久しぶりに名古屋を訪ねた。朝起きて、一人で行動する三時間ほどの余裕まで出来て、名古屋城を目指して歩き、いま開催されている「帝鑑図」の特別展を観た。
「帝鑑図」とは、途轍もなく大きなテーマだ。つねに魅力を感じていながらも、なかなかその全容を掴めない、あるいは掴むための手がかりが分からない状態だ。はっきりした源流を持っていることから、考えようによれば分かりやすいものだが、しかし、これに寄与したメディアはあまりにも多い。それも屏風、障子画など、最初からごく限定された読者の目しか意識しない、いわば閉鎖された世界に置かれていた。一方では、画像資料として眺めれば、豊富なストーリが裏を支え、それもどれもが長い歴史の中で親しまれてきたもので、読者としての接し方が確立されている。教養、教訓、そして享楽。このような性格のまったく異なる要素を一身に備えたものに取り掛かるには、たしかにそれなりの覚悟が必要だ。
美術館での展覧会とは違って、天守閣の一階を使ったこの展示は、格別な雰囲気を感じさせてくれる。どれもじっと見つめたくなる絢爛な絵画は、暗闇に囲まれ、ところ狭しと並べられた。テーマは「帝鑑」だけに、まさに城という空間に溶け込むものだ。一方では、手元の入場券をあらためて見て、タイトルにはまっさきに「王と王妃」が目に飛び込んでくることには、苦笑を禁じ得なかった。「王妃」と「帝鑑」とでは、言葉の内容としてまったくつりあわない。さらに言えば、「王妃」に思いを馳せることは、「帝」に投げかける視線や姿勢を倭小化するものにほかならない。しかしながら、もともと城に入る前に、一番に迎えてくれたのは、城のイメージと関係ない「ユルキャラ」なのだ。世の中の人々が帝に寄せる関心は、その処身を正す鑑ではなくて、あくまでも人間としての日常に転じたことを物語っていよう。
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