2007年10月23日火曜日

絵巻と御伽草子

絵巻と御伽草子、この二つの作品群の区別はどこにあるのだろうか。両者の間に一線を画そうとすれば、それははたしてなんだろうか。一見単純なようだが、かならずしも簡単に答えられるものではない。

「御伽草子」という名前は、もともと「渋川版」と呼ばれる出版物の名前だった。したがって最初に浮かんでくるのは、巻物か冊子本かという作品のスタイルだろう。しかしこの作品形態のことは、室町や江戸の人々にはさほど意味を持たなかった。現に「文正草子」や「浦島太郎」といった御伽草子の代表格の作品の綺麗な巻物は、かなりの数が作られ、いまでも日本や海外に多く所蔵されている。

つぎに考えられることは、絵のスタイルである。いわゆる「奈良絵本」がその典型だったように、絵は作品全体の分量に対して数が少なく、その構図も簡略になって、幼稚でほほえましい。多くの場合、絵のしろうと、あるいは意識的にしろうとの真似を取り入れた描き方だった。だがこれだってはっきりした区別の標準があるわけではない。絵巻作品群にも構図の幼稚なものがあり、御伽草子の絵巻には豪華な作りをもつのはこれまた数え切れない。

もう一つ考えられるのは、作品の題材だ。御伽草子の作品には、いくつかの代表的なテーマがあり、たとえば本地もの、異類ものといったようなものは、かなり似通った思考や趣向を見せる。いうまでもなく題材という捉え方自体が曖昧で、あるいは題材とはそもそも分類の基準になるような可能性を持たない。

これ以外にもいろいろと考えられるだろう。きっとその研究史まで誰かがすでに纏めたに違いない。

一方では、このような問いを出すこと自体には、それなりの理由がある。つきつめて言えば、絵巻という作品群の下限をどこに置くか、ということだ。言い換えれば、平安の院政期に現われ、鎌倉時代を通して数々の傑作を生み出したこの魅力な形態は、はたしてどこにその歴史的な終焉と認めるのだろうか。これの発生と隆盛に目を見張ると同時に、その衰退と消失にはあまりにも注目が足らなくて、大事なことを見落とした思いがしてならない。さらに付け加えるとすれば、「御伽草子」と呼ばれる、いわゆる「室町物語」という一群の作品は、形態的でも内容的でも、あまりにも強烈で異彩を放ったがために、平安、鎌倉と続いた絵巻の伝統までその背後に隠れてしまった、という要素も見落としできない。

最後に記しておこう。このことを考えさせてくれたきっかけは、慶應義塾大学が公開した「HUMIプロジェクト」だ。これの出現は、これまでの活字翻刻や断片的な写真紹介などとは異なる形で御伽草子の全容を覗かせてくれて、鮮烈なまでに御伽草子についての認識を深めてくれるものだ。

世界のデジタル奈良絵本データベース

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