2018年11月24日土曜日

女小学

親交の同僚は、伝来の一冊「女小学」を大切にしている。先日、それを貸してもらい、じっくりと拝見することができた。出版年記を見ると、宝暦十三年。数えてみればすでに250年もの年月を持つ。すっかり読み込まれているが、保存状態は驚くぐらい良く、木版印刷の技術の高さ、そして紙媒体の強さをあらためて感嘆させられた。

調べてみると、弘前図書館は同じものを所蔵し、しかもそれが新日本古典籍総合データベースにおいてIIIF基準で公開されている。電子画像と読み比べ、まったく同じ版のものだと知る。ただカバーの書名は手書きによるもので、熟練した筆捌きで扉ページに摺られた文字を模写している。「小学」というのは、いわば女性の教養としての、身近ですぐに役立つような学問を指す。しかしながら少なくともこの一冊においては、とてもそう簡単に捉えきれるものではない。古典から抜き出された故事や和歌、伝統につながる楽器や調度、冠婚葬祭にかかわる生活の仕来りや知恵、どれも洗練されていて、さながら小型の百科事典そのものだった。

ふんだんに用いられた挿絵などを眺めていて、時間を忘れて見入ってしまった。学生だったころ、「便覧」「必携」「図説」とタイトルに付く書籍にいつも日本らしいものを感じていた。思えばビジュアル的に美しくレイアウトされた出版文化は、江戸時代の木版印刷にその土台が形作られた考えたい。

最初の一編は、貝合せの由来。見開きで記されたものの前半の文字を書き出してみよう。デジタル公開されたもの(4コマ目)にあわせて「女小学」の雰囲気を味わってください。

蛤合之記
村上天皇の御宇、源の右大臣高明と申は醍醐帝の御子にて、才学すぐれさせ給ふゆへ左大臣と成給ふ。西の宮の大臣と世にかしづきたてまつり、時めき給ひしが、冷泉院の御宇、ある人のざんげんによつて、筑紫にながされ給ふに、むらさき式部申、宮づかへして大臣になれしたしみたてまつりければ、御別れををしみなげきたてまつる。大臣ふびんにおぼしめし、……

女小学」(新日本古典籍総合データベース)

2018年11月17日土曜日

漫画家の流儀

先週は二日にわたり珍しい行事があった。日本から漫画作家を迎え、大学のキャンパスで二回のトークや作画実演、そして一回のワークショップが行われた。熱意のこもった若い学生は大勢集まった。人数限定のワークショップへの参加には、自作を提出させて競争させ、半分近い学生を断らければならなかった。

壇上にあがった漫画家は、前半にさまざまな質問に答え、後半に作画の実演を披露してくれた。淡々とした真摯な言葉からは、普段あまり考えもしない独特なプロフェッショナルな世界を垣間見る思いがした。漫画の創作には、ストーリを組み立てることに絵を描くのと同じぐらいの時間を振り当ていること、絵を描くには助手に手伝わせ、しかもその複数の助手がまるで分身のように長年務め、細かく決められた分業を守っていることなどなど、認識を新たにさせてくれることばかりだった。後半の作画実演も素晴らしかった。随行をしてきた編集者の方は、つい親切に解説を試みたのだが、満場の聴衆は、ただ息を凝らしてマジックのように形を持っていく絵を見つめていた。熱心な学生は、ずっとカメラをスクリーンに向けて録画を撮り続けていた。

ちなみに、作画実演に描いたのは、典型的な女性像だった。このような集まりには、カナダの風景や異国の人間でも取り上げてくれるのではないかと漠然と予想していたが、まったく的外れだった。考え直してみると、漫画と絵画のスケッチとはそもそも別質なものだと、はっと気付かされた。

トークショーの様子レセプションの風景

2018年11月10日土曜日

書籍利用

この一週間、まとめていくつかの書籍利用のシナリオを経験した。いまごろの図書館のあり方や図書購入、デジタルアクセスなど、いろいろと環境が変わる中、なぜか複数の側面を同時に触れたような格好になり、いろいろと考えさせられた。

勤務校の図書館には、日本語による書籍はいまだかなり限られている。その分、図書館の相互利用はずいぶんと手軽になった。オンラインで用意された申込みにどこかの図書館で調べたカタログデータのリンクさえ入れれば十分であり、あとはひたすら届くのを待つだけだ。ただ、今度は意外と時間がかかり、手元に届けられるまでじつは40日近くも経った。これに対して、英語によるものならずいぶんと様子が違う。古典名作をトータルに英訳したものを選んで学生に推薦しようと思ったら、20年ほど前の出版物でもすでに全文デジタル化され、しかも大学図書館からアクセスすればクリックひとつで全文ダウンロードも出来た。さらに新クラスの教科書選びも済ませた。英語による日本語古文文法という内容で、いま利用できるのは三点ほどあって、これまた図書館の参考書コーナー、多く貸し出されていない理由で遠隔書庫収納、そして所蔵しないため図書館相互利用で取り寄せというそれぞれ違う三つの利用法となった。結局のところ、学生への経済負担まで気を配り、30年まえに刊行されたものに決めた。

一連の作業の理由は、来年冬から開講する「日本語古文」への準備だった。高学年の学生を対象とするもので、はじめての講義にも関わらず、すでに27人の学生が登録している。教え方の工夫やクラスの展開などあれこれと思い描きながら、わくわくしている。

2018年11月3日土曜日

文字の異議・その二

数えてみれば、すでに十年もまえのことになる。立教大学所蔵の「福富草子絵巻」を電子利用させていただき、音読を加える動画を作成した。それを報告するにあたり、ついに解けなかった難問の一つを告白し、「少数でやや極端だが、文字を絵のように描いたのではないかと疑わせるような書き方(描き方)があった」との観察を書き留めておいた。(「文字の異議」)

そこで、国会図書館でデジタル公開している「福富草紙」を披いて、一つの小さな手がかりを見つけた。代表的な二例を右に掲げてみる。放屁の芸を披露する第七段からの二行である。明らかに後の手入れによる赤の記入文は興味深い。左にみる「は」「よ」は、まさに上記の疑問を完全に共有し、それに対して施したものである。正しい文字を理解できないまま形で模写し、その結果意味が通じなくなったものを、赤で訂正したものだと読み取れる。赤の訂正が存在しない立教本の読み方を提示提示されたと考えたい。しかしながら、右の例を見れば、そう簡単に結論できないと気づかされる。「行どあげり」(立教本は「あげらるゝ」)に対して、「風にふきあげらるゝ」と書き入れられた。この訂正は、代表的な底本である春浦院本などの原文を反映し、文字の書き方ではなく文章の校合を施されたことになる。すなわち文章の意味が読み取れないような立教本や国会本は、なんらかの共通した祖本を持ち、その全容や由来をいまだ解明できないと考えるべきだろう。

国会本には成立をめぐる記述が添えてある。それによれば、寛政元年(1789)に狩野洞白(当時18歳)が模写したものを、文政元年(1818)に緱山正禎(当時29歳)がさらに模写したものである。ただし、赤の文字についての記入主は不明だ。

国会図書館蔵「福富草紙