2020年4月25日土曜日

MET図録

今週、日本の古典研究に携わる人々の中でさかんに交わされた話題の一つには、ニューヨークのメトロポリタン美術館が去年主催の源氏物語特別展の図録を無料公開したというのがあった。特別展のタイトルは、「The Tale of Genji: A Japanese Classic Illuminated」(源氏物語:飾られた日本の古典)、展示物の内容は、判読できる程度のデジタル画像ですでに公開されている。それに加えて、展覧会の図録は、かなり鮮明な画像を含むPDFファイルでクリック一つで入手できるようになった。366ページにも及び、印刷媒体の販売価額は70ドルだという、じつに豪華ものだ。

同美術館公式サイトの「出版物」の項目に収録されたこの貴重な一冊をダウンロードしながら、自然とこれまでも日本関連の特別展の様子、図録の公開などを見てまわった。半世紀もまえまでに遡り、簡単に見ていても、図録は今度の公開を含めて七つと数えられる。その概要は、「マリー&ジャクソンボークコレクション」(1975)、「漆器」(1980)、「不老不死」(1993)、「夢の浮き橋」(2000)、「十六世紀の美」(2003)、「物語絵」(2011)、「源氏物語」(2019)である。ここまで頻繁に日本を取り上げ、しかも丁寧にまとめた図録を惜しみなく、分かりやすい形で公開していることには、やはり頭が下がる思いでいっぱいだ。

特別展の図録は、鑑賞にしても研究にしても貴重な価値があり、しかも普通の書籍とは違う流通経路をもつことから、簡単に入手できない部類の資料に入る。日本の美術館などを訪ねると、過去の特別展の図録を買い求めることは、いつも大きな楽しみの一つだ。日本の場合、あるいは図録のデジタル無料公開はとても考えられないかもしれないが、せめて有料販売でも実現できればと、ひそかに願っている。

2020年4月18日土曜日

ランドマーク

写真は、かなりの量に上ると、その整理にいろいろと工夫が要るようになる。ここ数年、あれこれと試して到着したのは、Google Photosの利用である。便利な機能の一つには、写真をアップロードすると、関連の情報が自動的に追加されることがあげられる。そのうち、地名が重要な一部だ。ただ、古い写真や、位置情報なしで撮った写真でも、一部のものに場所の情報がはっきりと貼り付けられたことには、ときどきびっくりした。よく観察してみれば、特徴ある建物が利用されている。

いわゆるランドマーク。これはもともと好きな言葉なのだ。まったく知らない土地などに足を踏み入れると、特定の建物はまさにその土地のマークなので、旅をめぐる最初の実感を与えてくれる。その地で暮らす人々の日常、ときにはかなりの歴史に遡る出来事や伝統などをすべて凝縮し、訪ねる人が思いを託す掛け替えのないものである。一方では、デジタル写真をめぐるいまの経験は、それの逆の展開である。いわば建物は、マークとして用いてその土地を特定し、記憶の空間を確かめさせてくれる手がかりになった。とりわけ一人の個人の遠い昔の、どこまでも定かではない土地にまつわる記憶は、その地名をもとに集まった思いおもいの写真を眺め較べるうちに、その中身を思い起こし、内容を新たにしたものである。

数週間まえから再開したInstagramへの写真投稿は、いまも毎日のように続いている(@xjie.yang)。活動半径が極端に限られたいま、古い写真の整理を始め、学生時代に敢行したヨーロッパの旅を紐解いた。数えたらすでに34年もの年月が経った。そのせいだろうか、自分の顔が画面に出ても妙に公開に抵抗が少なかった。

2020年4月11日土曜日

出産の図

MOOC (Massive Open Online Courses、ムークス、大規模公開オンライン講義)を始めて覗いた。ハーバード大学のMelissa McCormick教授が講師を務める「Japanese Books: From Manuscript to Print」講義で、三週間前から始まり、今週になって予定した三つのモジュールがすべて公開され、これから一年間アクセスできるとのことである。よく制作されたもので、初心者向けながら、とりわけ動画の部を視聴して、随分勉強になった。

