もうすぐ中秋になる。学生時代なら、夏休みを終えて大学のキャンパスに戻り、同級生たちとひさしぶりの再会を楽しむ年に一度の思い出の多い日だ。そのような経験を共有している大学時代の親友が、いま現在の北京の写真を撮って寄せてきた。さっそくカナダの名月を収めた自慢の写真を送り返した。
ならば、絵巻にはどのような月が出ていたのだろうか。一日の半分は月に照らされているが、画像に残されているものは、思いのほか少ない。源氏物語絵巻の「蓬生」、「宿木」などに描かれたような、月を抜きにして語れないものはかなりの例に数えられるが、一方では月そのものが視線をひっぱるものは、そう多く思いつくものではない。その中の一枚は、「玄奘絵」のハイライトをなす須弥山を照らすものだ。太陽と対になり、陰の世界を掌る。その下には、雲の上を走る雷神、海の中を踊る怪魚と、まさに暗のエネルギーが集合する計り知れないものだ。このような月もあったんだ、いや、月にまつわるこのような想像の世界が存在していたのだと、あらためて想起される。ただし、そのような月でも、いま目の前あるような黒く沈んだ色をしていたはずはない。最初はきっと銀の色に輝いていたに違いない。わずかに見える月の中の模様も含めて、いつかなにかの現代技術で蘇ってくることを心待ちにしている。
ところで、周りの友人知人たちは明日中秋の夜に集まろうと声を掛け合っている。実現できれば、ひさしぶりの中秋の夜の宴になる。いまから楽しみだ。
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