのではないかとの思いに捉われた一瞬であった。気持ちの動揺は、揺れるカメラアングルからも覗けそうだ。

これは、高校だと思われる一つのクラス風景だった。車が通わない道路を教室代わりに使い、一人の先生と十数名の学生が集まり、そこに展開されているのは、いわゆる「ナンバ歩き」、すなわち左右同じ側の手と足が同時に前に出したり、後ろに残したりする歩き方の理論と実践だった。先生は熱心に講義しながら実演をして見せ、学生たちは一列ずつ手まね足まねで前へ進む。若い女の子たちの笑い声が遠くまで聞こえていた。

「ナンバ歩き」を、自然な生活風景の一こまとして現代で見出せるとは、少なからず意外な思いだった。一方では、古典の文献、それまた絵巻などビジュアル的な資料において、人間の、そして人間に模して姿を成した鬼や動物たちの姿と言えば、きまってこのような歩き方を取っていた。絵巻の画面の中から、いまの人間の歩き方の画例を見つけ出すことは、ほぼ不可能に近い。

興味深いことに、このような古典文献に見られる歩き方をめぐり、現代の人々の捉え方が真正面から対立していて、明快な答えが見出せない。昔は現代と違うような歩き方をしていたとして、それがいまの生活に合致しないで忘れられた、というのが大方の見解だろう。しかしながら、その逆、昔の歩き方が優れていた。それが人間の体、少なくとも人間の体の仕組みと可能性を認識をするうえで、はなはだ有意義なものだ、との考え方も主張されている。まさにこの後者の考えから、「ナンバ歩き」が授業の内容に取り入れられたのだろう。

古典と現代の違い、それをめぐっての絵画表現を思考し、中国絵画の実例もあわせて紹介して、一つの短い文章に纏めた。それが数日前、刊行されるようになった。

「ナンバ歩き」にみる日本と中国の絵巻(『アジア遊学』114)

2008年10月11日土曜日

人形アニメ「死者の書」

地元の日本総領事館が行った文化事業のおかげで、数本の日本映画をまとめて見ることができた。その中の一つは、四年ほどまえに制作された人形アニメーション映画「死者の書」だった。どうも知名度の低いもので、その存在さえまったく知らなかったから、予期もしなかったいくつかの愉しみを味わった。

映画の主人公は、「藤原南家の郎女」という名をもつ女性だが、話の内容としては、明らかにあの伝説の中将姫だった。中将姫をめぐり、さまざまな奇跡や霊験談が伝わり、中でもその中心的な出来事といえば、蓮糸を用いて浄土曼荼羅を織りあげるというものだった。伝説では、それが一夜のうちに出来上がった、この世のこととは思えない超自然的な奇跡だったが、映画の中では、大勢の人々の手助けを得て、しかも蓮の糸を取り出し、それを乾燥させたりしたとの工夫が語られ、曼荼羅にたどり着くまでには、主人公にはさらなる苦悩が横たわっていた。伝説をできるかぎり人々の生活の感覚に近づけ、合理的に解説しようとする、作者の感性からくるものだろう。

そこにタイトルの「死者の書」である。これは、折口信夫が三十年代の終わりに書いた小説である。タイトルがそのまま用いられたことから分かるように、アニメ映画は、あくまでも折口の小説を対象とし、それを人形による活劇に生まれ変わらせたものだった。ここで、「死者の書」とは、古代エジプトの信仰内容の一つである。すなわち、中将姫という日本の伝説を掘り起こすために、折口がこれを古代エジプトの信仰に重ね、それを通じてあらたな生命力や寓意を求めようとしたものだった。ただし、そのような古代エジプト文化への個人的な無知によるに違いないが、わたしにはこのタイトルの意味あいが最後まで伝わらなかった。「死者」とは、大津皇子に違いないが、それでも、「書」とはどこに存在し、なにを記し、そして郎女(中将姫)の信心、ひいては彼女への信仰にとってどのような役割を果たしているのか、考えなおしても判然としない。

一方では、中将姫伝説を今日に伝えてくれている古典文献の中には、一点の優れた絵巻がある。「当麻曼荼羅縁起」だ。思えば、映画の制作者たちがこの絵巻のことを知っていないはずがない。しかしながら、絵巻の影がさほど認められない。絵巻に描かれた曼荼羅を織り上げる壮大な機織り、豪華絢爛な阿弥陀仏の来迎など、あまりにも有名で、さまざまな文脈で語り継がれている。いつ眺めても心を捉えて離さないあの感動の構図を映画のスクリーンで出会えなかったのは、不思議にさえ思った。

映画「死者の書」(公式サイト)
折口信夫『死者の書』全文(青空文庫より)

2008年10月5日日曜日

JSAC・2008

カナダ日本研究学会(JSAC)に参加するためにここトロントに来ている。年に一度の集まりであり、去年もトロントにあるべつの大学での開催だったので、二年連続、同じ学会に出かけるためにトロントに旅行したことになる。空路四時間、時差二時間、それに日常の勤務をできるだけ邪魔したくないとの思いもあって、やむをえず夜行飛行機を選んでの、切り詰めたスケジュールだ。

この学会の特徴は、共通項が日本のみで、あとは研究分野のかなり離れた学者たちの発表が聞ける、普段あまり交流する機会のない人々とも真剣に会話ができる、ということがあげられる。その中では、今年の研究発表には、なぜか「デジタル」と名乗るものが多くて、嬉しかった。その数は、基調講演も含めてじつに四本。とりわけ感銘をうけた二つについて、印象を記しておこう。

一つは、立命館大学の「日本文化デジタル・ヒュマニティーズ拠点」が構築している数々のデータベース、そして広い意味の文化的な事項を対象にしたビジュアル的な表現である。古典文献とかかわりのある分野では、文字、画像資料をデジタル撮影した上でそれを検索できる形で一般公開し、そして資料の持ち主にデジタルの成果をそっくりそのまま返し、公開をしてくれる、普通に利用できることのみを期待するという立場、方針も、じつに明快で頷ける。とりあげる対象は、若者たちが関心をもつゲーム、いまだ可能性をさぐる段階のCGバーチャル画像や動画など、広範囲に亘る一方、在来の研究への直接な貢献の可能性を具体的に考えていて、しかも学生を育てるという課題までたしかな形で実践している。高度な学際的な繋がり、分野の異なる人間の横の協力のありかたが強く感じさせてくれた。

もう一つは、MITの「オープンキャンパス」の一環として完成された「バーチャルカルチャー」プロジェクトだ。こちらのほうは、「視覚的な叙述」というコンセプトを中心に据え、選び抜かれた画像の提示と、それについての高質な解説を内容とする。サイトにアクセスすると、とにかく凝りに凝ったデザインに目を瞠る。対象とする画像は、はがきなど特殊なコレクション、老舗の化粧品会社から提供された長年蓄積されたデータ、美術館など公開されている資料など、さまざまとあるが、それぞれの資料群へのアクセスを丁寧に工夫し、データの選択、それを用いての情報提供の仕方は、鮮やかという一言に尽きる。日本文化を論じてすでに名を成した大家が熱心に企画を立て、署名で解説を書く。一つの学術活動として、在来の出版という形態との比較など、制作者本人まで気になっているらしいが、普通の入門書が持ちえない優れた要素を力強く示していることは明らかだ。

なお、このような発表にまじって、最近制作、公開した「音読・日本の絵巻」の六作目、「音読・白鼠弥兵衛物語」のことを簡単に報告した。

日本文化デジタル・ヒュマニティーズ拠点
MIT Visualizing Cultures