2012年7月15日日曜日

翻刻・読み下し

「翻刻」と「読み下し」。この二つの言葉の字面の意味、語彙史的な由来、一対の用語としてのバランス、語感など、言葉を観察する場合の要素はともかくとして、いわゆる国文学の界隈ではその内容がはっきりしている。すなわちかつて使われていた書写システムによって記された文章を、現在の人々が読めるようなスタンダードな文字に翻(ひるがえ)して作り変えること、そして普通に読んで分かる程度適宜に言葉を漢字に置き換えることである。送り仮名やら繰り返し字や返り点やら、現行の文字表記の基準が定まらなかったり、対応できなかったりするケースは多々あるが、現実的には大らかなに対応せざるをえない。

現代の人々は、昔の文字をそのまま読む必要がないから、読めないというよりも読まないということが事実だろう。したがって、このプロセスを通らなければ、古典は普通の読者には届かない。そのため、理論上すべての古典は、数え切れないもろもろの諸本を含めて、まずは一通りこの作業が必要となる。残されている古典の規模から考えれば、気が遠くなる作業だ。世の中は、いまや何でもデジタルという風潮だ。そのうち、まずは部分的に、あるいは一つの作品について、数枚のもののみ読み出してパソコンに教えたら、あとは自動的に答えが出てくるといったようなマジックも実現することだろう。ただすぐにはそこまでのシステムが生まれてくることがとても思えない。まずなによりも、古典の字面を完璧に読めるとの知識や自信は、第一線の研究者だって十分に持ち合わせているわけでもないのだから、どうしてもすこしずつ進めるしかないものだ。

120715いま出来ることは、デジタル環境の進歩に寄与する思いまで込めて、コツコツと作業を積み重ねることだろう。この考えから、オンライン公開されている『田原藤太秀郷』という絵巻をめぐる作業を試した。原文は合わせて三巻、約千行、二万文字ぐらいの分量だ。あれこれの仕事、とりわけ旅行などの合間に、携帯のパソコンにタイプし出した。先週、同じ公式サイトでアップロードされた。昔なら、このような作業は活字になるということしか公開の道がなかったこともあって、研究業績の大きな一部だったのだが、いまはそのような思いはまったく薄い。むしろ古典をめぐってまた一つ会話の話題が出来た程度のもので、ただすなおに嬉しい。むしろこれに合わせて特別に作成してもらったページはデザインが非常に綺麗で、動きが良い。そして、なによりも絵巻に展開されたストーリは、奇想天外、奇怪愉快で、この上なく楽しい。ぜひ読んでみてください。

田原藤太秀郷(翻刻、読み下し)

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