仕事としての日本滞在が終わり、中国への短い帰省をした。久しぶりだ。いつもながら日常と人々の暮らし方の激変にしみじみと見入ってしまう。今度のそのような観察は、とりわけデジタル環境の発展に伴うさまざまなものに関連して印象深いものが多かった。
いろいろな報道で伝えられているように、デジタル環境の普及にはとにかく目を見張るものばかりだ。インターネットの普及の勢いは凄まじい。公共空間などは言うを待たず、空港バスの中でも無料のWiFiが当たり前のように提供されていて、しかもどれもスピードが早くて、安定している。プリペイドの使い捨てSIMカードは、僅かな金額ですぐにでも電話とデータの両方が使えるようになり、それを販売しているのは住宅地域の中のまったく目立たない小さな店だった。キャッシュレスのやりとりは行き渡り、予想もしないところにバーコードがなにげなく掲げられている。これをあたりまえのように使いこなしている人、用心して使おうとしない人、そして頑として拒絶する人、さまざまな立場からの熱をこもった弁舌が聞けたのも興味深い。北米や日本でスタンダートになったインターネットサービスには、かなりの範囲においてアクセスできないことは、伝えられている通りだ。ただ、海外もののサービスの内容は、ほぼすべて中国国内のサービスをもって「置き換え」られており、保存、共有、共同作業など、やろうとすることはたいてい実現できて、質もけっして見劣りはしないことに、妙に感心させられるぐらいだ。ただ、海外との交流は大きな断絶が起きていることはけっして見過ごせない。この事実への対応はそう遠くない将来図られるものではないかと、楽観的だが、個人的に見立てている。
SIMカード購入のときのことはちょっと忘れられない。身分を証明する書類の提出を要求され、かつコピーが取られることは、予想内のことだった。しかしながら、それには留まらず、なんと本人であることを記録するために、書類を顔の近くに持ち上げさせられ、顔写真が撮られるものだった。未知な要素が多いデジタル環境での個人の権利や気持ちなどへの配慮よりも、あくまでも明確に、効果的に管理するというスタンスを前面に押し出すという発想を、あらためて認識させられた思いだった。
2017年6月17日土曜日
デジタル時代の風景
Labels: 内と外・過去と現在
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