一年前のいまごろ、古典文学をテーマにしたシンポジウムに参加してハーバード大学を訪れた。その間のことをこのブログにも数回書いた。その集まりの成果は、一年も経たないうちにりっぱな論文集になり、今週の初頭、編集出版元の国文学研究資料館より送られてきた。一冊の論集を形にするためにどれだけの人々が苦労を重ねてきたのかと思いかえしながら、はるばる海を越えて送られてきたものを手にして、感慨深い。感謝の念をここに記しておきたい。
思えば二日程度の集まりでしたが、その企画となればじつに長かった。最初にこの集まりのことを聞いたのは、たしか2007年の春、学生たちを連れて専修大学で語学研修を行う間のことだった。学生たちが使う狭い教室に入り、インターネットのアクセスもままならない状態の中であれこれとやりとりをしていたことは、いまでも鮮明に覚えている。それまでには企画がすでにかなり続いていたことはいうまでもない。
同じ集まりは、今年はヨーロッパもロンドンに場を移して似たような枠組みをもって続いたと伺う。そのテーマは、「横断する日本文学」。しかもシンポジウム開催に先立って、詳細なプログラムや発表の要旨が日本語と英語の両方の言語によって纏められて、読みやすい形で公開されている。純粋な古典文学研究においても、研究の様態も発表の場もずいぶん変わってしまったものだと、なぜか実感を新たにした。日本の公的な研究機関がリーダシップを取り、代表的な学者たちが一堂に集まって知見を披露し、その記録があまり過度な手入れをしないで世に送り出される。古典文学という、長い下積みや言語の基礎知識が必要とする学問だが、日本の学者と外国の学者が同じ土俵で交流し、研究に用いる言葉がたとえ互いに精通しなくても理解しあうように努力し、つとめて交流から最大の養分を汲みとる。すこし前の時代ではとても考えられないあり方ではなかろうか。
同じ構図で見れば、遠いカナダに身をおいて、あくまでも大きな渦に巻き込まれるように、たまにしか参加できないでいる。ただ、外側にいる分、新鮮でいて、刺激が多い。大切にしたいものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