個人的に衝撃的に接したのは、第二講で紹介された「The Chrysanthemum Spirit」(菊の精、通称「かざしの姫君」)からの出産の場面である。じつを言うと、出産のテーマについて、これまで数回研究会などで口頭発表をしてきた。(奈良絵本国際会議・西尾市岩瀬文庫・2011年9月23日、日文研・大衆文化の通時的国際的研究による新しい日本像の創出キックオフ・ミーティング・2016年10月12日、など)関連の多数の研究書にも一通り目を通しているが、この画面はついに視野に入らなかった。簡単に纏めればつぎのとおりである。出産の図をめぐり、はやくから「餓鬼草紙」、「聖徳太子絵伝」に見られ、前者の写実的、後者の叙事的といった明らかに異なる二つの系列は平安時代からすでに用意された。(「奉懸之儀」、「皇女御産の図」)そのあと、鎌倉、室町時代の絵巻における多様な変形を経て、奈良絵本の作品群になれば、一つの安定した構図に到着し、それに基づく安逸な再生産が広く認められた。あのまるでソファーのように埋まった白い高座に産婦を座らせ、助産婦たちが赤子を清めるという構図である。(「産褥の読み方」)平安時代からの伝統に照らして言えば、「聖徳太子絵伝」の画例に則った叙事的な方向に統一したと言えよう。そのようなところにこの出産の図に出会ったのである。素朴に、愛らしく質らった画面だが、あきらかに同時代の奈良絵本と一線を画し、叙事的な画風でありながらも、「餓鬼草紙」の流れを汲んだのである。

奈良絵本の絵は、総じて質素でいて、再生産の需要に応じようとする現実が伴う。しかしながら、その中においても、絵師たちはたえず大胆な創作を試み、古い伝統を受け継ぎながらも、そこから新たな一歩を踏み出そうとしていた。隠された魅力だと認識しなければならない。

2020年4月4日土曜日

関係〜ない

雑誌『中国21』(巻52)は、「関係」をテーマに据えた。中国についての議論にあまり関わっていなければ気づかないかもしれないが、「关系・グァンシー」とは、日本をめぐる言説に置き換えて説明すれば、いわゆる「建前・本音」のような国民意識を
捉えるものであり、「ケイレツ」「エモジ」のようなそのまま英語の語彙に加わったものである。編集者の好意により、コラム欄に投稿させてもらった。

日本や中国の錚々たる論者たちによって多方面から「関係」が語られたに違いないと予想し、言語学習を切口とした。中国語と日本語の両方にわたるこの語彙を実例に、中国語話者にとっての日本語学習のいくつかの側面を取り上げた。これまで教室に通ってきた学生たちの苦労などにも触れたが、それよりも思わず自分自身の経験を振り返った。日本語を教えることを仕事としてきたが、そのような自分にとっての日本語は、あくまでも外国語だった。そのような勉強や実用の過程を思い出してみれば、やはり長い道のりだった。あえて言えば、無から基本を覚えたまでの間は、文型や語彙が身について目に見えて喜びの連続だった。つぎの段階は、さまざまな場面や媒体を通じて言葉を使い、かつ相手に通じることを実感して楽しかった。だが、本当の試練はその後だった。ある程度日本語が自分のものになったと思ったら、自慢にしてしゃべったことはしっくり来ない表情に跳ね返られ、練って書いた文章は直され続けて、終わりが見えない感じでつらかった。

いまは、以上のような学習者としての階段をいずれも通り過ぎたと言えよう。書いて提出した原稿には、書籍や雑誌の編集者からの視線さえいつの間にか優しくなった。しかしながら、あえて朱入れの訂正が入らなくても、文章には妙な表現があっちこっちに顔を出していることには、むしろ自分が一番心得ている。外国語を使う、語学の段階を踏むということは、けっきょくこういうものだと、言語教育に携わってきて、なぜか妙に納得しようとしている自分がいた。

『中国21』Vol.52 “人際”の関係(グァンシー)学