2021年12月25日土曜日

朗読動画140段

今年の1月30日、「朗読動画『徒然草』」と名乗り、その序段をYouTubeにアップロードした。(「朗読動画『徒然草』」)その後、週三作と公開を続け、去る22日に第243段をあげた。この小さな個人的なプロジェクトは、これで予定通りに完成し、あわせて140段だった。

動画に用いたのは、『なぐさみ草』(松永貞徳、慶安五年、1652)と『つれつれ艸繪抄』(苗村丈伯、元禄四年、1691)。前者は、『つれづれ草』の本格的な注釈書としてはじめて絵を導入し、数えて百五十六段に絵を加えた。後者は「絵による抄(注)」との名の通り、言葉や意味などの解釈など一切なく、本文と絵のみによって構成され、絵のある段は二百九段と数える。絵を含む本文や注釈書はこの外にも伝わるが、絵の数はこの二作に遠く及ばず、この作業の対象としなかった。

朗読対象の140段という数字には特別な意味はない。まずは絵からのアプローチなので、絵のない段は対象から外した。朗読動画という体裁からして、極端に長いもの、あるいは短いものも避けた。その結果、動画の長さは平均して1分か2分、特出に長いのは酒を題材にする175段で7分23秒、一番短いのは30秒の序段だった。なお、構図の共通するものは『なぐさみ草』を優先に用い、絵がはるかに豊かになった段は『つれつれ艸繪抄』に頼るという漠然とした基準を立てた。

この朗読動画は、去年続けたGIF動画からの延長だった。注釈絵への注目に加え、さらに文字、音声という二つの要素を取り入れた。音声は自己流の朗読、文字は声に伴って移動させるくずし字だった。この朗読と文字の部分を縦長の動画に作り、さらに注釈絵の上に載せて絵を動かすという、二つのステップに分かれた動画の作り方に気づいて、わりと簡単に作成することができた。

公開した動画にまとめてアクセスするには、特設サイトを設けた。(「朗読動画特設サイト」)公開完了にあわせて、このサイトも更新した。一方では、随時更新していた再生リストも、140作すべてを対象とした。こちらのほうは公開順であり、最初の段がリストの一番後ろにくるというものである。あるいはそれなりの価値もあるだろうと思い、そのまま残しておいた。

2021年12月18日土曜日

句読点

江戸時代には、『徒然草』が愛読され、数多くの刊本が刊行された。いまは、たとえば「日本古典籍総合データベース」に収録されたデジタル底本だけでも、数百点に上る。それらを並べて読み比べると、文章の表記に気づかされることが多い。

一例として、寛文八年刊のこの一点を開いてみよう。(書誌ID:200015378)原文は、漢字の数がきわめて限られ、九割程度は仮名書きの文章となる。そして、目を凝らしてみれば、行の右側に円い点が慎重に添えられている。第九段の場合、最初の数行はつぎのような内容だ(上巻三オ)。

女はかみのめでたからんこそ.人のめたつべかめれ.人のほど心ばへなどは.物いひたるけはひにこそ.物ごしにもしらるれ.ことにふれてうちあるさまにも.人の心をまどはし.すべて女のうちとけたる.いもねず身をおしとも思ひたらず.たゆべくもあらぬわざ

声を出して読めばすぐ分かるように、これらの円い点は、まさに句読点なのだ。一つのセンテンスが終わるところだけではなく、「などは」、「さまにも」など、現代の表記においても句点を付けるか付けないか一致しない場合でも小まめに付けられている。黙読ではなく、声を出して音読するために行き届いた配慮を見せた底本だと考えてよかろう。(朗読動画『徒然草』第九段参照)

どこかの言語学の本を読んで覚えたのだが、英語などのヨーロッパの言語歴史において、表記にスペースが入ったのが大きな発明だった。その論に沿って日本語を語れば、現代の表記においての切れ目は、漢字と仮名が交じり合うことによって実現されている。その分、漢字をほとんど用いない仮名表記の文章は、どうしても読むに神経を使う。そのような苦労を減らすためにここに見られる円い点が用いられたのだろう。まさに英語におけるスペースと同じぐらいの発明だと捉えたい。

2021年12月11日土曜日

画像解像度

とある原稿を提出した。最後の作業として、利用する画像のサイズを確認した。いったいどれぐらいの解像度にすべきだろうか。これといったはっきりした基準があるわけではなく、編集者側だって、印刷業者からの指示しだいで対応せざるをえないというのがいまの現状ではなかろうか。

そもそもデジタル環境そのものが激しく変わっている。個人的な経験からいうと、蔵書を大事にするという感覚で、かつて貴重な資源に出会うと、可能なかぎり時間をかけてダウンロードしてハードディスクに保存した。そのような習慣はいつの間にかすっかり途切れた。それどころか、必要に応じてそれらのファイルを開いてみれば、その多くは横1000pix程度のもので、わずかに内容をモニターで眺められるぐらいで、とても印刷などに出せるものではない。対していまごろのデジタル公開は、まずは固定リンクを前面に打ち出し、簡単には変わらないというスタンスを明確にしている。画像解像度も5000pix前後が主流となり、ダウンロードして利用するためのアクセス方法を丁寧に提供してくれている。そのような画像は、普通のモニターでは表示しきれず、頻繁に閲覧するのものは、今度は逆に小さくしておいて、素早く開けるような工夫をしなければならなくなった。

MSワードで提出する原稿は、差し入れた画像を取り出すことが可能だ。ただし若干非正規な方法であり、編集側に負担をかけることとなる。煩雑を避けるため、小さな画像を原稿内に挿入し、それとは別に画像をZIPファイルにして提出した。これでワードファイルのサイズはずいぶん小さくなり、査読や編集などの作業もスムーズなはずだ。一つの合理的な対応かもしれない。

2021年12月4日土曜日

The Bus Stop

先週日曜日、ずいぶん久しぶりに劇場に入った。大学の演劇学科の学生たちによる小劇場で、キャンパスにある三つの劇場の中の一番小さい場所だった。すでに二か月以上も上演が続き、ほぼ終わりに近づていた。

演目は、ノーベル作家高行健の代表作「バス停」。発表は1983年だったから、学生時代にはたしかにどこかの雑誌で一度読んだはずだ。いまになったら、設定やテーマなどに朧げな印象があるだけで、詳細やハイライトなどはなにも覚えていない。ほとんど初対面の作のつもりで席に座り、一時間半の時間をしっかりと楽しめた。舞台に上がったのは、セリフを一言も発しない三人を含めて十一名、ここはカナダだからもちろん全編英語。ただし監督は非常に若い中国人の若者で、すべてのセリフに中国語の字幕が添えられた。劇場から出て原作を探し出して確認したら、けっこう忠実だった。わずかに登場の「学生」が習ったのが英語から中国語に変わり、雨と雹が降ったとある設定が観客の意表をついた本物の雨と雪となったぐらいだった。あとは、タバコの銘柄や将棋などの中国カラーを過剰に避けることなく、無国籍でいて妙に清々しい舞台に仕上げられた。

思えば、映画館、美術館、劇場などのない暮らしは二年以上も続いた。そんな中、ワクチン証明の提示を真剣に要求され、入場人数にも制限を掛けられていたが、あとは役者も観客も特別な反応を見せることなく、静かに昔の日常に戻ろうと言葉に出さずに努めたと見受けられた。

2021年11月27日土曜日

怪談を語り合う

この週末、東アジア日本研究者協議会第5回国際学術大会に参加した。漢陽大学日本学国際比較研究所が主催するパネル「日本古典文学の想像力」に声を掛けられ、コメンテーターの役を務めさせていただいた。

討論の対象となる発表は、木場貴俊氏による「江戸怪談の普遍と特殊」である。発表者は、中世から近世にかけての怪談、とりわけ人間の言葉を発する馬、鳴動、ウブメなど三つのテーマにスポットライトを与え、日記、筆記、文学作品など多彩な文献を応用して、妖異や怪奇の伝承、それに対する人々の視線、そこから見られる江戸怪談の普遍性と特殊性などを論じられた。討論の中で試みた問いかけの一つは、怪談の娯楽性だった。江戸時代に広く享受された怪談ものの流れを汲んで、今日においては、マンガ、アニメ、ビデオゲームなどを通じて「オバケ」は世界に対する日本的なアイコンとまでなった。エンターテイメント性は、はたして怪談の必須の属性なのか、それとも一つの特殊な変異種なのだろうか。これに対しての発表者の答えは、「怪しさ」と「怖さ」との違い、グロテスク、あるいは怖いもの見たさ、病的になまでのおどろおどろしさの表現に怪談ものの本質があることへの強調だった。化け物を人畜無害なものに仕立て、無邪気な笑いをもってそれを無気力にさせてしまうことにばかり気を捉われてしまうという、黄表紙の作品群を読み更けているここ最近の読書経験に照らし合わせて、怪談もののふり幅の大きいことにあらためて気づかされた。

第五回と数えるこの国際大会は、2016年から始まり、これまでインチョン、天津、京都、台北と続き、今度はコロナによる延期の末、オンライン開催となった。遠くカナダに身を置く者として、リモートだからこそ参加できたもので、とてもありがたく思い、主催者に感謝を言いたい。

2021年11月20日土曜日

ブックス全文読み

「黄表紙活字目録」を公開してから、ツイッターなどで教わったり、それをヒントに新たに気づいたりして、タイトルをすこしずつ追加してきた。この目録は、活字出版を完全にカバーすることがとても出来そうにないが、一番の狙いは、本文をそのままインターネットで利用できる資料への案内だ。今週、その中の一点をめぐり、ひさしぶりにグーグルブックスを利用した。

タイトルは、『繪入黄表紙名作集:全』。出版は1922年なので、オンライン利用はできるはずだ。しかしながら、国会図書館のデジタルコレクションにたしかに収録されているが、「著作権の確認が済んでいない」とのことで、館内閲覧か地方図書館への送信によってはじめて読める。そのため、久しぶりにグーグルブックスに入った。タイトルは簡単に出てきて、しかも「電子書籍・無料」との表示がついている。だが、そこからは先へ進まなかった。Google Playへの誘導があり、そこに行くと、「Free eBook」とあるが、「あなたの国では利用できない」との表示が出てきてしまう。しばらくは立往生した。あれこれと試した末、ようやくアクセスの方法に気づいた。書籍情報のページで右上の歯車アイコンをクリックして、出てきたメニューから「PDFをダウンロード」を選び、全文のダウンロード保存が可能になった。書籍のリンクを次に記しておく。

グーグルブックスは、オンランリソースとしてかなりの先発組なのだ。その分、個人出版を含むさまざまな性格の資料、各国の公私にわたる図書館など異なる由来の書籍が混在し、アクセスの方法が頻繁に更新され、アクセス地によって結果も違う。それにしても、そこしかアクセスできな資料は確実に存在するので、とにかくはありがたい。

繪入黄表紙名作集:全』(平安堂書店、1922年)

2021年11月13日土曜日

「こそ」の字形

右は、『改正頭書つれつれ艸繪抄』(国文学研究資料館蔵)からの一部である。底本は新日本古典籍総合データベースで公開され、このページ(上巻四十一オ)は簡単に確認できる。赤線で囲まれた二つは、ともに「こそ」と読めるが、眺めるほどに、くずし字の字形に気づかされることが多い。

くずし字の基本は、やはり仮名である。とりわけ木版の書籍になると、仮名の形が大きく定まる。仮名の数はそもそも限られ、それぞれ複数の字体が用いられるにしても、常用なのはせいぜい150に満たない程度だ。しかもその半分以上は今日使っているものと変わらず、覚えるにはさほどたいへんな作業でもないように思われる。一方では、ここに見る「こそ」の事例のように、いささか面倒なケースもある。詳しく言えば、「こ」の字体は、二画目が下へ伸びる縦線となり、「こそ」「こと」「ころ」などの語彙に伴う傾向がある。「そ」は、終わりの画が左に撥ねる字形と右に撥ねる字形と両方あるが、ここではわざと両者が並ぶ格好となる。さらに直前に「ぼうし(法師)」の「う」が見え、「う」と「そ」の差異は、一画目のわずかな撥ね方にすぎず、形のうえで区別するのが難しい。

ここに見る字形の揺れは、文字としての規範と表現としての達筆さの間の距離から由来していると考えてよかろう。文字は、そもそも読みやすい、読者に無用の負担を掛けないことが基本だろうが、それを美しく、勢い良く書くという意識も働く。江戸時代の読書人の感覚は、十分に図りきれない。それはさておくとして、くずし字を覚えるにはどうしても形から入るのだが、ここに見られるような美意識の存在、それの働きかけは、忘れてはならない。

2021年11月6日土曜日

黄表紙目録更新

試して活字にされた黄表紙の目録を作ってみたら、ツイッターなどで思わぬ反響を得た。かねてから知っているこの分野の専門の方の名前まで現われ、ほとんど思いつきでやっているこの小さな作業が歓迎されたと感じ、大いに励まされた。そこで今週はこれに集中し、さっそく目録を更新した。

いま、集めたのは、442作。そのうち、複数回活字にされた作品は82作、それらをそれぞれ1作だと数えれば、作品数はちょうど300作である。対象となったのは、単行本、全集類が中心で、とりわけ明治末期から昭和初期にかけてのそれは、著作権フリーになって全文アクセスが可能だ。もう一つのリソースは、研究機関紙や大学紀要、こちらのほうは機関リポジトリの形で公開され、逆に新しいほど読める数が多い。ただ、手元にはこの課題に関連する蔵書はほとんどなく、基本資料へのアクセスも思う通りにならない環境なので、文学全集などを調べたり確認したりすることにはいまは手が届かない。なにせ『黄表紙総覧』(1986年)さえ読んでいないので、この目録はあくまでも個人的な読書メモに留めておきたい。これで自分への課題がもう一つ増えた結果となり、いずれ環境に恵まれたら、ゆっくり充実したいと考えている。

黄表紙の作品の数々、一つの研究分野として十分な知識を持ち合わせていないが、一群の読み物として単純に楽しい。この楽しさをどのように他人に伝えるべきだろうか。一人の読者として、そして古典研究に身を置いてきた者として、これからも模索を続けたい。

黄表紙活字目録(442作)

