2012年7月29日日曜日

ロンドンオリンピック開幕式

週末にかけて四年一度のオリンピックが開幕した。真夏ののんびりした時期ということもあって、関心をもって見たり読んだりしている。そして、なによりもまず開催国の粋が集まった開幕式を堪能した。

今年の開幕式は、どうしても四年前の北京のそれと比較されてしまう。しかもどうやらアメリカでは、開催中継の放送権を買いしめたテレビ局は、今年も商業の考慮から生中継ではなくて三時間遅れの録画放送に決めたことで顰蹙を買い、その上開幕の時間では、なんと北京のそれを再放送したようだから、驚いたものだ。そのため、自分でも思わず比較を試みた。北京の開幕式は、絵巻という着想をスタジアムに展開したことで、止まることなく流れてゆく歴史を表現して、見る人をあっと言わせた。それに合わせ言えば、ロンドンのそれは、さしずめ一枚の油絵だ。無限の奥行きを持たせ、さまざまな角度から見る人の視線を誘導して、限りある空間で無限のものを演出した。そのため、今時のデジタル技術をふんだんに駆使したCGはずいぶんと目を楽しませた。北京のとき、開幕に先立つ花火の放送に事前に用意した画像が組み入れられたことだけで、あれだけ議論を巻き起こしたなのに、今度はまるで映画監督の本領発揮と思わせるばかりに、視野は最初からスタジアムに限るものではなかった。ときどき企画者の発想を探りながら、スタジアムにいた人々がはたして何を見ていたのだろうかと心配したくなるぐらいだった。120728

そしてカナダならではのエピソードを一つお届けしよう。テレビの前に座って、ようやく日本選手が入場するかと思ったら、なんとテレビ解説者は直前のジャマイカチームについてやたらに興奮したようで、解説もテレビ画面も、日本チームのことを国旗、国名ともどもまるごと飛ばしてしまった。とてもわざとやったとは思わないが、なにも起こらなかったかのように、フォロー一つしなかった。なぜか中島みゆきの歌詞が脳裏を過ぎった。「世界の場所を教える地図は、誰でも自分が真ん中だと言い張る」(「EAST ASIA」)。まさにその通りだ。そして、「地球はくすくす笑いながら回ってゆく」。

2012年7月21日土曜日

辞世のポーズ

学生たちと共に読む古典、秋になったらそのクラスを開講する。教材準備の一環として、ひさしぶりにメトロポリタン美術館蔵「保元平治物語屏風」を眺めた。画像サイズは小さいながらも、オンラインで公開されていることは、やはり親近感をもたらす。

120722『保元物語』と並べて読めば、描かれた最初のエピソードは、近衛天皇の病死である。歴史事件として、すでに八百五十年も前の出来事ではあるが、日にちはちょうど七月二十三だと伝えられる。その後に展開されてくるあれだけの動乱続きの年月を予感させるかのように、病床にいる近衛天皇とその周りの様子は、場違いな長閑な空気が流れて、どこか不気味だった。貴人の寝室の室礼のあれこれというよりも、女房の裾にほぼ全身覆い被さられている状況だけが特徴として覚えられる。そして、その近衛天皇本人がいまにも人生の最期にたどり着いたことを、彼が辞世を詠みあげていることをもって表現している。そもそも辞世となれば短冊に書き込むべきだとの認識がいつごろ、どうやって出来たのだろうか、近衛天皇も左手に短冊、右手に筆という取り掛かり方だった。同じようなポーズは、太平記絵巻に描かれた日野俊基斬首がすぐ思い出され、まったく同じように死と向き合って、左手に短冊、右手に筆という姿勢だった。

死に直面する人が一句を詠む。読み物や語り物なら、その句の言葉選びや内容の創意に人々の関心が集まることだろう。どうやら絵となればそういうわけには行かない。あるいは、そのような句の作りや出来栄えがすべて分かりきったものとして存在し、絵はあくまでも辞世を詠むことを姿で表現しなければならない。したがって一句を詠むために、それを人に言い聞かせて覚えさせたり、書き留めさせたりすることも十分に考えられるのに、やはり本人が筆を取らなければ視覚的には伝わらない。その結果、仰向けになった近衛天皇がはたしてどうやって筆を握っていたのはすべて問題外となり、ひいては絵ならではの愛嬌さえだった。

2012年7月15日日曜日

翻刻・読み下し

「翻刻」と「読み下し」。この二つの言葉の字面の意味、語彙史的な由来、一対の用語としてのバランス、語感など、言葉を観察する場合の要素はともかくとして、いわゆる国文学の界隈ではその内容がはっきりしている。すなわちかつて使われていた書写システムによって記された文章を、現在の人々が読めるようなスタンダードな文字に翻(ひるがえ)して作り変えること、そして普通に読んで分かる程度適宜に言葉を漢字に置き換えることである。送り仮名やら繰り返し字や返り点やら、現行の文字表記の基準が定まらなかったり、対応できなかったりするケースは多々あるが、現実的には大らかなに対応せざるをえない。

現代の人々は、昔の文字をそのまま読む必要がないから、読めないというよりも読まないということが事実だろう。したがって、このプロセスを通らなければ、古典は普通の読者には届かない。そのため、理論上すべての古典は、数え切れないもろもろの諸本を含めて、まずは一通りこの作業が必要となる。残されている古典の規模から考えれば、気が遠くなる作業だ。世の中は、いまや何でもデジタルという風潮だ。そのうち、まずは部分的に、あるいは一つの作品について、数枚のもののみ読み出してパソコンに教えたら、あとは自動的に答えが出てくるといったようなマジックも実現することだろう。ただすぐにはそこまでのシステムが生まれてくることがとても思えない。まずなによりも、古典の字面を完璧に読めるとの知識や自信は、第一線の研究者だって十分に持ち合わせているわけでもないのだから、どうしてもすこしずつ進めるしかないものだ。

