2019年7月27日土曜日

動く花押

北条家十六代の執権十六人の花押を一つのサイトに纏めてみた。名づけて「動く花押」。GIF動画をもってその書き順を再現してみようというのがささやかな狙いである。動画ファイルはいずれも二か月ほど前に公開したが、それを一か所に置いてアクセスしやすいようにした。

あらためて特設ページを設けるにあたり、つぎの二つの内容を付け加えた。一つは、筆の動きを読み取るための根拠である。一枚のみの花押から筆順を十分に識別できない実例が多く、その場合、同じ人間による他の花押が重要な参考になる。それぞれの動画につき三つの画像を選び、注目したい筆捌きなどに小さな矢印を添えた。ただ筆順が複数の実例同士で明らかに異なる場合さえあり、わずかだが、完全なる根拠にならないケースも認められる。それから、サイト解説にも記した通り、この作業が拠ったのは、史料編纂所公開の「花押カードデータベース」である。さいわい、同データベースは、単独のカードへのアクセスリンクを提供している。そこで、根拠画像と作成した動画について、それぞれオリジナルカードへのリンクを添えた。クリック一つでカードを参照することが可能になっている。

最後に、北条家の系図を添えた。上記のデータベースは、北条家計58名の花押を収録している。それらの花押を一枚の系図に集結させて、一覧とした。

動く花押 Moving KAO

2019年7月20日土曜日

ネット授業2019

インターネットで繋いだ遠隔授業は、今年もさせてもらった。専修大学が設けてくれたこの行事は、数えてみれば2011年にはじめて招かれ(「スカイプ授業」)、それからほぼ毎年のように続いてきた。せっかくの機会なので、つとめて同じ内容を繰り返さない方針を取り、今年の講義では、「十二類合戦絵巻」を取り出した。

一時間半の授業では、半分の時間は事前に用意した録画を再生し、残りの半分は質疑応答という方法を取った。聴講してくれたのは、日本の古典文学に関心を持つ一年生が中心だった。考えてみれば大学に入ってわずか数か月しか経っていないのに、しっかりと大学生の振る舞いを身に付いたように見える。マイクやカメラが設置された講壇前に出てきて質問をしてもらう段取りになっていたが、最初から最後までスムーズに進行できた。問われた質問も、印象に残ったものが多かった。「判者はどうして鹿なのか」、「鹿や狸にも言葉遊びがあったのか」、「狸はなぜ鬼になろうとしたのか」など単純なものから、「この絵巻、だれが見たのか」、「構図には名作からの受け継ぎがあったとすれば、文章にも受け継ぎがあったのか」、などなど。とりわけ後者のほうには、つい説明に力が入った。

今度の授業の内容は、去年の秋のシンポジウムでの発表を踏まえた(「ノン・ヒューマン」)。ただ、若い学生が対象なので、「まんが訳」をめぐる考えや実例にまで議論を展開した。写真は、配布資料からの一コマである。

2019年7月14日日曜日

スタンピード

地元にはスタンピードという年に一度のお祭りがある。夏が本番に入ったころ、大掛かりなパレードで祭りの開始を告げ、大学を含む機関や地域のコミュニティはパンケーキ中心の朝食の集まりを主催し、都市全体はなんとなく祝日ムードに入る。(「サイドサドル」)今年も、カメラを引っさげてあっちこっちに出かけてこれを楽しんできた。

祭りのメイン会場は、巨大な遊園地だ。毎年この頃、十日程度しか稼働しないのに、よくも続くものだとつねに感心して眺めている。その会場に入ると、一年分のエネルギーが集結されただけあって、熱気に包まれる。いたって素朴なゲームの区域では、賞品といえば違うサイズのぬいぐるみか現金、きわめて分かりやすい。素っ気ない鉄棒に両手でぶら下げて2分続いたら即賞品が手渡されるブースでは、腕に自信ある若者たちはつぎからつぎへと5ドルを払って挑戦し、そしてそのほとんどはものの見事に1分程度で敗退してしまう。食べ物の屋台も数珠繋ぎで、普段みないような珍しいおやつなどもけっこう見られた。巨大な花のように盛り付けられた揚げ物が目を惹き、よくよく見ればその正体は玉ねぎだった。

その日を締めるのは、グランドショー。二万人も入るような巨大なスタジアムの中に特設ステージが設けられ、今年のオープニングの主役は牛だった。風船とぬいぐるみを合体させたようなものが一面に溢れ、愛嬌があって微笑ましい。

2019年7月6日土曜日

騎士の夢

「騎士の夢」(または「スキピオの夢」)という名画がある。ルネサンス期のイタリア画家ラファエロ・サンティによって十六世紀初頭に制作された。絵の内容を知り、そして絵画的表現の方法などを見つめて、どうしても玄奘三蔵の夢を思い出す。もともと後者を伝えてくれた「玄奘三蔵絵」は、ルネサンスよりさらに百五十年ほど遡る作品である。

古代ローマの騎士スキピオが見た夢には、二人の美女が登場した。それぞれ美徳と快楽を代表し、学識と武術、愛情と家庭を象徴する品物を差し出し、はたして二者択一か、二者共有かということは、鑑賞者の立場によって解釈が異なる。一方の玄奘が見た夢には、凄まじい形相の大神が現れた。経典を求める道に就いた玄奘には怠りや危険を恐れる思いを持たないようにかれを奮い立たせる。夢見る人の姿と、その夢の中身という、二つの別個の世界が絵画的に切り離されることはなく、鑑賞者は、眠っている主人公の様子を確認したうえで、眠りの中に入り込んで夢の様子を目の当たりにするという、言ってみれば入り込んだ構図が表現の根底になっている。言ってみれば、絵を理解するにはかなりの教養が要求されていた。

鎌倉時代の絵巻には、さらに「男衾三郎絵巻」に描かれた夢があった。まったく同じ構図の原理に基づき、その成立はさらに百年も近く前に遡る。しかもこちらの夢の主人公は、戦場から主人の首を持ち帰る従者であり、まさに騎士である。

「騎士の夢」(ラファエロ・サンティ)