2021年10月30日土曜日

黄表紙目録

朗読動画『敵討義女英』を制作したことから、黄表紙への興味が続いた。自分自身が研究分野とする中世の文学とは時代が違うとはいえ、絵画と文字をあわせもって物語を伝えるということが絵巻に通じ、その豊穣な世界に魅せられる。

一方では正直、まだまだ原文を自由に読めるまでの実力を持たない。じっくり眺めればなんとかなるだろうが、普通の読書のスピードと比べられるものではない。そのため、自然に活字で読めるものを探し求めてみる。こと黄表紙にかぎって言えば、その手ごろな長さも手伝って、先人たちによる成果が驚くほど多数残されている。その中のいくつかは、はやくも明治の後期や大正の時期に遡る。百年近くも前から、いまの自分と同じ思いを抱いていた読者がいたのだと考えてよかろう。ちなみにそれだけ年代が過ぎたから、すでに著作権の保護期間が終わり、その多くはオンランでマウスクリック一つでアクセスすることができる。

ここに、活字になった黄表紙作品の目録を作ってみた。名付けて「黄表紙活字目録」。すでに三百作近くなっているが、今日はまずその中から135作ほど載せて第一弾とする。

一つの学生時代の思い出がある。十数人ほどの大学院生が共同で利用する部屋で、江戸文学を専攻する先輩の一人は、草双紙類の作品をどさっと机の上に広げ、かたっぱしから読んで一人でよく笑っていた。なぜかまるで映画のワンシーンだった。いまの学生が同じことをしようと思うなら、きっとパソコンのモニターを睨み続けることだろう。

黄表紙活字目録

黄表紙活字目録(545作)

――複数回活字化の95作(*を付けた)をそれぞれ1作と数えて328作――
更新:2021.11.20

黄表紙百種(続帝国文庫34、博文館、1909年)本文

金々先生榮花夢*(きんきんせんせいえいぐわのゆめ)
紅皿缺皿往古噺*(べにざらかけざらむかしばなし)
高慢斎行腳日記*(かうまんさいあんぎやにっき)
鼻ケ峰高慢男(はながみねかうまんをとこ)
桃太郎後日噺*(ももたろうごにちばなし)
辞闘戦新根*(ことばたたかひあたらしいのね)
親敵討腹鼓*(おやのかたきうつはらつつみ)
三幅対紫曽我*(さんぷくつひむらさきそが)
金銀先生開運先生夢中印噺(むちうのほしばなし)
敵討女鉢木*(かたきうちをんなはちのき)
通鳬寝子の美女*(かよひけりねこのわざくれ)
運附太郎左衛門(うんつくたらうざゑもん)
楠無益委記*(くすのきのむだいき)
近頃嶋巡り*(ちかごろしまめぐり)
憎口返答返し*(にくまれぐちへんとうがへし)
怪談豆人形*(くわいだんまめにんぎやう)
本の能見世物*(ほんのよいみせもの)
扨化狐通人*(さてもばけたりきつねのつうじん)
松茸売親方*(まつたけうりのおやかた)
金銀先生再寝夢*(きんぎんせんせいまたねのゆめ)
鐘入七人化粧(かねいりしちにんけしやう)
息子妙薬一粒万金談(いちりうまんきんだん)
手前勝手御存商売物*(ごぞんじのしやうばいもの)
当世大通仏開帳*(とうせいだいつうぶつかいちゃう)
通一声女暫*(つうのひとこゑをんなしばらく)
通増安宅関*(とほりますあたかのせき)
四天王大通仕立*(してんわうだいつうしたて)
景清百人一首*(かげきよひやくにんいつしゅ)
思ひ付たり変わったり五郎兵衛商売*(ごろげゑしやうばい)
通風伊勢物語*(つうふういせものがたり)
長生見度記*(ながいきみたいき)
三太郎天上巡り(さんたらうてんじやうめぐり)
間違狐女郎買(まちがひきつねのぢよらうかひ)
嘘多雁取帳*(うそしつかりがんとりちやう)
夫従以来記*(それからいらいき)
国漢無体此奴和日本*(こいつわにつぽん)
豊前豊後両国名取(りやうごくなどり)
浦山太郎兵衛竜宮巻(りうぐうのま)
八代目桃太郎*(はちだいめももたらう)
寿御夢想の妙薬*(ことぶきごむそうのめうやく)
莫切自根金生木*(きるなのねからかねのなるき)
江戸生艶気蒲焼*(えどうまれうはきのかばやき)
元利安売鋸商売*(ぐわんりやすうりのこぎりあきない)
御手料理御知而已大悲千録本*(だいひのせんろくほん)
三国伝来無匂線香*(にほいんせんかう)
間合嘘言曽我(まにあわせうそつきそが)
亀山人家妖*(きさんじんいへのばけもの)
鳩八幡豆ト徳利*(はとはちまんまめととくり)
茶哥舞妓茶目傘*(ちやかぶきちやのめのからかさ)
面向不背御年玉*(めんかうふばいのおとしだま)
色男十人三文*(いろをとこじうにんさんもん)
文武二道万石通*(ぶんぶにだうまんこくどほし)
悦贔負蝦夷押領*(よろこんぶひいきのゑぞをし)
時代世話二挺鼓*(じだいせわにちうつづみ)
齢長尺桃色寿主(よはひのながじやくももいろじゆす)
海中箱入娘*(かいちうはこいりむすめ)
復讐後祭祀*(かたきうちあとのまつり)
仁田四郎富士之人穴見物(ふしのひとあなけんぶつ)
夫者徳奢玉得(それはとくおごりなまへ)
天下一面鏡梅鉢*(てんがいちめんかがみのうめばち)
孔子縞干時藍染*(かうしじまときにあひそめ)
拝寿仁王参*(おがみんすにわうさん)
大極上請合売心学早染草*(しんがくはやぞめぐさ)
染直大名縞(そめなをしだいみやうしま)
地獄一面照子浄頗梨*(かがみのじやうはり)
京伝憂世酔醒*(きやうでんうきよのゑひざめ)
玉磨青砥銭(たまみがくあをとせん)
本樹真猿浮気噺(もときにまさるうはきばなし)
新吉原聖賢絵図(しんよしばらせいけんのゑづ)
盧生夢魂其前日*(ろせいのゆめそのぜんじつ)
尽用而二分狂言*(つかひばなしてにぶきやうげん)
京鹿子娘泥鰌汁*(きやうかのこむすめどぜうじる)
世上洒落見絵図*(せじやうしやれけんのゑづ)
直読見台萩*(なをしてよむやけんだいはぎ)
唯心鬼打豆*(ゆひしんおにうちまめ)
桃太郎発端話説*(ももたらうはつたんばなし)
浮世操九面十面*(うきよあやつりくめんじうめん)
山入桃太郎昔噺(やまいりももたらうむかしばなし)
白髭大明神御渡申*(しらひげだいみやうじんおわたしまをす)
福徳果報兵衛伝*(ふくとくくわはうみやうゑので)
世上廻親子銭独楽(せじやうまわりおやこせにごま)
年寄冷水曽我(としよりのひやみづそが)
金々先生造花夢*(きんきんせんせいざうくわのゆめ)
天道浮世出星操*(てんだううきよでつかひ)
金交法師常々草(ぜんかうはふしつねづねぐさ)
春遊七福曽我(はるあそびしちふくそが)
財布の紐しらみうせ薬(しらみうせぐすり)
怪談筆始*(くわいだんふではじめ)
堪忍五両金言語(かんにんごりやうかねのいひぐさ)
一狂言狐書入(ひときやうげんきつねのかきいれ)
作者根元江戸錦*(さくしやこんげんえどにしき)
竈将軍勘略之巻*(かまどしやうぐんかんりやくのまき)
人間万事塞翁馬*(にんげんばんじさいおうがうま)
甘哉名利研*(あまいかなみやうりおろし)
貧福蜻蛉返*(ひんぷくとんぼかへり)
敵討記乎汝(かたきうちおぼえたかうぬ)
這奇的見世物語*(こはめづらしいみせものがたり)
敵討蚤取眼*(かたきうちのみとりまなこ)
人心両面摺(じんしんりやうめんずり)
万福長者栄華談(まんぷくちやうじやえいくわものかたり)

黄表紙十種(有朋堂書店、1914年)本文

魚鳥あんばいよし
めくら仙人目明仙人
啌多雁取帳 : 右通慥而*(みぎのとをりたしかに・うそしつかりがんとりちやう)
文武二道萬石通*(ぶんぶにとうまんごくどをし)
鸚鵡返文武二道*(あふむがへしぶんぶのふたみち)
世上洒落見繪圖*(よのなかしやれけんのえづ)
鼻下長物語 : 形容化景唇動*(さいようけしてかげくちびるをうごかす・はなのしたながものがたり)
竈將軍勘略之卷*(かまどしやうぐんかんりゃくのまき)
曲亭一風京傳張(きよくていいつふうきやうでんばり)
稗史億説年代記 : 又燒直鉢冠姫*(くさざうしこじつけねんだいき)

繪入黄表紙名作集(平安堂書店、1922年)本文

金々先生榮花夢*(きんきんせんせいえいぐわのゆめ)
親敵討腹鼓*(おやのかたきうつやはらつづみ)
鈍作万八噺(どんさくまん ばなし)
鐘入七人化粧*(かねいり にんけしよう)
楠無益委記*(くすのきむだゐき)
莫切自根金生木*(きるなのねからかねのなるき)
延寿反魂談*(えんじゆはんごんだん)
嘘多雁取帳*(うそしつかりがんとりちやう)
長生見度記*(ながいきみたいき)
明眼仙人盲仙術(めあき にんめくらのせんじゆつ)
江戸生艶気蒲焼*(えどうまれうはきのかばやき)
大悲千録本*(だいひ ろくぼん)
従夫以来記*(それからいらいき)
小人国毇桜*(こびとしまこゞめざくら)
万福長者宝蔵開(まんふくちやうじやたからのくらびらき)
悦贔負蝦夷押領*(よろこんぶひゐきのえぞおし)
竹本義太夫武士(たけもとぎだいふぶし)
尽用而二分狂言*(つかひはなして ぶきやうげん)
早道節用守*(はやみちせつようのまもり)
白髭大明神御渡申*(しらひげだいめうじんおわたしまをす)

黄表紙廿五種(日本名著全集江戸文芸之部11、日本名著全集刊行会、1926年)本文

金々先生栄花夢*(きんきんせんせいえいぐわのゆめ)
親敵打腹鼓*(おやのかたきうてやはらつづみ)
長生見度記*(ながいきみたいき)
右通慥而啌多雁取帳*(みぎのとをりたしかに・うそしつかりがんとりちう)
狂言好野暮大名(きやうげんずきやぼだいみやう)
御手料理御知而已大悲千禄本*(をてりやうりおし・だいひのせんろつぼん)
江戸生艶気椛焼*(えどむまれうはきのかばやき)
莫切自根金生木*(まはりのよい*きるなのねからかねのなるき)
文武二道万石通*(ぶんぶにだうまんごくどほし)
孔子縞于時藍染*(こうしじよときにあおぞめ)
大極上請合売心学早染草*(だいごじやううけあひうり・しんがくはやそめぐさ)
即席耳学問(そくせきみみがくもん)
廬生夢魂其前日*(ろせいがゆめそのぜんじつ)
馬鹿長命子気物語(ばかのちやうめいしきものがたり)
世上洒落見絵図*(よのなかしやれけんのゑづ)
桃太郎発端話説*(ももたらうほつたんばなし)
十四傾城腹之内(じふしけいせいはらのうち)
栄花夢後日話金々先生造化夢*(えいぐわのゆめごじつばなし・きんきんせんせいざうくわのゆめ)
忠臣蔵前世幕無*(ちうしんぐらぜんせのまくなし)
世諺口紺屋雛形(よのたとへくちからこうやのひながた)
又焼直鉢冠姫稗史億説年代記(またやきなほすはちかつきひめ・くさざうしこじつけねんだいき)
延命長尺御誂染長寿小紋(ゑんめいながじやく・おんあつへひぞめちやうじゆごもん)
的中地本問屋(あたりやしたじほんどひや)
人間万事吹矢的*(にんげんぼんじふきやのまと)
有金時有化物人意吹矢的(きんときもありばけものもあり・ひとごころふきやのまと)

