狩野山雪筆の「長恨歌絵巻」は、一番のハイライトである楊貴妃の死を表現して、興味深い構図を用いた。敷皮に膝ずく楊貴妃に向かい、けたたましい武士は一本の縄を手にしている。日本の絵巻や奈良絵本などを見慣れた目には、このような人間の位置配置に素直に処刑と理解するところがある。たとえば「熊野権現縁起絵巻」(和歌山県立博物館蔵)や「熊野の本地」(駒澤大学蔵)などをすぐ思い出す。ただし、目を中国に転じれば、そう素直なものではない。白楽天の「長恨歌」に絞れば、むしろ問題はより大きい。
そもそも楊貴妃の死については、歴史書はたしかに「縊死(くくって死ぬ)」とある(「旧唐書」、「資治通鑑」、など)。一方では、同時代の伝聞などとなれば、かならずしもこれが答えのすべてではない。事件から数ヶ月しか経たなかったうちに書かれたと言われる杜甫の詩には、「血汚遊魂歸不得(血汚の遊魂、帰り得ず)」(「哀江頭」)との句が読まれる。そして、肝心の「長恨歌」は、「宛転蛾眉馬前死(宛転たる蛾眉馬前に死す)」、「迴看血涙相和流(迴り看て血涙相和して流る)」とある。死に方は明記していないが、血が流れていることだけは強く訴えている。もともと白楽天の詩をすべて字面通りに受け取ることも警戒すべきだ。同じく楊貴妃の死をめぐり、近代に入ってからのとある有名な考証などは、「不見玉顔空死処」にみる「空」を「むなしく」ではなくて「そら(ごと)」と解して、これを根拠に妃が死ななかったという破天荒な結論に辿った説まで導かれたものである。
つぎの水曜日に小さな発表が予定され、この絵巻を取り上げてみる。この週末は冬時間に変わるため、余分な一時間が生まれる。発表の準備に当てることにする。
The Song of Everlasting Sorrow
2017年11月4日土曜日
楊貴妃の死
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