2018年2月3日土曜日

神々の姿

神様は、中世の人々にとってより近い位置にあったとよく言われる。このような言説の論拠やそれが示す着地はさておくとして、神々の姿をビジュアルに表現するにあたっての苦労や工夫は、やはり興味深い。手元に開いている「融通念仏縁起」の一段は、まさにそれを考えさせてくれる好例である。

同絵巻上巻第五段は、良忍に結縁の名帳が授かるとの奇跡を描く。諸天冥衆の名前が詞書に文字で記され、そしてその中の代表的なものが絵に姿を見せる。ここに、絵のほうに目を凝らして眺めれば、仏土の明王、天女、竜王に続き、日本諸国の神々が一斉に登場してくる。ただし、前者の、仏画や仏像に由来した躍動するイメージ群と明確に一線を画して、日本の神様は、すべてそれを祀る建物の景観に統一した。それらの様子はじつに叙事的だ。梅が満開する北野、猿が戯れる日吉社、海の上に社殿を構える厳嶋、川に面する賀茂社などなど、しっかりと建物の特徴や環境が捉えられて、そして塔頭が添える祇園、山の奥に隠れる稲荷などは、今日とは異なる昔日の様子を訴える。ただ、ここまで描写しても完璧に情報が伝達されたと思えないと覚しく、それぞれの建物に分かりやすい文字の注記が書き加えられている。(写真は清涼寺本より)

一連の神社のなかに、春日、伊勢、北野はいずれも鳥居にスポットが当たる。これも二週間前、京都での研究会で交わされた話題の一つだが、近代日本文学英訳の表紙には、鳥居が多く見られ、しかもその一部は内容とまったく無関係で、あくまでも日本の記号として用いられたのだった。ビジュアル表象として鳥居は、その根が思う以上深くて長い。

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