黄表紙集(近代日本文学大系12、国民図書、1926年)本文

茶歌舞伎茶目傘*(ちやかぶきちやのめのからかき)
文武二道万石通*(ぶんぶにだうまんごくどほし)
時代世話二挺鼓 : 将門秀郷*(じだいせわにちやうつづみ)
石之上三之助辛抱(いしのうへにもさんのすけがしんばう)
内弁慶堪忍帳(うちべんけいかんにんちやう)
侠太平記向鉢巻 : 夫南木是嘘気*(きやんたいへいきむかうはちまき)
呑込多霊宝縁起 : 諸色買帳*(のみこんだれいほうえんき)
稗史億説年代記 : 又焼直鉢冠姫*(くさざうしこじつけねんだいき)
世帯評判記 : 衣食住三箇図(せたいひやうばんき)
紅皿欠皿往古噺*(べにざらかけざらむかしばなし)
夢中の印噺 : 金銀先生皆運先生(むちうのほしばなし)
金々先生栄花夢*(きんきんせんせいえいぐわのゆめ)
高慢斎行脚日記*(かうまんさいあんぎやにつき)
鼻峯高慢男(はなみねかうまんをとこ)
敵討女鉢木*(かたきうちをんなはちのき)
桃太郎後日咄*(ももたらうごじつばなし)
親敵討腹鼓*(おやのかたきうつやはらづつみ)
辞闘戦新根*(ことばだたかひあたらしいのね)
三幅対紫曾我*(さんぷくつゐむらさきそが)
楠無益委記*(くすのきむだゐき)
怪談豆人形*(くわいだんまめにんぎやう)
金銀先生再寝夢*(きんぎんせんせいにどねのゆめ)
通鳧寐子の美女*(かよひけりねこのわざくれ)
扠化狐通人*(さてもばけたりきつねのつうじん)
近頃島めぐり*(ちかごろしまめぐり)
憎口返答返*(にくまれぐちへんたふがへし)
本の能見物*(ほんのよいみせもの)
漉返柳黒髪 : 鐘入七人化粧*(すきかへずやなぎのくろかみ)
当世大通仏買帳*(たうせいだいつうぶつかひちやう)
通一声女暫*(つうのひとこゑをんなしばらく)
一粒万金談 : 息子妙薬*(いちりふまんきんだん)
四天王大通仕立*(してんわうだいつうじたて)
通増安宅関*(とほりますあたかのせき)
通風伊勢物語 : 昔男を写して*(つうふういせものがたり)
夫従以来記*(それからいらいき)
景清百人一首 : 夫れは小倉山是れは鎌倉山*(かげきよひやくにんいつしゆ)
御存商売物 : 手前勝手*(ごぞんじのしやうばいもの)
五郎兵衛商売 : 思い付いたり替つたり*(ごろべゑしやうばい)
啌多鴈取帳*(うそしつかりがんとりちやう)
長生見度記*(ながいきみたいき)
八代目桃太郎 : 歳々花似当年積而*(はちだいめももたらう)
此奴和日本 : 漢国無體*(こいつわにつぽん)
大悲千録本 : 御手料理御知而巳*(だいひのせんろくぼん)
莫切自根金生木 : 順廻能名代家*(きるなのねからがねのなるき)
元利安売鋸商売*(くわんりやすうりのこぎりあきなひ)
江戸生艶気樺焼*(えどうまれうはきのかばやき)
鳩八幡豆と徳利*(はとはちまんまめととくり)
色男十人三文*(いろをとことをでさんもん)
面向不背御年玉*(めんかうふはいのおんとしだま)
亀山人家妖*(きさんじんいへのばけもの)
喜贔屓蝦夷押領*(よろこんぶひいきのえぞおし)
復讐後祭祀*(かたきうちあとのまつり)
富士之人穴見物 : 仁田四郎(ふじのひとあなけんぶつ)
天下一面鏡梅鉢*(てんかいちめんかがみのつめばち)
孔子縞干時藍染*(こうしじまときにあゐそめ)
照子浄頗梨 : 地獄一面*(かがみのじやうはり)
拝寿仁王参 : 願解而下紐哉*(をがみんすにわうさん)
心学早染草 : 大極上請合売*(しんがくはやそめぐさ)
京伝憂世之酔醒*(きやうでんうきよのゐひざめ)
直読見台萩 : 壬生狂言唐本寝言*(なほしてよむやけんだいはぎ)
世上洒落見絵図*(せじやうしやれげんのゑづ)
京鹿の子娘鯲汁*(きやうかのこむすめどぢやうじる)
尽用而二文狂言 : 二十日余四十両*(つかひはたしてにぶきやうげん)
蘆生夢魂其前日*(ろせいのゆめそのぜんじつ)
浮世操九面十面*(うきよのあやつりくめんじふめん)
白髭明神御渡甲 : 長物語後編*(しらひげみやうじんおわたしまうす)
金々先生造花夢 : 栄花夢後日噺*(きんきんせんせいざうくわのゆめ)
天道浮世出星操*(てんだううきよのでづかひ)
怪談筆始*(くわいだんふではじめ)
作者根元江戸錦*(さくしやこんげんえどにしき)
竃将軍勘略之巻*(かまどしやうぐんかんりやくのまき)
貧福蜻蛉返*(ひんぷくとんぼがへり)
這奇的見勢物語 : 昔男生得*(こはずづらしいみせものがたり)
敵討蚤取眼*(かたきうちのみとりまなこ)

黄表紙二十四篇(耕文社出版本部、1929年)本文】 

紅血欠皿往古噺*(べにさらかけさらむかしばなし)
長生見度記*(ながいきみたいき)
近頃島めぐり*(ちかごろしまめぐり)
怪談豆人形*(かいだんまめにんぎよう)
扱化狐通人(さてもばけたりきつねのつうじん)
松茸賣親方*(まつたけうりおやかた)
大悲千録本*(だいひのせんろくぼん)
江戸生艶氣樺焼*(えどうまれうはきのかばやき)
五郎兵衛商賣*(ごろべえしようばい)
竜宮巻(りゆうぐうのまき)
此奴和日本*(こやつわにほん)
虛生夢魂其前日*(ろせいのゆめそのぜんじつ)
兩国の名取(りようごくのなとり)
莫切白根金生木*(きるなのしらねかねのなるき)
色男十人三文*(いろをとこじふにんさんもん)
面向不背御年玉*(かくべししおとしだま)
天道浮世出星界*(てんどううきよのでつかい)
作者根元江戸錦*(さくしやこんげんえどにしき)
貧福蜻蛉返*(ひんぷくとんぼかへり)
人間萬事塞翁馬*(にんげんばんじさおうのうま)
海中箱入娘*(かいちゆうはこいりむすめ)
壽御夢相妙薬(ことぶきごむそうのみやうやく)
高慢齊行脚日記*(こうまんさいあんぎやにつき)
八代目桃太郎*(はちだいめももたろう)

未刊黄表紙選(第1集、 第2集、未刊江戸文学刊行会, 1956年)目録

仇討女筆雲龍
今様喜還城
遊君世界是男度比女
素後壮雪信
競腰業平形
眞實情文桜
艶哉女僊人
山鶗鴂蹴転破瓜*
裡家算見通座敷

黄表紙・洒落本集(日本古典文学大系59、岩波書店、1958年)目録

金々先生榮花夢*(きんきんせんせいえいがのゆめ)
高慢齋行脚日記*(こうまんさいあんぎやにつき)
見徳一炊夢(みるがとくいつすいのゆめ)
御存商賣物*(ごぞんじのしようばいもの)
大悲千祿本*(だいひのせんろくほん)
莫切自根金生木*(きるなのねからかねのなるき)
江戸生艶氣樺焼*(えどうまれうわきのかばやき)
文武二道万石通*(ぶんぶにどうまんごくとおし)
孔子縞于時藍染*(こうしじまときにあいぞめ)
心學早染艸*(しんがくはやそめくさ)
敵討義女英(かたきうちぎじよのはなぶさ)

翻刻曲亭馬琴の黄表紙(駒沢短期大学研究紀要No.3, 4, 5, 6, 7, 9, 10, 12, 17, 22, 4, 28, 29, 30, 31、1975-2003年)本文

鼠子婚礼塵劫記
花団子食家物語
荒山水天狗鼻祖(あらやまみづてんぐのはいまり)
御茶漬十二因縁(おんちやづけじうにいんゑん)
福寿海無量品玉(ふくじゆかいむりやうのしなだま)
昔怪談諷教訓心学晦荘子(しんがくみそかさうじ)
曲亭増補万八伝
小衆雨見越松毬(しよぼしよぼあめみこしのまつかさ)
報讐獺狂夫(かたきうちおそのたはれを)
四遍摺心学草紙(しへんずりしんがくさうし)
墨川柳禿筆(すみだかはやなぎのきれふで)
押絵鳥痴漢高名(をしゑとりあほうのこうめう)
武者合天狗俳諧(むしやあはせてんぐはいかい)
阿倍清兵衛一代八卦(あべのせいべいいちだいはつけ)
楠正成軍慮智輪(くすのきまさしげぐんりよのちゑのわ)
加古川本蔵綱目(かこがわほんさうかうもく)
庭荘子珍物茶話(にはさうじちんぶつちやわ)
大黒柱黄金柱礎(だいこくはしらこかねのいしずへ)
北国巡礼唄方便(ほつこくじゆんれいうたほうべん)
竜宮苦界玉手箱(たつのみやくがいのたまてはこ)
大雑書抜萃縁組(おほざつしよかきぬきゑんぐみ)
无筆節用似字尽*
似字尽後編粗相案文当字揃(そそうあんもんあてじぞろへ)
御慰忠臣蔵之考(おなぐさみちうしんぐらのかんがへ)
増補彌猴蟹合戦(ぞうほさるかにかつせんじよ)
鼻下長生薬*(はなのしたながいきのくすり)
六代目団十郎追善東発名皐月落際(えどのはなさつきのちりぎは)
鯨魚尺品革羽織(くじらざししなかははをり)
彼岸桜勝花談義(ひかんさくらはなよりたんき)
料理茶話即席説(りようりちやわそくせきはなし)
無茶尽押兵(むちやづくしをしのつはもの)
花見話蚤盛衰記(はなみはなししらみせいすいき)
人間万事塞翁馬*(にんげんはんじさいをうがうま)
胴人形肢体機関(どうにんぎやうからだのからくり)
銭鑑貨写画(ぜにかがみたからのうつしゑ)
養得茹名鳥図会(かひえたりにはこめいてうづゑ)
初老了簡年題記(しじうからりやうけんねんだいき)
筆耕作稿栽着種蒔三世相(たねまきさんぜさう)
野夫鶯歌曲訛言(やぶうぐひすうたのかたこと)
六冊懸徳用草紙(ろくさつがけとくやうさうし)
陰兼陽珍紋図彙(かげとひなたちんもんづゑ)
信濃客人浅草主人俟待開帳話(まちにまつたりかいちやうはなし)
小夜中山霄啼碑(さよのなかやまよなきのいしぶみ)
敵討弐人長兵衛(かたきうちににんちやうびやうゑ)
御伽怪談五人拍鄙言(ごにんばやしひなものがたり)
新研十六武蔵坊(しんはんかはりましたじうろくむさしぼう)
妙黄粉穀道明寺(めうきなここごめどうみやうじ)
復讐阿姑射之松(かたきうちあこやのまつ)
猫奴牝忠義合奏(ねこのつまちうぎのつれひき)
奉打札所誓(うちたてまつるふだしよのちかひじよ)
武者修行木斎伝(むしやしゆぎやうもくさいでん)
敵討鼎壮夫(かたきうちかなへのますらを)
敵討雑居寝物語(かたきうちざこねものがたり)

葛飾北斎小説集(北星出版社、1978年)目録

竈將軍勘略之巻*
児童文殊稚教訓
胸中算用嘘店卸
不廚庖即席料理
我家楽之鎌倉山

江戸の戯作絵本(六巻、社会思想社、1980-85年)目録

金々先生栄花夢*(きんきんせんせいえいがのゆめ)
化物大江山*(ばけものおおえやま)
桃太郎後日噺*(ももたろうごにちばなし)
辞闘戦新根*(ことばたたかいあたらしいのね)
無益委記(むだいき)
時花兮鶸茶曽我*(はやりやすひわちゃそが)
一流万金談*(いちりゅうまんきんだん)
御存商売物*(ごぞんじのしょうばいもの)
啌多雁取帳*(うそしっかりがんとりちょう)
万載集著微来歴(まんざいしゅうちょびらいれき)
天慶和句文*(てんけいわくもん)
頭てん天口有(あたまてんてんにくちあり)
狂言好野暮大名*(きょうげんずきやぼだいみょう)
大悲千禄本*(だいひのせんろくほん)
江戸生艶気樺焼*(えどうまれうわきのかばやき)
亀山人家妖*(きさんじんいえのばけもの)
面向不背御年玉*(めんこうふはいのおとしだま)
悦贔屓蝦夷押領*(よろこんぶひいきのえぞおし)
文武二道万石通*(ぶんぶにどうまんごくとうし)
拝寿仁王参*(おがみんすにおうさん)
鸚鵡返文武二道*(おうむがえしぶんぶのふたみち)
奇事中洲話*(きじもなかずわ)
天下一面鏡梅鉢*(てんかいちめんかがみのうめばち)
照子浄頗梨*(かがみのじょうはり)
心学早染草*(しんがくはやそめくさ)
即席耳学問*(そくせきみみがくもん)
十四傾城腹之内*(じゅうしけいせいはらのうち)
敵討義女英*(かたきうちぎじょのはなぶさ)
初登山手習方帖*(しょとうざんてならいじょう)
无筆節用似字尽*(むひつせつようにたじずくし)
侠太平記向鉢巻:夫南木是嘘気*(きやんたいへいきむこうはちまき:それわくすのきこれわうそのき)
稗史億説年代記:又焼直鉢冠姫*(くさぞうしこじつけねんだいき:またやきなおすはちかずきひめ)
化物太平記*(ばけものたいへいき)
高漫斉行脚日記*(こうまんさいあんぎゃにっき)
親敵討腹鞁*(おやのかたきうてやはらつずみ)
参幅対紫曾我*(さんぷくついむらさきそが)
案内手本通人蔵*(あなてほんつうじんぐら)
扨化狐通人*(さてもばけたりきつねのつうじん)
当世大通仏買帳*(とうせいだいつうぶつかいちょう)
通増安宅関*(とおりますあたかのせき)
吉原大通会*(よしはらだいつうえ)
従夫以来記*(それからいらいき)
莫切自根金生木*(きるなのねからかねのなるき)
天道大福帳(てんとうだいふくちょう)
明矣七変目景清*(あくしちへんめかげきよ)
時代世話二挺皷*(じだいせわにちょうつずみ)
孔子縞于時藍染*(こうしじまときにあいぞめ)
黒白水鏡*(こくびゃくみずかがみ)
京伝憂世之酔醒*(きょうでんうきよのえいざめ)
的中地本問屋*(あたりやしたじほんどんや)

大田南畝全集(第七巻、岩波書店、1986年)目録

梶原再見二度の賭(源平惣勘定) 
漢国無体此奴和日本(寿塩商婚礼) *
料理献立頭てん天口有 
返々目出鯛春参 
種風小野之助拳角力 
手練偽なし 

作者胎内十月図 腹之内戯作種本 的中地本問屋(江戸戯作文庫、河出書房新社、1987年)目録

作者胎内十月図*
腹之内戯作種本
的中地本問屋*

草双紙集(新日本古典文学大系83、岩波書店、1997年)目録

其返報怪談(そのへんぽうばけものばなし)
大違宝舟(おおちがいたからぶね)
此奴和日本*(こいつわにつぽん)
太平記万八講釈(たいへいきまんばちこうしやく)
正札附息質(しようふだつきむすこかたぎ)
悦贔屓蝦夷押領*(よろこんぶひいきのえぞおし)
買飴帋凧野弄話(あめおかつたらたこやろばなし)
色男其所此処(いろおとこそこでもここでも)
草双紙年代記(くさぞうしねんだいき)

