2018年2月20日火曜日

デジタルを語る

関西大学にKU-ORCAS(アジア・オープン・リサーチセンター)が設立された。キックオフの行事に招かれ、週末にかけて大阪へ出かけ、たいへん勉強になる経験をしてきた。前面に打ち出された領域は、名前が示すごとく「オープン」に重きに置いたものである。典籍資料の所蔵に恵まれ、研究業績にもトップクラスの実績を誇る研究機関である。そのような研究者の集合が、しっかりとつぎなる一歩に力を合せ、具体的なアプローチについてもきわめてオープンな構えを見せていることはとても印象的だった。ここに、開かれた研究の基盤になるものとして、自ずとデジタルにスポットライトがあたった。

二日にわたる講演のテーマを一覧すればすぐ分かるが、じつに多彩な分野からの研究者により、異なる問題意識のもと、それぞれの実践の結果や現状への考察が語られていた。それらの一つひとつにじっくり聞き入り、得るところは多かった。一方では、与えられた45分の発表には、いま脚光を浴びているIIIFを取り上げた。リソースの公開や現行基準の向上に第一線で尽力している研究者に対して、あくまでも一利用者という立場を訴え、個人的な疑問まで投げかけてみた。強烈なビジュアル上のインパクトに押され、IIIFの可能性はなかなか捉えきれていない。IIIFとは即最高画質のデータを意味しない(満足できない画像でもIIIFに乗せられている)、同じ典籍のデジタルデータの取り直し、公開者の都合によるリソースの持続など、素朴な不安を持ち出した。これらの質問に対して、情報学の立場からの回答はじつに興味深かった。「データは大事」、言い換えれば上質なデータなら環境が追ってくるという心強い励ましと、「DOIも二十年近く続いたから」(Digital Object Identifier、2000年から実施)、つまりいまの勢いならIIIFはしばらく安泰という、いかにもデジタルの「中の人間」ならではの観察と立ち位置からの発言だった。

もっぱら画像資料におけるIIIFの意味と利用について考えてきたのだが、しかし音声、動画への対応がすでに具体的に検討され、開発されているとのことが報告された。考えてみれば、画像データと同じく、音声も動画も一つのデータセット(続き)の中に立ち入ってアクセスするような需要は厳然と存在している。ただ、実現すれば、IIIFという名前は相応しくなくなる。「I」が一つ消えて、「M(Media)」に取り替えられるという展開なのだろうか。

東アジア文化研究の新しい地平

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