2017年1月14日土曜日

逆読

絵巻への接し方、とりわけ中世のそれについて、ずっと深い興味を持っている。絵巻享受の円熟期を迎えた室町期において、絵巻のある空間とはどのようなものだったのだろうか。あの「東屋」に描かれた様子は、詞書と絵が巻物に納めた時代になってみれば、どうしても特異に映ってならない。そのような中で、中院通秀の日記「十輪院内府記」の記述を知って、目が醒める思いだった。

同記録には、つぎのような一行が記される。
「(略)又被読絵詞。絵方成御前逆読之也。」(文明十二年八月二十二日)
つぎのように読み下して良かろう。
「また絵詞を読ませらる。絵の方、御前に成り、之を逆さに読むなり。」

貴重な絵巻鑑賞は、それ自体はささやかな出来事であり、一人でこっそり読み耽るわけにはいかない。自然と少人数の集合となる。そこで、行事の中心となる貴人(この場合後土御門天皇)の正面に絵巻を据えることは言うまでもない。そこで、学識ある人が指名され、詞書の文字を朗々と読み上げ、あるいは同時期の日記に使われた用語によれば、「読み申す」ものである。ただ、中心の人間が天皇だったら、はたして読み上げる人の立ち位置はどうなるのだろうか、意外と素直な答えが出てこない。それはなんと、逆さまに読むとは。これなら、閉ざされた場の様子が目に見えるように浮かび上がってくるものだ。そして、自ずと新しい質問が上がってくる。このような「逆読」とは、はたして広く取られた方法だろうか、それともかなり特殊だったからこそわざわざ記されたのだろうか。常識に考えれば、逆さまに読むためには特殊な能力が必要で、読み上げる人は、まえもって一通り目を通しておいたか、それとも学識の一部として内容をすでに熟知していたのだろう。さらに言えば、読ませる天皇自身だって十分文字が読めたはずだが、絵の鑑賞に集中したいがためにこのような場を作り出させたに違いない。

ちなみに、オンラインでアクセスできる「大日本史料」(8編12冊)はこの記述を収録していない。これに辿り着いたのも、上の引用も、ともに「「室町戦国期の文芸とその展開」(伊藤慎吾)によるものである。

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