黄表紙・川柳・狂歌(新編日本古典文学全集79、小学館、1999年)〔目録

金々先生栄花夢*
桃太郎後日噺*
啌多雁取帳*
従夫以来記*
江戸生艶気樺焼*
江戸春一夜千両*
文武二道万石通*
鸚鵡返文武二道*
心学早染草*
鼻下長物語*

黄表紙1‐5(山東京傳全集、ぺりかん社、1992-2009年)〔目録

お花半七開帳利益札遊合
扇屋かなめ傘屋六郎兵衛米饅頭始
娘敵討古郷錦
団子兵衛御ばゞ焼餅噺
笑話於臍茶
白拍子富民静皷音
手前勝手御存商売物*
客人女郎
天慶和句文*
不案配即席料理
ナンカク全盛廓中丁子
江戸生艶気樺焼*
八被般若角文字
侠中侠悪言鮫骨
三国伝来無匂線香*
天地人三階図絵
江戸春一夜千両*
明矣七変目景清
鐘は上野哉
京鹿子無間鐘名産梅枝伝賦
三筋緯客気植田
百文二朱寓骨牌
三千歳成云蚺蛇
復讐後祭祀*
一体分身扮接銀煙管
会通己恍愡照子
扇蟹目傘轆轤狂言末広栄
将門秀郷時代世話二挺鼓
小倉山時雨珍説
真字手本義士之筆力
仁田四郎富士之人穴見物
吉野屋酒楽
甚句義経真実情文桜
二代目艶二郎碑文谷利生四竹節
飛脚屋忠兵衛仮住居梅川奇事中洲話
仙伝延寿反魂談*
三河島御不動記
淀屋宝物東都名物嗚呼奇々羅金鶏
早道節用守*
早雲小金軽業希術艶哉女僊人
一百三升芋地獄
一生入福兵衛幸
孔子縞于時藍染*
花東頼朝公御入
太平記吾妻鑑玉磨青砥銭
地獄一面照子浄頗梨*
先時怪談花芳野犬斑点
京伝憂世之酔醒*
冷哉汲立清水記
山鶗鴂蹴転破瓜*
大極上請合売心学早染艸*
張かへし行儀有良礼
世上洒落見絵図
悪魂後編人間一生胸算用
廬生夢魂其前日*
箱入娘面屋人魚*
京伝勧請新神名帳八百万両金神花
狂伝和尚廓中法語九界十年色地獄
実語教幼稚講釈(じつごきやうおさなこうしやく)
桃太郎発端話説*(もゝたらうほつたんばなし)
梁山一歩談(りやうざんいつぽだん)
天剛垂楊柳(てんがすいりやうりう)
霞之偶春朝日名(かすみのくまはるのあさひな)
怪物徒然草(ばけものつれづれぐさ)
唯心鬼打豆*(たゞこゝろおにうちまめ)
女将門七人化粧(をんなまさかどひちにんげしやう)
堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)
貧福両道中之記(ひんぷくりやうどうちうき)
皐下旬虫干曾我(さつきげじゆんむしほしそが)
小人国毇桜*(こびとしまこゞめざくら)
龍宮羶鉢木(たつのみやこなまぐさはちのき)
花之笑七福参詣(はなのゑみしちふくまうで)
福徳果報兵衛伝*(ふくとくくはほうびやうへがでん)
四人詰南片傀儡(よにんづめなんぺんあやつり)
先開梅赤本(まづひらくむめのあかぼん)
新板替道中助六(しんぱんかわりましたとうちうすけろく)
宿昔語筆操( むかしがたりふでのあやつり)
忠臣蔵前世幕無*(ちうしんぐらぜんぜのまくなし)
忠臣蔵即席料理(ちうしんぐらそくせきりやうり)
箕間尺参人酩酊(みけんじやくさんにんなまゑひ)
根無草筆芿(ねなしぐさふでのわかばへ)
百人一首戯講釈(ひやくにんいつしゆおどけかうしやく)
金々先生造化夢*(きんきんせんせいざうくはのゆめ)
人心鏡写絵(ひとごゞろかゞみのうつしゑ)
鬼殺心角樽(おにころしこゝろのつのだる)
諺下司話説(ことわざげすのはなし)
正月故事談( しやうぐわつこじだん)
和荘兵衛後日話(わさうびやうへごにちばなし)
三歳図絵稚講釈*(さんさいづえをさなこうしやく)
虚生実草紙(うそからでたまことざうし)
弌刻価万両回春(いつこくあたへまんりやうくわいしゆん)
児訓影絵喩(じくんかげゑのたとへ)
化物和本草(ばけものやまとほんぞう)
京伝主十六利鑑(きやうでんすじふろくりかん)
仮名手本胸之鏡(かなでほんむねのかゞみ)
五体和合談(ごたいわがうものがたり)
両頭筆善悪日記(りやうとうふでぜんあくにつき)
甘哉名利研*(あまいかなめうりおろし)
平仮名銭神問答(ひらかなせんじんもんだう)
這奇的見勢物語*(こはめづらしいみせものがたり)
仮多手綱忠臣鞍(かたたづなちうしんぐら)
早業七人前(はやわざしちにんまへ)
通気智之銭光記(つきぢのぜんくわうき)
呑込多霊宝縁起*(のみこんだれいほうゑんぎ)
賢愚湊銭湯新話(けんぐいりこみせんたうしんわ)
枯樹花大悲利益(かれきのはなだいひのりやく)
御誂染長寿小紋*(おんあつらへぞめちやうじゆごもん)
人間万事吹矢的*(にんげんばんじふきやのまと)
人間一代 悟衟迷所独案内(ごだうめいしよひとりあんない)
分解道胸中双六(ぶんかいだうけうちうすごろく)
人相手紋 裡家筭見通坐敷(うらやさんみとをしざしき)
作者胎内十月図*(さくしやたいないとつきのづ)
黄金長者白金長者江戸砂子娘敵討(えどすなこむすめかたきうち)
栄花男二代目 七色合点豆(なゝいろがてんまめ)
薩摩下芋兵衛砂糖団子兵衛五人切西瓜斬売(ごにんぎりすいくわのたちうり)
玉屋景物
売茶翁祗園梶復讐煎茶濫觴(かたきうちせんちやのはじまり)
荏土自慢名産杖(えどじまんめいさんづえ)
残燈奇譚案机塵(さんとうきたんつくえのちり)
敵討狼河原(かたきうちおいぬがはら)
河内老嫗火近江手孕村敵討両輌車(かたきうちふたつぐるま)
敵討孫太郎虫(かたきうちまごたらうむし)
虎屋景物
春霞御鬢付万物景物
京伝憂世之酔醒*(きやうでんうきよのゑひさめ)

江戸戯作草紙(小学館、2000年)目録

箱入娘面屋人魚*(はこいりむすめ めんや にんぎょう)
九界十年色地獄(くがい じゅうねん いろじごく)
人間一生胸算用(にんげん いっしょう むなざんよう)
桃太郎発端話説*(ももたろう ほったんばなし)
御誂染長寿小紋*(おんあつらえぞめ ちょうじゅ こもん)

「むだ」と「うがち」の江戸絵本 : 黄表紙名作選(笠間書院、2011年)目録

金々先生栄花夢*
辞闘戦新根*
江戸生艶気樺焼*
天下一面鏡梅鉢*
的中地本問屋*

南杣笑楚満人の黄表紙 : 『仇報孝行車』翻刻(専修国文104、2019年)本文

仇報孝行車(かたきうちかうかうぐるま)

2021年10月23日土曜日

Notion

簡単なメモをパソコン、スマホ、タブレットといった身の回りの数々のデバイスで取ったり、利用したりすることは、いまや基本的な作業だ。この需要のために、これまでいくつかのアプリ/サービスを利用してきた。じっくり使ってみないとすぐには答えが出てこない、というのがこの手の選択の難しいところである。大まかに並べれば、つぎのようなことが言えよう。「Google Keep」はデザインがこまめで、ちょっと落ち着かない。「Clipto」は、内容追加などになると期待通りにはレイアウトが動かない。「FiiNote」は頻繁にログインを要求し、日本語の入力には対応しきれない。中国にいる友人との交流のための「腾讯文档」は、距離相応のもたつきが感じられる。似たようなアプリなどはかなりの数が出回っているので、このリストはさらに長くなる。

そんなところで、今週使いはじめたのは、「Notion」。YouTubeなどで多数公開されている解説ビデオに惹かれて導入した。ほとんど熱心なユーザによるものだが、「第二の頭脳」などの謳い文句が踊り、単純なノート取りのアプリ/サービスではなさそうな雰囲気さえ感じ取れる。まだ数日しか経っていないが、いまのところ、使い心地は悪くない。まずはデバイス間の利用は安定している。ページの形やレイアウトのカスタマイズには自由度が高く、個々のページの分類や保存も分かりやすくて利用しやすい。一方では、データベースの構築、グループの共同作業など、サービスが主力を入れた機能は、いまのところまだ体験していない。

「Notion」という言葉は、「意向」、「意志」、そして「ばかげた考え」などの意味を持ち合わせる。これを持ってきてサービスの名前とするところには、なんとなくスケールが大きくて感じが良い。

Notion

2021年10月16日土曜日

朗読動画特設サイト

『徒然草』の原文を読み上げ、それに江戸時代の注釈絵やくずし字によるテキストをあわせる朗読動画を作成し、週に三作の形で公開を続けている。今年の初めから始まり、この間の金曜日にアップロードしたのは第193段、数えて111作目となる。この分量となるとアクセスの方法に気を使う必要を感じ、ここ数日、集中的に作業をして、Googleサイトを利用した特設サイト作成した。

朗読する章段には、『徒然草』の原作すべてが対象とするものではなく、選択があった。極端に長いもの、短いものを一通り避けた。それから、そもそも注釈の画像が存在しない章段もある。そのため、結果的には、原作244段から140段を選んだ。YouTubeで公開するにあたり、語彙解釈、現代語訳、利用画像の所在、原文を表記する字幕など、多様な情報を付け加えた。一方では、公開が章段ベースなので、特定の章段へのアクセスとして、プレイリストのみだった。しかも作品数が増えるにつれ、リストを開いたらつねに同じ作品が飛び出しても魅力が少ないと考えて、新しく公開したものがリストのはじめに来る方針を取った。一通り役目を果たすだろうが、公開作品の全容を把握するにしても、特定の作品に飛びつくにしても、便利だとは言えない。今度のGoogleサイトは、まさにこの考慮への一つの対応である。

Googleサイトの作り方、作業にあたっての要点や気づいたこと、さらにこれまで作成したいくつかのサイトなどについて、この「note」エントリーに簡単に記した。

朗読動画『徒然草』

2021年10月9日土曜日

市政選挙

いま暮らしをしているここカルガリーという百万人の都市は、いよいよ市政の定期選挙を迎えようとしている。市長をはじめ、市議会議員、そして教育局長など二十以上のポストをめぐり、政治家、あるいはそれを目指そうとする人々にとっては、まさに一大事だ。市長候補だけでも数えて27人、名前も覚えきれない。

一般市民の目から見ても、この一か月ほどはずいぶんと熱度があがってきた。道端や住宅区内には看板が多数立てられた。そのサイズはさまざま、大きいものには写真、小さいものには名前のみ、手作りに近いものさえある。家にいても、電話はたえず鳴らされ、インターホンも何回となく押された。応対に出たら、敷地の芝生に看板を立ててもいいかと尋ねられる。熱心なサポーターたちだ。自分の妻のために回っているとまっさきに名乗る男性もいた。平均的には女性が正装し、男性が普段着のままという印象だ。一度は、「あなたの隣の家族と会話している」などと開口一番に言われ、なんのことかと思ったら、「候補の本人だ」と紹介される別の男が走ってきた。その人に視線を向けたら、最初の男と比べて輪をかけたようなラフな恰好だった

選挙の投票は、いつも月曜日。こんどもいまから十日あとの18日だ。もうすこし関連の規定などを調べて、今年はきちんと投票所に行こうと考えている。

2021年10月2日土曜日

絵注釈の盛遠

「カナダ日本研究会年次大会」は、予定通りに開催され、今日で二日分の日程を終えた。わたしの発表も今日の午前に無事に行った。与えられた時間は、わずかニ十分。パネリストはみんな時間厳守で、質疑応答の部も熱気あふれるものだった。議論しきれなかったテーマは、ZOOMのチャットで全員、個人の形で続けられ、時を前後して関連のメールが四通も入ってきた。個人的にはいろいろと収穫の多いひと時だった。

今年取り上げたのは、『徒然草』絵注釈にみる思考や概念。これにたどり着いた直接のきっかけの一つは、第172段に対する『つれづれ草絵抄』の絵だった。「若き時は、血気うちにあまり、心、物にうごきて、情欲おほし」で始まるあの一段である。突然のように飛び出してきた「血気」、「情欲」などの文言に刺激されたからだろうか、「絵抄」の注釈は、なんとあの盛遠の話を取り出したのだった。右は、その絵の一部。二画面構成のこの段の絵は、さらに袈裟御前の夫、そして滝の下に立つ文覚と続く。江戸における文覚の話の享受について、すでにここで二回ほど触れた。(「袈裟御前から小春へ」、「盛遠物語」)同じ話に再び絵絵注釈で出会うのは、一つの読書経験としても、非常に意外なものだった。そして「絵抄」、進んで絵注釈全般の性格を考えることに繋がった。

年次大会のさらなる詳細、研究発表のタイトルや要旨などは、下記の特設サイトで公開されている。さらに『徒然草』172段の朗読動画、関連のデジタル画像などの情報は、「朗読動画『徒然草』第百七十二段」からアクセスしてください。

Japan Studies Association of Canada Annual Conference 2021

2021年9月25日土曜日

JSAC2021

来週の週末、カナダ日本研究会(JSAC)の年次集会が開催される。今年こそ対面でやろうとの議論や調査もあったが、結局は夏の間に早々と結論が出て、去年に引き続き、今年もリモートとのこととなった。

