2019年6月30日日曜日

画中詞の順番

ここ数日、「十二類合戦絵巻」をあらためて読み返している。画面の中にふんだんに書き込まれた文字テキスト、いわゆる画中詞として捉えられるそのスタイルは、室町時代の絵巻の一つの基本的な特徴として指摘されている。ただ、人物発言の順番を指し示す数字は、やはり目を惹き、考えさせられる。

思えば、これらの漢数字は、文字と絵との関連性において、すくなくともつぎのような三つの大切なヒントを残してくれている。まず、物語を伝える画面は、なによりもビジュアル的な要素やバランスを基に構成されたものだ。絵が中心になっているからこそ、文字はそれに追随する形で加えられ、既成の絵に制約されながら書き入れられた。一方では、数字を駆使するまでして物語の展開を示すところに、文字と絵とによる叙事の流れの違いを端的に表している。絵とは異なるストーリの流れを、文字が自覚し、主張しているからこそ、数字という手っ取り早い方法を案出したものだった。最後に、このような処置の対極に位置する平安時代の「散らし書き」を思い出してしまう。文字をビジュアルに楽しもうとする極致な到達は、ときには謎掛けまでに仕掛け、読む人に無言に挑んだものだった。室町時代の物語においては、そのような悠長な余裕はとっくになくなり、あるいは根本的に異なる物語享受のリズムが生まれたと考えるべきだろう。

写真は、チェスタービーティライブラリ蔵の模写からの一部である。画中詞はところどころ脱落も見られるが、数字は丁寧に模写されていることを付記しておきたい。

2019年6月22日土曜日

書籍の変貌

右のページを見れば、古典に関心をもつ人なら簡単にその内容を心得ることだろう。江戸時代に膨大な出版の点数をほこる絵入り百人一首の一枚に違いない。歌人は凡河内躬恒、歌は「心あてに」、加えるに上段の小さい文字による文章は歌への注釈、あるいは読みへの指南である。ここには、「陰」と「陽」、「男の道」と「女の道」云々の倫理説教まで展開されて、百人一首の享受において一つのユニークな光景かと想像している。

しかしながら、ここではこの一枚の物理的な特徴に注目してもらいたい。明らかに一冊の版本を崩し、外した一帖をさらに二つに切り、それを硬めの白紙に貼り付け、無造作にビニール袋に入れたものである。いまやインバウンドなどの表現に捉えられる観光客を相手にした商売の一様相である。書籍の一冊は、商品として価値には限界があるのに対して、その形態を惜しみなく壊し、読み物ではなく飾りや鑑賞の画像として変貌させたのだ。おそらく商品価値は数倍も跳ね上がったのではなかろうか。

読めそうで読めない文字、妙なポーズをする人物、ひいては墨の色も紙の汚れ具合まで神秘な日本を訴えていると言えないこともない。ただ、そのために、かつて書籍だったということに目をつぶっていたほうが望ましいかもしれない。

2019年6月15日土曜日

女装少年

図書館や本屋に入らないと手に入れることがないだろうと思われる本は、たくさんある。そのような本との出会いは、いつも日本滞在の楽しみの一つだ。今度、特筆すべきタイトルは、三か月ほどまえ出版された「室町時代の女装少年X姫」である。物語絵巻「ちごいま」を取り上げ、まさに豊穣な室町物語の一端を現代の読者の読み方にそって丁寧に切り盛りした上質な一冊である。

物語の主人公は、いわゆる児(ちご)である。かれのことを、「男の娘」、「女装少年」と、おもいっきりいま風の表現で捉えた。普段からは馴染みの薄く、なによりも性というテーマが中心に据えられる存在である。しかしながら、男性にいまだなり切れていない性、男性から性の対象とされる性といった、なんとなく漠然とした認識からは大きく逸脱し、いってみればそれとはまったく異質な、真逆な展開である。主人公の児は、憧れの姫に大胆なラブコールを仕掛けるだけではなく、姫には性への目覚めを手ほどきし、ひいては妊娠、出産にまで、性の極端を極めさせた。ここにみる稚児という性は、周囲へのカモフラージュに過ぎず、しかも稚児から男性性への成長はまったく含まれず、稚児への上記の認識を大きく改めてしまう物語だった。

室町の絵物語を紹介する工夫は、この一冊の中、いたるところに詰められている。現代語で読ませ、絵に描かれた対話は漫画風の吹き出しに纏め、人物紹介に顔写真を添える。一方では、物語の展開を伝えるには、「恋」や「冒険」などのキーワードはどうも弱い。物語の訴えようとするところ、そしていまの読者に対する衝撃を、さらに一段と鮮明な言葉が考えられなかったのだろうか。

2019年6月8日土曜日

石置板葺

学生たちと歩く日本。ホスト校にほど近い「日本民家園」は毎回一度訪れる。広大な緑地の中に展開し、実物大の古家屋が軒を列なる様子は、ほかでは見かけられない風景を成していて、眺めていてとても見ごたえがある。

園内に入ってすぐの宿場エリアの最後に位置するのは、長野県にあった三澤家だ。建物の特徴的なことの一つには、その屋根の造りがある。周りの茅葺きや瓦葺きのものと違って、屋根の上にかなりの密度をもって置かれたのは、なんの変哲もない石ころである。じつは、これを見るたびに思い出すのは、あの絵巻「長谷雄草紙」に描かれた一場面だった。間違いなく同じような姿の屋根を街角の様子として描きこまれたものだった。初めてあの場面を眺めたころ、関連の知識を持たないまま、ずいぶんと戸惑ったことをいまでも覚えている。それをまるでタイムスリップのように、絵と現実の建物とが目の前でつながっていることには、やはり感慨深いものがあった。

説明の案内には、「石置板葺の屋根」とある。あまりにも明快で、いかにも第三者的な立場からの正確を期する解釈調のネーミングだ。当時の人々、自分の住んでいるうちや、これを建てた大工さんたちなら、これをどのように呼び指していたのだろうか。慎重に探すべき課題の一つだ。

2019年6月1日土曜日

龍口寺

学生たちとの予定の行事が済んだあと、一人で近所を歩き回るのは、引率としての楽しみの一つだ。今度は、片瀬江の島の浜辺で解散して、その足で近くの龍口寺に入った。

日蓮という人物は、鎌倉時代の思想や仏教を教えるにあたり、避けては通れない。とりわけ短い時間で説明して記憶に留めてもらおうと思えば、かれの思想や行動だけではなく、かれにまつわる信仰や伝説、そして伝説を作らせ、語らせることも含めて取り上げたほうが有効的だ。そのため、この寺に惹きつけられる。山門を潜りぬければ、まずはその重厚な建物、そして喧噪を離れた静寂な空気には驚いた。本堂よりもりっぱに見える大書院(調べてみれば、昭和に入ってからの移築された建物だと知る)、厚い緑に囲まれて写真どころか、目にさえ入りきれない五重塔、どれもこれも、すぐ近くの観光地鎌倉とはまるっきり別世界になる。一方では、ここは日蓮のゆかりの地だということは、複数の石碑がどれもあの独特な書体による「南無妙法蓮華経」を碑文にすることが示している。

かつて「太平記絵巻」などを手掛かりに、絵巻に描かれる処刑の場の象徴を「敷き皮」に求めてみようとした。しかしながら、龍口寺には、「敷皮石」や「敷皮堂」が残っている。この大事なキーワードは、どうも想像以上に広がっていた。再考の機会を待ちたい。