2020年5月30日土曜日

酒飲みのこと

酒を飲むことに関連して言えば、日本は間違いなく独特な仕来りを持っている。集団の親睦、年中行事、趣味の集まりなど、さまざまな局面において酒は大事な役割を果たす。しかもこれには厳然とした伝統があるものだ。そのような古い記述に出会うと、思わず膝を叩く。

『徒然草』百七十五段は、このテーマを記して、まさに傑作だ。兼好の筆に掛かれば、酒飲みにみる人間模様は、とりもなおさず「世に心えぬ事」、すなわち理解不可能な部類に入る。そこで、酒宴に見られるさまざまな醜態、狂態は、これでもかと書き並べられる。いわば、酒を無理やり勧める、一旦飲み出すと狂った人格に化ける、酒が入ったらばったり倒れてしまう、だらしない食べ方をする、当たりかまわずに踊りだす、聞かれてもいない身の上話をし出して泣き崩れる、喧嘩を始める、大事なものを壊す、人前なのに吐き出す、などなど。一方では、酒には罪がなく、以上のような飲み方がすべてだとは言わない。理想とする飲み方はもちろんある。それは、月の夜や雪の朝にゆっくり飲む、思わぬ友人が訪ねてもてなす、旅の途中で大した肴がなくて芝生の上で飲む、などがあげられた。数えてみれば、じつに二十近くの場面に上る。

個人的に試みた「注釈絵で読む徒然草」は、いつの間にかすでに四十九回と数えた。いまだ「四コマ」という枠組みを守っている。そこでこの段になると、どう対応すべきだろうか。兼好がスケッチしてくれた活劇はあまりにも面白く、絵の注釈もいきいきとしていて、簡単には割愛できない。この段には、やはり特別待遇を与えて、盛りだくさんで行こうと、いまは考えている。

2020年5月23日土曜日

鼠の草紙

ハーバード大学蔵「鼠の草紙」は、じつに楽しい作品である。詞書と絵はあわせて三段ずつ、数えて詞書は九十一行、絵は十の場面、文字よりも絵のほうが用いた紙幅が大きいという、豪華な巻物である。絵の画風は間違いなく奈良絵本のそれだが、しかしながらその内容は絵巻の正統を受け継ぐものであり、叙事の方法はとにかく饒舌で魅力的だ。絵画の詳細をつい見つめたくなる。

第一段は、貴公子の来訪。質素な生活ぶりがテーマとなるが、竈が設えた土間では下女が洗濯に励み、その方法とは服を畳んで杵で叩く。女性主人公の最初の登場は一家に囲まれたものであり、書物を大きく開いてみんなに読み聞かせた。つぎにどこからともなく現れた男と対面するが、はっきりした距離を保っていた。第二段、貴公子の出現で家の様子が一変する。届けられた様々な品物は豪華な着物や反物を含み、新鮮な魚はさっそく猫に睨まれた。破れた縁側は敷き替えられ、新しい御簾や障子に囲まれた室内では貴公子を中心に酒宴が酣を迎える。第三段、物語の滑稽で悲しい結末。求婚する貴公子は、右手に扇子を弄び、柄を畳みに押し付けて優雅に構える。異常に猫が気づき、酒宴の場を狙う。猫を前にして貴公子は慄き、鬢の髪が乱れた。本来の姿に戻った鼠は無残にも猫に咥えられ、これを目撃して主人公の女性は泣き崩れ、驚いた下女はもろ手を挙げる。

MOOC授業「Japanese Books: From Manuscript to Print」は、モジュール2においてこの作品を解説した。英語によるものだが、音声内容を記録したテキストが連動しているので、視聴をお勧めしたい。

2020年5月16日土曜日

烏帽子姿

NHKの「よるドラ」『いいね!光源氏くん』は、ささやかな話題を呼んでいる。完結までには残り最終回のみ。奇想天外な展開は、予想もつかない愛らしい源氏のイメージを作り出して、なかなか楽しい。一方では、画面を眺めていて、その烏帽子の被り方は、ちょっと気になった。