今年の発表テーマも、『徒然草』絵注釈を選んだ。去年は四コマ漫画とのアプローチをとりあげ、そのあとは、今年に入ってからは朗読動画の制作、公開を続けた。ただ、おなじ現代的なメディアを話すより、内容に移行しようと考え、絵に見られる思考や概念を見詰めてみることに決めた。英語題は、「Thoughts and Concepts in Visual」。具体的な事象や品物の表現に便利な絵は、兼好が好んで語る抽象的なコンセプトや屈折した理屈、説教をいかにして伝えたのか、どこまで伝わったのか、絵を読みながら時々膝を打つ事例に出会ったので、それらにスポットライトを当ててみよう。いうまでもなく全面的に、漏れなく論じるまでにはなかなか用意が出来ていないが、一つの切り口への出発としたい。

例年通り、大会の日程は、金曜の朝から日曜の午後までぎっしり。これまでは、すくなくとも一日分の授業を休講にして、早々と航空券を購入しての大がかりで特別な週末になる。数えてみれば、勤務校での二回の開催以外、車一回、バス一回、2016年は日本から帰りのフライトから途中下車して、そのままUBCに乗り入れるという日程もあった。その分、古い友人や新しい知り合いとの食事会、飲み会が集まりの楽しみであり、収穫の場だった。それらはすべて遠い昔の出来事となった。あのような日常が一日でも早く戻ってくるように。

JSAC2021プログラム

2021年9月18日土曜日

乙矢

古い写真に色を付けたらどうなるのか、AIによる試みがあっちこっちで見られる。よく対象になるのは明治時代の古写真、眺めていて楽しい。そんなところへ右の一枚が目に飛び込み、少なからずに驚いた。例の『徒然草』第九十二段の記述が記憶に鮮明に残っているからだ。兼好がいう「師」の戒めにここまで明確に反しているというのはどういうことなのだろうか。

『徒然草』を読むと、「諸矢」、「後の矢」、「始の矢」など、普段使わない言葉にはすでにいくつも出会う。もうすこし調べて見ると、このリストはさらに長くなる。「甲矢(はや)、兄矢、早矢とも」、「乙矢(おとや)」、そしてこの二つが一セットとなる「一手(ひとて)」。『古今著聞集』に用例が見られるほど、コンセプトははやくから打ち立てられていた。ならば、兼好がわざとこのような専門的な語彙を避けていたのだろう。その真相がいずれにせよ、「諸矢」を手にして弓を引くという作法はしっかりと行われ、しかもそれが今日の弓道においても受け継がれ、関連の写真などを見れば、かなりの数が公開、共有されている。はたして『徒然草』を読み返すと、「初心の人」とあった。あるいは熟練した人なら、二つの矢を構えて良し、とでも兼好が言いたかったのだろうか。

兼好の文章を、注釈絵、くずし字による記述、朗読、そして字幕にあわせてどうぞ味わってください。(「朗読動画『徒然草』第九十二段 或人弓射る事を習ふに」)

2021年9月11日土曜日

リール動画

インスタグラムの使用は、初心者ながらいまでもあれこれと試している。日常の公開記録を基本とするが、有意義な発信も心がけている。今週、すこし時間を使ったのは、小動画。写真と違う性格を理解しようとすることもあって、インスタに提供されているリール、それにハッシュタグの付け方とあわせて模索した。

リール動画には時間制限があって、15あるいは30秒。その中で伝えるということで、伝え方と内容を工夫しなければならない。その中で試したものの一つには、これだ。(「奈良絵本『ほうみやう童子』(上)挿絵」)物語の筋を一通り書き出すメモをnoteに書いたので(「宝妙童子の話(1/3)」)、そこで触れた画像を再利用するという形になる。御伽草子の絵、とりわけその素朴で美しい構図や充実な中味を伝えたいものである。短い動画でとても表現しきれるものではないが、一つのきっかけとして関心をもってもらえればと狙っている。はたしてインスタのリールを見る人にこの思いが届けられるやら。これにもうすこし文字を入れて描かれた人物や事項を掴めやすいものにすべきかもしれないが、つぎの着想としておこう。

小動画を作成するには、それ専用のツールが多数利用できて、スマホで撮影したものをそのままスマホで編集してアップロードという流れも普通になっている。個人的には、これがお勧めだ。(「「YouCut」を使う」)

2021年9月4日土曜日

Kindle本

前回書いた御伽草紙『猫のさうし』の現代語訳、一通り作成して、短い紹介、四つの章に対するメモ、それに原文、朗読動画やこれまでのブログ記事へのリンクなどを添えて一冊にまとめ、『猫と鼠の世にも奇妙な大論争』と題してキンドル出版に出した。

中世の物語をいまの読者に伝えるために、さまざまな形で作品そのものを提供しなければならないとつねづね思っている。そのため、音声、動画、変体仮名読解など、思いつく方法を試みてきた。御伽草紙の作品群は、ほとんど仮名のみで書かれ、そのままで読むのはかなりの専門性が要求され、本文を現代語に変えておくことは必要だ。一方では、単なる現代語訳は、紙媒体の出版物に採用される機会はさほどない。それならば、Kindle本は一つの選択となる。在来の出版物と並んでアマゾンサイトで提供され、読む気さえあれば気軽に、快適にアクセスできる。アマゾンが一か月無料などの形で積極的に進めている「読み放題」のサービスも心強い。

あとはどこまで潜在的な読者に届けられるかにかかる。そのためには、フェースブック、ツイッター、インスタグラムなどで発信を試みている。いまのところ十分な手ごたえが得られるには至らないが、しばらくは模索を続けたい。

2021年8月28日土曜日

前に数回取り上げた御伽草紙『猫のさうし』を現代語に置き換えようと、ここ数日もっぱらそれを読み返している。やはり面白い。大笑いをさせるわけではなく、言って見れば落語のようなもので、なんの変哲もない語りの中に、ふっと吹き出させる、妙に魅力ある文章である。

一方では、全文を現代語に、しかも学問的に一字一句をそのままというよりも、普通に読んで難なく伝わるとなると、ところどころ立ち留まって考えを巡らし、あれこれと文章を並べ替えさなければならない。笑いを狙ったものでも、表現の方法は、いわば確信犯的なものなら、その通りにして読者の感覚に訴えるほかはない。例えば、老僧が猫に鼠を喰って殺生するのを改めさせようと諭しながらも、代わりにご褒美に鰹、鯡、鮭を与えると提案した。それも生き物ではないかよと突っ込みたくなるが、翻訳としては発言を堪えざるをえない。

対して、中世の物語によく見られる定型文的な表現になると、すこしやっかいだ。一例として、涙。短い物語の中で、老僧への人々の視線、鼠の慙愧の気持ち、猫の弁舌への老僧の賛同などを伝えて、いずれも涙が登場した。どれも現代語になると、どうしても突飛で、感覚的に違和感が拭えない。はたして「涙」をキーワードとして残すのか、それとも「感心」「感動」「共感」などいまの文章として読みやすいものにすべきなのか、苦慮するところだった。

もう一つ考えられるのは、いわゆる超訳。古典を伝えるために頻繁に見られる試みなのだ。対応する言葉を充てるよりも、現代の事象などをもって原文を置き換えるといったものだ。ただ短い文章に向いても、一篇の物語を対象とすると、どうしても苦労が多い。そういった実践をもうすこし慎重に観察したい。

2021年8月22日日曜日

ブクログ

とある新刊のブクログでのタイトルがツイッターで発信されている。惹かれてブクログに入り、あっちこっちをクリックして見てまわった。

書籍管理として、ブクログはいまや老舗になっている。書籍を登録して、さらにタグなどを付けることによって分類し、必要に応じてそれを引っ張り出して眺めたり、調べて確認したりするなど、書斎のデジタルカタログとしての機能がその基本だ。アマゾンなどの膨大な書籍データに連動しているので、タイトルを入れるだけで書籍のカバーから公式の内容紹介、読者のレビューなどと一体になり、使いやすい。

ブクログの使い方はまちまちだ。書籍管理以外のもう一方の柱は、ネットワーク機能だ。他人と本棚を共有することにより、さまざまな読書リストにアクセスすることになる。たしかに書斎のなかの本棚は、つねにカオス、そのまま他人に見せるのはちょっと考えられないし、さほど有意義だとも思えない。ただ、それも使いようによる。一例として白百合女子大学図書館が実施している、新着展示や企画展示を再現する本棚は、大いに歓迎されるべきだ。熱心な図書館の司書たちによる個人名の似たような本棚は多数公開されている。

そこでいわゆるエコサーチ、つい自分の名前を入れてみた。漢字表記と英語表記の名前によるものはまったく別人だとされ、キンドル本も在来の出版によるものも同列され、登録者が一人もいないものもきちんと顔を見せている。共著のものは検索にあがるが、公式紹介文で触れられた出版物は対象とならない。いろいろと観察できた。

ちなみにブクログは個人的にかなり使っていて、本棚にはじつに三千冊近くのタイトルを入力しており、しかも公開と設定している。ただ娯楽としての内容は大半で、あくまでも私的なメモとして利用しているので、わざわざここで共有する必要もない。

2021年8月14日土曜日

デジタル浮世絵

YouTubeでは、テレビで放送された番組もいまはあっちこっちに見かけられる。これを体系的に見てまわるにはまだ余裕がないが、ときには期せずしてよいものに出会って、すなおに嬉しい。つぎはその中の一つである。

いまふうの長いタイトル、「【最先端の技術】眼で触れる東海道五拾三次 ~浮世絵デジタルの衝撃~」、GAORA SPORTSより半年まえにアップロードされたものである。内容は、浮世絵をデジタル化する先端技術のレポートだ。20億画素など、ただ高画質を強調してもさほどインパクトがないと思われるだろうから、この正味30分の番組は、デジタル画像に対して、彫師、摺師、研究者とそれぞれ立場の違う人間に登場させた。技術のプロには技の実演を見せてもらい、研究者には内容や背景の解説を披露してもらった。そして、先端と謳うデジタル技術。単に画素数を頼りに拡大するに走るのではなく、対象の画像に違う角度から照射を加え、そこから得た複数の画像を合成して質感を得るという試みを見せてくれた。「眼で触れる」というキャッチを打ち出し、デジタル技術による新たな可能性に真剣に挑む姿勢に心を動かされた。

番組の制作者は、スポーツチャンネル。すでに公開された動画のラインナップを眺めてみても、この番組の存在はかなり浮いている。はたしてなぜなのか、毎日の放送では文化や新技術などのコーナーが設けられているのだろうか、すぐには答えが分からない。

2021年8月7日土曜日

ほうみやう童子

世界の図書館や研究機関所蔵の日本古典へのアクセスは、デジタル環境のおかげで大きく変容している。かつて調査のために経験しなければならないさまざまな苦労は、まるで不思議な昔噺になった。この週末も、暇を見つけてアメリカ議会図書館を覗いた。「日本貴重書デジタルコレクション」のもとに数えて三十七点が公開されている。

そのうちの一つ、『ほうみやう童子』。簡単に調べてみれば、『国書総目録』、『日本古典文学大辞典』、そして二〇〇二年刊行の『お伽草子事典』は、いずれもこの伝本を触れていない。一方では、国文学研究資料館「日本古典籍総合目録DB」はこれを掲載し、しかもフィルムありと記されている。ただ、実際に立川を訪ねてみなければ閲覧は難しい。そのような貴重なものは、いまやマウスクリック一つで高精細のデジタル画像がモニターに飛び出してくる。しかもダウンロード保存まで可能になっている。写真は、主人公の母が苦難を嘗め尽くした場面だ。なぜか『福富草子』のあの著名な打擲の構図を連想させてくれて興味深い。

ここまで進化した環境をどのように生かすべきだろうか。遠い外国にある所蔵も簡単に閲覧できるようになったいま、研究も読書もそれに見合った対応が自然に要求されるようになる。新たな課題だと言わなければならない。

2021年8月1日日曜日

人それぞれの徒然草

「徒然草」朗読動画の公開を続けている。その中で、ポットキャストを聞いているSpotifyの推薦作の中に、「人生がより豊かになる243の徒然」というのが飛び込んできた。どうやって自分の関心事をここまでピンポイントで察知してくれているのかは別として、「徒然草」をめぐってこういうアプローチもあるのだと、まず率直に感心し、いくつか聞いてみた。

音声の内容は、二人の男性による対談形式で、あまり余分な突っ込みや脱線せずに、「徒然草」を順番に取り上げ、一回四分間程度のものである。中心をなすのは、原文の現代語訳というか、現代の感性に基づく超訳である。一通り好感が持てた。一方では、「吉田兼好」と連発するなど、いまごろの研究成果などには最初から感知しないというスタンスで、そういう意味では普通の読者においての平均的な読み方を呈しているとも言えよう。古典の名著を知りたい、すこしでも原典に近づきたい、といった現代人の思いは、けっきょくこのような形ですこしずつ結ばれてゆくものである。

もともと読者にはそれぞれの徒然草像を持っていよう。似たような目で見れば、アマゾン書籍で眺めたら、『眠れないほどおもしろい徒然草』、『仕事は「徒然草」でうまくいく』、『ヘタな人生論より徒然草』など、古典の魅力というか、現代人の思い込みがふんだんに持ち込まれた読み方が踊る。この現象は、一方では兼好の文章、兼好の言説にそこまでさまざまな思いを託すことのできる相手なのだと物語っているにちがいない。

2021年7月25日日曜日

京菓子と徒然草

今年は、『徒然草』がちょっとしたブームになっている。学術の界隈では、仏教文学会と金沢文庫共同企画の講演(動画配信公開)、中世文学会春季大会シンポジウム(配信公開対象は当日参加者のみ。近世文学会の公開があるだけに残念)が広く話題になった。そして、京都では有斐斎弘道館他主催の京菓子展「手のひらの自然ー徒然草」があって、裾の広さが示された。

京菓子展の公式ページを覗いた。楽しい。同じ企画の七年目にあたるらしい。眺めてみれば、琳派や蕪村といった絵画、百人一首や万葉の歌などのテーマに続くもので、兼好の思弁的で、ときには饒舌な随筆は、この流れにおいて明らかに新しい挑戦が仕掛けられている。それにしても、趣旨解説するための数行は味わい深い。数えてわずか二百文字ちょっとの文章だが、「江戸時代の文芸」、「不安定な世の中」、「不完全」、はてには「美意識の原点」(日本的な意識?)と、どこか『徒然草』読解の新たな指針を密に込めた挑発的な言説だった。

