2011年9月5日月曜日

六月の霜

初会合の研究会で、一点の御伽草子作品が国宝になったと知って、驚いた。教わるままにサイトを調べてみたら、それは一群の文献の中の一点で、タイトルは「玉藻の前」、国宝指定を受けたのは2002年で、いまだ10年も経っていない。ありがたいことに作品がすでにデジタル化されて、だれでもアクセスできる形で公開されている。さっそくデジタル画像をパソコンモニターいっぱいに開いて、じっくり眺めた。

たとえばこの画面。突飛な構図はあまりにも御伽草子的だ。画面中央の美しい女性は、山間の水辺に身を置いているにもかかわらず、豪華に十二単を身に纏っている。顔には、まるで面をかぶっているかに見えるが、実はさにあらずで、笙を演奏している姿勢だ。しかもよくよく見れば、美女は巨大な尻尾を出していて、ストーリーのテーマである狐の化身だということが表現される。さらに画面全体に目を向ければ、110903描かれている風景がかなりユニークなものだと気づく。雉が空を飛び、あたりは緑いっぱいなのに、木々や岩石が真っ白い雪を被っている。清い流水と相まって、この非自然な景色こそこの画面が表現しようとするものに違いない。文字テキストを読めば、まさにその通りなのだ。ストーリーの内容として、ここでは玉藻の前が豊かな知識を持ち合わせていて、どんな難問にもすらすらと答えられると伝えている。その質問の一つは笙の由来や効用であり、玉藻の前が与えた答えはつぎのようなものだ。「しやうをつくりてふきしかは六月にしものふることおひたゝし(笙を作りて吹きしかば、六月に霜の降ること夥しい)。」すなわち画面いっぱいの白いものは、雪ではなくて霜なのだ。自然界にみる霜の様子をおもいっきり誇張したスタイルで描けば、こんな格好のものになったのだ。

中国語表現のレトリックには、「六月の雪」がある。真夏に降るはずもない雪が降ってしまったということは、ただの反自然ではなくて、冤罪を受けていることの証だと文学的に使われている。それを思い出しつつ、雪に紛われるぐらいの霜は、一種の神力を表わす超自然現象として、ほほえましい。

玉ものまへ

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