2010年4月24日土曜日

国それぞれの著作権

数日前、あるオンラインの集まりにおいて、著作権をめぐる興味深い議論が交わされた。インターネットでのデジタル学習リソースの開発に携わるある方が、一つの対処法を提示したのである。いうまでもなくいわゆる違法の使用ではなくて、あくまでも著作権所有者が希望しても対応しきれない分野での、著作資料の二次的な応用である。

この方はヨーロッパの国からの学者である。テレビコマーシャルを語学教材に利用するにあたり、日本ではなくてヨーロッパの国にあるサーバーを利用し、ヨーロッパの法律に従うことで許可なしの使用を提案している。その理由としては、ヨーロッパの国は学術使用のための引用(フェアユーズ)を認めること、そしてその使用方法が原物と異なる形であれば、原物とは競争しないとの認識に立脚するものである。つまりこの場合は、オンラインでのコマーシャルは、テレビ放送という原物と異なるとの解釈になる。

思えば、著作権への認識や対応をめぐり、言葉通りの国それぞれのやり方が取られている。以上のようなヨーロッパ的な解釈は、現存の法律の枠組みに基づいての修正と言えよう。対して、アメリカ的なアプローチと言えば、おそらくその一番先端を走っているのはグーグルではなかろうか。いま流行りの「ストリートビュー」でも、はたまた日々増長している「ブックス」でも、いずれも反発を予想しても、明らかな違法でなければ、とにかくやってしまう。その上、反対の意見が現われば、それに対応する。いわば新たな行動をもって、法律の成立をリードするという構図である。こう捉えてみれば、日本はまたもう一つの光景をなす。言って見れば、問題が起こらないようようにボーダーラインまではるか離れたところで踏みとどまって行動を自粛するとでも言えようか。行動を起こさなかったがためにどんなに時機を失ったとしてもそれには甘んじる。

ちなみにこの分野では中国のあり方はこれまた異色だ。先日たまたま開いたサイトなどは、新刊図書の原文を画像、テキスト、はたまた電子書籍(EPUB)とさまざまな形でダウンロードする機能を提示しながら、そのすぐ傍にオンライン販売のリンクを貼り付けた。まさに常識を覆し、想像を超える規則を作り出そうとしているもんだと目を見張った。

2010年4月17日土曜日

人それぞれのiPad

知っている人ぞ知っているという内容のことだが、100417いまや世の中ではiPadという小さな機械が結構一部の人々の心を掴んでいる。今週のはじめ、出張してきた友人が一部もたらしてくれて、おかげで地域での正式発売前から楽しいオモチャが手に入り、ここ数日、かなりの時間をつぎ込んだ。

振り返ってみれ ば、パソコンとは自分の中でなぜかものを作り出すための道具として使ってきた。それを使ってプログラムを作ったり、サイトを作成したり、はたまた文章を書いたりしてきた。そのため、知らず知らずに、パソコンをただ情報を汲み取るために受身的に使うことには、一種の後ろめたささえ感じた。そしてその分、道具を準備する、道具を揃えるという気持ちで、あれこれと弄ったり、比較したりして費やしたエネルギーは、数え切れない。

そこで、iPadが現われた。これはどうもパソコンでありながら、これまでのそれとはっきりと一線を画すようなものだ。これを用いて「ものづくり」をしようと思えば、まったく不可能でもなかろうが、はっきり言って実用にはほど遠い。一方では、これを受身的な道具と割り切って、それだけの用途に徹しようと思えば、断然ここちよい。ここまで特定の用途に特化したような道具は、まさにこれまでになくて、一つの革命でさえある。おかげでさっそくソファーに腰を沈めて、メモさえ取らずにただじっくり本を読むという時間が一日の中にできあがった。

たしかに巫鴻の著を日本語に訳した中野美代子が、長い「訳者解説」において、絵画の載体に目を配った著者の論に賛同し、同じ論をさっそく唐の「歴代名画記」に遡らせてみせた(『屏風のなかの壷中天』)。それに倣って言えば、目の前にはまさに一つの媒体進化の活劇があった。それがもたらした刺激のある経験をあらためて噛みしめる思いをした。