思えば表現の媒体としての菓子と随筆との組み合わせは人をわくわくさせる。慎重に構成された描写を抽象化し、そこから得られたコンセプトや感じ方を菓子という具体的な物体に置き換える。まるで離れ業だ。発表は秋ころになるだろうが、とても楽しみだ。

2021年7月17日土曜日

国宝指定

二日ほどまえに伝わってきたニュースの一つには、新たな国宝指定があり、今度「蒙古襲来絵詞」が筆頭になった。この絵巻が迂闊にもとっくに国宝だと思い込んでいて、いささか意外な思いでこれに接した。たしかに報道記事を読むと、「国宝級」などの記述が目立つ。「読売新聞」のオンライン記事は、三の丸尚蔵館が1993年に開館したこと、十分な保護があるため文化財の指定をされてこなかったことなどと親切に解説している。

「蒙古襲来絵詞」は、繰り返し読んだ経験がある。すでに二十年もまえになるが、その一端をある国際シンポジウムで発表し、活字記録まで残している(リンク)。さらに「音読・日本の絵巻」の一点として全文朗読を試み、欠字などにずいぶん苦しんだことを記憶している。一方では、その朗読の音声が妙な形でニコニコに登場した結果には、いまなお不思議でならない。(「「ニコ動」デビュー」)

デジタル環境が凄まじいスピードで進化している中、この絵巻への満足なアクセスはずっと叶えられないでいる。これもずいぶんと昔から公開されたものだが、小さな画像での全巻閲覧、しかも模写本との比較、英語による注釈まで添えられたサイトが稼働されている。古典作品のデジタル公開をめぐるさまざまな考慮や躊躇は、すこしずつ過去のものになったいま、この度の国宝指定を機に高精細画像によるオンライン閲覧が実現できることを切に願いたい。

2021年7月10日土曜日

古画会唱歌

だいぶ古いニュース記事がたまたま目に入った。北京故宮が主催する、中国の古典絵画の魅力を音楽で表現するコンテストだった。たいへんキャッチなコンセプトのわりには、この行事の行方や結果などはさほど記録に残っておらず、関連の報道も見られない。古典をめぐる数々の模索の中の一つだったと思われる。それでもYouTubeに公開している二つの宣伝ビデオを繰り返しで眺めた。

ビデオの中では、中国の名画についてさまざまな現代的なアプローチの事例が開示された。絵の内容をアニメにすることはすでに方法的には確立された感があるが、現代的なタッチで古い絵を描き直し、二階建ての水車の構造や利用を伝え、あるいは鷹峰の地名を解説して空飛ぶ鷹がやがて山となって固まる。二番目のビデオでは、絵に文字を入れて、楽器の存在を浮き立たせて名前を加える。思いつかなかったのは、AI技術の導入だ。山々の画像から輪郭を抽出し、それをそのまま歌のリズムや詩の脚韻とし、それに文字を合わせる。一つの大胆な方法としての有効性や達成はともかくとして、名画に対面するにあたっての魅力的で、チャーミングな提案なのだ。

中国の古典絵画は、日本のそれと較べて、叙事よりも詩的な美しさを追及する傾向が明かだった。それが絵の構図、作品の形態、名作をめぐる記述法、鑑賞法などもろもろの方面に現われている。そして、総じて音楽との距離も、日本のそれより中国のそれがはるかに近いと考えられよう。このような伝統に立って、デジタルやAIなどの技術を躊躇なく生かして古典の画像に立ち向かう姿勢は、まさに刺激的だ言いたい。

丹青千里MV
古画会唱歌

2021年7月3日土曜日

ネット授業2021

二週間ほどまえに触れた予定のネット授業は、今週無事に終わった。いまやさまざまな行事がリモートで行われ、それには遠いはずの大学授業もオンライン提供がすっかり定番となった。教室に機材を持ち込むための苦労や、カメラ写しを配慮したライトの設置などの見逃しがちな気配りはZOOMのようなソフト一つで置き換えられ、多くの学生が携帯でそれにアクセスするなど、ネット授業は、その運営においてすっかり気軽なものとなった。

いつもながらこちらから提供する内容よりも、聴講する学生たちの受け止め方やその反応は頼もしい。今度のそれは、文字と画像、古典とデジタルという二つのテーマにきれいに収斂された。クラスでの質問応答も、授業のあとの感想文も、これにまつわるものが圧倒的に多かった。前者については、文字ばかりと認識していた古典には、絵もあるんだ、絵の表現がここまで慎重で自由自在、読み応えがあって魅力的だと繰り返し寄せられた。そしてそのような絵をもっと読みたいと続いた。後者については、古典を古典として片付け、見過ごすのではなく、現代の生活に生かしたいと纏めてくれた上で、こちらから提示する動画や朗読などのアプローチに共感するとともに、さっそく自分も動画を作りたい、講義を聞きながらすでに手もとでイラストを描いていると、さすがにデジタルネイティブ世代だけあって、なんとも心強い。

記録を調べれてみれば、このネット授業の最初回は2001年の秋、ここにもそれを記した。(「スカイプ授業」)あれから十年も経ったが、ほぼ毎年のように続けてきた。遠い日本への一つの窓口として、講義する本人が一番収穫が多かった。心から感謝したい。

2021年6月26日土曜日

歴史的典籍NW事業

国文学研究資料館が運営する「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」のサイトをときどき開いている。日本古典の分野におけるデジタル人文学の発展を牽引するこの事業のありかたは、いまはいろいろな意味で象徴的な存在となり、遠くから眺めて、すなおに驚かされる。

これだけの規模や可能性を含んでいるサイトとして、そのデザインは、まさにユニーク。トップ位置にあるのは、「お知らせ」。それも最近の四点ほどのリストが、「すべてのお知らせ」と続く。いわば「更新記録」にあたるこのセクションは、その内容がまさに圧巻。ほぼ毎日のように膨大な分量、さまざまな所蔵機関からのデジタル化された典籍の公開が加わる。ここにいう公開とは、「日本古典籍総合目録DB」に統合される、そして近年脚光を浴びるデジタル公開のスタンダードに成長した「IIIF基準」に対応する、という二つのことを意味する。各機関から公開する典籍の点数にはかなりのふり幅があり、一点もあれば、一万二千余点と数える、今週月曜に加わった「国立国会図書館デジタルコレクション」もある。提供されたリンクをクリックすれば、資料リストの一覧となり、所蔵者、提供者へのクレジットとして読むことができる。一方では、国会図書館の場合のような、高精細公開のために撮影したものもあれば、「香川大学図書館神原文庫」のような、半世紀近くまえに白黒のフィルムで撮影したものを底本としたものもある。このようなまったく異質な画像が共存することに違和感を感じる向きもあるだろうが、古典研究に携わる者としては、ただありがたいと感じるのみだ。

古典籍のオンライン公開は、まさにデジタル人文学の第一歩にすぎない。これをどのように利用するのかは、つぎに現われてくる課題だ。同じことは、国文学研究資料館がさまざまな模索をし、仕掛けを案出している。一方では、「みんなで翻刻」といった優れた事業も展開され、「市民参加型」と提唱されている。これに習い、まさに学習者参加型、クリエーター参加型、研究者参加型などなどの新たな可能性が待ち受けていると考えられよう。わくわくだ。

2021年6月19日土曜日

ネット授業準備

古典文学をテーマとして、専修大学の学生たちのためにネット授業を一コマ担当するというのを、今年も実施する機会に恵まれた。二週間ほどあと、日本の学期が終わる直前の日程となる。ここ数日、それの準備に取り掛かった。

講義のコンテンツを用意して事前に提出するというスタイルをずっと取ってきた。授業時間の約半分、前後二つにわけて20分程度ずつの録画を作っておくというものである。残りの半分の時間は、学生とのその場の交流。コンテンツの制作は、今度もほぼつぎのような流れを守った。まずは画像中心のパワポを作り、続いてそれにあわせての講義を録音し、両方終えてからパワポを画像に保存し、それを録音にあわせて動画を仕立てる。この作業は、二年ほどまえまでMoveMakerを用いたが、いまは基本が分かってきたAdobe Premiereに切り替えた。出来上がった動画ファイルを手渡すのにかつてすこし工夫が必要だったが、いまは即YouTubeにアップロードし、リンクを伝えておくことで一連の作業が完了する。YouTubeに上がった動画を、あるいは一度ダウンロードしておいたほうが安心かもしれないが、ただいまやクラスそのものがすべてオンラインで進行し、ネット環境が理想的でなければおよそなにも始まらない。そのため動画をYouTubeから流すのも自然な展開になりそうだ。

いつもながら学生たちとの交流が個人的には以上の作業への一番の報いなのだ。日本の学生はあまり質問しないとの批判はつねにあるが、それは主催の先生の仕掛けで驚くほどクリアされ、いつも積極的な質問があった。今年も楽しみだ。

2021年6月13日日曜日

頸をとる

プリンストン大学デジタル図書館が公開している奈良絵本『平家物語』を眺めた。全三十冊、本文は『平家物語』流布本、絵は半帖と見開きとあわせて二百八十九枚、しかもかなり保存状態が良好で、『平家物語』の享受にしても、奈良絵本の流行にしても、思いに馳せるにはまたとない伝本である。

関心はやはり絵、それも物語の描き方に走る。あまりにも絵が多くて、簡単に纏められない。それならばどれか一つ定点観察をしようと、まずは「鹿ケ谷」を開いた。同じことをめぐり、「瓶子あれこれ」(note)において記した。そこで取り上げたのは、明星大学蔵『平家物語』(デジタル公開)と林原美術館蔵「平家物語絵巻」の二点だった。比較するには格好の対象である。ともに物語の内容を再現しようと真剣に取り組んだと見られるが、しかしながらその物語の状況の理解において不明が残ったので、その迷いが如実に絵に現われた。『平家物語』が語ったのは、西光法師が「頸をとるにはしかず」と声を上げたうえで、「瓶子の頸をとってぞ入にける」というものだった。おなじ「とる」にしてその二つの意味が微妙に混在した。前者は「もぎ取る」であり、後者は「手に取る」である。これに対して、前出の二点の作に収まった絵を読めば、明星本のほうは西光が瓶子を引っ提げて走り込んだところを描き、絵巻のほうは瓶子の頸が破れたところを法師が喜ぶところを描いた。対してプリンストン大学本は、どちらか一方の状況に従うことを拒み、扇子を手にした法師が瓶子の頸を叩きながらしゃべるという曖昧な構図を取った。三点の絵がここまでそれぞれ異なる物語の読み方を見せてくれていることは、むしろ鮮やかと言いたいぐらいだ。

プリンストン大学本のデジタル公開は、綺麗な撮影、親切なページごとへのリンク、そして英語と日本語との両方の併記など、特記すべきところが多い。一方では、用いたテンプレートは洋書の左捲りに対応するもので、そのためキーボートのキー動きやページ進みの表示バーとの対応は、表示内容と逆になり、理解するまでにはちょっと一苦労だった。

2021年6月5日土曜日

スローモーション撮影

ゆっくり時間が流れるなか、目の前に鳥が止まり、また飛び去っていく。その動きは、スロー動画で撮るには最適の対象だ。思わずカメラを向けた。

カメラとは、スマホのカメラなのだ。まさに「向ける」とは最適の言葉になる。それは、自分の姿勢を正しての「構える」でもなければ、普段は携帯しないでこの時とばかりに「持ち出す」でもなく、面倒な道具である三脚を用いた「据え付ける」とはさらに程遠い。ただのスマホ。撮影モードを「その他>スロー」と一回ほど余分にクリックすることがただ一つの苦労だ。あとはとにかくカメラを向けるだけ。撮影する構図さえさほど考える必要はない。撮った動画をいくらでも編集できる。それもおなじスマホに入っているアプリでささっと手軽にこなせる。手もとで使っているのは、「YouCut」。よく使う機能は、目指す部分の切り取り、画面の一部を取り出すカット、たまには音楽を加えるぐらいで、色の調整や多数のフィルターなどの機能はいまだまったく試していない。アプリは広告を見ることで無料なのだ。

いくつかのスロー動画は、SNSにアップしている。二日まえにあげたのは、水辺の二羽の鳥。人間の目では捉えきれない動きが目の前に展開されている。いわばスマホのおかげで視野が一遍に広がった。

2021年5月29日土曜日

カナダグース

暖かくて長閑な午後。近所の水辺を歩いたら、子連れのカナダグースに出会った。さっそくスマホを持ち出してカメラを向け、ゆっくりと接近しながら動画を撮った。家に戻って確認してみたら、その場では気づかなかった親グースの愛らしい動きが収まり、自分ながらも意外に思った。

さっそくインスタとWeChatにこれを載せた。グースの行動の意味は分からなかった。自分なりに推測すれば、あるいはこちらの動きを見つめるものではないかと思った。人間でも、ときには目の位置を調整しながら目標を確かめることがあるからだ。ところで、この推測へのコメントは楽しかった。虫を食べているのではないか、子鳥に声をかけるのではないか、加えて「曲頸向天歌」との名詩を引き合いにして唄っているとの見解まであった。しかしながら、正答はさっそく現われた。頸を上下するこの動きは、グースが攻撃する前触れであり、敵対するものへの脅かしのしぐさなのだ。思えばそっと歩いて近づいたのはよかった。急いで接近したら思わぬアタックに遭ったかもしれない。あれだけの体や、遠く飛ぶ習性からすれば、甘く見ては思わぬ痛手に遭うことだろう。

鳥たちの歌やダンス、あくまでも人間主体の観察や思い込みにすぎない。この簡単で素朴なこれを改めて知らされるひと時だった。

2021年5月22日土曜日

ビデオプレゼン三作

北米日本研究資料調整協議会(The North American Coordinating Council on Japanese Library Resources)は、「分かりやすいデジタル化と発見・ビデオシリーズ(Comprehensive Digitization and Discoverability Program: CDDP Video Series)を企画した。お誘いを受けたのは、三か月ほどまえのことだった。これまでの小さな特設サイトなどを紹介する絶好の機会であり、たいへん名誉あるもので、迷わずに制作に取り掛かった。ビデオシリーズは予定通りに完成し、今週公開された。

