京都とホームタウンとの直線距離は、ざあと八千キロ。飛行機となれば、乗り継ぎはどうしても避けられないが、それを計算に入れなければ、ほぼ11時間の飛行時間がかかる。乗り換えに4時間を計上すれば、都市間の最短時間距離は15時間だ。一方では、この二つの都市の間の時差は15時間。ただいま完成してきた旅では、まさにユニークな形でこれを具体的に体験した。飛行機が飛び出したのは午後の2時。二回も乗り換えてちょうど同じ日の同じ時間に、目的地の空港に降り立った。地球を半分回ってきた。カレンダーだけを見たら、時間をまったく損していないとの計算にはなる。言うまでなく日本に向かったときにはきっちり時差の分の時間を前払いしていたのだから、それを取り戻したと考えたほうが適当だろう。
視点を変えて思えば、地球に対する太陽とずっと同じスピードで移動した、との捉え方も出来る。ここにすぐに思い出したのは、あの中国の、「夸父、日を遂う」という寓話である。『山海経』に伝承されたもので、夸父という名の巨大な神は、日を追い続け、ついに力尽きて倒れた伝説である。今日になって大事に覚えられたもので、美しい古代神話の代表格の一つとなり、しかも渾身の力を振り絞って奮闘するとの積極的な意味で捉えられ、学校教材などには繰り返し登場したものである。これと付き合わせてみれば、空飛ぶ旅は、まさに昔の神話をそっくりそのまま再現したものだ。いや、もともと空中にいたのは12時間ぐらいに過ぎなかったものだから、今日は悠々と日に追いつき、日を追い越したという計算なのだ。なぜかわけもなく雄大な気持ちになった。
一日もそうだが、一年という時間もあまりにも早い。京都での滞在は、すでに研究歴の中の一行と化してしまった。早朝、小雨の中を研究所を出たころ、じつに十人ぐらいもの友人たちが出てきて、送別に集まってくれた。人との出会いは、過ぎ去った時間の一番貴重なものだった。一人ひとりの笑顔をしみじみと脳裏に刻み、心から再会を願う。
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