2022年2月26日土曜日

トップページは英語

先月終わりの「次世代ライブラリー」において、とんだ勘違いをした。国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」が英語のページしか用意してくれていないと書いてしまった。さっそく友人に教えてもらい、日本語への切り替えボタンがページの下真ん中にあると分かった。ただ、あえてエントリー内容の修正をせず、SNSで訂正をコメントに入れるのみだった。

いうまでもなく気がかりだ。その後もあれこれと失敗の理由を考えた。そして、自分なりの一つの答えにたどり着いた。

ヒントを示してくれたのは、「人文学オープンデータ共同利用センター」だった。その公式サイトのアドレスは、

http://codh.rois.ac.jp/

これをその通りにブラウザに入れると、英語のトップページが飛び込んでくる。右トップに言語切り替えのボタンがあり、簡単に日本語に変えられる。そこからさらに英語に戻し、両方のページアドレスを見較べた。

http://codh.rois.ac.jp/index.html.ja
http://codh.rois.ac.jp/index.html.en

すなわち日本語、英語のそれぞれのページが用意される一方、言語指定なしでサイトに入れば、英語ページが選択される。もちろんこちらのIPアドレスなどから判断した結果なのだ。

はたして「次世代デジタルライブラリー」のアドレスは、

https://lab.ndl.go.jp/dl/

これに対して、日本語と英語のどちらに切り替えても、アドレスには反映されようになっている。どうやら同じ方針でサーバーが対応してくれているのだ。

たしかに親切だが、ちょっぴりお節介だ。こちらの読みたい言語を先走りに判断し、その上誤解までもたらすのだから、余計だと思った。英語圏以外の国々になるとどう対応するのだろうか。いずれにしても、このような作りが主流にならないように願いたい。

2022年2月19日土曜日

文字絵画像処理

週末にかけてある小さな作業に取り掛かった。『文字の知絵』に収録された文字絵を対象に画像処理し、絵に隠された文字を浮き立たせるようにした。相変わらずPhotoshopを利用し、そのプロセスにおいて覚えたことをメモしておく。

見やすいようにオリジナル画像をグレーに変更することにした。画像の色を変えることは簡単だが、それよりも今度は「マスクレイヤー」を用いた。この方法を導入した利点というのは、レイヤーそのものを複製して加工しようとする画像に取り入れることができるということだ。画像を一つずつ手入れする必要はなく、個別に調整することもない。複数の画像をまとめて作業するには最適だ。

つぎは文字の部分を取り出すことだ。これについてかつてnoteでIllustratorを用いてのやりかたを記した。(「画像処理メモ・文字」)基本的にそれに従ったが、あらためて試して、TraceからUngrouにかけての一連の作業を抜きにしても思う通りの結果が得られることが分かった。おかげでかなりのマウスクリックの回数を減らすことができた。

思えば、似たような作業が必要とする人はそもそもそんなにいない。一方では、たまにしかやらないだけに、時間が経てば意外とあっさりと忘れてしまう。それのためにでもここに書いておく意味があるかもしれない。

2022年2月12日土曜日

縦書き右へ二例

右へ展開する縦書きのレイアウトについて二週間まえに記した。それをうけて、さっそく友人から一例の存在を教えてもらった。同じく十返舎一九作品の『三峯山御狼助劔』、デジタル公開があって簡単に確認できる。文章によって犬の形を象り、犬の口の下の部分がそれである。右への縦書き、単純でいてインパクトがあり、妙に思いに残る。そこで漫然と読んでいるうちにさらに一例を見つけた。

『千代靏百人一首』(デジタル公開)。百人一首の歌を歌仙絵とともに並べ、上段には「百人一首の読み癖」、「三夕の図」から、「盃の次第」、「尼の名尽くし」に至るまで、さまざまな知識を羅列する手習いの一冊である。それの一つとして、三十六歌仙の歌と歌仙絵があった。それらを読んでみると、一番目は柿本人丸、歌は「ほのゝゝと、あかしのうらの、朝霧に、しまかくれゆく、舟おしぞ思ふ」。ただ、左から右への展開である。さらに読み進めてみると、在原業平の「世の中に」、素性法師の「みわたせば」、猿丸大夫の「遠近の」など、数えてみるとじつに十五人の歌仙絵はこのレイアウトを取っている。これら十五人すべては歌仙の名前を歌の左に置いていて、文字の読み順に関しては明瞭な指針を示している。半分は文字、半分は人物の座像という歌仙絵という独立の空間において、このような文章の綴り方はまた一つ意味深いヒントを残してくれた。

滑稽本などの遊び的な要素の強いもの、絵があって、ひいては絵を構成する文字、それらに対して古風で格調ある歌仙絵。考えてみればずいぶんと性格の異なるものだった。ただ、和歌となれば、散らし書きを思い出される。あるいはそのような、いわば由緒正しい伝統がここで隠された大事な役割をは果たしたのだろうか。

2022年2月5日土曜日

個人送信

先週に続き、今週にも国立国会図書館のデジタル資料利用について新しいアナウンスがあった。来る五月ごろから、デジタル化されてインターネット公開できない「絶版等資料」は、個人向けに送信するサービスが始まるとのことである。(プレスリリース

このサービスの実現は、去年に行った関連の著作権法の改正によるものだと記述されている。思えば、国会図書館の所蔵資料のデジタル化は、その最初の一歩からつねに新しい法律の制定や実施に伴い、法律ができて目覚ましいスピードでそれが実現されるという展開の連続だった。それによりかつて存在していなかったデジタル資料群が作り出され、世の中で利用できるようになったインターネットに載せて読者に届けられた。すべてわずかここ十数年来の出来ごとであり、自分もその恩恵を受ける最初の世代に入る。

個人送信のサービスは、日本国内に限定するとのことだ。じつはここ数日、1957年刊行の一点の資料にアクセスするために苦労した。「図書館送信資料」であり、海外からは入手できない。日本国内にいる人に頼むほかはなく、幸い助けの手を伸ばしてくれる友人に恵まれ、希望が叶えられた。日本国外に身をおくと、このようなもどかしい思いをさせられることが多い。それでもこのような進歩は大歓迎だ。