シリーズのラインナップは、まさに錚々たるものだった。関心のある方はぜひご覧ください。個人的な関わりを記しておくとすれば、一つのプレゼンは十五分程度というのが最初の枠組みだった。そこで、実施委員会との話し合いの中、取り扱うテーマを述べると、それぞれを独立させたほうがより伝わるのではないかと提案され、その通りにした。奈良絵本『からいと』、黄表紙『敵討義女英』、変体仮名の連綿という三つの内容に絞り、それぞれオンライン公開のデジタルリソース、音声、動画というデジタル技術利用の異なる側面に実例をもってスポットライトを当てることとした。一方では、現在公開の十一点のビデオのうち三点も占めるというバランスのよくない結果となった。

ビデオの制作は、今度もAdobe Premiereを利用した。まず解説の音声を録音し、それにあわせて関連の画像やスクリーンショットなどを配置するという方法を取った。あえて言えば、新しく試みたのは、ビデオ撮影やパソコンの画面記録などの小動画を意図的に挿入することぐらいだった。個人的にはよい経験だった。

Comprehensive Digitization and Discoverability Program: CDDP Video Series

2021年5月15日土曜日

発表記録

去年の秋に開催したJSAC(Japan Studies Association of Canada、カナダ日本研究学会)年次大会での発表記録が、同学会の公式サイトで公開された。わたしの発表もその中の一篇に収められた。「A Manga-translation of Visual Commentary on Tsurezuregusa(画像注釈『徒然草』の漫画訳をめぐって)」

思えば、学術活動の形において、日本と北米とではいろいろな違いがある。その一つとして、研究集会成果の伝え方があげられる。自分が身を置く日本古典の研究分野においてのことしか体験していないが、日本では、年次大会の内容が記録されるといっても、学会組織の機関誌において、招待発表者の発言を活字にするのが精一杯のようだ。これに対して、北米では「proceedings」が主流となり、ほぼ口頭発表と平行にそれの刊行が企画される。そのほとんどは発表者全員の、すくなくとも執筆要望のある発表者の原稿を収め、年次活動の記録として時の流れや研究の進展を刻む。

去年の秋に完成が近づいた『徒然草』注釈画の四コマ漫画は、今年に入ってさらに朗読、動画、字幕、現代語訳、そして中国語紹介などと、いくつかの要素を加えてプロジェクトを広げた。これまたいつか報告すべきテーマになる。

Conference Proceedings: Selected Papers

2021年5月8日土曜日

言わザル

江戸時代の『徒然草』注釈、とりわけ絵による注釈の基礎を作り上げ、一つの大きな達成を見せた松永貞徳の『なぐさみ草』(1652年)は、絵の構成、構図においてところどころに思い切ったものを示した。ここに、その一例として第七十九段を眺めてみよう。

この段は、『徒然草』にくりかえし現れるテーマの一つ、兼好の、批判者としての説教と先達として伝授である。説かれたのは、都会人の教養やその身なり、振る舞い。いわくなんでも知った顔をするのは「片田舎」の者、どんなことについても、ぺらぺらとしゃべらないで、「問はぬ限は言はぬこそいみじけれ」、といった内容である。これを注釈する画像として、田舎者や都会者、身振り手振りを交えた会話の様子など、いくらでも構想できるところ、『なぐさみ草』がもってきたのは、なんとあの三つの猿だった。しかも、述べられているのは言うか言わないかという明白な行動なので、「言わ猿」にスポットを当てても良さそうなのに、三猿をあくまでも平等に描いた。驚くほかはない。

思えば、この一枚の構想は、兼好の説教が当時の読者ならだれでも熟知しているはずのあの三猿の教えと同質なものだとの認識から出発したのだろう。身近な価値判断をもって『徒然草』を読み、それが述べたところを噛み砕いて伝える。しかも三猿はすでにつねに一セットになっているからこそ、原典の言説にいちいち拘らない。考えようによれば、一つの注釈のありかたとして、最高の境地に達したとさえ言えよう。

朗読動画『徒然草』第七十九段

2021年5月1日土曜日

公開講演視聴

一年まえ以上から企画のことが伝わり、長く期待していた行事は、コロナによる中止を経て、今週ユニークな形で開催された。仏教文学会・神奈川県立金沢文庫共同企画による公開講演「兼好と『徒然草』研究の最前線」である。観客が集まらない代わりに、登壇者が会場を訪れ、講演を録画してオンライン公開となった。海外に身をおく者として本来ならとても聴講が叶えられそうにないが、おかげで会場にいる気分で充実な講演を満喫できた。

『徒然草』やその研究に関心を寄せており、講演から得るところが多かった。それと同時に、講演公開の方法についても、あれこれと思った。録画の視聴は、会員なら郵送の案内によりその詳細を知り、非会員ならオンラインで申請してパスワードを教えてもらうという仕組みが取られた。さっそく所定のフォームを入力したら、翌日にも連絡が戻ってきた。思えば郵送と申請対応、この二つの作業だけでもかなりの事務の負担が生じたことだろう。ただ、それにより、非会員の情報の蒐集などが果たせられ、これからの研究や交流などにきっと有益だろう。集まったデータが活用されることを祈る。

一方では、録画の公開は夏を目途に続くとの但し書きが案内に書いてある。はたしてどのような理由からだろうか、ちょっと不思議に思った。これまでなら、学会の機関誌にシンポジウムの記事を講演者が原稿にしたり、録音をもとに整理したりするのが普通だった。それに対して、録画公開まで辿りついたのだから、記録としても、伝播の方法としてもよりインパクトがあって、研究者から期待されるに違いない。有意義な行事を企画、主催し、公開まで成し遂げたのだから、まさにデジタル時代のあるべき形態だと言えよう。ここまで進めておいて途中取り下げるのではなく、新たな基準、すくなくともそれへの模索として公開利用ができるようにし、大事な布石としてもっと強く推し進めてもらいたい。

兼好と『徒然草』研究の最前線

2021年4月24日土曜日

雪の春

今年の天気は、なんとなく面白い。ここ一週間だけ見ても、昼は19度に気温が上がっても、翌日目を醒ましたら、あたり一面の雪。しかも数回繰り返した。日記代わりにインスタにあげた写真のコメントに、今年最後の雪だと何回も書いたと振り返り、苦笑いをするほかはない。

四季おりおりの変化、その季節らしい自然の風景、古くからの日本の自慢なのだ。(「四季に向う」)生れ育った中国も、広大な国土で人びとの体験がかなり違うはずだが、やはり農業国家であり、季節の移り変わりへの認識や、それに対する心構えには悠遠なものがあった。それらに対して、いま生活するこの土地は、海抜と言えば千百メートル、気候を代表するものと言えば冬の暖気流である「シヌーク」、確かに毎年のように草が緑に染まり、木々が葉っぱを出し、果物が実を結ぶのだが、日本や中国でいう四季とはかなり味わいが違うなのだ。

このように思いを巡らしていても、窓の外を見つめれば、雪がひらひらと漂っている。ただ、極寒の冬や雪の春、これらを持ち出したら、厳しい土地だと言われるがちだが、実際暮らしてみると、資源も技術も恵まれた現代社会において、対応がしっかりしていて、厳しさに晒される必然性がない分、感覚もかなり異なる。零下20度の中軽装で駐車場へ無心に走る自分、零下10度ななったら半そでで外を颯爽と散歩する若者、自然との接し方は、それまたこうでなければ得られない喜びや感動がある。

2021年4月17日土曜日

篆書データベース

すでに先月のことになるが、人文学オープンデータ共同利用センターが「篆書字体データセット」を公開し、あわせてそれを利用する「篆書データベース」を提供した。篆書書体の検索、識別、利用などにおいて強力なツールが生れた。

このデータセットは、複数の組織が制作し、公開したデジタル画像を集めたものである。対象となるのは、『金石韻府』など七点の資料に収録された7,681文字の106,447字形である。IIIFというデジタル画像公開のスタンダードはこのデータセットを技術的に支えていることはいうを待たない。一方では、これだけの文字にアクセスするためには、文字ベースの検索が現実的に必要となる。ただし、いま公開のデータベースはいまだ限定的なものだと思われる。一例として、自分の名前に入っている文字を使って試してみたが、「暁」には一字形しか戻ってこなかったことには驚いた。よく考えてみれば、これはいわゆる日本の略字であり、対して「曉」があるのだ。はたしてこちらで試したら、四つの資料から八つの字形が現われた。ただ、こうなれば「暁」に対応するとされる字形の認定が問題となってしまう。似たような文字例で言えば、「劍」には六つの字形、「劔」には四つの字形が収録されているが、後者の四つは前者にも収録され、前者にある字形の二つは後者に収録されていない。ちなみに「剱」「剣」は登録なしとされている。字形の認定において方針が統一されていないことがはっきりと見てとれる。

個人的には、篆書に一番頻繁に接したのは、学生時代、篆刻に打ち込んだころの数年間だった。篆書をきちんと覚えたわけではなく、あくまでも必要に応じて字形を集めて石に彫ったばかりだった。いまから思えば、勉強の仕方が間違っていたといわざるをえない。ただ、その過程であれこれの辞書に馴染むことができた。思えば、あのころこのような便利な環境があったら、きっとさらに違う形で篆書を理解しようとしたに違いない。

篆書データベース

2021年4月10日土曜日

研究誌公開

数日前から研究者が熱心に伝え、語りあった話題の一つには、国際浮世絵学会発行の『浮世絵芸術』のデジタル公開があった。学術研究誌のオンライン公開や閲覧が着実に増えているなか、この研究誌が最新号まで対象に含めたことは、なによりもインパクトが大きかった。そのため、いささか驚きをもって接され、大いにありがたく受け止められた。

研究誌の執筆者の立場から言えば、研究成果を一日でも早く、すこしでも広く知られたい、しかも研究も職務の一つであり、多くはさらに研究助成まで支えられているので、このような公開はいうまでもなく諸手をあげての歓迎だ。対して、出版側から言えば、コストを消化し、しかも長く続けられること前提なので、このような展開が新たな試練になるには違いない。どこまでギリギリの採算ができるのか、公開への期待に応えるためにどのような新機軸を打ち出せるのか、そもそもデジタル公開とその維持のための新たな投資をどこに求めるのか、課題がきっと山積みだと想像する。それにあわせて、積極的な公開をもって、より多くの読者が生れ、研究誌の価値がより広く認められることを祈りたい。

これを思いめぐらしたながら、つい一年ほどまえに刊行したした二編の作のことを確かめてみた。ともにここでも報告した出版である(「新しい人文知」、「関係~ない」)。刊行誌は書店販売もしているが、上記掲載の51号と52号が一か月まえに公開したばかりではなく、なんと3月15日付けで刊行した最新刊の54号は、すでに3月30日に全文オンラン公開をしている。まったく同じ流れがここにも見て取れたことに少なからずに驚き、嬉しく思った。

デジタル古典研究に挑む」(『中国21、Vol.51』)
言語学習から「関係」を覗く」(『中国21、Vol.52』)

2021年4月3日土曜日

音声入力

すでに四、五年も前のことになるだろうか、友人の一人は音声によるテキスト入力のことを熱心に説明し、それを実際に使いこなして驚異的に多数の成果を発表した。それに習い、数回試してはみたが、いずれも途中で挫折した。そこへ、ここ数日何気なくそれを再開し、改めて気づいたことがいくつかあった。

音声にはすぐに頼れなかったのは、やはり文章をゼロから書き上げるところにあった。たとえ小さな文章でも、表現の内容や切り口などを思い巡らし、考えを並べ直すという作業は、声としてそのまま口から出すことには、それなりのコツが要る感じで、馴染めなかった。だが、ここ数日、時間を割いて取り組んだプロジェクトの一つには翻訳があった。翻訳となると、言葉の吟味のみで、いわば内容にまで立ち入る必要がさほどなくて、音声ではかえって楽だった。夢中に言葉を探し求めている間、じっと声の空白を残していても、入力システムは根気よく待ってくれる。そして何よりも小気味よいほどの正確な変換結果だ。感心せざるを得ない。声で作った文章には、編集の手入れがより多く必要とするが、それが仕事の流れを見直す良い機会にまでなった。

おかげで机の一角には存在感のあるマイクが加わった。文章を組み立てるプロセスにおいて目を使わず、指を休めることができて、妙な経験だ。音楽を流しながら読んだり書いたりする習慣がない分、静かな仕事台の周りに声というものが新たに現われ、新しいメディアが仲間入りしたという感じだった。これも一つの進化だと捉えてよかろう。

2021年3月27日土曜日

YouTube字幕、続き

今週伝わってきた話題の一つには、近畿大学中央図書館が主催するバーチャル貴重書展というのがあった。タイトルは「いにしえの書物」。美術館さながらの夢のような展示空間が設けられ、貴重書について文字や音声による説明、そしてデジタル化された作品全体へのアクセスが用意され、快適な環境だった。

展示の紹介は、短いビデオの形を取り、YouTubeの特設チャンネルで公開している。そこで、ビデオを眺めているうちに、字幕のボタンに気づき、なにげなくクリックしてみると、その内容の不十分さに驚き、少なからずの混乱や戸惑いを感じさせられた。少しでも手伝ってあげようと一瞬思ったが、調べてみれば、第三者による字幕の作成あるいは訂正の機能は、少し前までは提供されていたのだが、利用者が少ないとの理由で数ヶ月前に取り除かれた。今はビデオを制作、公開した作者しかそれができない。ここまで丁寧に制作した内容が、字幕によってその完成度が大きく問われたのは、もったいなくて、残念としか言いようがない。

YouTube字幕のボタンは、「CC」、Closed Captionという言葉だ。もともと自動生成されたもので、正確さを求めるものではなく、あくまでも「近いキャプション」に過ぎない。用意された利用方法や作成のプロセスからは、YouTubeが目指した少しずつ進化するという思いを見て取れる。いわばGoogle文化のひとつだ。この方針をきちんと理解した上で対応し、利用を工夫しなければならない。

いにしえの書物

2021年3月20日土曜日

YouTube字幕

朗読動画「徒然草」の公開を週三作という形で続けている。色々なコメントが戻ってきたが、文章は耳で聞いてもよく分からないという声が複数あった。考えてみれば、兼好の書き方には表現に凝ったところがあって、たとえ読んでいてもスムーズに頭に入らないところはたしかに少なくない。

