学生たちと共に読む古典、秋になったらそのクラスを開講する。教材準備の一環として、ひさしぶりにメトロポリタン美術館蔵「保元平治物語屏風」を眺めた。画像サイズは小さいながらも、オンラインで公開されていることは、やはり親近感をもたらす。
『保元物語』と並べて読めば、描かれた最初のエピソードは、近衛天皇の病死である。歴史事件として、すでに八百五十年も前の出来事ではあるが、日にちはちょうど七月二十三だと伝えられる。その後に展開されてくるあれだけの動乱続きの年月を予感させるかのように、病床にいる近衛天皇とその周りの様子は、場違いな長閑な空気が流れて、どこか不気味だった。貴人の寝室の室礼のあれこれというよりも、女房の裾にほぼ全身覆い被さられている状況だけが特徴として覚えられる。そして、その近衛天皇本人がいまにも人生の最期にたどり着いたことを、彼が辞世を詠みあげていることをもって表現している。そもそも辞世となれば短冊に書き込むべきだとの認識がいつごろ、どうやって出来たのだろうか、近衛天皇も左手に短冊、右手に筆という取り掛かり方だった。同じようなポーズは、太平記絵巻に描かれた日野俊基斬首がすぐ思い出され、まったく同じように死と向き合って、左手に短冊、右手に筆という姿勢だった。
死に直面する人が一句を詠む。読み物や語り物なら、その句の言葉選びや内容の創意に人々の関心が集まることだろう。どうやら絵となればそういうわけには行かない。あるいは、そのような句の作りや出来栄えがすべて分かりきったものとして存在し、絵はあくまでも辞世を詠むことを姿で表現しなければならない。したがって一句を詠むために、それを人に言い聞かせて覚えさせたり、書き留めさせたりすることも十分に考えられるのに、やはり本人が筆を取らなければ視覚的には伝わらない。その結果、仰向けになった近衛天皇がはたしてどうやって筆を握っていたのはすべて問題外となり、ひいては絵ならではの愛嬌さえだった。
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