2010年4月10日土曜日

和歌百年

来週はすでに今学期の最後の一週間となる。担当の文学授業では、最後の一章に和歌を取り上げた。今度は、百年離れた二人の歌人を並べ、「チョコレート語訳」にスポットライトを当てて、与謝野晶子と俵万智の名前を学生たちに紹介した。

日本語学習者には、ワカとはいささか敷居が高い。音節の数のみをもって構成の要素とし、千年におよぶ長き伝統や変遷の歴史まで触れてみようと思ったら、それこそ理屈っぽい、箇条書きの入門ノートにならざるをえない。ワカはポエム。ただ、高尚な精神や超人的な文学の創作を無意識に期待し、それを探し求めようとする現代的な発想しか持たない学生には、人為的なルールを設けておいて、その上社交的な機能さえ持たせた、例えば連歌などに見られたかつての生活風景など、どこまで想像させることができるのだろうか。

一方では、だからこそ、よいポエム、歴史に残る和歌とは、どのような仕組みによって生まれたのだろうかと考えさせられる。なによりもまずは人々の心を打つ、心に響くことが必須の条件だろう。人々の意識にあって、いまだ誰も口にしていない、それでいながら言われれば即座に共感が湧き上がるような、マジックパワーを持つものだろう。二人の歌人に即して言えば、与謝野においての「乱れ髪」、俵においての「サラダ」、「カンチューハイ」は、その代表格のものではなかろうか。逆に「チョコレート革命」もあったが、人為的で、表現として伝わってこないと思うのは、私だけだろうか。どうしてチョコレートなのか、たとえバレンタインデーまで持ち出していても、体感的には分からない。

与謝野晶子の和歌は、情熱なものもあれば、叙事的でそのまま絵になる傑作もある。一方では、チョコレート語訳だけでは、俵万智の真価を伝えきれない。ささやかな試みとして十数句選んで並べかえ、一つのラブストーリに見立てて読み聞かせてみた。若い学生たちの絶えない明るい笑いや意味深の頷きから、現代和歌のたしかな魅力を感じられる思いをした。

2010年4月3日土曜日

「言ひたてたる」絵物語

鎌倉時代初期の私家集に、『建礼門院右京大夫集』がある。歌に添えられる詞書が長文で、一種の日記的なスタイルをもつのが特徴である。その詞書の一つに、「絵物語」が登場した。

話の内容は、いたって平安的なものだった。西園寺実宗(近衛府中将、蔵人頭)と平維盛(右少将中宮権亮)という二人の誉れ高い男性の会話を聞き取り、歌人はそれを歌に詠みあげた。一人は当世一の琵琶の名手、一人は一世風靡の美男子。賀茂祭のために普段よりいっそう艶やかな出で立ちで身を固めた維盛の姿を、まさに「絵物がたりいひたてたるやうにうつくし」いと、歌人は言葉通りにうっとりと見とれた。

ここに、絵物語とは、「言いたてる」ものとだと歌人の言葉選びが興味深い。絵は色彩で描き、物語は仮名で書き留めるものだと、今日のわれわれはまずそう断定するものではなかろうか。そのような前提に立ってこれを理解しようとすれば、表現の揺れ、言葉の流動、ひいては文章の不確定や許容範囲の交差と、無理承知の解釈をしようと無意識にしてしまう。現に旧古典大系の頭注はこのよな方向を取り、「いひたてたる」とは「書きたててある」とこともなげに決め付けた。

あるいは事情がまったく違っていたのかもしれない。絵物語とは描かれ、書かれて目をもって鑑賞するものとは限らない。物語であれば、語られて聞いていたことも鑑賞の基本形態の一つだったに違いない。だからこそ「言いたてる」ものだった。そのような体験を繰り返し身をもって積んできた歌人からすれば、目からの記憶を呼び起こすのではなく、耳によって感じ取った文学の世界を総動員して、実生活の中の感動を伝えようとしたのではなかろうか。