2014年5月31日土曜日

日光の鶴

特別に行事のない日を狙ってまた出かけた。今度はちょっぴり遠くへ足を伸ばして、ずっと訪ねる機会がなかった日光東照宮に入った。写真などで十分に見て、大体の様子もなんとなく想像が付いてはいるが、それでもあの金粉をいたるところに用いた装飾のあり方に少なからずに驚かされた。しかも多くの建物の色は他所ではあまり見かけない黒や白などを用いたこともあって、いっそう特異な感じを覚えた。

20140530東照宮には、鶴が多い。壁画、彫刻、銅像など、どれだけの数のものがあったのだろうか。じっさいに家康のお墓の前に立っているのも鶴だった。そんな中、陽明門を潜ったら、桐油蒔絵の鶴が特別に紹介されていることに気づき、まわりに貼り付けられた新聞記事などと合わせてしみじみに見入った。たしかに綺麗な絵であり、ユニークな構図である。絵師は狩野祐清、蒔絵師の名前は不明、とされている。興味深いことに、この蒔絵が二百年も前から貴重なものだとされ、これを保護するという目的で寛政のころ浮き彫りの彫刻をもって覆い被ったとのことだった。先祖から伝わる絵を大切にしようとする気持ちはありがたいが、それにしてもこの保護の方法は思い切ったところがあった。人目に触れさせないということは、考えてみれば究極な方法だと言わなければならない。

そのような先人の意図の割には、目の前の展示はいかにも素っ気なくて、なげやり的な思いさえ起こさせてしまう。絵自体は厚手のビニールシートに覆っただけで、しかも切り貼りされた新聞記事以外は、説明のパネルさえ用意されていない。当の陽明門はいまは大修理のまっただ中だ。門全体は白いテントに姿を隠されていて、しかもこれがすでに一年も経ち、さらにこの先五年も続くとのことだ。その中で顔を出しているこの蒔絵は、残念がる見物客へのせめての慰めなのだろうか。

2014年5月25日日曜日

舞台絵巻

20140525学生たちはホームステイに出かけた。仕事の合間を縫って、さっそく観劇を楽しんだ。チケットが入手できたのは、「七人みさき」というもの。気持ちをワクワクして劇場に入った。500人程度の小劇場だが、座席は八割程度埋まり、雰囲気はとてもよかった。

たいへん真剣で真摯な舞台だった。ストーリ、音楽、人物造形など、ツッコミを入れようと思えば、それなりのリストにはなる。しかしながら、大いに堪能できた一側面はあった。宣伝チラシには、「戦国幻想絵巻」との謳い文句があった。いまごろ、絵巻という言葉のこのような使い方はいささか陳腐だと感じられるぐらい繰り返されている。たいていの場合、綺麗な、俗世間離れの場面が後から後から展開してくる、といったつもりで共有されている。しかしながら、俳優たちの、運動靴を履いての動き、無国籍、無時代の衣装、大道具はほとんどゼロという質素さ、どれを取り出してみても、そのような連想をさせてくれない。しかしながら、舞台の展開には、あっと言わせるものがあった。舞台上において、つぎのような演出が頻繁に用いられた。グループAの一群の会話の中に、グループBの人間は静かに入る。そこで後者の会話が始まり、それが経過しているうちに前者の人間がゆっくりと消えていく。すなわち同じ空間にともにいるはずもない人間の姿がともに存在し、会話の内容をもって関係ない人間は存在しないというステージの約束を巧みに創り出したものである。同じ空間での共存するはずのない人間や状況の同在は、まさに絵巻の定番であり、それをステージ上で目撃できて大いに満足した。

このように書いていても、演出方法の記述にはなるだろうが、理屈の説明の無気力を感じざるをえない。流れるような舞台の展開、それこそ理屈ぬき、説明なしに楽しめるものだった。インタメンとしては、そもそもそうあるべきだと言わなければならない。

『七人みさき』

2014年5月17日土曜日

キトラの寅

日本の滞在もあっという間に一週間過ぎてしまった。毎日のように行事が続いていても、その合間を縫って出かけてきた。中でも美術館を二つ訪ねた。それもとても対照的になっていて、一つは良いものが展示されていてもほとんど参観者はなく、もう一つは意外なほどの少ない点数の展示品にもかかわらず考えられない人数の観客が集まった。平日の午後にもかかわらず、しっかりと行列を並ばされ、二時間待たされた。

