ネット環境を利用した遠隔の授業を今年もさせてもらった。大学新入生が中心になる、総勢二百名に近いクラスを対象にしたもので、テーマは自由に決めてよしとの配慮を受け、「声の古典」と掲げた。古典を眺めるにあたっての声に焦点を当て、比較対象に引っ張ってくるのは、おのずと文字となる。音読、黙読といった議論もごく簡略に触れてみた。研究のテーマとして基本的なものだが、若い人々にとっては、常識には程遠く、体感を持たない抽象的なものに過ぎないのではないかと、少なからずの心配を抱えていた。
いつもながら、ゲスト講義の楽しみは学生たちとの対話である。今度の授業もほぼ三分の一ぐらいの時間をそれに割き、さまざまな質問が飛び出してきた。「文字で書かれた文章が声を出して読まれていたことはどこまで、どうやって証明できるのか」、「身分の高い貴人なら文字を知っていたはずだから、どうして読み聞かせをする必要があったのか」など、講義の主旨に沿った鋭い質問が投げかけられた。これに留まらず、今日の生活の中での声の使い方も披露され、受験勉強で利用してきた「キクタン」(英単語学習アプリ)や「世界史実況中継」(歴史補助教材)などのタイトルはどれも新鮮だった。さらに議論はメディアとしての絵に及び、漫画の構成要素である擬声語擬態語の表記を、はたして文字、音、絵のどれに近い形で受け止めているのかとクラス全員に質問し、即席のアンケートを試みた。その結果、ほぼゼロ、七、三との結果が戻ってきて、大いに考えさせられるものだった。
世の中はどんどん移り変わり、いま大学に通っている若者たちは、いわゆるデジタル・ネイティブの世代になる。ならば、メディアの利用や、情報吸収と交流のあり方を考えるには、声というのは一つのおおきな手がかりになるのかもしれない。
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