絵巻などを見慣れた目には、烏帽子姿の後ろは、きまって首筋に対してはみ出した三角形の空間ができていることに覚えがある。言い換えれば、烏帽子は頭で被るよりも、大きく出来上がった髻結いをもって受け止め、覆い被らせるものだった。そのため、烏帽子の風口を髪の毛にぴったり付けたいま風の帽子の格好は、たしかにすっきりしているかもしれないが、どうしてもちょっぴり野暮な印象が拭いえない。もともと、このような観察を思いつかせた直接のきっかけは、近頃なにげなく覗いたハーバード大学蔵の『鼠の草紙』だった。それの第三段、猫に怯えて貴紳の新郎に変身した鼠が本来の姿に戻ろうとした瞬間を伝える。全身に生えた毛が現れようとして、その異様な前触れは烏帽子に隠された鬢髪から発生した。中世の読者たちには、これはきっと一番ショッキング的な視覚構成だったのだろう。いわば男前の一番の見せ所に思いもよらない異変が起こったのだから、普通の目には堪らなかった。

ちなみに、奈良絵本絵巻として間違いなく傑作に属する『鼠の草紙』だが、それのデジタル公開において、Harvard Art Museumsは素晴らしいテンプレートを用意した。ぜひ一度披いて御覧ください。

2020年5月9日土曜日

動画作り

先週の朗読動画制作に続く。作品を覗けばすぐ分かるように、動画の動きの部分は赤い罫線の移動に限定し、きわめて単純なものだった。事実、動画作りについては、いつも関心を持ってはいるが、いまだ手探り状態だ。勤務校では教職員にさまざまな電子ツールが提供され、Adobeのフルセットが含まれる。ただ、利用できるソフトの長いリストを見て、いささか気が遠くなる思いにさえなる。

いつもながら、ソフトの使い方を習うには、それをじっさいに利用してなにか具体的な作業を始めたほうが一番手っ取り早い。今度選んだのは、木曜日にアップロードした「注釈絵で読む徒然草」83段である。利用したのは、Adobe After Effect。「キー」を入れて、位置、変形、透明などをいじって画像を動かせるという基本は会得しているが、慣れないソフトでは、やはり基本的な操作など小さなところで躓き、つい時間の無駄だと思うようになる。とりわけ苦労したのは、タイムラインの初期設定をいかに伸ばすかという、どう考えてても初歩的なものだった。メニューをクリックすることに限界を感じ、YouTubeなどで公開されている解説動画をあれこれと見て、ようやく対処方法にたどり着いた。一方では、画像の位置にキーを入れてもそれまでの数値が勝手に変わる、特定のところに余分に時間を入れたら残りの部分は一々移動せざるをえないなど、基本的なものでありながらいまだ対応が分からない課題はかなり残っている。

いわゆる小動画を作成するために、いまやスマホの環境ではかなりの数の専用アプリが登場している。機能を限定したうえで予めごく少数のテンプレートが用意され、手早く作品を仕上げられることが共通し、一部はかなり使えるものがある。思えば、Adobeのソフト群も、作業の内容にあわせて、機能や対応を細分化したものだ。画像や動画を対象にすれば、これまでの文字や音声などへの取り掛かり方とはかなり様相が違うのだと、あるいははっきりと意識しなくてはならない。

2020年5月2日土曜日

朗読動画・妓王

ここ数日、集中的に作業をし、朗読動画を一つ制作した。奈良絵本「祇王」である。利用した底本は、京都大学付属図書館蔵、同貴重資料デジタルアーカイブで公開した「妓王」、上下二巻約9500字、朗読時間は約40分。これまでの朗読動画と同じく、音声にあわせて文字を行ごとに罫線で指し示し、中世の読み物を声とともに楽しんでもらい、その流麗な文字も読んでもらいたい。

物語は、ほぼそのまま『平家物語』(覚一本)巻一「祇王」を踏襲し、最初の数文字、最後の数行を加えた以外、文章の細部をそれなりに自由に書き換えたりした。一流の古典作品がこのように受け継がれていたのだと、具体的に示されて興味深い。古典の享受という視線で観察すれば、やはり十五図におよぶあらたな絵画表現を見逃してはならない。素朴で愛らしいという形で軽く纏められがちだが、それぞれの絵を虚心に見つめてみれば、新たな発見や考えをさせられるところは多い。たとえば、祇王が清盛のところを離れ、母や妹のところへ戻って泣き崩したところへ、誘いの手紙を送り込んだ男(上十オ)、清盛からの召喚への返事をひたすら待ち続ける若い公卿(上十二オ)、仏が三人の尼に合流した庵に居合わせた五人目の着飾した女性(下七ウ)など、小さな画面のなかに絶えず流れる時間、あるいは状況への絵師の理解が積み込まれ、読者にむかって物語の読み返しを無言に挑んだ。

動画制作に使ったのは、今度もAdobe Premiere。ショートカットのキーなども使えたので、しあげの作業はスムーズで、楽しかった。

朗読動画「妓王」