120715いま出来ることは、デジタル環境の進歩に寄与する思いまで込めて、コツコツと作業を積み重ねることだろう。この考えから、オンライン公開されている『田原藤太秀郷』という絵巻をめぐる作業を試した。原文は合わせて三巻、約千行、二万文字ぐらいの分量だ。あれこれの仕事、とりわけ旅行などの合間に、携帯のパソコンにタイプし出した。先週、同じ公式サイトでアップロードされた。昔なら、このような作業は活字になるということしか公開の道がなかったこともあって、研究業績の大きな一部だったのだが、いまはそのような思いはまったく薄い。むしろ古典をめぐってまた一つ会話の話題が出来た程度のもので、ただすなおに嬉しい。むしろこれに合わせて特別に作成してもらったページはデザインが非常に綺麗で、動きが良い。そして、なによりも絵巻に展開されたストーリは、奇想天外、奇怪愉快で、この上なく楽しい。ぜひ読んでみてください。

田原藤太秀郷(翻刻、読み下し)

2012年7月8日日曜日

祭りだ、パレードだ

京都でいくつものパレードを一つまた一つと見てきたせいもあるからだろうかか、なぜかパレードにある種の親近感を持つようになった。地元のパレードがやってきたと気づいて、さっそくカメラを抱えて出かけてきた。年一度のロデオ行事の前夜祭的なもので、祇園祭りで言えば宵山にあたるものだ。しかも今年はちょうど100回目というめでたい記録まで付いていると、あとになって知った。

これが日本だったら、さぞかし時代の絵巻などと謳ったところだろう。しかしながら、もともとそのような長い年輪を持つ町ではないから、そのような捉え方などあるはずはない。そこで、代わりにいわば横の、社会生活の集団の集まりが行事の骨組みとなった。4キロにもわたるパレード沿路は言葉通りに見物の人々に埋め尽くされた。その中心を成したのは、無数の見物座敷である。きちんとした段差を付けた頑丈なもので、たとえば祇園祭りのときのあれとはまったく作りが違う。どれも地元の会社の名前が付いていて、どうやら宣120707伝を兼ねての職員への慰労であり、行事への協賛でもある。一方では、パレードの参加者は、あくまでも社会生活の中のさまざまな集団によるものだ。大きな会社、各種の福祉団体、演劇や音楽グループ、そしてさまざまなエスニックな集まりなどなど、まさに市民参加型のあり方を極めたものである。なによりもパレードの先導を勤めるのは、馬に乗っての現市長さんなのだ。馬の尻に掛けた垂れ幕には市長の名前まで記入してあるのだが、道端の人々にはもちろん馴染みのある顔で、就任してからは駐車料金など生活直結型の改革を敢行してけっこうな人気を誇っている。そして、警察たちの、大勢におよぶ制服組がただただ行進するという、地味な行列があったが、その人間の数にいささか感動した。

地元の誇りの一つは、やはりりっぱな馬たちの姿だ。見たこともないようなさまざまな体格の馬、奇抜な身なり、贅をつくした装身具、圧倒するような数、それらを擁する雄大な牧場が簡単に連想させられる。そして、その中に混じって、騎馬ならぬ騎牛の一こまは微笑ましいものだった。大きな牛、しかもあれだけ奮迅し、かつ乗る人の指示に的確に答えることなど、予想もしなかった。二時間半以上にわたるテレビ局全放送の録画はオンラインで公開されているが、それの59分過ぎたところにこの牛が登場する。一見の価値があるものだ。

The Stampede Parade

2012年7月1日日曜日

日を遂って15時間

京都とホームタウンとの直線距離は、ざあと八千キロ。飛行機となれば、乗り継ぎはどうしても避けられないが、それを計算に入れなければ、ほぼ11時間の飛行時間がかかる。乗り換えに4時間を計上すれば、都市間の最短時間距離は15時間だ。一方では、この二つの都市の間の時差は15時間。ただいま完成してきた旅では、まさにユニークな形でこれを具体的に体験した。飛行機が飛び出したのは午後の2時。二回も乗り換えてちょうど同じ日の同じ時間に、目的地の空港に降り立った。地球を半分回ってきた。カレンダーだけを見たら、時間をまったく損していないとの計算にはなる。言うまでなく日本に向かったときにはきっちり時差の分の時間を前払いしていたのだから、それを取り戻したと考えたほうが適当だろう。

120701視点を変えて思えば、地球に対する太陽とずっと同じスピードで移動した、との捉え方も出来る。ここにすぐに思い出したのは、あの中国の、「夸父、日を遂う」という寓話である。『山海経』に伝承されたもので、夸父という名の巨大な神は、日を追い続け、ついに力尽きて倒れた伝説である。今日になって大事に覚えられたもので、美しい古代神話の代表格の一つとなり、しかも渾身の力を振り絞って奮闘するとの積極的な意味で捉えられ、学校教材などには繰り返し登場したものである。これと付き合わせてみれば、空飛ぶ旅は、まさに昔の神話をそっくりそのまま再現したものだ。いや、もともと空中にいたのは12時間ぐらいに過ぎなかったものだから、今日は悠々と日に追いつき、日を追い越したという計算なのだ。なぜかわけもなく雄大な気持ちになった。

一日もそうだが、一年という時間もあまりにも早い。京都での滞在は、すでに研究歴の中の一行と化してしまった。早朝、小雨の中を研究所を出たころ、じつに十人ぐらいもの友人たちが出てきて、送別に集まってくれた。人との出会いは、過ぎ去った時間の一番貴重なものだった。一人ひとりの笑顔をしみじみと脳裏に刻み、心から再会を願う。