鎌倉時代初期の私家集に、『建礼門院右京大夫集』がある。歌に添えられる詞書が長文で、一種の日記的なスタイルをもつのが特徴である。その詞書の一つに、「絵物語」が登場した。
話の内容は、いたって平安的なものだった。西園寺実宗(近衛府中将、蔵人頭)と平維盛(右少将中宮権亮)という二人の誉れ高い男性の会話を聞き取り、歌人はそれを歌に詠みあげた。一人は当世一の琵琶の名手、一人は一世風靡の美男子。賀茂祭のために普段よりいっそう艶やかな出で立ちで身を固めた維盛の姿を、まさに「絵物がたりいひたてたるやうにうつくし」いと、歌人は言葉通りにうっとりと見とれた。
ここに、絵物語とは、「言いたてる」ものとだと歌人の言葉選びが興味深い。絵は色彩で描き、物語は仮名で書き留めるものだと、今日のわれわれはまずそう断定するものではなかろうか。そのような前提に立ってこれを理解しようとすれば、表現の揺れ、言葉の流動、ひいては文章の不確定や許容範囲の交差と、無理承知の解釈をしようと無意識にしてしまう。現に旧古典大系の頭注はこのよな方向を取り、「いひたてたる」とは「書きたててある」とこともなげに決め付けた。
あるいは事情がまったく違っていたのかもしれない。絵物語とは描かれ、書かれて目をもって鑑賞するものとは限らない。物語であれば、語られて聞いていたことも鑑賞の基本形態の一つだったに違いない。だからこそ「言いたてる」ものだった。そのような体験を繰り返し身をもって積んできた歌人からすれば、目からの記憶を呼び起こすのではなく、耳によって感じ取った文学の世界を総動員して、実生活の中の感動を伝えようとしたのではなかろうか。
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