140517熱心な参観者を集めたのは、あの「キトラ古墳壁画」である。ただこれも美術館ならではの効用だが、ずっと立った情報まま行列の移動を待たざるを得ない状況に置かれてしまうと、まわりの限られた情報や素っ気ないパネルの記述もついつい熟視、熟読し、それにより見逃しがちな知識が不思議なぐらいに頭に入ってきた。キトラ壁画の場合では、青龍と白虎の身体の構図はまるで互いに複製しているのではないかと思われるぐらい似通っていることにはっと気付かされた。両方ともに同じ形で尻尾と後ろ足が絡め、しかもその尻尾が空にむかって立ち上がっている。白虎の向く方向も通例のものと違い、南北が逆さまになっていることを知った。そしてなによりも十二支の一つである寅の鮮明な構図には驚いた。人間の身体や中国風の装束をし、威厳や凶悪な相を完璧に隠して、可愛さのみが残された虎。あえて言えば中世の鼠草子にみられる婿入り行列の鼠たちをすぐ連想させてしまうような造形には、はなはだ意外で、滑稽でいて愉快に思われるものだった。

今度の展示の中で、一つのハイライトは壁画の複製陶板とあげなければならない。しっかりした質感と、本物紛いの精密な制作、現物と並べて見られたからこそ、複製ものの完成度をあらためて認識させられ、それの積極的な利用方法をあれこれと想像したくなった。

特別展「キトラ古墳壁画」

2014年5月10日土曜日

婚式行列

学生たちを連れての東京滞在は、ささやかな観光をもって最初の一日を過ごした。勉強熱心な若者を相手に、毎年すこしずつ日程に手を加えたりして、今年は初めて神社参りを取り入れた。明治神宮を参詣した。参宮橋から入ったので、ゆっくりと正門に回る予定だったが、神殿の中庭において結婚式が執り行われ、新郎新婦を取り囲んだ行列が庭を練り歩く姿を目撃すると、みんなでわっと庭に走りこみ、一斉にシャッターを押しまくった。

婚式の行列はじつに立派なものだった。艶やかな一行を演出したのは、巨大な日傘。新緑をバックにした真っ赤な色は、まさにめでたい。それに照らされて、新郎の黒い袴、新婦の白無垢、それに赤と白を上下に着飾った二人の先導の巫女、まさに絵になる。よくよく見れば、新郎はなんと長身の白人だ。行列の中にも、同じく西洋人男性の姿が目立つ。なぜか身の回りの学生たちの身分と呼応して、妙な和洋折衷の一瞬を絵に描いたように感じ取った。現代の生活では、神社での結婚式は、かなり人々の意識に浸透したものであり、かつさまざまな形をもって、結婚式そのものを参拝客の目に触れるところで繰り広げ、神社風景の一つに定着したものである。悠長な儀式にせよ、あるいは短い行列にせよ、他の参拝客から驚嘆や羨慕の視線を集めることが式の要となる。そのような視線の中に、日本にやってきた初日の若者たちも入っていることは、なんとも素晴らしい。

学生たちの元気に押されて、あの清正の井戸まで立ち寄った。神聖なパワーを一身に浴びて、これからの集中した勉強をしっかりと迎えてもらいたい。

20140510

2014年5月4日日曜日

春だ、日本へ

今年も勤務校の職務として、日本行きの旅が待っている。東京まで直行便が利用できるので、わずか十時間そこそこの空の旅で、あっという間に地球の半分を飛び越えてしまう、まったく苦にしない旅行が予定されている。

仕事の内容は、二十名の元気はつらつな若者を引率しての語学研修だ。グループの構成は男女十名ずつ、しかも全員日本語のクラスを通っている学生に限っているので、素性を知っていて、安心していろいろなことを企画したり、指示したりできる。しかもそのほとんどの者は、日本、あるいはそもそも海外旅行が初体験で、旅への期待感の高いこととなれば、計り知れないものがある。出発に先立って、二十時間のクラスを設けることになっていて、ここ数日、連日の集中講義が続いている。それの中心的な作業として、グループを作ってブログを書かせることを課している。日本での毎日のクラスの合間に作業をしてもらうこともあって、今週から週一回、計五回のエントリーをノルマに20140504している。出発に先立って、とりあえずブログの立ち上げとそれぞれのテーマ、それにメンバーの紹介を要求した。実際にクラスで口頭で発表させてみれば、タイトルは非常に凝っていて、テーマも多彩多様で、教える立場にいながらも、こちらが吸収すべき議論や知識の多いことにあらためて驚いた。

旅の荷造りをしているこの週末。その中で、今日も雪が降って、それもじつに十センチ以上の積雪ができた。出発の日まで小雪が降り続ける、との予報だ。例年ながらこの季節の雪でもけっして異常気候とは言えないこの土地である。学生たちともども、春を飛び越えての初夏の日本が待ち遠しい。(写真は五月三日のバンフ)

Senshu 2014