2022年6月25日土曜日

文字絵とは

先週とりあげた北斎の「在原業平」の続きとして、noteで同じ北斎の六歌仙シリーズから「僧正遍昭」を解読してみた。(「文字絵「へんぜうそう正」」)このように「文字絵」に惹きつけられる中、江戸の人が残した文字絵についての定義に接して、なるほどという思いだった。

国立国会図書館のサイトには、「本の万華鏡」というシリーズの一篇として「へのへのもじえーー文字で絵を描くーー」がある。そこに記された「遊びの文字絵」において、『嬉遊笑覧』(巻三書画)が述べるところの「文字絵」を紹介している。つぎの文章である。(原文のリンク

「宝暦ころ、童の習いの草子に文字絵とて、武者などの形を文字にてかき、頭と手足をば絵にてかきそへたるものあり。

狙うところの人物などの形を文字で描き、文字だけで十分に表現できないところは絵をもって書き出す、まさに文字絵と呼ばれるユニークなジャンルの作品の作り方である。半年ほど前にとりあげた十返舎一九による『文字の知画』にみる犬という、仮名文字のみで流麗に犬を表わした秀作でさえ、目を表わす点睛の工夫が施されている。(「江戸の犬は怒りっぽい」)

上記の記述をさらに読み直せば、文字絵が登場するのは、「習いの草子」だとされているところが目に止まる。だが、すくなくとも目の前にある北斎の六歌仙は、そのような範疇から大きくはみ出したのだ。なにはともあれ、大人でも真剣に挑戦しないと簡単に読めるものではない。これもあわせて覚えておきたい。

2022年6月18日土曜日

北斎の文字絵

北斎には、六歌仙を題材にした文字絵の浮世絵六枚組がある。複数の所蔵がデジタル公開され、色合いの異なる作品などもあって、見比べて楽しい。その中の「喜撰法師」を解読し(「文字絵「きせんほうし」」)、共感のコメントが寄せられ、嬉しかった。

そこで、ここにさらに一題。大英博物館蔵の「在原業平」。見詰めていて、何回も諦めようとした。まずはどうぞ挑戦してみてください。

ようやく答えが見えてきて、おもわず膝を叩いた。こういうやりかたもあったのか。仮名とばかり睨んだら、漢字、それも崩された形のそれを紛れ込ませたとは、一種の変則だと言わなければならない。ちなみに使われた字形は、上段に書き込まれた文字と同じものだ。絵師の得意そうな顔が絵越しに見た思いだ。この手の絵を眺める醍醐味なのだろうか。

答えをGIF画像に纏めて、ここに置いておく。


2022年6月11日土曜日

長恨歌

新刊『源氏物語と長恨歌』を著者からいただいた。郵送にはじつに三か月半もかかり、これまでにはなかったことである。ずっしりと重い一冊がようやく無事に届き、さっそく開き、読み耽った。

物語の頂点をなす『源氏物語』。これに対して、著者一流の鮮やかなアプローチがいたるところに施され、読ませてくれる力作である。随所にメモを取りたくなる豊富な資料、共感を呼ぶ丁寧な読解、明晰にして説得力ある真摯な解説、教わることは多かった。物語の出典論から始まり、それが物語が古典となる由縁を解き、物語論全般に及ぶ。奥深平安文学の真髄を覗きみることを手引きしてくれた。

著者が語ったところの、はっとさせられる記述をいくつか掲げておきたい。「平安朝において、『長恨歌』は物語であった。絵が添えられ、和歌が読み加えられ、様々の解釈が与えられ、語られた。」(34頁)「『源氏物語』の『長恨歌』への愛着とは、その深層においては、羽衣説話への愛着であった。」(148頁)「男の物語から、女の物語へ。それは、人類文学史上の、一大転回であった。」(261頁)「『源氏物語』が「ロマンティック」ではないとは言わない。しかし、『源氏物語』は、それらを越えて、「現実の生身の人間そのもの」を描くことを志したのである。」(284頁)そして、「「夢の浮橋」の途絶えとともに、『源氏物語』も、途絶えて終わる。」(331頁)

個人的な思い出を一つ添えておこう。触れられた和歌には、「碧落不見」(『道済集』)と題する一首があった。いうまでもなく、あの「上窮碧落下黄泉、两処茫皆不見」を対象としたものだ。遠い学生時代、この一句を筆で書き出し、二段ベッドの壁というわずかな自分一人の空間に飾った。それがなぜか父の目に入り、止めるべきだと言われた。その理由は、その場で聞かなくて、いまだ分からないでいる。ただあの瞬間だけは鮮明に記憶に残っている。

2022年6月4日土曜日

ページから飛び出す

黄表紙の作品を何気なく眺めていたら、絵の構想の楽しいことにたえず唸らされる。ここにそのような一枚。『奇妙頂礼胎錫杖(きみょうちょうらいこだねのしゃくじょう)』、作者はあの十返舎一九、刊行は寛政七年(1795)。一九が黄表紙の作成に取り掛かる最初の年であり、この一年のうちに三作を世に送り、これがその中の一つである。

絵のタイトルは、「三千世界槩之図(さんぜんせかいおほむねのづ)」。見ていてすぐ気づくことだが、一枚の図は複数のパーツに分かれ、それらを切り抜き、立体的に「三千世界」を組み立てるものである。それぞれのパーツには、糊をつける空白が慎重に用意され、そして文字の説明が添えられる。それには、「てんぢくの人」、「からの人」、「からの女」、「日本の人」、「日本のやね」などと、分かりやすい。組み立てられたものには、驚くような世界観も、目新しいビジュアルな表現も特別に込められたわけではないが、それでも二次元の表現から三次元の空間を想像させる工夫は、魅力的だと言わなければならない。

木版印刷によって仕上げた薄い紙の書物から、そのまま見るに耐えうる作品が作れるとはとても思えなくて、無理が多い。ただ、それでも読者にはまったく違うような刺激を与えている。このようなアプローチがいまや学習雑誌や児童読み物の付録などで頻繁に見かけられることとあわせて考えれば、二百年前の出版人の工夫に感嘆せざるをえない。