2021年1月30日土曜日

朗読動画『徒然草』

二週間ほどまえ、『徒然草』の絵注釈を四コマ漫画に見立てたGIF動画の更新を終了した。このブログにも書いたように、『徒然草』の魅力に惹かれ、似たような作業をもうすこし続けたいという気持ちは消えなかった。そこで、思い立って新しい作業を始め、音声を加えた朗読動画の制作に取り掛かった。ここにとりあえずその一作目を掲載する。

この序段をテンプレートにし、おなじく百作(段)を目途に制作することを考えている。利用する底本は、同じく『なくさみ草』と『つれつれ艸繪抄』に絞る。朗読にあわせて底本の文字を提示するが、その方法は、画面スペースの利用を考慮し、これまでの赤い罫線を止め、文字部分の移動に切り替えた。動画の主役は、しっかりと注釈絵に与える。ただ、上記の二つの底本は、いずれも通行の『徒然草』の本文との小さな不一致を持つ。意味を損なわないことを前提に朗読は利用底本に従った。

対象とする章段は、すでに四コマ漫画で取り扱ったものを優先するが、すべて重なるわけではない。文章が極端に長かったり、短かったりする段などは、割愛することとした。掲載の場は、YouTubeの個人チャンネル「声の栞・古典」とし、制作しながらすこしずつ公開するこれまでの方法を援用し、週三作を目標としたい。乞うご期待。

朗読動画『徒然草』序段・つれづれなるままに

2021年1月27日水曜日

サイト&ポスター

サイト記事

Commendation Ceremony for UofC Professor X. Jie Yang (July 8, 2016)

Message from the MEXT Scholarship AAPP President (March 20, 2017)

X. Jie Yang, Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto (2020)


ポスター

「詩の物語・絵の物語ーー絵巻『胡笳十八拍図』にみる中国と日本ーー」
青山学院大学国際シンポジウム「海を渡る文学ーー日本と東アジアの物語・詩・絵画・芸能ーー」(2006年9月2日)



「帝誅しと帝諌めの物語 : 狩野重信筆「帝鑑図・咸陽宮図屏風」を読む」
日文研フォーラム(2012年3月13日)



基調講演「デジタル時代と古典研究ーー画像資料のあり方を手がかりにーー」
国文学研究資料館「日本古典籍への挑戦ーー知の創造に向けてーー」(2016年7月29日




「物語る絵とその変容ーー絵巻の射程ーー」
国際日本文化研究センター「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」キックオフ・ミーティング(2016年10月12日


「デジタル技術が古典画像にもたらしたものーー「デジタル展示からいと」の制作をてがかりにーー」
KU-ORCASキックオフ・シンポジウム「デジタルアーカイブが開く東アジア文化研究の新しい地平」(2018年2月17日

動画&記事

公開動画

「学習成果披露の場を築くためにーー「カナダ日本語ビデオコンテスト」から習ったことーー」(リンク
JFT日本語教師オンラインセミナー(2018年4月11日)


Japan, Canada, & Me! (July 2, 2018)


A Manga-translation of Visual Commentary on Tsurezuregusa (2:01:15-2:20:53)
JSAC 2020, Japan Studies Association of Canada (ZOOM, October 18, 2020)


新聞記事

Calgary prof gets Rising Sun award
Calgary Herald (June 15, 2016)









Getting to know X. Jie Yang
Faculty of Arts, Alumni Connections (Spring/Summer 2017)


2021年1月23日土曜日

古文講座

約一か月あと、一つの研究発表が予定されている。今週、それの知らせが寄せられ、ここに添えておく。「非母語話者のための文語文教育」プロジェクトの研究会で事例報告をさせていただく。

取り上げるのは、特設ページ「インターネット古文講座 KOBUN-Online」である。制作したのは、ずいぶん昔のことであるが、あのころ、すこしずつ普及するようになるウェブという環境を生かし、文字ベースではあるが、日本語が利用できたのをいいことにして、ジャワ言語を見よう見まねで覚えて、古文の文法をトータルにまとめた。しかも、一人でコツコツとやるよりは、国際的に広げようと、韓国の研究仲間を誘い込んだ。そのように仕上げた成果は、じつは800以上におよぶドリルからなる結構な規模のものだった。一通り出来上がってから、イタリアの先生まで連絡をよこし、読解の部を加えてくれた。この特設ページをめぐって二回ほど国際会議で報告し、さいわい両方とも当時の記録がオンラインに残っている。(「2nd International Convention of Asia Scholars」、Berlin、2001.08、「第3回日本語教育とコンピュータ国際会議」、サンディエゴ、2002.07)数えてみれば、すでに二十年もの時間が流れた。ここまで激しく移り変わるインターネットの環境においても、このページは相変わらずに稼働し、かつ研究者たちの目に止まったことには、感激に近い思いをせざるをえない。

研究会はZOOM開催になっていて、すでに中国などの友人知人からコメントなどが聞こえている。研究活動にまつわる風景もすっかり変わったものだと、世の中の変化を噛み締めている。

