2017年4月1日土曜日

地名をめぐるビジュアル記憶

あらためて言うまでもないが、日本の古典の中に「道行き」と呼ばれる集約された文学表現あるいは文体が存在し、きわめてユニークな光景を形成している。同じ読み方を借りて画像資料のほうに目を向ければ、似たような審美感覚は絵巻の画面においても認められると考えられよう。

絵巻を読んでいくと、日本中の東西南北の地はじつに多く登場している。無造作に取り上げてみても、たとえば、すぐつぎのようなリストが浮かんでくる。「一遍聖絵」にみる洛中の四条京極釈迦堂(巻七第二十七段)、伊豆の三嶋(巻六第廿二段)、「西行法師行状絵巻」にみる四天王寺の江口(巻二第七段)、洛外の北白川(巻三第四段)、「頬焼阿弥陀縁起」に見る鎌倉の岩蔵寺(上巻第一段)、相模の大磯(下巻第五段)、「箱根権現縁起」にみる箱根大社(第十一段)、「真如堂縁起」にみる真如堂(下巻第三、四、五段)、などなど。ここに一つの明確な方向性がすぐ読み取れる。すなわち、雲遊する修行僧の伝記、功徳や霊験が記される社寺縁起、そして記憶されるべき大事件をテーマとするものは、まずは特定の空間の記述と結びつくものである。絵巻の表現からにして、どのような場についても、具体的な地理、地形についての記述を十分に残してくれることはないだろう。しかしながら、そのような不完全性の代わりに、ときにはそれを上回るほど、遠い昔の人々がもつその土地についての心のイメージが鮮明に描き込まれている。写真にみる北白川の清流は、まさに中の一好例だろう。

ずいぶん前のことだが、地図を専門とする研究者との会話のなかで、地図の抽象性について指摘されて、はっとした瞬間は忘れられない。地名をめぐるビジュアル記憶も、一種の抽象的なものだろう。地名も、そして物理的な地形も、変化を続けるものであるが、それに対する空間的な記憶は、抽象的だけに、より大事にされるべきものだろう。

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