明日の日曜日、勤務大学の教室にて小さな集まりが予定され、一時間ほどおしゃべりの時間を与えられた。集まってくるのは、日本語教育に関心を持ち、あるいはそれに携わっている方々である。思いついたテーマは、「音をめぐって」。自分の関心事をぶっつけてみて、どのような反応が起こるか、内心楽しみにしている。
話の一つに、音をめぐる歴史的な変化を取り上げよう。音・声を記録するために、人間が最初に案出したのは、ほかならぬ文字だったろう。その目で見れば、ほんの最近になって、音声を物理的に記録し、思う通りに再現する方法がようやく実現できた。それが大きなディスクであり、だんだん小さくなっていくテープであり、いまはデジタル信号である。記録するメディアの変化により、記録する分量も飛躍的に増えた。どんなに大きな図書館でも、音声を記録するテープを対象となればついつい所蔵する方針を丁寧に考え直さなければならないが、デジタル信号となれば、たとえばラジオ放送ならとにかくすべてを記録しておこうということは、図書館どころか、個人レベルでもさかんにやられているだろう。そして、インターネットという伝播の手段の登場だ。記録されたものを人に渡すことはほぼゼロコストで実行可能になり、著作権というやっかいなことさえクリアできれば、音声という媒体はどれだけ繁盛するだろうか。
つぎに何が起こるのだろうか。メディアとしての音声は、必然的に再び文字へ戻るのだと見る。すなわち、文字と音声との間に自由に往来することだ。ここに、数年前あれこれと遊んで眺めていたTTSソフトの一群を思い出す。「Text To Speech」と称されている。いまやかなりのレベルまで実用されていて、一例を挙げれば、最近購入したビデオカメラ付きのiPodナノは、ポッドキャストの番組名をかなり聞きやすい語り口で知らせてくれている。新しい技術の応用は、びっくりした視線で迎えられることさえなく、自然と日常の生活の中に溶け込んだものなのだ。
「PC Online」サイトの記事は、この水曜日から慶応大学で開催された「21世紀コンピューティングカンファレンス」をレポートし、「Photo Real Talking Head」という展示を紹介した。口などのパーツを選んで顔を組み立て、それがTTSにあわせて動き出すという、聞くからに初歩的な作り方をしている。しかし、文字、音声になんらかの外装を付けて、それを実用に送り出そうとする苦心が見えて、なぜか微笑ましい。
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