2017年5月21日日曜日

斬首の場

「平家物語」の絵を取り上げた小さない論考を収録した論文集が一年半ほど前に公刊し、ここでも報告した(「盛久の奇跡」)。そのあと、論文集の論考を一篇ずつ丁寧に触れたレビューが二篇も書かれ、公開された(Eisenstein氏Chance氏)。いうまでもなく、個人的にこのテーマについての関心が消え去ることはなく、作例の存在をつねに期待と不安をもって蒐集してきた。

その中で、思わぬ形でユニークな一例を知り、ここに書き留めておきたい。慶應義塾大学斯道文庫「平治物語(存巻8)」(センチュリー文化財団寄託資料)の中の一場面である。この構図の特異さは、簡略に述べればつぎの通りである。これまで見てきた(したがって上記の論考で取り上げたもの)は、ほとんどの場合、処刑されようとする人間にスポットライトを与えている。多くの場合、処刑の場を象徴し、読者にそれを明確に伝える役割を果たすのは一枚の敷き革、対して、その上に座らされた罪人にはなんらかの形で特別な行動を取らせて、それをもって構図の特異化を図ろうとするものだ。その普通ではない行動とは、たとえば辞世の句を書き留めたり、事情が理解できなく子供が周りと会話をしようとしたり、ひいては運命を受け入れられずに最後のもがきを試みたりするものである。それらの構図に対して、目の前の場面は、罪人の周りの人間の配置に異様な展開を与えた。それは、処刑への指示、死を悲しむ泣きわめき、あるいは熱心な見物といった繰り返される人間像ではなく、太刀取りの行動に呼応して、刀を抜き出す複数の侍の姿だった。ただ、これらの侍は、首斬りに取り掛かろうとする太刀取りに敵対するものだとは考えられないので、かれらの存在の理由や、伝えようとする情報は、正直、いまはなかなか理解できない。

上記の写真は、一年半前の展示カタログから取り出したものである。二日まえ、斯道文庫の佐々木孝浩先生のご厚意により、同絵巻を拝見できた。短い日本滞在の間、最高のおもてなしを受け、ここに心よりの感謝を記す。

元和偃武400年太平の美─書物に見る江戸前期の文化─

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