2021年1月16日土曜日

絵で読む徒然草

江戸時代に刊行した『徒然草』注釈書に収めた絵をGIF動画に仕立て、それを週二作公開するというちいさなプロジェクトは、今週をもって完了した。あわせて116作、FBにて「注釈絵で読む「徒然草」」という特設サイト、ツイッターにて「#注釈絵で読む徒然草」タグというのを公開の場とした。数えて58週、中断なしに続けてきて、いささかほっとした。

一口に『徒然草』の絵注釈と言っても、デジタル公開だけでも十に近い底本がある。そこで、『なくさみ草』と『つれつれ艸繪抄』(ともに国文学研究資料館蔵、日本古典籍データセット収録)という代表的なもののみを対象に絞った。すこしでも現代の感覚に近づけようと、注釈絵を四コマ漫画に見立て、パソコン画面にあわせて動画に直した。実際に費やした作業は、原文を取り出し、現代語に訳し、それにあわせて画像を確認するという内容だった。中でも、原文の取り出しに一番苦労した。限られた空間を有効に利用し、かつ中世随筆の妙を伝えようと、緊張の続きだった。はたして最善の結果に辿れたのかどうか、まったく自信がない。いずれにしても、『徒然草』の原文を味わい、絵を見つめるということは、なによりも楽しい経験だった。

すこしずつ修正を加えながらも、予定していた計画は一通り終了した。ただ、『徒然草』に魅せられるという気持ちは、むしろ深まるばかりだった。この探索をもっと続けたい。ということで、もうすこし違うテンプレートを思い描いた。近いうちにそれを形にしたいと考えている。またここでお知らせする。

2021年1月9日土曜日

陣と阵と

半年ほど前に一度くずし字をめぐる議論を試みた。(「くずし字」)そこに示した用例のページ(『絵本太閤記』、初編巻之九、十一ウ十二オ)は、もう一つの話題を提供してくれているので、記しておきたい。くずし字字体の識別から、それへの認識、さらに言えばそれに託された文字への美意識である。

わずか十一行の一枚(十一ウ)において、「陣」(10行)と「阵」(9行)が同時に現われた。同じ行に「东」(9行)の用例も認められる。違うページに「東」の字体が用いられることは容易に想像できよう。さらに見開きになっている十二オには、「討」(2行)と「诛」(8行)と、言偏の違う字形が並存する。中国の文字を語るところの「簡体」と「繁体」の字形は、ここまで隔たりなく、一体になったように溶け合うことには、少なからずの驚かされている。このような字形の変化、新しい形の成立の理由などなら、文字を歴史的に語ろうとすれば簡単だろうが、そのような違う字体は、時と場と書き手と、それから文書の性格の異なるものにおいてかけ離れたまま存在することが基本だろう。それがここまで狭い空間で隣り合わせにさせるには、はたしてどのような理由が働いていたのだろうか。答えの一つには、違う字体を用いてそれが美しいという意識が底流にあったと指摘できよう。そしてそのような感覚は、字母が異なる複数の仮名を同時に使うという仮名文章の実践に支えられていると考えれば、はたして穿ちすぎだろうか。

一方では、伝達の手段としての文字は、それを利用する側にとっても受容する側にとって、効果的でなければならない。そのため、字形はやがてどれか一つに統一することが要求されよう。そしてそのような実用的な要素は、やがて美しいと感じる感覚を乗り越え、そのような感覚を変えてしまうという趨勢を辿らなければならない。

2021年1月2日土曜日

辛丑歳賀正

謹賀新年。

新しい一年を迎えた。毎年、近況をまとめて電子の年賀カードを作り、友人に送るようにしている。今年は、その内容をいくつかのアイコンに収斂させ、個人のFBやツイッターなどに載せた。自分としては新たな賀正の形となった。

年賀の中心に「牛」の字を据えた。ふだんまったく筆を取らず、自身への小さなプレッシャーだった。そこで、この牛の字について記しておこう。干支を現わすのに、日本語では丑年と「丑」を使い、年賀などの場合には「牛」という文字を書き入れても違和感がない。干支を現わすために二つの文字がある意味互換性をもっていることには、中国語もその通りだ。しかしながら、二つの言語においては、ここに大きな違いを見せている。日本語において二つの文字はともに「うし」と読むのに対して、中国語では読み方がまったく異なる。さらに言えば、普段の使用法として中国語で「丑年」の表記はほとんど見られず、「辛丑」のように旧暦の表記とし、それ以外はすべて「牛年」としている。

今年、中国語で交わされる書面の挨拶には、「Happy 牛 Year!」というのが流行っている。牛の発音はまさに「new」に近い。ちなみに、「牛」という一字は、さらに「すごい」、「すばらしい」という意味を持ち、しかも「不牛」、「很牛」といった用法まで可能で、完璧な形容詞としての特徴を備わる。したがって、中国語を読む人の目には、今年の干支がもう一つめでたい響きが伴っている。