そこへYouTubeが提供している色々な機能を見比べると、字幕という項目に気づいた。これまで字幕つきの動画にはたしかによく出会う。自動で生成されたものだろうが、動画提供者として一度編集のため手入れすることができるはずだ。調べてみると、たしかにその通り、作り方がいたって簡単で、早速試してみた。もともと対象は古典の朗読、日本語の古文となるとほとんどもうひとつの言語だと言っても過言ではない。自動生成にはちょっぴり難題だと予想した。だが実際にやってみると、意外と出来が良かった。トータルで七割程度の正答が出ている。使いやすい編集画面であれこれと整理したり、妙な間違いを直したりするそのプロセスも楽しく、何よりも出来上がった結果は素晴らしい。とりあえず先週分の三作には字幕がついた。是非覗いてみてください。

字幕の作り方そのものを簡単にスクリーンを記録して短い動画を作った。あくまでも私的な備忘に取っておきたい。あるいは同じ関心を持つ方に何かと参考になるだろうから、ここにリンクを貼っておく。

デジタル小ワザ:YouTube、字幕の作り方
朗読動画「徒然草」

2021年3月13日土曜日

テキストレイヤー

ここ数日、いくつかのプロジェクトに同時に取り掛かり、相変わらずビデオの編集にそれなりの時間を費やした。あれこれと予定を仕上げて楽しく思う一方、ときには不意に挫折し、遠回りをさせられてしまう。その中の一つの小さな経緯を記しておこう。

Adobe Premiereを使っての動画作成にあたり、テンプレートを纏め、同じ様式のものを複数に作る作業をしている。その中で、画像の上にテキストのレイヤーを用意し、作品ごとに文字の一部だけを変えるようにしている。そこですでに数十回も使ったテンプレートを開いたら、テキスト編集が出来なくなった。文字のところをクリックしても新しいテキストの枠が加わるだけで、既存の文字を変えることはできない。そこから彷徨いが始まった。新しいレイヤーを作っても一度入力した文字を変えられずに同じ結果だし、マニュアルや説明ビデオなどを調べても答えが出てこない。時間だけ無駄に過ぎてしまい、なにをやって埒が上がらない。デジタル作業で壁にぶつかるときの定番だが、そもそも聞いたら教えてくれる頼りのリソースが存在しない。こうなったら、とにかく辛抱強くいろいろなところをクリックして試し、解決にならなければ一つまえの状態に戻す。その繰り返しだった。結果としては、さいわい数時間のあと解決法にたどり着いた。レイヤーに関連するメニューの中に「Add Marker」という一項があり、それを選んだら文字編集がまるであたりまえのように可能になった。泥沼から抜け出した思いだった。

いまでもこの「Marker」の理屈がよく分からない。解説の資料はかなり存在しているもようだ。今度は時間を作ってじっくり調べてみよう。それまでには、とりあえず目の前の問題が解決され、しばらく放置しておく。このような対応もデジタルならではの流儀になった。おもえばこのような苦労や対応法をなにかの形できちんと記録しておかなければならない。

2021年3月6日土曜日

古典朗読

古典の名作に朗読された音声を通して接する、とりわけデジタル環境の発展にともない、これが多くの関心をあつめている。そこで、コンテンツ制作になれば、プロの人に読ませたいということがまるで当然のように期待され、待たれる。

著作権などの周辺要素と考え合わせれば、たしかにかなりの内容が積み重ねられていてもおかしくない。このような狙いをもって探したら、わくわくさせてくれるものはたしかにあった。無料で手軽にアクセスできるものとしては、まずつぎの二つがあげられよう。一つは「10min. ボックス 古文・漢文」、もう一つはNHKの「古典講読」。前者は十九の作品の抜粋をいずれも10分という枠に閉じ込め、後者は専門家による古典解説のラジオ番組で、そのハイライトとして段落の朗読をふんだんに取り入れ、取り上げた作品も王朝日記、説話や随筆、御伽草子、はてはコロナをキーワード持ち出したものさえあった。公開もととして、前者はNHK放送局による特設ページ、後者はYouTubeのチャンネルの形を取るが、2014年公開とあって、公開者の明記が見当たらない。チャンネル画像などからは放送局の公式サイトとは思えず、熱心な視聴者がラジオ放送などから録音して公開したのだろうか。

聞き心地の良い朗読を無心に楽しみながら、つい「プロ」ということの意味を改めて思い返した。アナウンサということで、音声のプロと言えばその通りだ。ただそれがはたして古典のプロを意味するだろうか。古典の声というものを追及しようとすれば、いまや能や狂言の節回しや言い方に遡るのが精一杯だろう。それに頼って古典を朗読すべきだとも思わない。多様多彩な古典の名作は、あるいはさまざまな声によって読まれるべきかもしれない。音声のプロもさることながら、古典の愛好者、学習者、極端な場合だとたどたどしい子供の声まで、読まれたのを聞きたい。あえていえば、個人的にささやかな朗読を続けてきた理由の一端もここにある。

2021年2月27日土曜日

似せ絵

昨日、「日本古典籍セミナー」を聴講した。二つの講義が行われ、それぞれ一時間とじっくり時間をかけて肖像画、奈良絵本について語られ、たいへん勉強になった。

個人的には、黒田智さんが取り上げた「公家列影図」にとりわけ惹かれた。画像内部に立ち入り、画像をもって画像を検証するというアプローチには、その手法の鮮やかさが印象に残り、その有効性にインパクトを感じた。あわせて57人と数える大臣の顔ぶれをユニークに描かれたこの一点は、絵巻の中で異色的な存在であり、早くからその読み方に躓き、敬遠していた。そのようなところに、描かれた人物同志の、親子、兄弟など血縁関係をもった者の比較、髭や皺などビジュアル要素を手がかりにした分類などが指摘されて、なるほどと納得し、いわゆる似せ絵といわれる由縁をあらためて知らされた。一方では、描かれた人物は互いに百年以上の距離を持ち、それぞれの人間のほんとうの顔を絵師がたしかに知っていたとは考えられず、人物の年齢表現にも極端な虚構が見られるなど、同作品の理解にはまだまだ多くの課題が残されているとの思いも強くした。

現地で午後に行われた行事は、地球の裏となると深夜から真夜中すぎとなった。同じ北京開催のシリーズの三回目にあたり、一年遅れての実現だったと聞く。いうまでもなくオンラインでなければとても参加が叶わなかった。妙な形でコロナから恩恵を受けた格好だ。いまの非常事態が過ぎてもこのようなもありがたい可能性が受け継がれることをせつに願いたい。

2021年2月20日土曜日

研究会で語る

一か月ほどまえに予告していた研究会(「古文講座」)は、予定通りに開催され、自分の発表も無事済んだ。世界各国から集まってくる参加者を見越して開催の時間設定が変則なもので、日本時間の深夜、こちらのローカルの時間は早朝六時開始といったスケジュールだった。事前申請は82名、実際の参加者は60名超、まさにリモートならではの世界的な集まりになった。

振り返ってみれば、じつに実りある交流だった。後半の全体討議においてまっさきに持ち出されたのは、古文教育の意味やその有効性だった。日本国内でも古典教育存続をめぐる議論が注目されるなか、それがそっくりそのまま海外中心の場にまで波及したという恰好になった。集まってきた研究者、教育者の顔ぶれによるところが多いが、肯定的な見解が圧倒的で、とりわけ教育現場から日本語学習者たちからの古文への熱い視線がしっかりと語られ、なによりだった。このほか、美術史など隣接分野からの声、漢文教育までの展開、独学への配慮、オンライン資料との向き方、朗読への関心、はてには三年も続くような本気度の高いプログラムの存在など、さまざまな情報や見解が披露され、まさに充実なものだった。

ZOOM開催の研究会は、開始15分前から参加者が参加できるように主催者が配慮した。互いに見知らない人が多いなか、「Kobun-Online」に関わった三人は二十年ぶりの顔合わせとなり、ひと時の雑談が交わされた。対面の集まりならこういう時間こそ貴重で生産的なものだが、リモートではきわめて限定的なものにならざるをえない。これをいかに変えるのか、模索が続く。

2021年2月13日土曜日

春節の舞台

農歴の暦では、12日の金曜日をもって辛丑年に入った。ここに春が始まったことを祝賀し、新年の挨拶を申し上げる。中国では、爆竹など伝統的な春節の祝いは安全などの理由からかなり前から忘れられ、その代わり、「聯歓晩会」という名のテレビ特番が年越しの代名詞となり、いまそれがさまざまなチャンネルに乗って放送され、世界のどこでも簡単に受信できるようになった。

今年は、その中で一つの踊りが話題になった。絵巻を読む目にはとても素晴らしい刺激を与えてくれている。踊りのタイトルは『唐宮夜宴』、このリンクなどから見られる。かつての唐の盛況を宮廷の踊り子たちの姿に託し、王朝の美を追い求めたものだった。その踊り子たちは、ひっそりとした美術館から現われ、やがて色とりどりの山水画の中に入り、夢のような澄み渡った宇宙ではしゃぎ、そして宮廷の上に登って舞う。絢爛を極めて、忽然と絵の中に戻っていった。まさに一巻の最上の絵巻が動き出したものだった。なかでも、今日の審美に悖る太った踊り子たちの身なり、絵だけでは想像も及ばないコミカルで微笑ましい歩き方、互いに戯れる溢れんばかりの生命力など、どれも眺めていて古代の世界に迷い込んだ思いだった。

ちなみに数年まえまでは春節の舞台といえば中央テレビ局独占のようなものだったが、いまはテレビの地方局も競うようにこれに取り組んだ。この話題の踊りも河南省放送局の特番の一つである。地方の活力や魅力を感じるということも、大いに感慨深い。

2021年2月6日土曜日

スマホ・古文講座

Glideを利用してアプリの四作目を仕上げた。今度もすでにある特設サイトの内容をそのままスマホに移植するというものである。特設サイトは、「インターネット古文講座」である。旧友と二人で中味を書き上げたもので、HTMLに使うジャワ言語の初歩をマニュアルを齧りながら覚え、見よう見まねで仕立てた。数えてみればすでに20年もまえのことである。幸い今でも動いていて、そこでスマホに取り入れるという長年の念願を実現した。

古文講座は、もっぱらテキストに頼るものである。その構成は、各文法項目の解説と、それを確認する単純なドリルである。Glideを使うためにすべてのドリルをGoogle Sheetに導入することから始めなければならない。そこでやってみると、ドリルの総数はなんと700も越えたことに気づいた。Glideの無料バージョンは、データ数を500までという制限が設けられている。制作の狙いはあくまでもリソースの無料提供であるため、つとめて料金を支払うことを避けたい。そのため、二部構成を取り、前編は動詞、助動詞、敬語、後編は形容詞、形容動詞ということに決めた。内容的にはちょうどバランスよく、利用者にもさほど負担にならないのではないかと思われる。

あらためて内容を見返すと、解説の部は文法の細目をつとめて漏れないことに気を使い、ドリルは機械的な反復のようなものに終始した。このテーマに関心があれば、解説を読み、ドリルの答えを見るボタンをクリックしながら眺めるというのも一つの使い方だ。なお、「App: CJ5M」はこの文法解説の枠組みを受け継ぎ、あわせてアプローチにも若干ビジュアル的なものを加えた。ついでに記しておく。

App:インターネット古文講座、動詞、助動詞、敬語
App:インターネット古文講座、形容詞、形容動詞


2021年1月30日土曜日

朗読動画『徒然草』

二週間ほどまえ、『徒然草』の絵注釈を四コマ漫画に見立てたGIF動画の更新を終了した。このブログにも書いたように、『徒然草』の魅力に惹かれ、似たような作業をもうすこし続けたいという気持ちは消えなかった。そこで、思い立って新しい作業を始め、音声を加えた朗読動画の制作に取り掛かった。ここにとりあえずその一作目を掲載する。

この序段をテンプレートにし、おなじく百作(段)を目途に制作することを考えている。利用する底本は、同じく『なくさみ草』と『つれつれ艸繪抄』に絞る。朗読にあわせて底本の文字を提示するが、その方法は、画面スペースの利用を考慮し、これまでの赤い罫線を止め、文字部分の移動に切り替えた。動画の主役は、しっかりと注釈絵に与える。ただ、上記の二つの底本は、いずれも通行の『徒然草』の本文との小さな不一致を持つ。意味を損なわないことを前提に朗読は利用底本に従った。

対象とする章段は、すでに四コマ漫画で取り扱ったものを優先するが、すべて重なるわけではない。文章が極端に長かったり、短かったりする段などは、割愛することとした。掲載の場は、YouTubeの個人チャンネル「声の栞・古典」とし、制作しながらすこしずつ公開するこれまでの方法を援用し、週三作を目標としたい。乞うご期待。

朗読動画『徒然草』序段・つれづれなるままに

2021年1月27日水曜日

サイト&ポスター

サイト記事

Commendation Ceremony for UofC Professor X. Jie Yang (July 8, 2016)

Message from the MEXT Scholarship AAPP President (March 20, 2017)

X. Jie Yang, Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto (2020)


ポスター

「詩の物語・絵の物語ーー絵巻『胡笳十八拍図』にみる中国と日本ーー」
青山学院大学国際シンポジウム「海を渡る文学ーー日本と東アジアの物語・詩・絵画・芸能ーー」(2006年9月2日)



「帝誅しと帝諌めの物語 : 狩野重信筆「帝鑑図・咸陽宮図屏風」を読む」
日文研フォーラム(2012年3月13日)



基調講演「デジタル時代と古典研究ーー画像資料のあり方を手がかりにーー」
国文学研究資料館「日本古典籍への挑戦ーー知の創造に向けてーー」(2016年7月29日




「物語る絵とその変容ーー絵巻の射程ーー」
国際日本文化研究センター「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」キックオフ・ミーティング(2016年10月12日


「デジタル技術が古典画像にもたらしたものーー「デジタル展示からいと」の制作をてがかりにーー」
KU-ORCASキックオフ・シンポジウム「デジタルアーカイブが開く東アジア文化研究の新しい地平」(2018年2月17日